第四章 二十二話 迷宮心核
「ん、んん……ふあぁぁ……くぅぅ――」
気持ちの良い目覚め。ひとつ伸びをしてみれば、頭も体も軽く感じる。いつの間に外したのか、剣も鎧も脇に置いてあった。
「あ、起きたかい?」
「――!」
寝起きの僕に声を掛けてくるのはリリエッタ位しか居ないはずなのに、聞き覚えの無い声に驚いてしまった。
声のする方を向けば暗赤色の水晶体が浮いている。それは一辺が、およそ僕の前腕ほどある立方体で、透き通っているのに中が見通せない、不思議な水晶だった。
「ん、あぁ、そうか。ここは……」
周囲を見回して段々と状況が飲み込めて来る。そうだ洞窟の中で変な魔獣と戦って、それで――。
「まだ寝ぼけてるみたいだね、顔でも洗うかい?」
「あぁ、ありがとう」
思わず普通に返してしまう。
顔を洗うって? こんな所で?
疑問に思うも、気付けば目の前には、僕の頭ほどの大きさの水の塊が浮いていた。
「これ、オマエが? すごいな迷宮の水晶は魔術も使えるのか……」
「これぐらい朝飯前ってやつさ。僕はご飯食べないけどね」
会話する水晶なのだから今更かと思い、水をありがたく使わせてもらう。これほどの量を空気中から集めるのは案外大変だと言うのに、この水晶体にはなんてことは無いらしい。
「ありがとう、サッパリしたよ」
「そう? それは良かったよ」
その言葉を合図したように、水の塊は蒸発するように掻き消えた。
「改めて自己紹介は必要かい?」
僕が気を失う前にコイツは確か……何とか言う混沌の神に遣わされた迷宮心核とか言ってたかな。混沌の神やら何やら聞きたい事は色々とあるけども……。
「いや。それより、僕はどれくらい寝てた?」
まずは状況把握からやろう。
「君たちの感覚で言う三日くらいかな」
「そんなに寝てたのか……」
普段よりよく眠ったな。くらいの感覚だった。
「それで、僕は助かったのかな?」
気を失う前はかなりの重傷だったはずだ。それが今では健康そのものと言った感じだ。ひとつの問題を除いて。
「うん、もう大丈夫さ」
「それは良かった。ありがとう」
「どういたしまして!」
水晶体は勢いよく横回転している。感情表現なのか?
「それで一個 訊きたいんだけど良いかな?」
僕が声を掛けると回転がぴたりと止まる。
「一個と言わず何個でも訊いてよ! 人間とお喋りできるなんて初めてで楽しくてしょうがないんだから!」
さっきからチラチラと目に入る自分の体に、言いようのない違和感を覚えていた僕は、じっと手を見つめる。
その手は、見慣れた自分の手……では無く小さい子供のようだった。
「あ、気付いちゃった?」
腕や足を動かしてみる。体が自分の意思と連動して動く、どうやらこの子供のような体は僕の身体のようだった。
「そうだ。全身を確認してみるかい?」
思いついたように言うなり、目の前にまた水が集まり、今度は水鏡を作った。水で作ったと言うのに、城にあった鏡よりも綺麗に鏡像を映しているようだ。もしこれを母上に贈ったら非常に喜んでくれそうだな。
その鏡を恐る恐る覗き込んでみる。
「子供の頃の僕だ……」
幼い頃の僕が映っている。生意気盛りだった十二歳頃だろうか。鏡で確認してしまうと、どう言う訳か子供になってしまった事を疑う余地は、もはや残っていなかった。
悪い夢でも見ているのだろうか? 実は僕はあの戦闘でもう死んでいて、これは混沌の神とやらの悪戯なのだろうか?
目の前の赤い水晶体が踊るように右に左にくるくると回っている。何故かイラっとするな、この動き。
「いったいなにが起きたの?」
「契約前にも言ったけど、君は瀕死で存在力すら枯渇した状態だった訳だけど」
「はぁ」
存在力ってなんだ? と思うけど一旦置いて話を聞く。コイツと話してて聞きなれない単語が出てくるのは、もう諦めよう。
「その存在力を僕が肩代わりして、傷も治した訳なんだけど」
「うん?」
「そしたらなんか、小っちゃくなっちゃった訳だ」
なんで?
「なんで?」
うっかり思考がそのまま声に出た。
「僕に引っ張られちゃったのかなー? なんてねー」
「その何とかをオマエに肩代わりしてもらってるせいだとして……なんで子供の体に?」
「僕はこう見えて、ぴっちぴちの十二歳だからね!」
水晶体は、またもくるくると機嫌良さそうに横回転している。
「はぁ……?」
僕の口から、気の抜けたため息の様な声が勝手に漏れた。
「冗談はさておいて。多分、君の存在力が大幅に消耗しちゃったせいで、元々の姿を取れなくなっちゃったみたいだね。あ、僕が生み出されてから十二年目なのは本当だよ」
分からない上に笑えない冗談は止めて欲しい。あと、どうでも良い情報も。
「……その、オマエの言う存在力ってのは一体なんなの?」
「うーん、君たちの言葉で簡単に説明すると魂って言葉が近いかな」
「魂……」
つまり死に掛けた僕は魂が抜けかけていた。それをこの水晶体が留めてくれているって事かな?
「体力、魔力、精神力、生命力なんかの根幹の力。この世の存在全てが持つ、この世界に留まるための錨――みたいな物かな」
なるほど、おおよそ当たってそうだ。そして、欠けた魂に合わせて体を修復したせいで肉体も小さく、と言う事だろうか……。
「分かったような、分からないような……」
そもそも魂なんて物は、概念として存在していても、それが何なのか誰も知らないし分からない。理解の範疇を超えて行く話に意識が遠のきそうだ。
「あの戦いで君は、決着を前に全ての力を使い果たしてた。それこそ体力、魔力、精神力、生命力の全てを。それでも君が勝ったのはあの最後の一撃を放てたからさ。あれは燃えたねー! 自分の存在力を消費してまで勝ちに行くなんて、流石種持ちの人間だってね!」
あの一撃は正に、魂、と言うか寿命を削っての一撃だった訳か……。
ん。種持ち? また聞きなれない言葉が出て来た。
「種持ちって何のこと?」
植物の種なんて持ち歩いてないぞ。
「あぁ、自分では気付いてなかったのかい? 誰から貰ったかは知らないけど、僕らとよく似た混沌の種の気配を感じるんだけど」
「何の事かよく分からないな……」
大体、混沌の種って何だ? 自称神によって遣わされたと言うコイツもそうだと言っていたけど。
「ふーん? でも、それがあったから君をここまで誘導する事が出来たんだし、結果オーライだね!」
オーライ?
って、待てよ。
「ここまで誘導したって? オマエが?」
「そうだよ。入り口近くに似た気配を感じるから何かと思ったら、種持ち、それも人間が近くに居るもんだから、僕は必死になって呼び掛けたよね!」
確かに、何かに誘われるように、洞窟に足を踏み入れ。怪しい扉を見つけた時も、興奮してすぐにその扉を開けてしまい部屋に入っていた。普段よりもだいぶ不用心だったのはコイツのせいか。そうかそうか。
「いやぁ、これも混沌の神のお導きかなー?」
どうやら、あれもこれもこの水晶体のせいだったようだ。
「つまり、僕が迂闊にもここに足を踏み入れたのはオマエのせいで、死にかけたのもオマエのせい……そして僕が結果的に子供の体になったのもオマエのせいか……」
「待って待って! 近くに波長の合う人間が来たから来て〜って念じたのは確かだけど! 死なせるつもりじゃ無かったし、君が子供の体になったのは不可抗力! 不可抗力です! 無罪を主張します!」
「うるさい、有罪だ」
「あと君が迂闊なのは元々の性格だと思います!」
……ぅぐ。
割ってやろうかと思うも、まだ状況が掴みきれないので思いとどまる。
「冤罪は司法の不信を招き、ひいては民衆の反乱に繋がるんじゃないかな!?」
「何を適当な事を……何か聞き覚えがある台詞だな」
似たような事を昔 言ったような……。
「まあ、死なずに済んだんだから良しとしてよ! 子供の体だけど、僕と契約してる限り迷宮内ならそう簡単には死なないし──ていうか死ねないし──オマケに老けないからずっと若いままだよ!」
聞き捨てならない話が飛び出た。
「待って?死ねない?若いままって?どう言う事?」
「君を助けるために僕の存在力を混ぜたからそうなっただけだよ、僕は死なないし老化しないからね。嬉しくないの? 永遠の若さは君たち人間が血眼で求める物だって聞くけど……嬉しくないの?」
目の前の水晶体が首でも傾げるように傾く。妙に人間臭い動きするなコイツ。
「永遠の若さって……え、それじゃ体の成長は?」
そうだ、ひとつ大事な事がある。
「前例が無いからはっきりは言えないけど、多分しないんじゃないかな。僕の水晶体も成長はしないし」
一生このまま? 小さい子供のまま?
「折角伸びた身長を返してくれ……」
本音が漏れる。背の低さを気にした幼少期だったけど、ここ数年で急に伸びてきたから内心喜んでいたのに……。
「戻す方法は何かないですか?」
敬語になってしまう。
「うーん……」
右に左に揺れる水晶体。頼むから何か思いついて!
「根本的な原因は多分、君の存在力が枯渇している事だから……」
「ふむふむ。つまりその存在力をどうにか回復 出来れば可能性がある?」
「そうなんだけど、基本的に失った存在力を取り戻す方法が……」
「……無いの……?」
「……ごめん、ちょっと思いつかない」
これまでかと膝を付きかける。死にかけた魔獣との戦いよりも絶望感が強いのは気のせいだろう。
さっきは存在力とやらを魂に例えていたけど。確かに、欠けた魂を元に戻す、と言われてもどうしたら良いのか検討もつかない。
「でも、君がお願いだって言うなら方法を探してみるよ。僕が知る事のできる神の知識には制限があるけど、何か手掛かりがあるかもだしね」
「……お願いします」
「分かった。やってみるよ」
身長のためだけじゃなく、僕が普通に生きるためにもどうにかしたい所だ。
「それにしても、これから迷宮を守るのも大変で忙しそうだけど、楽しくなってきたなー!」
迷宮を守る? 僕が、か?
「そう言えば、契約って何なんだ? 迷宮を守ればいいのか?」
「契約と言ってるけど、実は僕から君に強制する事は特に無いんだ」
おや? 意外な話だった。てっきり無理難題ふっかけられるのかと思っていた。
「じゃあ、僕がこのままここを立ち去っても良いの……?」
「折角仲良くなった君が居なくなるのは寂しいから僕は嫌だけど……君がどうしてもそうしたいなら止められないね……」
オマエと僕がいつの間に仲良くなったって?
「それなら迷宮を守るって話は?」
「それをしないと、最悪 君が死んじゃうからだねー」
それを先に言え。
「それを先に言え」
うっかり思考がそのまま声に出た。
「君が質問して来たんじゃないか!」
それはまあそうなんだけども。
水晶体が跳ねるように動いている。怒りの表現なのか?
「ちなみにその最悪、と言うのは?」
「何者かに迷宮を攻略されて契約を上書きされると僕から君への力の流れが無くなってしまうんだよ」
「迷宮攻略って言うのは、僕が倒した魔獣みたいな主を倒すって事?」
「うん。それも方法のひとつだよ。つまりは、契約者の君がやられるか、もしくは心核である僕が割られると迷宮との契約が一旦白紙になっちゃうんだ」
「僕がやられたらって死なないんじゃなかったのか?」
「まぁ、確かにそっちの心配はあまりないし、君は死なないけど、みじん切りにでもされたらしばらくは動けないと思うよ?」
それは想像したくないな……。
「要は君の場合は、防衛を怠って僕を割られて契約が書き換えられた場合、君は残りの存在力をあっという間に使い切って、数日も経たない内に寿命を迎えた様に死ぬ事になるだろうね。僕自体は暫くすれば復活するんだけど、多分再契約は間に合わないと思って」
「数日で……」
コイツとの契約が無ければ、僕と言う存在は錨を無くした帆の無い船のように、この世界から流されて消えてしまうと言う訳か。
「つまり、僕らは運命共同体って訳で、言うなればこれはもうマブダチってやつだよね! 嬉しいなー! しかも、迷宮百二十七兄弟の中で僕が一番に人類と契約して友達になっちゃうなんて!」
「友達? 僕と? オマエが?」
「――え」
跳ねるように動いていた水晶体の動きが止まる。
「ダメ……かい?」
こちらを覗き込むような動き。本当に一々人間くさい動きをするヤツだ。
しかし、これを友達と認めてしまうと、僕の最初の友達が水晶体になるのか? それはちょっと……目の前の水晶体は何かを期待する様にキラキラと輝いていた。
「あぁ、もう分かったよ、友達で良いよ」
「いやったー!」
目の前の水晶体は今までで一番の勢いで右に左に回っている。どうやらはしゃいでるようだ。回転が早すぎて丸く見える。
「あ、大事な事忘れてた」
急に回転がぴたりと止まる。
「君の名前を聞いてなかったよ」
やや今更感はある質問だけど――そう言えば名乗ってなかったな。
「ん? あぁ、ヴェレスでいいよ」
こいつ相手に偽名を名乗った所で、もはや意味が無さそうなので本名を告げる。
「じゃあ、ヴェレス! これからよろしくね!」
「はいはい、よろしく。はぁ……それで、僕はオマエをなんて呼べば良いんだい?」
おざなりに返事をしつつ、僕も気づく。コイツは自分を迷宮心核だとは言ってたけど、名前を聞いてなかった。そもそもあるのか?
「僕の名前かい? 固有名はまだ無いんだよなぁ……自分で考えても良いけど……そうだ! 良かったら君がつけてよ!」
水晶体にはやっぱり名前が無かった。
「えぇ、僕が付けるのかよ……」
「君が付けてくれるなら何でも良いから。そう言わずに、さぁさぁ」
「赤玉」
「何それ!ヤダ!大体僕は玉じゃないし!なんかヤな響だし!」
さっきは結構玉っぽかったぞ。
「何でも良いって……そうだなぁ、じゃあ――」
何かのお伽噺に、子供みたいな悪戯好きの精霊が――。
「ジオで」
そんな名前だった。コイツにはお似合いだろう。
「もうちょっと悩んでくれても良いんだけど……ジオ……か。うん悪くないかも、いや、良いね!」
うんうん、と頷くように水晶体が動く。案外気に入った様だ。
「今から僕の名前はジオ! よろしくね、ヴェレス!」
暗赤色の水晶体がキラリと光った気がした。
こんにちは、リリエッタです。
ここで坊ちゃまを待ち続けて半刻ほどが経過したでしょうか。ここでまた情報を整理したいと思います。
坊ちゃまを閉じ込めた扉は何なのか?これはここがほぼ間違いなく迷宮である事から考えます。ただの洞窟のように見えて、その奥に存在した場違いにもほどがあるこの扉。私の全力をもってしてもびくともしない扉。そんなもの、私の予想がつく限りでは迷宮心核を守る迷宮最深部の扉以外にありません。坊ちゃまが授業を受ける姿を観察中、アンガルフ老がそんな話をしていたので間違いないでしょう。
そして次、坊ちゃまの身の安全は?迷宮最深部にあるというその扉は挑戦者を受け入れ、迷宮の試練へ引き込むと言われています。成し遂げた物が居ない、或いは伝わってないそうなので詳細は不明です――これらも坊ちゃまの授業参観を私が勝手に行っている最中の話ですが――試練ともなれば、中はあまり和やかな状況ではないでしょう。
つまり現在の坊ちゃまは?恐らくは迷宮の主たる何者かとの戦闘中、と思われます。中の音は一切漏れ聞こえて来ませんが。様子を探る手段の一切を遮断する憎い扉を今一度全力で斬りつけます。やはりびくともしません。憎たらしい。
と、ここまで考えたところでまとめます。坊ちゃまは迷宮の試練へ挑戦中。そして挑戦者を受け入れるという扉は未だ閉まったまま。つまり坊ちゃまの挑戦は継続中、という事は坊ちゃまはまだ無事――という事になります。
この憎たらしい扉が閉まっていると言う忌まわしい事実が、坊ちゃまの無事を証明するとはなんと皮肉な……。
最悪の状況は坊ちゃまが迷宮の主に敗北する、という事ですが――それはありえません。なんせ、私の坊ちゃまですから。




