第一章 二話 おねだり作戦、玉砕
先日の一件以来、僕はちょっと心を入れ替えて居た。大したことじゃなく、少しだけやる気を取り戻したというだけだ。
「おぬし、ヴェレス様を一体どこへやった?」
開口一番いよいよもって不敬がすぎるのでは無いだろうか、アンガルフ。
少し傷ついた。思わずジト目にならざるを得ない。笑ってる場合かアンガルフ、不敬だぞ。
「ヴェレス様、最近誰かと心を取り間違えたりはしませなんだか?」
心を取り間違えるって何だ。心を入れ替える、じゃないのか。今の僕は、僕も知らない誰かなのか?
「急に真面目に講義を受けるばかりか、足繁く書庫に通う姿を拝見すれば誰しもそうも思いますぞ」
まあ日頃の行いが悪かったのは認めるけどさ。ちなみに開口一番のアンガルフの不敬発言から僕はまだ一言も喋っていない。
「まあ、一言も発さずとも儂と会話出来るのはヴェレス様くらいですから、御本人なのは間違いありませんな」
その場合凄いのは僕の心を読むアンガルフじゃないか?
「ちょっと思うところあって少しやる気を取り戻しただけだよ」
「ふむ?」
アンガルフは少し不思議そうにしていたが、特に突っ込んで聞いてくることは無かった。過ごしやすい陽気の中、どこか楽しげな声でアンガルフの講義が続いていく。
それ以来、アンガルフから話を聞いたのか、最近何やらチラチラとこちらを気にしつつ講義をしていた教育係の様子が元に戻った。
いや、彼達も妙にやる気が出ている気がする。その証拠に、出される課題が難しい上に多い……特に書き物を担当するエルザ先生が容赦ない。先の講義でもお手本と見比べても違いがよく分からない場所を延々と指摘された。
字が汚いと魔術回路の効率が下がると言っても死にはしないじゃないか、もうちょっと手加減してほしい。
最近ちゃんと頑張ってるから結構綺麗になって来たと思わない? そんな事言ったらまたエルザ先生の顔が怖くなりそうだから言わない。
さて、次は薬草学の時間だ。先日は疾病用基礎回復薬の調合に関して、イレーナ先生とちょっとした新発見をし、正式に先生の弟子として認めて貰えてとても嬉しかった。
疾病に対する薬は青系統と赤系統の混合割合を調整して紫色にする事が大事なのだけど、僕には少し調合が難しい物だった。
しかし、先日再発見した例の薬瓶の材料について研究していた時に開発した触媒を使用する事で、その調整が格段にやりやすくなった。これで紫系統の薬を作りやすくなったという訳だ。
ふふん。僕が薬師を名乗れるようになる日も近いかも知れない。
さあ、今日もちょっとは真面目に頑張りますか!
――◆――
僕の前を通り過ぎようとた夏が、何かを思い出したように引き返してきて、急に頬を張ったような理不尽さを感じる残暑の頃。それでも僕は暑さに負けず、まだ真面目にやっていた。
今は剣術の時間、最近何故か先生が変わってしまった。
教わった型を一心不乱になぞる。
時折、獣の咆哮のような声が飛んでくるから気が抜けない。
型をなぞったりして体を温めてから模擬戦をするのがいつもの流れ。そして手も足も出ずに負けたその後は、どうすれば一本取れたか、取られなかったか検討する。
どうすれば取られなかったかと言われても、そもそも防御も回避もぶち抜いてくるのにとんだ無茶振りだと思う。
王子相手にも容赦のない騎士団長のクレイグは、夏の気温よりも暑苦しくて、すごいなーと思いました、まる。……日記に恨み言が増えた気がする。
真面目に講義を受ける合間に、当時の記憶を掘り返しながら該当する素材を書庫で調べていて驚いた。
まず、馬達に貰った素材。ユニコーンのたてがみ。青白く輝くたてがみを溶かして薬にすると強壮剤として効果が非常に高く、ツノに次いで貴重な品。
ペガサスの翼の風切羽。羽軸の部分が強壮剤として優秀で、特に初列風切羽の大きな物が貴重。
ユニコーンのツノは印象に残ってるし、ペガサスはそもそも我が王国の象徴であり宝だ、城にも何頭か居る。だからこの2つはほぼ間違いないと思う。
そして喉が渇いたと飲んだ泉の水、生命の水。世界樹を育んだ水は最高の触媒になる。これは次の葉っぱと実の形状が記憶通りの場合にその可能性が高い。楓の葉を大きくして、よりギザギザにしたような青緑の葉だったはず。
世界樹の葉、奇跡を呼ぶ木の葉は湛えた朝露ですら薬になるという。
お腹が空いてオヤツに貰った木ノ実。ブドウのように鈴生りに実っており、イチジクのような見た目をしながらも中身と味はリンゴのようだった。
命の実、世界樹に実る永遠の命を得るとも言われる果実。実際に言い伝え通りの効果があるとまでは思わないが、それにしても薬師にとって垂涎の品である。
先日の件以来、講義でやる実験や調合がとても楽しい。一を聞いて十を知る程では無いとアンガルフに言われた僕でも、真面目に頑張っているお陰で、今では薬草学のイレーナ先生の助手として研究にもいそしむ程だ。
アンガルフの魔術講義も面白いのだけど、僕に適性があるとか言って、土魔術の、それも制御が複雑な物を詰め込んでくる。なので正直、今ちょっとアンガルフは食傷気味だ。別にお爺ちゃんと膝を突き合わせて魔術の理屈を捏ね繰り回すより、美人の先生と一緒が良いという訳じゃない。
その気持ちがまったく無い訳ではないけど。
例の薬の効能を知る手がかりを得る為に鑑定魔術の経験を積む目的もある。
鑑定魔術は使うだけでそれが何だか分かると言う便利な物では無い。魔術を通して対象の構造を調べ、その反応を自分の知識と照らし合わせる事で、目に見えない部分も鑑定する魔術だ。
鉄なら鉄の、毛生え薬なら毛生え薬の反応がある、それを予め知らなければあまり役に立たない──と言うか全く役に立たない。
また、鑑定した物に魔術回路が仕込まれていれば、それを知ることは出来るが回路の仕組みを解読出来なければやはり同じ事。
例の薬は完全に知らない反応が返って来たので、近しい反応を示す物が無いか色々調べている最中だ。
それらしい反応が既知の薬や素材から見つかれば効能の推察が出来ると踏んだのだけど、未だ成果は無い。このままでは鑑定魔術師の資格証を手にする日の方が早そうだった。
閑話休題。
あの場所ついては父上に聞くのが手っ取り早いのだが、この壁が思いの外に高い。実の父親と言えど一国の王である、会える機会は数か月に一度。子供達との交流のためと父上は僕たちと食事をする機会を定期的に設けられる。
兄弟が沢山いるので幾人か毎に順番が組まれていて、その順番をずっと待っていた。待ち望んだ僕の番が来るのは次の次の次の機会だ。
そこで考えているのが、成績優秀ヴェレス君の渾身の可愛いおねだり大作戦――優秀で可愛い息子からのお願いなら父上も聞いてくださるに違いない。
多分。
きっと。
そうだといいんだけど。
――◆――
待ちに待った父上と食事を一緒する機会が巡ってきた。兄上達が順番に父上と話しをするなか、ようやく僕の番が回ってくる。
席は良い感じに父上の隣、絶好の位置取りだ。ここで成績優秀ヴェレス君の渾身の可愛いおねだり大作戦を発動!
薬草学が楽しいなどの近況報告を交え、流れるように思い出話へ繋げて、再度訪れたいと告げる。
よし、いい流れだ、と思ったら。何故か父上が驚いた顔をした。
「ならん。かの地の事は忘れよ、今後一切口に出す事も認めん。これは王としての命だ。」
玉砕……だと……
お願いを却下されたショックはあったが、それ以上に、僕にはあまり見せない深刻な表情をする父上に何も言えなくなってしまったのだった。
こんにちわ、リリエッタです。
やる気を取り戻し素直に努力するとても素敵な坊っちゃまの頃ですね。えぇ、よく覚えていますとも。目的に向かって一心不乱に努力する幼い坊っちゃま。控えめに言って天使ですね。ありがとうございます。
鑑定魔術の練習では良く、私の淹れたお茶の銘柄当てなどもされていましたね。お陰様で、大変に素晴らしい時間を過ごさせていただきました。
父王様への再度のおねだりをするご様子……控えめに言って天使ですね。優勝です。
しかしその後むべなく断られてしまい、意気消沈の坊ちゃま……なんと、おかわいい──おいたわしい。いえ、不敬ではございません。
大丈夫です、坊っちゃま。リリエッタはいつも影から応援しております。おはようからおやすみまで、そして再度のおはようまで。