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吾輩は犬である(れおん編)

作者: 相川れおん

犬に興味があるヒトに向けて

 僕は犬です。名前は〝れおん〟。岡山の御津みつの田舎で、雄のトイプードルとして3月16日に産まれた。ソメイヨシノは早いが、河津桜は見ごろを迎えている春という季節だ。

 僕たちの成長の過程を4つの時期で分類するようだ。出生から二週間までの事を「新生子期」と言う。この時期は産まれたばかりなので、目も見えず、耳も聞こえず、僕たちはお母さんに完全に依存して生きることになる。お母さんから母乳を貰い、排泄もお母さんの援助が無いと行えない。出生三週目から徐々に耳が聞こえるようになってきた。「移行期」と呼ばれる一週間で、目も徐々に見えるようになってきた。お母さんの元に僕と同じような子犬が他に五匹いることが分かった。僕たちはまだうまく歩くことが出来ず、他の兄弟たちと一緒に、母親の近くをごろごろして過ごすしかなかった。僕たちは、一歳になるまで十八時間の睡眠が普通だ。ほぼ寝ていたため、他の兄弟の事をあまり覚えていない。移行期が終わり、僕はお母さんや兄弟たちと違う部屋に移された。周りを四角い棒状のもので囲まれている所だ。乳歯が生えてきたので、子犬用フードをお湯でふやかした離乳食が僕のご飯になった。出生四週目からを「社会化期」と呼ぶ。僕はこの四角い部屋が気に入っていたし、他の仲間との交流をあまりさせてもらえなかった。生後三週から八週の間に、兄弟や他の仲間と接しないと、犬社会にうまく溶け込むことができなくなるらしい。また十二週目までに人ときちんと接触をしなければ、ヒトを恐れたり、接触を避けようとしたりするようになるようだ。僕の場合は週に2回以上20分以上ヒトとの接触があり、ヒト社会には順応することはできた。しかし・・・。

 ここのあるじは、東京の芸能界にも顔が広く、何匹か関東方面に仲間を譲り渡したと聞いた。だからと言って何百匹も仲間がいるわけでは無く、十数匹を大事に育てている。敷地内には我々が走り回れるスペースもあるのだが、喧嘩をして傷つくことを危惧した主が、積極的に犬同士を交流させなかった。社会化期は「感受性期」ともよばれ、神経機能の完成や周囲の環境からの情報を認識学習する期間だ。好奇心が旺盛で、遊びを通じて環境に適合していくことを学ぶ大事な期間なのだ。ヒトからすると遊んでいるように見えるかも知れないが、僕たちは真剣に相手の実力を図っているのだ。本気で噛まなくても相手の痛がり方を観察し、攻撃力や守備力を肌で感じて、同胞たちの順位付けをお互いに行っている。こいつにはかなわないと思う同胞には服従し、こいつよりは上だなと思う同胞には、先輩面をする。自然と群れの順位が出来るのはこの時なのだ。しかし僕はこの期間をほぼひとりで過ごしたため、大きくなっても犬社会に馴染めない。

 僕が生まれて三か月が経ち「若年期」に入った初夏に、二人のカップルが主の家を訪れた。僕はいつも通りこの四角い入れ物の中で、寝るでもなく起きるでもなく、まどろみながら、入り口付近で話をしている二人の会話を聞いていた。カップルは一様に緊張した面持ちで、我々のいる犬舎けんしゃに現れた。主がいろいろ僕たちの説明をしている。女の方は積極的に質問をしていて、男の方はあまり関心がないふりをしていた。会話の内容から、どうも犬を飼うのが初めてのようだ。女は僕たちの事をしっかりと見るでもなく、どう育てるのか、何を食べさせるのがいいのか、どんな備品が必要なのかと、主を質問攻めにしていた。僕は「このドン素人じろうとが。来る前に少しは調べて来いよ。」と心の中で罵った。一通り質問は終わったようだ。女の方が抱っこしたいと言い出したので、いよいよ僕は寝たふりを始めた。「僕に触れるな」という雰囲気を出したのだ。下手な抱っこは、居心地が悪いし、落下の危険が伴うので勘弁してもらいたい。ここの犬舎には横に四部屋、縦に3部屋で12の同胞が一緒の小屋にいる。部屋ケージの中は、トイレシートが敷かれ、四方を囲む棒状の一本に水が取り付けてある。常に部屋の中は綺麗に保ってくれている。僕の部屋は一番上の右から二番目にある。今、二人のカップルの所為せいで、「ワンワン」「キャンキャン」とそこら中で、同胞たちの鳴き声が響いている。たいして大きくない小屋なので、五月蠅うるさくて仕方がない。

 僕の気分を察したのか、主は隣の仲間の扉を開け連れだした。僕は一安心したが、男の視線がヤケに気になった。寝たふりをしながら、カップルの動向を伺った。女がブラッシングの仕方を教えてくれと言ったので、あるじは道具箱からスリッカーブラシを取り出し、毛並みに沿ってブラシを動かした。

「ブラシの先が尖っていて痛そう」

女が言うと、主は笑顔で

「犬の肌に触れる手前までの毛を上手くくのが、正しいブラシの使用法だよ」

と説明しながらブラシを動かしていた。

 ブラッシングは、抜け毛や汚れを取り除くことで、皮膚の通気性や新陳代謝が向上する効果があり、病気の予防になるのだ。予備知識は豊富だが、僕はまだブラッシングを一度もやったことが無い。産まれたばかりでまだそんなに毛も長くなかったので、その必要がなかったのだ。また、あんなトゲトゲがいっぱいの金具で体に触られたくないと内心ブラッシングに怯えてもいた。犬用のブラシには、グルッテハードやファーミネーターなど約十八種類が市販されているらしい。このカップルの前に訪れた熟年夫婦が、主を押しのけて、道具の知ったか講義をしていたので、いくらか覚えている。

 主人とカップルの会話が無くなり、少し静かになった。寝たふりを続けていた僕だったが、少し気になり顔を外に向けたのが不味まずかった。僕はしっかり三人と目が合う形になった。突然主は僕の寝床の扉を開け、僕を連れ出して、ブラッシングを始めた。初めてのブラッシングなのに、主はかなり強めにブラシを当てるので、背中が痛かった。「おいおい、ブラシの爪は肌に触れる手前までではないのか?肌が引っ掻かれる感じが、背中から伝わってくる」

僕は痛みに瞬時に反応し、歯をむき出しにして

「アウ!アゥ。」

と主の手を噛んで抗議した。

主は突然の反抗に目を怒らせたが、すぐにハッと気づき、お客様の手前、感情をあらわにすることはなかった。これぐらいのことは通常の事のように、「飼い主と言えど手を噛まれることはありますよ」と、僕を元居た部屋に戻しながら、カップルに上手く説明していた。僕は「フン」と三人に分かるように抗議の姿勢を見せ、部屋の隅に行って丸くなった。

 三人は犬舎を離れ、そう広くもない主の敷地を細かく見て回り、何やら交渉を始めたようだ。同胞がそれぞれ好き勝手に吠えるので、遠くにいるカップルと主の会話はもう聞けなかった。しばらくするとカップルが車に乗って、主の家から去ったので、常に眠たい僕は、晩ご飯まで寝ることにした。ウトウトとしていると、三十分後にまた先程のカップルの車の音がした。主と男が何か話をしている間、女が満面の笑みで僕を見ていた。僕は女の視線に気づいて見返した。なかなか視線をそらさないので、喧嘩を売っているのかとだんだん怒りがわいてきた。すると先ほど話をしていた二人が近寄ってきた。女は振り返り、二言三言話をすると、主が突然僕の部屋を開けて、僕を抱きかかえた。僕はこの状況を呑み込めないので、別の部屋にいたママを見てうろたえていた。ママは別れを悟ったように僕に頷き、悲しい表情をして二言三言、僕に呟いた。

「元気でね。幸せにしてもらいなさい。」

僕はまだ小さかったので、ママが言っている意味が良く分からなかった。僕は散歩ぐらいの気持ちで、またすぐに会えると高を括っていたのだ。しかし、この日がママとの今生の別れだった。

 主が僕を女に手渡した。満面のみの女が僕をのぞき込んで

「可愛い・かわいい」

と連呼しながら、僕を抱きかかえた。僕はなすがままの状態で、犬舎を後にするしかなかった。僕はママと最後の言葉を交わすことも出来ず、そのまま車に乗せられた。ママに『ありがとう』を伝えないまま、生まれ故郷を去ることになった。


 僕は車というものに初めて乗った。御津から岡南こうなんまで男が運転して、女が僕を抱っこしていた。車内では僕の名前を決めているらしい会話を耳にした。女が言うには、めいの誕生日と僕の誕生日が一日違いと近いらしく、姪の名の一部である〝れ〟の文字を取って〝レオ〟と名付けた夢を見たと男に語っていた。「夢なんかい」と僕は心の中でツッコんだ。女はその名がとてもしっくり来たので〝レオ〟か〝レオン〟がいいと言った。僕は不思議に思った。

「なぜ僕の誕生日を知っているのか?僕の夢を見たとはどういうことなのか?」

今日初めて僕はこの二人に会ったのだ。さらに主人との会話にも、誕生日に関するものはなかったはずだ。

「この二人は、大丈夫か。」

僕はいぶかった。

 運転していた男が〝レオ〟は取引先の人に同じ名前が居て、電話口などで名前が出ると誤解が生じる恐れがあると言い出した。そして双方の主張をすり合わせて〝レオン〟に決定した。

岡南に着くともう一台車が用意されており、僕はあらかじめ準備されていた段ボールに入れられて、別の車に乗せられた。僕は、刑事ドラマのようなこの行動が、何かとんでもない事件に巻き込まれるのではないかと不安だった。男が運転する軽自動にのせ替えられ、女が運転する車と別れて、倉敷方面に向かった。ガタガタと地面が動くので非常に眠りづらかった。三十分ぐらい過ぎたところで、急に車が止まり、「ピーピー」と音が鳴り始め、突然後ろに走り始めた。何だなんだと戸惑っていると数メートル進んで、車はエンジンを止めた。どこかに到着したらしい。僕は恐る恐る顔を上げてみるが、小さいので全く外の状況が分からない。男が車の外に出て行った。幼い僕はここでもしかして・・・。あらぬ思いがよぎる。すると僕がいた方のドアが開いた。どこから現れたのか、先ほどの女が満面の笑みで僕を掴み上げた。いよいよ僕はここで生涯を・・・。僕は周りを見渡すと、比較的綺麗な一戸建ての家が目の前にあった。駐車場から入口まですぐそこだ。

「ただいま」

男が扉を開けて、少し大きな声で中に向かって挨拶をした。扉をもって開けたままにし、男は女を先に中に誘った。〝玄妙な道に入る関門〟の意味の玄関に、女は僕を抱っこしたまま入って行った。

「おかえり」

中から返事があり、奥の扉から白髪の女が出て来た。

男が僕を指さして

「れおん」

と老女に紹介した。三和土たたきで靴を脱ぎ、〝内と外を分ける境界線である〟上がりかまちまたいで、僕を抱っこした女が先に家に上がった。

「かわいい犬ね。何という種類」

老女が女に聞いてきた。僕は主の敷地から出たことはなく、全ての事が新鮮で、今の状況を理解しようと懸命だった。抱っこしていた女が言った。

「トイプードルです。純粋犬種で血統証明書もあるサラブレッドですよ」

先程、御津の主が説明していた僕の経歴を同じように説明した。男が後から家に上がって来て、僕らを促しリビングに入った。この家のリビングは十八畳あり、広い空間に僕は少し落ち着かなかった。このカップルは、初めて犬を飼うというのにこの部屋からは、同胞の匂いがした。それも一人だけでなく、何匹かの匂いを感じて僕は身構えた。すでに先住犬がいるのだろうか?警戒して周りを見ても同胞の姿はない。どうも分からないことだらけだ。

 僕は女に導かれて段ボールに入れられた。先程車内で使っていた段ボールが当面の僕の寝床になるらしいことは分かった。僕は広すぎるリビングより、この狭い段ボールの方が落ち着いた。いろんなことが一度に起こり、気持ちの整理の為、僕は少し目をつむることにした。しばらく目を閉じまどろんでいると、女が部屋の一部を簡易の柵で仕切り、中を新聞紙でいっぱいにした。

 男が車でどこかに出かけたかと思うと、すぐに帰って来て、リビングの電気コードを白のプラスティックカバーで覆い始めた。何をしているのだろうと思いながらも僕は目を閉じてじっとしていた。しばらくすると、御津の主からもらったご飯を水でふやかして、女が持ってきた。まだ僕を迎える準備が出来ておらず、ご飯すら貰い物だった。少しお腹がいてきたので、僕は出されたご飯を食べようと、皿に頭を近づけようとした。すると突然ご飯を持ってきた女が皿を取り上げて、

「お座り」

意味不明な言葉を僕に言って来た。何を言っているのか全く理解できない。キョトンとしていると、また女が

「お座り」

と言った。だから何なのだ。早くご飯を食べさせろ。僕は「ワンワン」言ってやろうと思ったときに、女にお尻を抑えられた。

「これがお座りよ」

女が優しく言って、頭を撫でて来た。僕は「お座り」の言葉でこのポーズをするのかと理解した。するとまた女が

「お手」

と言い出した。また意味不明な言葉を発したかと思うと、今度は女の方から右前足をつかんできた。いよいよ理解不能だ。なんでもいいから早くご飯をくれ。僕はイライラしてきた。すると女が頭を撫でて

「いいよ」

と言って、お皿を僕の方に近づけてきた。さっきの儀式は何だったのだ?疑問に思ったが、目の前のご飯が先とばかりにむさぼりついた。一通りお腹が満たされると便意をもよおし、隅に歩いて新聞紙の上で大便をした。食べて出すと後は寝るだけ。僕は先程の段ボールに入って丸くなった。儀式のことはもうすっかり忘れていた。僕はそのまま眠りにつき、一晩をここで過ごした。

 翌朝、女が階上から降りてきて、掃き出し窓に近づいた。右のドレープカーテンを下から三分のニの所で絞り、タッセルで結んだ。左のカーテンも同様にタッセルで束ね、二個のⓎの字型にドレープカーテンが開けられ、外の光が入って来た。次にレースカーテンの上部を留めたまま、それぞれの左右のタッセルかけにまとめて束ねた。左がPの字のように、右がqの字のようにレースカーテンが開けられた。簡単であるが、お洒落な演出だった。次に男が降りてきて、椅子に着くなり掃き出し窓を見た。

「また新しいパターンだね。五パターン目かな」

と言っていた。そんなにカーテンアレンジがあるのかと思いながら眺めていた。僕はまだ眠たかったので、その場を動こうとはしなかった。頭だけ動かし、目だけ開けている。すると女が近づいてきて、

「れおん、おはよう」

と言って来た。また意味不明の言葉を発して来た。僕はキョトンと女を見つめた。女は笑顔で僕の頭を撫でて、朝食の用意を始めた。テーブルの男が今日の段取りを聞いていた。女が言うにはホームセンターや酒屋に行くらしいことが分かった。朝食の準備が終わり二人はご飯を食べ始めた。僕は何とも思わずに目を閉じていると、女がご飯を持ってきた。お腹が空いていなかったので、ご飯を無視して寝ていた。男がいらないみたいと言ってご飯を下げた。僕は焦った。もしかしてもう貰えないのでは?という不安はぬぐい切れない。ここのカップルの朝は早く、こんな時間にご飯を食べたことがない。僕は、不安に思いながらも、とてもご飯を食べる気分ではなかったので、諦めることにした。

 それから僕は昼前まで段ボールの中でまどろんでいた。いつの間にか二人とも居なくなっていた。僕にとっては主の家でも同じようなものだったので、人が居なくても差し支えなかった。ただ周囲の見た目と雑音が違うだけだ。昼前に目覚めて、僕は段ボールを出て最初に放尿をした。どこと言うことは無く、僕は昨日大便をした辺りに行って、新聞の上におしっこをした。喉が渇いたので、水を探したがどこにも置いていなかった。「おいおい最低限水は置いておけよ」と僕は抗議したかったが、あいにく誰もいない。僕は諦めてまた元の場所で丸くなった。

 昼過ぎて二人が帰って来た。大きな荷物を抱えてリビングに入って来た。僕は何事だと思いながら見ていると、鉄の塊に扉がついていた。見覚えのある物だなと思いながら作業を見ていた。作業が一段落すると突然僕は抱きかかえられて、その中に入れられた。僕は中に入ると、この景色を思い出した。

「主の家で入っていたケージだ。」自分が居た所とサイズや色が少し違っていたので、理解できなかったのだ。見た目はこちらの方が綺麗だ。

 その日から僕の寝床はここになった。女が食事の用意を済ませて、二人で食卓に着いていた。僕はケージに入って丸くなり、二人の会話を聞いていた。ここの家はもともと別の人が住んでいたみたいだ。何らかの事情で売りに出した物件を、この夫婦が買ったようだ。前住者が三匹犬を飼っていたようで、その匂いがこの家のあちこちでしていたのだ。僕は謎の一つを理解した。

 食卓を見ると、コルクで栓をしてあるガラスの入れ物が目に入った。男はその栓を親指で押して、何とか開けようと苦労していた。「ポン」という音がして、中から泡がシュワシュワと出て来た。男は急いでグラスに注ぎ、二人は〝Dom Perignon〟ドンペリニョンと呼ばれるシャンパンで乾杯をした。このお酒は高いらしい。結婚十周年のお祝いに買ったようだ。二十周年にはピンクを買おうと男の方が言った。「何だそりゃ。」僕は何を言っているのか全く分からなかった。

 ここの夫婦は、いろいろあったが、子供に恵まれなかったので、かねてから希望していた子犬をこの記念日に飼うことに決めたらしい。だから、お互いの仕事終わりに岡南で待ち合わせをして、急遽、主の家を訪れたことが分かった。さらに会話を聞いていると、女が事前にネットで検索して、主の事も僕の事も知ったうえで会いに来たようなのだ。女は嬉しさのあまり、前日の夜に僕の夢を見たようだ。かなり強く思いを寄せていたのかと思うと少し照れてくる。彼らはお互いを『たかちゃん』と『陽子さん』と呼んでいて、この二人が今後、僕のパパとママになることが理解できた。僕はこの二人に生涯お世話になろうと心に決めた。


 僕は純粋犬種のトイプードルだが、トイプードル自体が人間によって作られたようなものなので、純粋という言葉に違和感がないわけでは無い。もともとのプードルは、泳ぎが上手で、主人と一緒に猟に行き、主人が仕留めた鴨や水鳥を水中から運んでくる為に飼われていた。獲物を捕獲しに水の中に入り、泳ぐ時に邪魔にならないように毛を刈るのだが、冬の寒さにも耐えられるように、一部の毛を残してカットするので、プードルの見た目は他の犬より独特の容姿になる。僕たちプードルの被毛ひもう換毛期かんもうきがないシングルコートで、冬の寒さ対策の為には、全ての毛を刈ることができない。実用的に切られた結果、見た目が他の同胞に比べて特徴的な形とならざるを得なかった。この独特の容姿をフランスの貴族達は気に入り、プードルを飼うことがステータスになっていった。当然プードルはフランスの国の犬と言われるぐらい大人気となった。愛玩犬として飼われ始めると、貴族たちはより小さい個体を求めるようになり、体高の低い犬が重宝され始めた。貴族の要望を満たすような犬を作るために、業者はより小さい犬と小さい犬を掛け合わせるようになる。時には突然変異で小さく産まれた犬も用いて交配をさせ、できる限り小さい犬を何年も何世代もかけて作り上げていったのだ。現代では、スタンダードプードル体高四十五㎝以上、ミディアムプードル体高三十八~四十五㎝、ミニチュアプードル体高二十八~三十八㎝、トイプードル体高二十八㎝以下と判別され、愛玩犬が時代も国境も超えて、世界中で飼育されるようになった。僕たちはその末裔に当たる。因みに体高とは、犬が立った状態で、地面から背中までの高さの事を差すのだ。

 日本には、プードルの判別の基準が明確にある。しかし、子犬の状態では、将来この犬がどの分類になるか分からない。業者にとっては人気のある種類での登録が、販売価格に大きく影響する為、プードルでは一番人気のあるトイプードルで血統書を取得するのがほとんどなのだ。だから、イヌが成長して、「うちの犬はトイではなく、ミニチュアぐらいあるぞ」となる場合も多分にある。ただ、ヒトの勝手な基準でイヌを区別することが正しいのかという議論もあり、最近では明確な区別をしていない。僕もその意見には賛成だ。僕が〝トイ〟で無かったら、捨てられるという事になったら大変だ。基準はあくまでヒトのものさしで、僕たちには関係ないのだ。今いる僕を愛して欲しい。

 僕たちは世界でも人気が高く、各国で愛称がある。ほとんどの国でプードルと呼ばれるが、フランスでは〝カニッシュ〟(鴨の犬)。イタリアでは〝バルポーネ〟(理髪店で散髪をした)。ドイツでは〝プデル〟(水が跳ねる)。イギリスでは〝トリュフ・ドッグ〟(トリュフ犬)。中国では〝貴賓犬〟と呼ばれている。

 僕たちはおすメスで少し違う。体力や食欲・体の大きさなどは人間と同じで雄の方が大きく、旺盛だ。良く吠えるのも雄だし、メスより皮脂が多い分、臭いもきつくなる。メスは甘え上手で、穏やかな顔をしているのが特徴だ。またメスは、発情期になるとおしっこの回数が増える。これは雄に向けて、自分がここにいるという事のアピールで、雄を誘う求愛行動だ。

 突然ですが、パパさんとママさんにお願いがあります。体重の管理だけはしっかりやってもらいたいです。僕自身では、量ることができないのに、健康にかかわる重要な事だと聞いたことがあります。そして、体重が重要と分かってはいるのですが、僕はご飯の誘惑にどうしても勝てないからです。定期的な体重測定をして健康の管理をよろしくお願いします。

 今日もママさんから『お座り』と言われてお座りをしたが、どうしても『お手』がなかなかうまくできない。ご飯を早く食べたくて、ママさんの言葉をほとんど聞いていないのが原因だけど、ご飯前にこの儀式をさっさと終わらせたい僕は、適当にごまかすようになったから正解が分からなくなった。以前はママさんが右前足を触りに来たので、これが『お手』だと思っていたら、今度はママさんが手の平を向けて、僕の目の前に出してきた。どうしろと言うのだ。ママさんが僕の右足を触りに来るのがお手ではないのかと頭の中が混乱する。だから左足をのせたり、伏せをしたり、右足をのせたり、いろいろ動いたら頭を撫でてくれて『よし、いいよ』と言うので、いろいろ動くのが正解なのかと最近思っている。とりあえずママさんに向けての儀式を適当にクリアすると、あるだけのご飯をガツガツ完食するのが僕の流儀だ。あるだけ食べてしまうので、僕に健康維持や体重管理をすることは無理そうだ。

 僕は先程おいしいご飯を沢山食べたので、またひと眠りしようと思いケージに入って丸くなった。この家には、いつも「かわいい・かわいい」と言ってくるママさんと、素知らぬ顔のパパさんと白髪の老女ともう一人白髪の男性が一緒に住んでいる。パパさんが会話の時に、親父おやじとお母さんというので、パパさんの両親だと最近分かった。なぜおふくろと言わないのかは不思議だが、母親の方だけは、昔から言いなれたお母さんという言葉が出るらしい。

 この家に来て何日か経ったある日、パパさんとママさんが僕を連れて、どこかに出かけようとした。この家に着て、久々の外出だったので、僕もどこに行くのだろうと興奮してきた。三人で自動車に乗り、細い道を五分走った。クネクネと地元民しか走らない道路を抜けていき、Kばやしペットクリニックと言うペット専門の病院に着いた。初めましての場所なので、僕の緊張はマックスに達した。ママさんに抱っこされているので、僕は少し大きな気持ちでいられた。何かあれば僕が退治してやるというぐらいの勢いだ。入り口を入ると同胞を連れた人が、二組待合で待っていた。そんなに大きなクリニックではない為、受付と待合を含めても、縦に二畳ぐらいのスペースしかない。奥にいる一組はクレートに入れられていたポメラニアンだったが、入り口付近のもう一組は、女性の横に座って居たラブラドール=レトリバーだった。かなりの大きさに僕は息をのんだ。ママさんは平気な顔で大型犬のラブラドールの横を通り抜け、受付に向かった。僕のいた犬舎には、あんなに大きな同胞はいなかった。僕はママさんの腕の中で、恐怖の余り震えていた。当然一言も発することはできなかった。先ほどの大見えが恥ずかしい。受付を終えて、ママさんはポメラニアンとラブラドールの真ん中の席に座った。僕はママさんの腕にしがみつき、絶対離れないとしっかり抱きついた。前の二組の診療が終わり、ラブラドールが帰って行った。僕はやっと生き返った心地がした。僕の番になり、診察台の上に載せられた。今の状況が良く呑み込めない。白い服を着た女の人が、僕を見ながら先の尖った丸い筒状の物を出して来た。これから確実に僕の体に何かをしてくると思ったので、僕は二人に先制攻撃を仕掛けた。「ガルゥ・ガルゥ」と歯をむき出しにして、僕を掴んでいる手を狙って、噛みに行った。しっかり噛みに行ったせいで、ママさんの手をしっかり噛んでしまって、歯の形がくっきりとママさんの手に残った。ママさんがおこりながら「れおん」と名前を呼んだので、僕はママさんの方を向くと、突然お尻に丸い筒の先を突き刺して来た。あまり痛みはなかったが、突然のことで吃驚びっくりして、僕はまた首を上に向けて吠えた。ママさんが「大丈夫よ」と言っていたのがかすかに聞こえたが、自分の吠えている声の方がはるかに大きかった。女医とママの話を聞いていると、二回目の混合ワクチンの注射だった。産まれて最初だけは二回ワクチンを打つらしい。確かに一回目は、御津の別の場所で打たれたことを思い出した。一回目は何もわかっていなかったので、あれが何かを僕は把握していなかった。ママさんは三千七百円を払って病院を後にした。今後も毎年一回注射するらしい。ママさんとパパさんの会話を聞いていると、ここのペットクリニックは、全国的に見ても良心的なクリニックで、診察代をギリギリまで抑えてくれている為、愛犬家にはとても助かる病院だと言っていた。

 犬のワクチン接種は重要度の高い順に、「義務」「コアワクチン」「ノンコアワクチン」の三つに分類されている。義務とされるのは、〝狂犬病予防法〟により厚生労働省が定めている、年一回接種が必要な狂犬病ワクチンだ。これを怠った場合は、二十万円以下の罰金刑を課されることもある。また、犬を飼い始めて三十日以内に市町村に登録する義務があり、狂犬病のワクチン接種の証明書をその時に一緒に提出して、証明の鑑札を貰うのがルールだ。その後は一年に一度、狂犬病ワクチン接種のたびに役所に届けて、証明を貰う必要があるのだ。コアワクチンで推奨されているのは、混合ワクチンの接種だ。僕たちは授乳期が終わると免疫力が弱くなり、さまざまな病気にかかりやすくなってしまう。特に〝パピー〟(生後一年以内)の時は、病気に感染しやすいので、摂取しておく方がよいようだ。感染経路は様々で、人からの感染や、散歩時の草むら、他の犬との接触などいろいろな外的要因により、病気が発生する可能性がある。これに対応する為のもので、混合ワクチンは二種から十一種まで、予防する内容に応じて、ワクチンを選ぶことができるのだ。一度の接種で最大十一種類の病気に対応できるので助かる。最初は、期間をおいての三回接種が推奨されているが、パピーの時に外出させないのであれば、二回の接種でも大丈夫なようだ。犬と共に外出する時に気を付けておきたいのは、ワクチン接種の証明が無いと入れないドッグランやトリミングサロンがあり、狂犬病ワクチンはもちろん、混合ワクチンの接種も求めている場合があるので注意しておくほうがよいようだ。ただ一つの欠点は、混合ワクチンも副作用があり、持病のある犬は、ワクチン接種を行わない方がいいこともあるので、僕たちの状況をよく確認して注射はして欲しい。僕の場合は、六種の混合ワクチンを接種した。その後、僕は狂犬病予防の注射を一回千円で打ってもらった。さらに、フィラリア予防の薬一回四百円と、ノミダニ予防の薬一回千二百円を毎月飲んでいる。フィラリアやノミダニの薬は任意で、ママさんが僕の為に用意してくれている。注射でなく錠剤なので、ママさんはご飯に混ぜるが、正直食べにくいのが難点だ。また、ワクチン接種後は、走ったり暴れたりしてはいけないと言われる。しかし、なぜか体が落ち着かず、穴を掘る動作をしたり、室内を走り回ったりしてしまう。異物がぼくの体内で暴れている気がしてならないが、自分にどうすることもできないのが腹立たしい。ヒトもそうかもしれないが、僕たちも自分の身体に関して、自ら手を出すことができない。どんな名医でも、自分の内臓を自分で手術するわけにはいかない。一番身近な領域が、手出しできない聖域なのだ。


 僕は産まれて六ヶ月が経った九月ぐらいから、無性に歯がかゆくなってきた。あまりの歯痒(はがゆ)さに何か硬いものが、かじりたくてしょうがない。リビングの中を見渡しても、齧れるものがあまり見当たらない。すべて金属やガラスのつるつるの物ばかりで、噛んでも引っ掛かりがなく、噛み応えがさそうだ。僕が来てすぐの時に、パパさんが僕の届く高さの電気のコードを、配線カバーで覆っていたけど、この為だったのかもしれない。僕は歯が痒く、とても座っていられないので、どこと言うことはなく室内を歩き回ると、ちょうどいい所に古い椅子が置いてあった。木の素材がむき出しの椅子がこの部屋の隅にある。長年の使用でコーティングが取れているようだ。三十年前からあった物らしいので当然と言えば当然だろう。昔ながらのロッキングチェアーで、童謡の〝大きなのっぽの古時計〟に出てくるおじいさんが座っていそうな椅子だ。その下の木の部分が丁度よい硬さで、僕は必死に齧りついた。来る日も来る日も、その椅子に齧りつき、歯痒いのを鎮めた。ある日、いつものように椅子に齧りついていると、白いものが落ちて来た。僕はなんだろうと思ったが、あまり気にすることなく、一心不乱に今日も椅子に齧りついた。暫くすると、歯の痒さが消えたので齧りつくのをやめた。椅子から離れ、いつものケージに入ってゆっくりしていた。パパさんがお風呂上がりで、部屋に入ってきた。タオルで顔を拭きながら部屋に入ってきたものだから、僕が落とした白いものに気づかなかった。そしてしっかりその白いものはパパさんの足の裏に突き刺さった。突然パパさんは

「痛たぁー!」

と言って、足の裏をのぞき込んだ。そこには白い欠片かけらが食い込んでいた。その欠片を手で取り上げて、まざまざと見直した。パパさんはその白い破片が何か理解していなかった。部屋を見渡して、何か壊れていないか、小さい白い部品がどこかにあるか探していた。パパさんは見当がつかず、ママさんに白い物体を見せながら

「これ何だと思う?」

問いかけていた。ママさんは白い物体を見るなり答えた

「れおんの乳歯よ。今は歯が生え変わるタイミングで、いつも椅子に齧りついているでしょ。掃除していると、椅子の周辺に何本か歯が落ちていることがあるのよ」

しっかりとパパさんと僕に今の状況を解説してくれた。

パパさんは僕を見てニッコリ笑い、ママさんに

「これどっちの歯?屋根に投げるのか、縁の下に投げるのか?」

と聞いていた。昔からの願掛けで、小さい子の乳歯が抜けたら、上の歯ならえんの下に、下の歯なら屋根の上に、抜けた乳歯を投げる。「次に生えてくる歯も丈夫な良い歯になりますように」というまじないらしい。ママさんは、

「ウチは屋根が高くて投げにくし、縁の下は害虫が入らない様に、しっかり塞いでいるからどっちも無理よ」

と言った。パパさんは

「なら仕様が無いか」

と言って、ママさんに僕の乳歯を渡した。ママさんは僕の歯をどこかにしまった。後で聞くと、僕の抜けた歯を保管しているみたいだ。ママさんは僕の歯を何に使うのだろうかと、僕は首を傾げた。

 僕の歯が足に刺さったパパさんに、心の中で「パパさんゴメン」とつぶやいた。僕たちの歯は、意外と多く乳歯が上に十四本、下に十四本、合計二十八本生えていて、生え変わり永久歯になると、上に二十本、下に二十二本、合計四十二本も生えている。ヒトは乳歯が二十本、生え変わって永久歯となると、〝第三大臼歯(きゅうし)〟いわゆる親知らずを含めて三十二本なので、僕たち犬の方が十本は多いのだ。

 ヒトの歯は下の前歯から生えてきて、上下十本ずつの乳歯が先に生え、後にこの二十本は生え変わる。五~六歳くらいに生えて来る奥歯の二十一本目が、初の永久歯〝第一大臼歯〟となり、今後の歯並びや嚙み合わせの基本となる。ヒトにとって重要な歯なのだ。この歯だけは、一年もかけて完全な形となる。しかし、歯ブラシが届きにくく、自分で歯を磨く習慣がまだ定着していない子供にとって、虫歯になりやすいのも特徴だ。その後、さらに奥の歯ができて行き、乳歯が生え変わり始める。生え変わりの歯を自分の都合で抜歯したり、食事の栄養バランスが悪かったり、口の中を清潔に保っていなかったりすると、歯の生え方がいびつになる。また、現代では子供の時に硬いものを食べないことで、顎が発達せず、顎が細すぎて、歯が口の中に納まりきらなくなる。歯と歯との間に並びきらなくなると、最後の歯が仕方なく外に飛び出す。通称八重歯が最後に出来る歯なので、この歯だけ外に飛び出しているヒトも多い。少なからず遺伝的要素もあり、歯が二列に並んでいる人も、中には存在する。因みに、臼歯(きゅうし)は乳歯よりもエナメル質や象牙に二倍の厚みがあり、一生使えるようにできている。

 うちではママさんが寝る前に必ず僕の歯を歯ブラシで磨いてくれるので、比較的口の中は清潔に保たれている。最初の内は歯ブラシが嫌いで、ママさんの手を良く噛んだ。ママさんも諦めて、歯磨き用の食べ物を用意したこともあったが、マズルを触られても大丈夫になったころから、歯磨きも慣れてきて、今では寝る前の一つの儀式となっている。

 こっそりみんなに教えるが、僕のパパさんは還暦まで一本も欠損することなく歯を保つことに躍起になっているが、唯一の虫歯はこの二十一本目の歯だということを、僕だけは知っている。

 僕はケージのなかで丸まっていたが、首だけはママさんに向けていて、目は閉じたり開けたりしながらまどろんでいた。ママさんはパンの袋をバッグクロージャーで留めながら、病院に僕を連れて行く話をし始めた。僕は病院にいいイメージがない。生きた心地のしない同胞やチクリとする針や気になる薬品の臭いが漂っているからだ。その夜、僕はパパさんとママさんの話が気になり、なかなか眠りに就けなかった。

 次の日の朝、僕はただならぬ気配を感じて、ソワソワしていた。ママさんがいつもより緊張していることが分かったからだ。今日は朝一番の九時にいつものkクリニックに行くことになっている。ママさんはいつもより早くすべての用意を終え、なぜか急いで病院に向かった。病院に到着すると他の同胞は一組も見えなかった。女医さんも僕たちが来るのを待っていたようだ。いつもとどう考えても雰囲気が違うことが分かった。僕はだんだん怖くなってきた。ママさんは手早く受付を済ませ、僕をすぐに診察台の上にのせた。病院側もすでに事の準備は出来ているようだ。僕は異様な雰囲気に辺り構わずワンワン言うことしかできない。ママさんが名前を呼んだ。しかし言葉が全く耳に入ってこない。いつの間にか、女医さんが僕に注射をしたようだ。前日良く眠れなかった僕は、注射の後、急激な眠気に襲われた。まな板の上の鯉とはこのことだ。もう吠えることすら僕にはできない。視界が闇に閉ざされた。

 気が付くと僕は病院のベッドという名のケージの中に寝かされていた。一時間ぐらいかけて、僕の身体を切り刻んだようだ。目が覚めても、僕は思うように動けないし頭がぼんやりする。何もしゃべる気にもなれない。何とか生き延びることはできたようだ。時間が経ち、正気に戻ると僕は妙な首輪を付けられていることが分かった。シャンプーハットみたいなものが、首の周りに、ひまわりのように咲いている。なかなか眠気が取れず、立ち上がると足がもつれるし、なぜか股間に違和感がある。しかし、このシャンプーハットが邪魔で股間を見ることも触れることもできない。それから数時間、女医さんが経過を定期的に観察しに来る。僕は夕方まで病院で過ごした。ママさんが迎えに来てくれたのは、夕方の十六時ぐらいだった。女医さんとママさんの二人の会話を聞いていると、僕は去勢手術というものをしたらしい。この股間の違和感はそのためみたいだ。僕の股間は落ち着かないが、手術は成功したようだ。

 ママさんは一万五千円を払って、僕を連れて病院を後にした。他の病院や女の子の場合は、手術の後に病院に一泊するのが一般的みたいだ。僕は半日で自宅に戻ることができた。僕はラッキーなのか?取り敢えずいつもの僕のベッドで腰を下ろした。ベッドの中でママさんとパパさんが会話をしているのを聞いていた。この奇妙なストレス増大のシャンプーハットは、エリザベスカラーというらしい。自分のベッドに居ても、今日は落ち着かない。ケージを出て、部屋の中を徘徊する。股間の気持ち悪さが消えないので、股間を見てみたいが、エリマキトカゲみたいなひだの輪が邪魔でしょうがない。僕はママさんに首を動かし、吠えながら外してくれとお願いしたが、外してはくれなかった。一通り暴れると、お腹が空いて来た。よく考えると、朝食べてから何も食べていなかったのだ。麻酔や股間の違和感で忘れていた。僕は、ママさんに吠え散らかして、ご飯を要求した。今日だけはママさんも食事前の儀式を行わなかった。ご飯が目の前にやってきたので、僕はご飯を貪るようにして食べた。食べたら、出すが基本の僕は、トイレに行きたくなってきた。しかし、股間に違和感がある。トイレに入って、体制を整え、放尿を開始したが、今まで通りにおしっこが出ていない気がしてならない。どうもすっきりしないが、残尿感はないので、自分のベッドに入ることにした。どうも頭も体もすっきりしない。目を閉じて、まどろみながらパパさんとママさんの会話を聞いていた。ママさんは、僕のトイレシートを替えながら、パパさんに今日の説明をしている。オスは生後六ヶ月ぐらいで生殖能力がつくから、去勢する場合は、その前に睾丸を摘出する手術を行う方が良いようだ。そのお陰かどうかは分からないが、僕はおしっこをする時、足を上げずに座って放尿する。同胞が見たら情けないと思うかもしれないが、ママさんはおしっこがあちこちに飛び散らないので、家が汚れなくて済むと、この点はとても喜んでいる。僕の股間の違和感と引き換えに、トイレマナーは向上したようだ。

 

 去勢手術とワクチン接種が終わるとパパさんとママさんは積極的に僕を外に連れ出すようになった。家の周りの散歩が、自分の足で歩いた最初の外出だった。ママさんは積極的に僕を散歩に連れて行きたいようだ。なるべく多くの経験をさせたかったのか、運動不足を心配していたのか分からないが、僕は正直しんどいばかりで散歩がまったく楽しくなかった。道に出ると冬はアスファルトが冷たくて、寒くてしようがない。服を一枚着せてくれても、震えが止まらないので、こんな時は動かないに限る。その中で散歩なんてできるものではない。いつも玄関を出た先で、お座りをしたまま動かないようにしていた。ママさんは無理に引っ張ったりすることはしないので、根気強く待っているが、一向に僕が動かないので諦めて僕を抱っこしたまま、家の近所を歩いて回ることもしばしばだ。こうなっては、どっちの散歩かわからない。ママさんは僕に社会性を身に付けさせたかったので、去勢手術後はドッグランにパパさんを連れて出かけた。実はママさんも〝ドン素人〟なので、ドッグランに行っても、どうしていいか分からず隅の方で三人固まっていることが多かった。「僕の社会性より君たちの社会性からだろう」と、僕は心の中で思った。他の家から来た同胞たちは、ドッグランに慣れているのか、外で遊ぶことに慣れているのか、敷地内を走り廻っていた。ポメラニアンやチワワ・トイプードルなどさまざまな犬種が、決められた敷地の中で走り回ったり、追いかけっこをしたりしていた。そこにいる同胞達は皆バラバラの飼い主だったが一緒に遊んでいる。遊んでいるのか追いかけまわされているのか、定かではない。僕はみんなと一緒に遊ぶ気にはなれない。僕もパパさんやママさんと同様、他の同胞と触れあることに慣れてなく、どう接していいのか分からないし、実は他者が怖いのだ。パパさんが僕を下ろし、おもちゃのボールを投げた。僕は完全に無視して、その場を動こうとはしなかった。ママさんがしきりにオヤツや玩具おもちゃで僕を釣ろうとしているが、僕は周りの同胞が怖くて、足を踏みだす勇気がない。仕方が無いので、ママさんが抱っこして中央まで僕を連れてきて、その場に下ろして、

「れおん。こっち」

と走り回った。僕はママさんを追いかけるよりも、隅にいるパパさんの所に走って行った。我々がドッグランに行くと、ドッグラン中央でママさんがしきりに走っているという奇妙な光景が良く見られる。

「れおんこっち」

といいながら走っているママさんを、僕とパパさんが二人で並んで隅で見学している。「運動不足気味のママさんには、丁度いい運動だな」と僕は思った。それから、いろいろなドッグランに行ったが、僕が走るよりも、ママさんが走る走行距離の方が長い。この檻に囲まれた施設は、僕に言わせるとドッグランよりマザーランだ。ママさんは、いろいろな施設に行き、他の犬と触れあわせて、僕の社会性を身に付けさせようと挑戦したが、どこの施設に行っても、怖がってその場を動かない僕を見て、ママさんはついにドッグランに行くことをあきらめた。僕も怖い思いをしたくないので、金輪際ドッグランには行きたくなかった。「初めて僕とママさんの思いが通い合った歴史的瞬間だ」なんて大げさに考えたりする。


 ママさんは職場の同僚にトイプードルを飼い始めたという事を話したら、賛同者がすぐ身近にいたようだ。犬を飼うことに興味を持ったらしい。後にこのママさんの同僚が、僕にとっては重要な人となる。しかし、最初はまだそこまでの関係では無く、お互いの情報交換程度で一緒に遊ぶこともなかった。この頃のママさんは、色々な犬が関わるイベントにパパさんと一緒に参加していることが多かった。高速道路のパーキングで行われた、有名なドッグトレーナーによるイベントや、岡山の北の方の田舎で犬や猫が集まるチャリティーイベントにも行ってみた。近くのホームセンターが主催する、犬の(しつけ)教室にも参加してみた。ママさんはSNSやチラシでイベント情報を入手して、イベントに参加し、帰ってからイベントの感想をSNSで確認していた。SNSでやり取りしていると、犬好きの女性たちと情報交換をするようになり、フォロワーもいくらか付くようになった。自分も他人をフォローするようになり、お互いの飼い犬情報をSNS上でやり取りするようになった。そして、その中で知り合った佐藤さんと田中さんと一緒に、あるイベントに参加することになった。ママさんは、パパさんの他に、最近会っていなかった自分の両親にも声を掛け、僕と五人でイベントに参加することにした。

 ママさんは前日から両親を家に呼び、イベントを楽しみにしていた。当日朝、五人は車で十五分の所にあるイベント会場に向かった。SNSで知り合った二人に会うのは初めてで、どのような人物か全く知らなかった。会場に到着し、ママさんしか分からない人を探して見た。比較的すぐにその二人と合流ができた。僕たちは、初めましての二人と同胞たちに挨拶をした。まだ少し距離のある集団は、イベント会場を何処と言うことなくうろついた。イベントは犬のお座り対決や短距離走など様々で、ちょっとした食べ物屋も出店していて、お祭りだった。犬や猫の関連グッズの販売エリアもあり、ママさんは僕の服をあれこれ探していた。パパさんが

「うちにもいっぱい服があるのに、服ばかり沢山買っても、れおんは一人だよ。いつ着るの?」

と苦言を呈していたが、当然の如くママさんのお耳はお留守だったようだ。SNSで知り合った佐藤さんと田中さんと一緒にママさんはあちこちを見て回っていた。佐藤さんは多頭飼いをしており、五匹の同胞を連れていた。年齢はママさんより少し下であったが、体格がふっくらしており、行動的なので、年上に見えるほどだった。佐藤さんは連れの男性を連れてきていた。こちらはさらに五歳若く見え、三十歳前半だろうと推測された。ただ、名前を名乗ることは無く、あまり自分に声をかけられたくないのか、常に影から見ている感じの人だった。佐藤さんは犬の躾が上手く、お座りやお手は完璧で、伏せやお回りさらには、佐藤さんが大股で歩くと、足の間をジグザグにチワワが通って行く、股くぐりまでできた。Showが出来そうなぐらいのレベルだ。田中さんはさらに年下で、成人してまだ何年も経っていない年齢だが、結婚しており、二十近く離れた旦那と一緒に暮らしているらしい。僕はこの中の二人に、キナ臭さを感じ、違和感のある黒い影を見た。それをパパさんに伝えようと、パパさんを見上げた。すると昼間からビールでほろ酔いになっており、とても周りの状況を把握しているようには思えなかった。パパさん以外はなかなか僕の思いを受け止めてもらえない。仕方なく。僕は何も言わないことにした。少しするとママさんがグッズを買って帰って来た。ママさんは何も言わずに荷物をパパさんに預けた。パパさんはビールを飲みながら、買い物袋を受取り、中を見ることもなく机の上に置いて、ビールを口に運んだ。ママさんは僕を連れて次のイベントが始まる会場に移動した。「お座りして待て」の時間対決だった。開始と同時に十五匹居た同胞のほとんどが、「待て」の合図に全く待たずに立ち上がった。三匹の同胞のみが主人の命令を確実に遂行して、座り続けていた。主催側が決着をつける為に、おもちゃを鳴らしたり、肉を振ったりしながら同胞たちを誘惑し始めた。僕が一番に誘惑に負けて走りだそうとしたが、ママさんの腕の中だったのでその場でジタバタしただけで終わった。そして十分ぐらい経ったときに、ヨークシャテリア(ヨーキー)が誘惑に負けて立ち上がり、ゴールデン=レトリバーが優勝した。商品は犬のオヤツの詰め合わせだった。ゴールデンとラブラドールの二種類のレトリバーがいることを僕はこの時初めて知った。イベントが終わり、テントのある所に移動しておやつを摘まんでいると、雲行きが怪しくなってきた。少しすると雨が降り出したので、イベントは残りの開催が見合された。我々も本降りになる前に解散することにした。この時はまだ、雨で解散になったこの日と同じような運命を辿ることになるとは、僕は想像していなかった。僕たちは急いで車に乗り込み、家路に向かった。車内で、ママさんがパパさんに

「れおんもあれぐらい〝待て〟ができるといいのに」

などと言っていたが、僕のお耳はお留守中で、寝たふりを決め込んだ。ママさんも先程使った高等テクニックだ。その日はそのままママさんの実家に行って、夜を過ごした。僕はよくママさんの実家とママさんのお姉さんの家に連れて行かれた。僕はトイレだけは決められた所でするようにしていた。何を隠そう僕は綺麗好きなのだ。トイレシートがある所でしか、排泄をしないようにしている。これはママさんの躾の成果と思わせているが、僕の性格によるところなのだ。また、前述したように、僕はおしっこをする時に座ってしている。足をあげてすることは産まれて一度も無いので、トイレやその周辺が汚れることは、他の同胞より少ないのだ。人間でも最近便器が和式から洋式に変わり、男性が立って小便をすると、お小水しょうすいが便器の周りに飛び散って掃除が大変ということが言われている。だから男性も座って小便をする人が増えているらしく、統計を取ると男性も五十五%は座ってする時代になっている。ちなみに、和式便所の半円で出っ張っている部分は「金隠し」という名前であるが、裾の長い着物を着た女性が裾をそこにかけて着物を汚さない様にするために使われていたもので「衣隠し」が正式な名前だった。当然用途が着物を保護するものなので、「金隠し=衣隠し」が後ろにくるように座る。また、姫路城の中にあるかわやは、一度も使用された形跡がなく、城が作られた当時のままの姿で残っている。その厠は、金隠し(木の出っ張り)が奥側についている。つまり現代の作りと同じように、入口から扉があり、穴が開いていて、金隠しが一番奥に設置してある。厠の奥の壁に向かってしゃがみ、扉を背にして厠を使用していたとしたら、金隠し的なものは前にくる。逆に、扉の方を向いて使用していたのであれば、金隠しは後ろという事になる。その当時の人がどちらを向いて座っていたのかは分からないが、軍事的なことを考えると、扉に向かって座り、「金隠し=衣隠し」を背にして使用していたのではないかと推測する。それが、どこかの時代で厠を使用する向きが変わったのかも知れない。昭和では、和式便所の出張っている部分を前にして座るのが、一般的な使用の仕方だ。トイレレットペーパーも金隠し側に設置されている。厠の配置は昔と変わらないが、使用方法が逆という事になると随分文化は変わるものなのだなと感じる。僕はママさんの実家でつかの間の外泊を行い、朝しっかり僕専用のトイレシートで用を済ませてから家に帰った。


 僕の家では、日常の光景が今日も繰り広げられていた。パパさんが仕事から帰って来て、ママさんに今日のご飯何と聞いていた。

「今日はチューリップよ」

とママさんは答えた。僕は「今日のパパさんのご飯は花なのか?」と不思議に思った。パパさんを見ると、パパさんの頭にも?マークが飛んでいた。僕は「パパさんもチューリップが何か解ってないぞ」と思った。パパさんは、

「ふぅん」

と言ってあまり深く考えずに、いつものルーティーンであるお風呂に向かった。僕は花を食べるのかと、ママさんの作業を見ていた。冷蔵庫から骨付きの鶏肉を取り出した。下処理をされた肉は、骨付き鶏肉の下の部分を半分まで骨に沿って切り、切った部分を裏返しにして、上部に持って行った形をしていた。下の部分は骨だけで、上に肉の塊が出来ている骨付きの鶏肉だ。その状態の肉を油に入れて揚げ、下は骨、上は肉の塊という唐揚げが出来た。キャベツの千切りと共にその肉が載せられ、サラダと漬物・ご飯が食卓に並んだ。僕は「ん?」チューリップの花が無いぞといぶかしく思っていると、パパさんがシャワーを浴びて出て来た。パパさんはご飯を見て『鳥の唐揚げか』と言った。僕は、ママさんが「チューリップ」と言ったことをはっきりと覚えている。僕はどういう事か、よくよく二人の会話を聞いていると、骨付きの鳥肉でこのような形に加工してあるものを、チューリップと言うのだそうだ。僕はプードルの足の毛のカットに似ていると思った。ママさんは唐揚げ粉をツイストタイで留め、冷蔵庫に入れ、ついでにパパさんにビールを取り出した。この家では、口の開いた粉物はすべて冷蔵庫で保管している。ママさんは、ビールをパパさんに渡しながら聞いた。

「明日、甥姪せいてつが泊まりに来るけど、どこに遊びに行く」

パパさんは

「美観地区まで散歩に行くか」

と答えた。今度は美観地区と言う所に行けると思って楽しみになった。当然僕も一緒に行くつもりだ。散歩は嫌いだが、ドライブは好きなのだ。ぼくだけ置いてきぼりにされるわけにはいかない。

 翌日、ママさんの姉の子供たちが三人で、公共交通機関を使って我が家にやって来た。小学生の三人には、親を伴わずに目的地にやって来た初めての体験だ。昼を回って家にやって来て、やや興奮気味だった。三人は我が家に辿り着くとホッとしたのか、いつもはキャキャと言って走り回るのに、今日はやけに大人しい。今日は特にこれといって何もせず、晩御飯に刺身の盛り合わせを食べて早めに就寝した。

 翌日、美観地区まで車で向かった。あまり車を停めるところが無いのが美観地区周辺だ。コインパーキングは観光地にしては異常に少ない。倉敷駅横にある駐車場は美観地区のメイン通りから少し離れている上、入り口が分かりにくい。メイン通りの開発でいつも利用していた市営の駐車場が一つ無くなった。美観地区の先に芸文館があり、そこの地下駐車場が美観地区から近く、一般に知られている駐車場かも知れない。しかしここもそんなに台数を停められるわけではない。倉敷図書館にも駐車は可能だが、図書館利用者も多く、周辺道路が必ず渋滞するのでお勧めは出来ない。美観地区はたどり着くまでが、意外と不便なのだ。

 もともと「倉敷」とは、周辺の支配地から年貢を集めて一時保管する場所のことをいい、岡山に限ったことではなく、いろいろな所にあった。ここ岡山の倉敷は、この地域を倉敷村と呼んでおり、そこから倉敷と云われるようになった。江戸時代には天領とされていた土地で、今でも天領祭りが毎年開催されている。現在の倉敷アイビースクエアの場所に代官所がおかれ、江戸時代には周辺国の年貢米の集積地でもあった。瀬戸内海から倉敷川を使い、船で荷物が運び込まれた。船は物の輸送力が大きい為、他の倉敷より物量が多く、蔵屋敷が沢山立ち並んだ。一説には、多数の蔵屋敷が並んでいる場所から、倉敷となったという説もある。倉敷村の名前の由来は分からないが、倉敷村から倉敷市になったようだ。そんな歴史をもつ倉敷では、全国でいち早く町並み保存の需要性に着目し、市独自で倉敷市伝統美観保存条例を制定して、町並みの修景・補修・保存を行った。この倉敷の美観の保存を行っている地区を美観地区といい、倉敷市は二十一㏊の場所を指定している。国が指定している場所は、この内の一三・五㏊である。ただ普通に人々が暮らしている町なので、どこからどこまでという明確な区切りは、はたから見ても分からない。区切りは役所にある地図の中だけだ。そして、この美観地区の景観保存は、官民一体で今も取り組みを行っている。この地区は六千棟ほどの建物があるが、市所有の物件は二か所にとどまり、ほとんどが個人の持ち物である。様々な規制の中で、景観を保存するのは、莫大な費用がかかる。いかに地域の住民がこの取り組みに理解を示し一緒になって、景観を守ろうとしているかがわかる。市としても無電柱化の取り組みや、商業施設出店時の景観への配慮を求めるなどの取り組みを行っている。実際近くにきらびやかな装飾のホテルが建った時、市の職員がオーナーに直談判に行って、外観を作り直してもらったこともあるみたいだ。美観地区内の景観を守る為には、無暗に周辺に建物を建てるわけにはいかない。当然駐車場もその一つだ。僕たちは車から降り、美観地区のメイン通りに向かって歩くことにした。遠くに駐車したので、倉敷の町を散策しながら目的地に向かうことになった。パパさんは子供の頃に、良く来ていたらしい。学生の頃は通学時も、通ることがあったみたいだ。ただゆっくり散策するという事が無かったらしく、道の一つと思っており、自転車で走り抜けていたらしい。当時は興味が無いので、歴史的価値も分からなかったようだ。誰しも近所の建物というものは有名無名問わず、行事でもない限り意外と行かない。未だに美観地区より近くにある、記念館には行ったことが無いらしい。

 僕たちは、えびす通り商店街をみんなで歩いていた。パパさんは「昔あった店が無いとか、こんな店が出来たのか」など懐かしそうに独り言をブツブツ言いながら歩いていた。僕は聞いていたが、他の誰一人パパさんの独り言に反応をしなかった。昨日来た三人も倉敷の商店街を歩くのは初めてのようだ。僕も初めてのアーケードで不思議な感覚になった。外なのに屋根がある。道なのか店なのか分からない所もある。ただ車が通らないので、アーケードは僕にとってはありがたい。僕はあのでかい乗り物がそばを通ると怖い。音と言い、風圧と言い、振動といいすべてが、モンスター級の迫力だ。あれと勝負しても勝てる気がしない。ここはその心配がなく、気分が良く歩くことができる。久々の外出だったので、僕は率先して、皆を引き連れて歩いた。リードを持っているママさんが、僕に引っ張られている状態だ。この商店街は比較的人も多く、少し歩きづらい。動きは俊敏なのだが、ママさんのリードに遮られ、思うように動けない。えびす商店街を通り抜け、青空が顔を覗かして来た。ここで「ん?」と思った人はなかなか注意力がある。実は〈えびす通り商店街〉と〈えびす商店街〉の二つの商店街が繋がっているのだ。どこから変わったのかも、住んでいる人以外は意識しないだろう。注意してみなければ分からないぐらいの変化である。僕たちは名前の違うニ本のアーケードを抜け、道の形状もタイル張りから、アスファルトになって屋根が無い道になった。ママさんがアーケードの出口付近のえびす饅頭店を見つけた。饅頭やお餅が大好きなママさんが立ち止まらないわけがない。当然のように行列に並び、「大判焼き」という小さい饅頭を購入した。大判なのか小さいのか僕には謎だった。僕達は立ち止まり、購入した饅頭を皆に分けている。ママさんと長女の女性二人が、あんのしっかり入った饅頭を頬張っていた。男性陣三人も饅頭にかぶりついた。僕は一人することも無く、周りを見渡した。僕はここで大発見をした。五人は気づいていないようだ。ここには超レアアイテムのポケモンのマンホールがあったのだ。岡山県に四枚しかない蓋の一つなので、なかなか出会えない貴重なものだ。今の所これに僕だけが気づいている。「ムフフ」。因みに、倉敷図書館にもポケモンのマンホールがあることを以前見つけた。ここから歩いて行ける距離だ。実はこんな至近距離に、レアアイテムが二つあることを知っているのも、僕だけかも知れない。五人が饅頭を食べ終え、動き出そうとしていた。僕はみんなが知らない秘密を知っている。僕は少し得意になってまた先頭を歩き始めた。阿知神社の登り口を左手に眺めながら、本通り商店街を歩いて行った。阿知神社は四世紀にはすでに在ったので、とても歴史のある神社の一つである。岡山にはそういう場所が数多くある。ただ文献(証拠)が少ないのであまり取り沙汰されていない。実は昔から陸地であった土地を掘れば、いろいろな物が出てくるらしい。工事関係者の知り合いが言っていた話には、「岡山は土器や勾玉なんかどこでも出る。けれど、これを報告すると長期にわたって仕事がとまる。仕事が止まると、お金が入ってこなくなる。すると当然会社はつぶれ、生活できなくなる。だからそのまま埋めて工事をする」と言っていた。国が工事関係者にもう少し経済的な配慮を行えば、岡山の歴史(=日本の歴史)をもう少し知ることができるのだろうと僕はつくづく思うことがある。今でも岡山の古い施設の地下には、歴史を物語るものがいっぱい埋まっているようだ。

 僕は尻尾を振りながら、悠々と先頭を闊歩かっぽしていた。大学生風の男子ばかり五人組や女子ばかりの三人組など観光客と思われる人々と沢山出くわした。まだ外国人はそう多く見られない。僕が歩くと『可愛い犬ね』と言う言葉を其処(そこ)ら中で聞く。僕は照れながら、アイドル然として堂々と歩いた。すると向こうからフレンチブルドックが歩いてきた。僕は「やばい、かなりごつい顔をしている奴が来た」と、パパさんにすり寄って、パパさんの(すね)を前足で一生懸命掻いた。パパさんは僕の気持に気づいたのか、抱え上げて、抱っこしてくれた。僕は一安心と顔を腕にのっけて、ブルちゃんに「アッカンベー」をしてやった。ブルちゃんが僕に「ワン」と吠えたので、ブルちゃんは飼い主に怒られていた。僕は「してやった」と思いながら、パパさんの腕の中で甘えていた。すると、パパさんはすぐに僕を道に下ろし、ママさんに僕を預けて、建物の中に入ってしまった「ちょ!ちょっと!待って」僕は、ブルドックの距離を測りながら、パパさんを追いかけようとした。ママさんがリードをしっかりもっていたので、パパさんに追いつくことはできなかった。それならママさんにと思いママさんにすり寄った。ママさんも僕を抱っこしてくれた。僕はやっと落ち着き、やれやれと思いながら、先ほどのブルちゃんに視線を送った。もうかなり遠くに行っており、危険がないことを確認した。

 美観地区の建物で古いものは千七百年代に建てられた井上家で、二階部分の落書きが当時の大工さんのものと判明した為、建造された年代が分かったそうだ。なぜこんなに古い建物が残っているかと言えば、大原美術館のおかげ、いては大原孫三郎のおかげである。日本は第二次世界大戦の本土空襲でほとんどの場所を焼かれた。文化的に価値のある物も、ほとんどが消失した。岡山も水島地区など攻撃され、その例外から外れることは無かったが、倉敷の中心だけは意図的に空襲されなかった。それはリットン調査団が倉敷を訪れた際に、大原美術館を見学し、有名な絵画が所蔵されていることを知ったからだと云われている。日本で本土空襲をまぬがれたのは、東京の大使館がある場所と京都・奈良・倉敷だけだろう。

 美観地区の建物で有名なのは白壁の蔵屋敷、なまこ壁、倉敷窓、倉敷格子である。白壁の蔵屋敷は、ほとんどが二階建てだ。ただ二階に上がる階段というものが、常設されているものは少ない。階段状に天井まで作られた物入ものいれ箪笥を使って、二階に上がる蔵や、梯子はしごが天井に設置してあり、それを毎回下ろして使う蔵が主流だった。今は綺麗な階段が設置されているが、現代になってから急遽取り付けた物だ。もともと蔵屋敷は人の住むところでは無く、二階部分は物置という形で設置されており、人が出入りすることが少なかった。それは、質素倹約▢がうたわれた江戸時代の蔵に、二階があるのは贅沢だったことや、町人が武士を蔵の上から見下ろす形になる時流が、失礼にあたるとの理由だ。蔵屋敷の外観で倉敷独自の文化がなまこ壁である。なまこ壁は平瓦を壁に貼り付け、目地めじ(継ぎ目)を漆喰で盛り上げた形に埋めた左官の技である。この壁の出来上がりが、海の生物のなまこに似ていた為その名称がついた。壁を四角「▢」で作る場合と菱形「◇」で作る場合があり、水はけの観点からは菱形の方が優れいる。主流は菱形であった。この壁は風雨に強く、防火性、保湿性にも優れているが、現代では作れる職人がほとんどいなくなり、今後町の保存ができるかどうか分からなくなっている。悲しい限りだ。伝統文化に触れながら歩くと、僕は少しお腹が空いてきた。僕はママさんに

「ワン・ワン」

言って何か食べるものを出してくれとお願いした。ママさんは僕に

「シー・れおん。大丈夫よ」

検討違いの事を言って、僕が欲している物を用意してくれない。ママさんは違う何かに吠えたと思っている。今度はパパさんに向かって「ワン・ワン」と言ってみた。

するとパパさんが

「れおんは、お腹がいているようだよ」

と言ってくれた。僕は「さすがパパさん分かっている」と思ったが、ママさんが

「朝、沢山ご飯食べたから、ご飯じゃないよ」

と言った。僕はママさんに、「朝はうに過ぎたよ。もう朝ごはんが残っている訳ないじゃない。こんなに運動するとお腹は空くぞ。」と言いたかった。パパさんがママさんに

「とりあえず、ご飯あげてみたら」

と言ってくれた。僕は「パパさんナイス」と思って、パパさんを見つめた。ブラブラしていた五人は、ちょうど座れる場所を見つけて腰を下ろした。ママさんは僕のおやつを袋から取り出し、子供たちに渡した。子供たちはそれをもって、いつもの儀式の言葉を発した。僕は素直に言葉を受け入れて、お座りすると、子供たちは頭をなでて、僕におやつをくれた。お腹が空いていた僕は、自制が失われる。少ししかないおやつに貪りついたために、すぐに食べるものがなくなった。僕は再度吠えたが、ないものは出せないので、五人はどうすることも出来ずに、僕を宥めるだけだった。ガツガツ食べたオヤツが胃に到達すると、少し落ち着いてきたので、僕は吠えるのをやめた。五人もそこらのお店で買った食べ物を、少し食べてゆっくりしていた。休憩も必要だ。

 蔵屋敷には他にも倉敷窓と倉敷格子が有名だ。窓と言っても開け閉めが出来るわけでは無く、光と風を取り込むために作られたもので、建築時に壁に嵌め込まれたまま動かないのだ。窓を塞ぐ時は、内側から木の板を窓枠に嵌め込むことで、風雨を避けるようにできている。

 五人は休憩を終え、美観地区のメイン通りに入って行った。僕は昔ながらの白壁の街を歩いていると、独特の歴史の深さを感じる匂いが好きになった。人間には分からないかもしれないが、僕たちには分かる歴史ある匂いだ。最近の建造物でないと分かるのは、建物一つ一つが長年使用されて沁みついた、人々の営みの匂いを吸っているからだ。書かれた墨を分析しなくても、僕たちの鼻で建物の年代を当てて上げるのにと僕は心の中で思った。暫く、町並みをでながら歩き、一行は近くのお店に入ることになった。倉敷と云えば、綿花・藺草いぐさ・塩田が盛んで、繊維の町のイメージだ。倉敷の代表的なものは、マスキングテープやデニムではあるが、今やどこでも売られており、倉敷に着て態々《わざわざ》買わなくてもいいと思っている。だから僕は倉敷帆布はんぷを土産物として推したい。天然素材だけで作られ耐久性に優れた素材で、火にも水にも負けない丈夫さも持っている。今のブランドより遥かに伝統ある高級品だ。ビンテージブランドと言っていいぐらいだ。

 美観地区にあるお店の中では、江戸時代から続く廣榮堂こうえいどう本店を推薦する。伝統あるお店で、歩みを止めない商品作りは、昔ながらのものから現代の物まで奥ゆかしい上品な味わいがある。

 メイン通りでは、昔から写真撮影が良く行われている。今日も、鬼滅の刃のコスプレをした五人組に出会った。彼らは派手な頭に、自前の衣装と武器を用意して、白壁をバックにいろいろなポーズを取りながら写真を撮っては、みんなで見ていた。大学の卒業制作か、趣味の延長かは分からない。仮装のクオリティーはまあまあだった。パパさんは昔からよくここを通っていたらしく、ガンダムなど時代に合わせたコスプレをして、撮影している風景を良く見たと言っていた。僕は先ほど阿知神社に向かう途中の、有名な「阿知の藤」近くで、ユーチューブ撮影をしている五人組がいたのを思い出した。音楽を掛けながら、一人が岩に向かってラップを刻んでいた。一人が機材で撮影していて、一人が通行人の誘導、二人が様子を見守っていた。僕は岩に向かってどのようにラップを刻んだのかが、気になって仕様がない。ここには様々な人々が来るのだなとつくづく思う。観光以外の人も意外に多いのが特徴だ。そういう僕たちも、この近所の人間なので他人事ひとごとでもない。僕たちが中橋まで来ると、今度は着物を着た人が撮影をしていた。赤の着物を着ていて、傘を挿したり、振りかえったりしている。モデルは撮影に不慣れなのか動きがぎこちない。プロには見えないので、「結婚式の前撮りか」と思った。女性は、沢山の人が周りにいて注目しているので、かなり恥ずかしそうにしていた。僕たちは橋を渡ると、人力車が近くを通って行った。女性と子供一人が乗った人力車で、ゆっくり横を通り抜けて行った。僕は抱っこされていたので、危なくはなかったが、あの大きな車輪にかれることを思うとゾッとする。川を見ると、船に乗った人々が、川から柳並木を眺めている。風流な川遊びだと思った。昔はこんな風に船が行きかっていたのかと思うと、時代の移り変わりを感じてくる。今日は比較的人の多い日だ。歩くのもなかなか困難なぐらい混雑している。僕たちは大原美術館方面に向かって歩いた。今日は美術館という気分ではなかったので、僕たちはそのまま美術館を通過し少し歩いた。川の終わりが見え、車が行き来している大通り(倉敷中央通り)が視界に入ってきた。ママさんと子供達は突然、左のお店に入って行った。僕とパパさんは仕方なく、外で待つことにした。実は、ここが美観地区の入り口となっている。美観地区の観光ガイドの看板があり、その横の箱に〝てくてくマップ〟と書かれた、美観地区周辺のお店が一覧になっている無料の地図がある。あまり認知されていない観光ガイドであるが、美観地区の事が良く調べられているとパパさんは言っていた。僕は疲れたので看板の横でお座りをして、待っていた。振り返れば、今日は観光地の多彩さに圧倒されていた気がする。普段見ない物やヒトが、一度に目の前に現れた場所だ。アイドルを気取って浮ついていた僕だったが、街の迫力の方が一枚上手だった。歴史の重みにはとてもかないそうにない。暫くすると、ママさん達が店から出てきたので、メイン通りを半分も歩いていないが、僕たちは帰路に就くことにした。


 いつものようにママさんが、キッチンで洗い物をしていた。昨日飲んだジンジャーエールのペットボトルをゆすいで、上下逆さまに立てかけた。僕はパパさんに抱っこされながら、その様子を見ていた。ペットボトルの底が凸凹でこぼこと花の形をしていた。僕はパパさんに「面白い形だね」と視線を送ると、パパさんは、

「ペットボトルの底の形は〝ペタロイド〟と言って、炭酸飲料にのみ使用されているよ。」

とママさんに話しかけるようにして僕に話をしてくれた。当然ママさんは訳も分からず、いつもの雑学かと聞き流していた。パパさんはそっと僕を見て「ニヤリ」と笑い、続けてしゃべった。

「空き缶の飲み口にある蓋を指さし、昔は〝プルトップ〟と言っていたけど、今は〝ステイ・オン・タブ〟って言うのだ。昔の空き缶の蓋は、全て取れる造りになっていたので、プルトップのポイ捨てが社会問題になった。そこで企業は、蓋の取れない缶を開発して、今の蓋になったんだ。」

パパさんは得意になって話していたが、ママさんは、いつも通り右から左に受け流していた。僕は「ホウ・なるほど」と、パパさんを見つめて、頷いてあげた。パパさんは僕の頭を撫でながら、椅子に座って僕を抱っこしてくれた。洗い物を終えたママさんが、

「バナナ食べる」

とパパさんに聞いた。パパさんは、ママさんから受け取ったバナナを良く検品した。黒い斑点のシュガースポットが出ているものは嫌いらしく、黒くなっていないバナナを選んだ。

「柔らかくなっているバナナが甘くておいしいのに。」

と言いながら、ママさんは少し黒くなったバナナを頬張っていた。座って一息ついていたママさんの顔が曇りだした。SNSを見ながら、悲しそうに涙を堪えていた。僕は、ママさんが見ている携帯の内容が気になった。


 直樹は就職をして二年が経った。会社にもだいぶ慣れてきて、彼女の一人でも欲しいと思っていた。ルックスが悪いわけでは無いが、社交的でもないので、今一つ交流の場に出て行くことが苦手だった。SNSで〝いいね〟を押すより、批判のコメントをする方が多くなってきた。今やSNSがストレス解消のはけ口になっていた。しかしこのままでは、腐ってしまう。外に飛び出す勇気はないので、SNSを使って、積極的にアピールすることにした。DMを送って見たり、自身のSNSを頻繁に更新したりして、なんとかフォロワーを増やす努力をしてみた。しかし、これと言って取柄もないので、フォロワーが増えることも、DMが返信されることもほとんどなく、うまくいかない日々を過ごしていた。やることもないので、SNSを開いて、ウェブルーミングを行っていると、彼氏や旦那をつくる前にペットを飼ったら負けと思っている女子や、ペットを飼いたくても飼えない女子がいることに注目した。直樹はペットを飼ったら、女子との会話が続き、好感度も高くなると考えた。今日本では、犬か猫が、飼われているペットの中で、一二を争うぐらい人気であることは明白だ。どちらを飼おうか迷ったが、気まぐれで言う事を聞かない猫より、従順な犬を飼うことにした。会社負担のマンションだが、さいわい自分の住んでいる所はペットを飼っても構わない物件だった。早速SNSで今一番人気の犬を調べた。ペット保険の調べによると、一位トイプードル・二位チワワ・三位MIX犬・四位柴犬・五位ポメラニアン・六位ミニチュア=ダックスフンド・七位ミニチュア=シュナウザー・八位フレンチ=ブルドッグ・九位ヨークシャー=テリア・十位シー=ズーだった。やっぱり人気の高い犬がいいだろうと、ベットショップに行って値段を確かめた。直樹は自分の目を疑った。人気の犬には吃驚びっくりする値段が付いていた。トイプードルが大体二十五万から四十万で取引されている。色も〝レッド〟〝アプリコット〟〝ブラック〟〝シルバー〟〝ホワイト〟〝クリーム〟〝ブラウン〟と七種類で、人気もレッドが一番だった。以下この並び順が、人気順のようだ。直樹は、イヌを買えるほどのお金を持っていなかったので店を出て、取り敢えずパチンコを打つことにした。休みの日はほとんどパチンコ屋に通っている。やることもないので、時間潰しがパチンコだ。今日もその例に違わず、行きつけのパチンコ屋に入って行った。今日は朝から調子がよく、ツキまくっていた直樹は、久々に大勝した。十万の元手で挑んだが、最初の五千円で火が付き、換金時には二十万になっていた。元金と合わせ三十万近くになったので、帰りに朝見たペットショップに行ってトイプードルを買って帰った。実は、お金が少し足らなかったが、店長も売れるものなら、すぐに売りたい。犬を置いておくのも、世話や維持費が大変なのだ。交渉の結果、資金の中で収まるように調整してくれた。さらに、ペットシート数枚とドッグフードのお試し用をサービスしてくれた。直樹はラッキーと思いながら犬と雑品を持って家に帰った。犬を飼うのは初めてだったので、取り敢えずもらったドッグフードを全部、カレー皿に入れて家の隅に置き、ラーメン鉢に水を入れて、その横に置いた。ペットシートを近くにあった段ボールの中に敷いて、犬の名前を考えた。強そうな名前がいいと思い「レオ」にした。

「レオ」

犬を呼んだ。当然見向きもしない。

「おい」

と言って犬を持ち上げ、

「これからレオな」

顔と顔を突き合わせて犬に言った。今日は大勝し、気分もよく、ビールが美味い。ほろ酔いで、レオの写真を数枚取って、自分のSNSに投稿した。気分のいい日は、アルコールが回るのも早い。酒を飲みながら、そのまま寝落ちしてしまった。次の日、直樹は目覚め、シャワーを浴びた。出勤時間が迫っているが、取り敢えずSNSの確認だけしようと携帯を操作した。三人の女性から〝いいね〟が来ていた。直樹はニヤニヤしながらSNSを眺め、気分良く会社に出社した。

 会社が終わり、ウキウキした気分で家に帰った。鍵を開け、靴を脱いで、短い廊下を二歩歩いたところで、靴下が濡れた。突然のことで、直樹は何だこれはと辺りを見回した。部屋に故障個所はない。今に入りレオ見て「ㇵッ!」と思った。あの水は、レオが廊下にシッコをした痕だと気づいた。直樹は頭にカット血が上り、脱いだ靴下をレオにぶつけ、

「誰がここにしろと言った」

と怒鳴った。レオは何のことか分からずに、首を(すぼ)めるだけだった。直樹はさらにテーブルの向こうに、黒い物体を発見した。今度はレオのウンチだった。さらに直樹は激怒して、

「あそこの段ボールでしろや」

と叫んだ。当然レオは何の事かわからず、無視してソファーで丸くなった。その行動にも直樹は腹が立ったが、携帯の着信音が鳴ったので、携帯を操作し始めた。朝よりも〝いいね〟が増えており、口元を緩めながら、シャワールームに消えて行った。直樹はシャワーですっきりすると、落ち着いてきた。風呂上がりには、またレオの写真をあげてやろうと思っていた。ドライヤーを済ませると、直樹は猫なで声で

「レオ」

と呼んだ。レオが無視していても腹の立つことは無かった。自分からレオに近づき、何枚か写真を撮った。なかなかいい写真が撮れたので、何枚か投稿し、コンビニで買って来た弁当と冷蔵庫に冷やしてあったビールをテーブルに並べた。テレビのスイッチを付けて、コンビニ弁当を摘まみながら、SNSを確認する。するとある女性からダイレクトメールが届いた。今までに無かったことである。直樹はその女性に丁寧に返信を行った。好感触である。

 それから直樹は、その女性とSNSを通じてやり取りをするようになった。レオが来て一ヶ月後には、レオのおかげで知り合えた女性と交際を始めた。直樹はレオのしつけをすることもなく、好きにさせていた。当然レオは家のルールというものを全く理解していない。一ヶ月間、レオは好きな時にご飯を食べ、好きな所に排便し、好きな所で寝ていた。たびたび直樹はレオに怒鳴ったが、事が起きて何時間もたってから怒鳴るので、レオにとっては何に怒られているのか全然理解できない。何が悪いのかレオは分からないので、直樹に吠え返すようになっていた。しばらくすると直樹の彼女が家に来るようになった。彼女が来るようになると、レオは彼女に甘えるようになった。それが直樹には気に入らない。しかし彼女がいる時は、好青年を演じるようにしていた。一年が経ち、彼女が直樹の()を知るようになると、彼女は直樹に嫌気がさしてきた。些細なことがきっかけで、彼女は直樹の元を去った。レオは彼女が二度と戻ってこないことを直感で分かり、彼女が出て行こうとするのを、必死に足の服に噛み付いて留めようとした。しかし、彼女が振り返ることはなかった。

 直樹は別れた後も、彼女の事が忘れられず、引きずっていた。当然レオに感心は示さない。最近はもっぱら彼女がレオの世話をしてくれていたので、直樹は要領が分からない。直樹はレオの世話を放棄するようになった。直樹の家から彼女が去って、レオのご飯は不定期に皿一杯に入れられる。好きに食べろという飼育放棄に近い。直樹が二三日帰ってこないことも多くなった。レオはお腹が空いていたので、帰って来た直樹にえ立てた。直樹は、会社で怒られ、虫の居所は悪かった。そんな時、家に帰るとレオが吠えるので、直樹のイライラは限界に達し、レオを蹴飛ばした。レオは起き上がりさらに吠えた。すると直樹は、レオの耳を掴んで持ち上げ、

「うるせえ!」

とレオに怒鳴り、投げ捨てた。レオは壁にぶつけられ「キャィン」といた。お腹の空いていたレオは、それでも直樹に歩み寄って行った。間髪を入れず直樹はさらに蹴り飛ばし、レオは壁に叩きつけられた。レオの足の骨が折れ、歩きづらくなった。それでもレオは直樹に足を引きずりながら近づいた。直樹は無視して風呂に入って行った。レオは仕方なく部屋の隅で丸くなって寝た。レオはご飯が食べられないので、水ばかり飲んでいた。気が付くと水まで無くなってしまった。当然水を飲むとおしっこがしたくなる。どこという事は無くおしっこをしていたレオは、いつも通り玄関先に放尿した。今までは彼女がそっと片付けてくれていたので、直樹には分からなかった。風呂から上がった直樹は、そのおしっこを風呂上りに踏んでしまった。腹の立った直樹は、レオに近づき耳を引きちぎる勢いで引っ張り、レオに顔を近づけて

「お前何してくれとんじゃ」

と凄んで、なぐり飛ばした。レオは壁に打ち付けられて肋骨が折れた。レオは呼吸がしにくくなったが、直樹の元に一生懸命近づこうと、前足を動かした。力のない前足一本では、もう自分の体を動かすことができない。ついに力尽きて、その場で動かなくなった。直樹はやっと静かになったと言って、ビールを飲みながらSNSを見始めた。翌朝、直樹はかろうじて生きていたレオを、トイレ代わりにしていた段ボールに入れて、山に遺棄した。


 ママさんが携帯で見ていた内容に僕は衝撃を受けた。県内のイベント情報や犬に関する記事を日々確認しているママさんは、犬友と情報の交換もよく行っており、いろいろなイベントで知り合った県内外の犬友とも何人か繋がっていた。ママさんのSNSの画像には、見たことがある二匹の犬が写っていた。近くを通り掛かった愛犬家が写真を撮って、SNSに投稿したらしい。犬友の間で情報交換がなされた。僕は最近この同胞と会っている。お互い個人情報を交換した中だ。僕はしっかりあの日のことを思い出した。SNSで知り合って、始めて合った二人の内の一人だ。とても躾の行き届いた佐藤さん所のマルチーズとヨーキーだった。写真に写っていたのは、山の中で段ボールに入れられている写真だった。愛くるしい瞳とガリガリに痩せ細った体の二匹は、動く体力もないのか、箱の中で首だけだしていた。ママさんはすぐに佐藤さんに事実を確認しようと、SNSでメールを送った。メールは吸い込まれたかのように遮断され、アカウントを変更されて繋がらなくなった。ママさんはガックリ肩を落とし、涙しながら犬友に事実を伝えた。

 それからママさんは心が事実を受け入れるまで、情緒が不安定だった。僕はあの時パパさんに、無理やりでも事実を伝えた方が良かったのかも知れないと思った。僕はイベント会場で出会った時に、佐藤さん所の同胞とコンタクトを取り、ほとんどご飯を食べさせてもらっていないということが分かっていた。特に人気が低く、歳をとっている二匹には、ほとんどご飯を食べさせてもらっていないようだった。また、しつけが厳しく、言う事が出来ないと、どの犬であっても、数日ご飯を貰うことができない。いろいろなイベントに行って、周囲に見せるように犬の芸を披露するのも、イヌの買い手を探していたみたいだ。闇販売なら言い値で取引ができ、安くない現金がすぐに手に入るので、おあつらえ向きだ。いわゆる闇ブリーダーだ。

 ママさんはテレビで放送されていることは、遠い違う世界で起こっていることのように思っていたが、身近に起こってショックを隠し切れなかったようだ。犬友とのやり取りや、会社の友達の励ましで、何とか立ち直ることができた。その後、ママさんは、動物の保護や虐待について調べるようになり、動物番組も欠かさずチェックするようになった。SNSでいろいろ検索していた時に、虐待・殺処分ゼロに向けた活動を行っているレオポックルさんをママさんは知った。いても立っても居られなくなり、ママさんはその活動を行っている人に、手紙を書くことにした。レオポックルさんは、自作の絵本を通じて、何とか悲劇を抑えようと活動している。ママさんはその活動に賛同し、自分の知り合いや通っているお店にレオポックルさんのことを紹介した。レオポックルさんからは、丁寧な字で返信があり、お互い交流を深めることになった。ママさんのやさしさに僕は少し感動した。


 天気のいい十月の事だった。パパさんとママさんは、朝早くからおめかしして、ドライブに行くことになった。吉備中央町方面に向かって行くみたいだ。吉備高原といえば、日本列島で最も安定している土地であるという研究結果が出ている。なんと四千万年の間の地殻変動を調べても、大きく変化していないようだ。この地域は、深さ三十㎞に渡って、天地無用ともいうべき岩盤を有している。その証拠に、三千四百万年前に地表を流れていたのであろう河川の痕跡が発見されている。すなわち、三千万年前より隆起や陥没がなく、当時から変わらない地盤と地表を有しているのだ。地盤が安定しているので、地震があっても被害はかなり少ない。保険料が地域によって変わる地震保険は、岡山が全国で最安値だろう。政府の有識者も、もし首都移転する場合は、災害の面から見ると、吉備高原が最適だと言われている。

 「今日は何をしに行くのだろう」と僕は久しぶりの外出でウキウキした。さらに僕はいつも車に乗るとテンションが上がって、強くなった気になる。強そうな大きな動く箱が、僕を守ってくれていると思えるのだ。僕は車から外を眺めるのが好きだ。車の外を歩いている人が僕の目線より低く見えるので、いつも気分よく「僕っていいだろう。君たちより幸せだ」と言って自慢している。気分が高揚するとついつい声が出てしまう。

「ワン・ワン・ワン」

いつものように、車が止まっているか、徐行している時に、外の人に向かって吠えるのだ。パパさんは

「また、ワンワン星人がでた、ママさん早く!」

と言って、ママさんに、僕をたしなめる様に促す。ママさんが激しく起こり、

「れおん。ワンワン言ったら知らないよ。」

と脅してきた。そういえば先程から、どんどん山の中に車が向かい、人の影が少なくなってきた。僕は、先日のママさんのSNSが頭をよぎった。「まさか僕も先日の同胞と同じ目に・・・」チラッとママさんを横目に見た。ママさんは素知らぬ顔で、木しか見えない外の景色に目を移していた。しばらく山の中を進むと、道路脇が大きく取られて、車の退避場所みたいなところがあった。パパさんは待避所みたいなところでハンドルを切り、減速を始めた。僕は「まさか、ここに置いて行かれるのでは・・・」悪い事ばかりが浮かんでくる。僕は恐怖に駆られて、ママさんにギュッとしがみ付いた。すると、車は側道からくだり始めた。非常に見えにくい道路だ。下に降りた車は、左折して今走っていた道の下をくぐるように走行した。看板も信号もない田舎道、ナビが無ければ迷子になるような道だ。車が減速し始めた。パパさんは、キョロキョロ辺りを見回しながら、ゆっくり走行している。目的地に近づいたみたいだ。僕は車のバックの音が非常に嫌いだ。この車の中という無敵状態から、小さな裸の犬に戻されるからだ。『ピーピーピー』とリバース音が鳴り響き、僕はまたワンワン吠えてしまった。ママさんは僕におこったが、僕だけを置いていく気配は感じられない。どうやら僕の思い過ごしの様だ。僕は、ママさんと一緒に車を降りて、リードを着けてもらった。パパさんが車から出てきて、三人で歩き始めた。何もない普通の山奥の民家に、パパさんとママさんは近づいて行った。小高い丘みたいなところに来ると、入り口に手作りの木の看板が掛かっていた。〝裕園〟と書いてあった。二人は臆することなく、敷地内に入って行った。入口からいきなり登り坂になっており、急斜面を上って行くと、いくらか広くなった見晴らしのいい展望場所になった。しかしここは、周りが高い山に囲まれている谷にあたり、展望場所で見えるのは、谷の中の田んぼ三面分の何もない土だけだ。人の(うち)に来て文句を言うのも、お門違いではあるが、僕は少し残念だった。そこから、上の道と下の道があり、上の道から歩いて行くと、ルート上にちょっとした池が作られ、鯉が泳いでいた。また別の所には、昭和の映画のポスターや昭和のスターの秘蔵写真が展示してあった。一番低い所には、野外コンサートホールを思わせる雰囲気の、小さいステージが作られていた。客席もいくらか作られており、二十人は座れそうだ。ここは山を利用して作られており、アッブダウンがきつく、結構な運動になる。敷地も個人宅としては広い為、全部を見て回ると、結構大変だ。僕は疲れたので、いつも通りお座りしたまま動かなくなった。ママさんは仕方なく僕を抱っこして、移動することになった。僕の作戦通りだ。ここは自分の家の敷地内をあるじ一人で開墾し、時間をかけて自力で作り上げた自宅公園なのだ。「癒しの散歩道裕園」として周辺に看板が出て、人気スポットになったこともあるようだ。施設内を一通り巡って、僕らはこの公園を後にした。


 僕は一ヶ月に一回全身メンテナンスをしている。ママさんに言わせるとトリミングと言うらしいが、僕は全身ケアだと思っている。また、二週間に一回ママさんが自宅のお風呂でシャンプーをしてくれる。ママさんに言わせるとけものしゅうがするらしいが、「匂いが癖になる」と、ママさんは僕を捕まえては、体臭を嗅ぎまわる。「れおんちゃん。くちゃい、くちゃい」と連呼するので、僕はちょっと恥ずかしい。我々トイプードルはシングルコートと言って、毛の生え変わりがゆっくりでほとんど毛が抜けない。犬の被毛は一つの毛穴から七~十五本の毛が生えている。犬種により毛が二重構造になっている。この二重構造の毛をダブルコートと呼び、春と秋に換毛期かんもうき(毛が生え変わる時期)が訪れるのだ。毛が生え変わることで、夏使用と冬使用の毛、すなわち夏毛と冬毛になる。上毛をオーバーコート、下毛をアンダーコートといい、オーバーコートは太くしっかりした剛毛で、皮膚を保護する役割を果たし、アンダーコートは柔らかい毛で保湿、保温の役割を果たしている。僕たちのようなシングルコートの同胞は、このオーバーコート(外側の毛)のみが生えている状態なのだ。ダブルコートの犬の換毛期には、アンダーコートのみが生え変わるようになっている。生え変わりの時期は、激しい抜け毛があり、毎日ブラッシングをしても、吃驚びっくりするほど毛が抜ける。初めてのヒトは、病気になったのではないかと心配するぐらいだ。犬の毛の生え方や長さは犬種によって違い、ケアの方法や使う道具も違うらしいのだが、僕には当然経験はない。シングルコートはプードル・ヨーキー・マルチーズ・フレンチブルドック・ビーグルなどで、ダブルコートは、ダックスフント・チワワ・ポメラニアン・ゴールデン=レトリバー・柴犬などが有名だ。最近は室内で犬を飼い、冷暖房調節を常にしている為、換毛期がずれたり、生え変わらなくなったりする同胞もいるみたいだ。身体のコンディションは毛並みの状態にも表れ、健康状態が良いと毛艶もよくなる。逆に体調が良くない場合や、食事の栄養バランスが合っていないと、毛に栄養が行き渡らず、パサつき艶もなくなってしまう。放っておくと、脱毛や皮膚の炎症などの病気になってしまうこともあるので大変だ。僕は最初のトリミングは、ママさんの姉の知り合いだった。姉の知り合いの嘉代子さんは、トリマーさんに教えているほどの人で、月に一回、姉の家の庭を借りて、トリミングをしてもらった。僕はどちらかと言えば、皮膚が敏感で触れられると過剰に反応してしまう。姉の家のお風呂で、トリマーさんがシャンプーと肛門絞りをして、ドライヤーで乾かした後、庭でカットを行うのだが、飼い主がいると僕は常に強気になってしまう。その為、嘉代子さんに何度となく噛み付いた。嘉代子さんは嫌な顔をせずに、カットをしてくれた。肛門絞りとは、肛門腺に分泌物が溜まりすぎているので、それを人工的に絞り出す作業だ。もともと肛門腺は自分の匂いを分泌する器官で、マーキングなどで使用するが、室内で飼われていると使用する機会が少なく、分泌物が溜まってしまうのだ。あまりに溜まりすぎると、自分で肛門を地面に擦りつけ排出しようとするが、お尻を傷付けたり、細菌に感染したりするので、定期的に綺麗にしてあげる方がよい。簡単にできるので、飼い主も何回か挑戦するとできるようになるようだ。さらに爪を切ったり、歯を磨いたり、耳の中を掃除したりと一通りのケアはしてくれた。しかし、僕はどうしても、そのたびに過剰反応してしまう。気持ちがいいか悪いかも分かる前に、触れられると反応するという事を繰り返していた。身をゆだねるという事が苦手なのだ。あまりに過剰反応してしまうので、嘉代子さんは自分が悪いのだろうかと、プライドも自信もズタズタになったみたいだ。僕の所為せいで悪いことをしたなと思ったが、体が無意識に反応してしまうのでどうしようもない。反射と呼ばれる反応だそうだ。人間でも突然強い光に晒された時や、ボールが飛んできた時に、意識することなく目を瞑るというのが良くある反射行動で、自分の意思より先に体が反応している。反射は何個かの経路を飛ばして、考える前に行動するので通常より反応が早い。反射の中で生理的な反射は体性反射と自律神経反射があり、その中にも深部反射や表在反射がある。反射について語ると長くなるので、またの機会に話すことにしよう。一つだけ言うと、反射の医学的定義は特定の刺激に対して、意識されること無く反応が起こることとされている。意識できないので僕の場合も仕方がないのだ。自分の意思で止めることができない。残念ながら僕の体が過敏に反応しなくなるまで、この行動を止めることは不可能だ。

 ロシアのノーベル生理学・物理学賞受賞のイワン・ペトローヴィチ・パブロフは、犬の研究では世界的に知られている。様々な実験を行ったみたいだが、その中でも有名な実験がある。食事の前に必ずベルを鳴らしてから、ご飯をあげるという事を繰り返し行うと、犬はベルの音を聞いただけで、よだれ)が出るようになる。この実験は何百匹という犬を対象に行っていて、全ての犬で同じ結果になった。条件反射の有名な実験だ。

TVでも同じようなことがある。

MCが小峠に

「ラーメン屋、開いてない」

と聞くと

「なんて日だ」

と応え、ハリセンボンの近藤に

「ラーメン屋、開いてない」

と聞くと

「門野卓三じゃあねえよ」

とすぐさま応える。

条件反射の人間バージョンだ。これはちょっと違うか。職業病の方だね。「テヘ」。

 トリミング時に、ママさんはなるべく迷惑が掛からない様にいろいろ躾をした上で、現場におやつを作って持って行った。あの手この手で僕を落ち着かせようとしてみたが、トリミング中の僕の行動が変わることは無かった。ママさんはついに僕の行動を見かねて、嘉代子さんにお願いするのを何度目かで断った。

 その後、僕のトリミングは、ママさんがSNSで探した、家の近所のペットサロンに行くことになった。ここも一年ぐらい通ったが、店が移転するという事で、通うことができなくなった。ママさんは、さらに別のお店を探さないといけなくなった。会社の同僚にも何処かいい店が無いか相談したみたいだ。同僚は

「私が行っている所で良ければ」

と紹介してくれた。

 そのお店は家から少し遠く、車で四十分ぐらいかかる所にある。周りに民家は少なく、簡単なドックランを併設した一戸建てのお店だ。初めてのお店には、必ずパパさんも一緒に行く。慣れてくるとママさんが一人で送り迎えしてくれるが、慣れるまでは必ずパパさんを一緒に連れて行くのがママさん流だ。春の桜が咲き始めた頃、僕達は三人で初めてのドッグサロン来音らいねさんを訪れた。

 パパさんが車を駐車場にバックで入れる。車から降り、三人は店の前で店の外観をゆっくりと見渡した。深呼吸と同じで、間を取ったのだ。三人の気持ちが入ると、扉をパパさんがあけた。店主の女性が声を掛けてくる。扉を入ると六畳ぐらいのスペースがあった。僕たちはそこに入って行った。机と椅子が用意されており、商談や待合などで使用するようだ。僕は初めてで緊張していたが、看板犬であるメスの〝ひなの〟を見てドキッとした。彼女は看板犬という事もあり、独特のカットをしていた。頭はフワッさせているが、首の周りは、首輪をしているかのように刈りこみ、その後ろをフワッとさせていたので、ファーのある服を着ているみたいだった。さらに胴は刈りこんであるが、尻尾の上の背中部分をハート型に毛が残してあり、綺麗にブラッシングされているので、ハートがひなのの背中に浮かび上がっていた。可愛いなと思いながら僕はひなのを見ていたが、なぜか懐かしい臭いを感じた。椅子に座って、ママさんとトリマーの恵さんが、世間話をしながら、カットの方向性や僕の性格を聞き取りした。カットコースは、カット・シャンプー・爪切り・肛門腺絞り・耳掃除で、小型犬の場合六千六百円となっていた。オプションで歯磨き五百円・炭酸泉というお湯に浸かるのが千円だった。炭酸泉は二酸化炭素が溶け込んだ水のことらしい。もともと犬の肌は弱アルカリ性の性質を持っており、普段の生活の中で、皮膚の状態がさらにアルカリ性に傾くと、細菌が繁殖しやすくなって皮膚のトラブルが起きやすくなる。炭酸泉は酸性の為、偏ったアルカリ性質を改善してくれるみたいだ。炭酸泉に入浴すると、細かい泡が皮膚や毛の中まで付着する。そして泡が皮膚から離れる時に、不要な皮脂や角質も吸着して浮き上がるので、普段の入浴よりしっかりと汚れが落ちるようだ。さらに炭酸ガスによる血行の改善・体温上昇が起きるので、関節痛の緩和や疲労回復にも効果が期待できるようだ。しかし、犬の皮膚は人間より薄くデリケートな為、アレルギー体質の子には注意が必要になる。僕はカットコースに歯磨きと炭酸泉をしてもらうことになった。各種の注射の証明書や注意事項をお互いに確認して、初めてのトリミングをしてもらうことになった。最初は良く分からないので、パパさんもママさんも僕を預けても、すぐに店から出ようとせず、ガラス越しに作業の様子を見ていた。僕はパパさんとママさんがいると強気になる。特に僕は刺激に対してとても敏感なので、当然見知らぬ人が触ってくるときは、普段以上に緊張感をもっている。ここでは、初トリミングなので、僕も普段以上に敏感だ。

「アゥ・アゥ」

と首を振りながら、反射的に手を噛みにいった。若いトリマーさんであったが、慣れたものでスムーズに作業を行っていた。ただ、僕は一癖も二癖もある特別な犬だ。しつこく「アゥ・アゥ」言うので、さすがに慣れたトリマーさんも手を焼いて、一旦作業場を出て、パパさんとママさんの所に行った。

店主の恵さんは、

「パパやママがいると、れおん君が落ち着かないので、また二時間後に来てもらえますか?」

と二人に店から退出するようにうながした。二人は迎えに来られる時間をトリマーさんに伝えて、店舗を後にした。僕はパパさんとママさんがいなくなったので心細くなった。すると突然、僕の中の弱虫の血が優勢になり、トリマーさんのすることに、あらがうこともせず、成すがまま身をゆだねた。いくらかブラッシングをした後、最初の温かいお風呂はとても気持ちが良かった。ママさんがお昼寝の時、布団の中でだらしのない顔をしているが、僕も今そんな表情をしているのだろうかと思うと少し照れる。気持ちのよいお風呂が終わってからが、僕の苦痛の時間だ。皮膚の敏感な僕は、ドライヤーの風も熱すぎる。冷風であれば良いのだが、冷風だとなかなか乾かない上に毛が絡まってしまうらしく、夏でも温風が当てられる。いやだと何度抗議をしても聞いてもらえない。だから常に僕は

「ガルㇽウ・ガルㇽウ」

と言い続けている。するとトリマーさんは業を煮やして、僕にオヤツを一片ひとひらくれる。これはママさんが僕の為に家のオーブンで焼いて、雑談中に渡していた鳥の胸肉だ。僕は食べ物に夢中になると、熱さや痛さを忘れてしまう。ヒトはそれを利用してくる。手を焼く時には都合がいいらしい。僕はしっかりオヤツを食べきった。同じタイミングで、ドライヤーは終わり、専用の器具をつけてカットに入る。バリカンやはさみを駆使して、ママさんの希望のスタイルにしているみたいだが、僕には全体が見えない。鏡を見せられても、僕たちは〝鏡像認知きょうぞうにんち〟できない。すなわち鏡というものも分からなければ、写っているものが自分だと理解できない。人間でも二歳までは鏡を見ても自分だと理解していない。この能力はかなり複雑な感覚であることが分かる。人間以外で鏡像認知できるのは、チンパンジー・ゴリラ・オラウータン・イルカ・シャチ・ゾウ・カササギ・鳩・烏賊いかだと言われている。いくらか実験結果が怪しい(鏡以外の別の物に反応している)こともあるので、チンパンジー・ゴリラ・オラウータン以外の動物が、実際に鏡像認知しているのかは、今後の研究を待ちたい。僕のカットが終わり、トリマーさんが体に付いた毛をドライヤーで吹き飛ばした。僕は少し涼しくなったことを実感した。ただ、夏の暑いときはいいが、冬の寒いときには勘弁して欲しい。やっと毛が生えてきて、寒い冬を温かく過ごせると思ったら、また毛を短くするからたまったものではない。また「クシュン・クシュン」と夜な夜なクシャミをしないといけなくなる。少しは僕の見た目より、僕の体を気遣ってほしいものだ。ママさんには僕の声は届かないようだ。

 残りの行程は、歯磨き・耳掃除・爪切りだ。耳掃除は、たれ耳の所為か耳の中に何かが入る経験が少ないので、普段以上に敏感だ。耳の入口に指が触れるとむず痒いので、抗議するが、奥の方まで指がくると一転して気持ちよくなる。そうなるとウットリしてきて、僕はずっとやっていてもらいたいが、やりすぎも病気になるので注意が必要だ。次は爪切りだ。犬の爪は皮膚と一体化しており、爪と皮膚の境目が非常に分かりづらい。人が爪と思って見ている場所が、すべてが爪ではないのだ。当然皮膚の中には血液が流れている為、爪と思って深く切りすぎると血が出てくる。そしてこの血がなかなか止まらないのだ。初めての場合は、血の出方が非常に多く、なかなか止まらない為、個人宅で爪切りをした飼い主がパニックになることが良くある。初心者は爪切りの時に、止血の薬を先に病院でもらっておくのがいいだろう。爪の切り過ぎによる出血で、イヌが死ぬことは無く、止まらない血も無いので、根気強く圧迫止血をし続ければ全然大丈夫なのだ。でも僕は爪を切る音が嫌いだ。一回仲良くなったブリーダーの人が好意で爪を切ってくれた。ママさんが勉強の為に、爪の切り方を教えてもらおうとしたらしい。その時に失敗して爪から血が出て来た。するとブリーダーさんは、燐寸まっちってすぐに消し、黒く炭になった所を出血部に当てて止血をした。その時の行為が痛かったわけでは無いが、感覚的に嫌で、僕にはトラウマになった。人が爪を切る音も嫌いなので、出来れば僕が居ない所か、僕の耳を塞いでから切って欲しい。野良犬の場合、爪切りなんてしていないのに、僕たちはなぜ必要なのだろうと思うことがある。ママさんに言わせると、飼い犬は外で活動することが少なく、散歩だけでは爪が擦り減らない。爪が長くなりすぎると、肉球を傷つけることがあるので、定期的に切る必要があるのだそうだ。爪切りは気持ちいいものではないので、早く終わってくれと僕は思う。ママさんが、自分の爪を手入れする時には、爪を切った後にエメリーボードを使って、爪を整えている。さらに、爪を保護するものを、爪の表面に塗っている。僕はヒトの爪なのでいちいち口に出すことはないが、爪にも気を遣わなければならないヒトの女性はつくづく大変だと思う。僕の爪切りも終わり、最後は歯磨きだ。これも苦手の一つだが、トリマーさんは上手く磨き上げてくれる。僕たちは、口の周りの〝マズル〟部分と尻尾の先に神経が集中しているので、そこを触られると敏感に反応してしまう。出生後の間もない頃に、お母さんが僕の口を丸ごとくわえた時のことを思いだす。その時に僕は、お母さんには勝てないなと思った。犬の躾としてマズルコントロールと呼ばれるものがあるが、これはこの犬の上下関係構築の儀式を応用したものだ。犬のマズルを人の手で掴むことで、犬より人の方が上の立場であることを伝え、服従することを教え込むことが目的なのだ。ただこの躾を行う時には、人もかなりの勇気がいる。言葉が通じないので、徐々に慣らしていかなければならないが、何度も本気で手を噛まれる。小型犬ならまだいいが、大型犬の躾となるとかなりの覚悟がいるようだ。ママさんは最初、こぶしを作った手で、れるというより当てるという感じでさわってきた。僕が嫌がらなかったので、さらに指で触れてきた。僕は嫌な顔をして顔を背けたが、オヤツや誉め言葉につられて徐々にマズルに触るのを受け入れて行った。しかし、ママさんは段階をいきなり飛ばす癖があり、まだ触られ慣れてもいないのに、いきなりマズルを右手で覆うように掴んできたことがある。さすがの僕も「オイまだ早い」と言って、ママさんの手を本噛ほんがみみした。ママさんは

「こら。れおん」

と言って怒って来たが、僕から言わすと「こら。陽子」だ。そんなことを何日か繰り返していると、気が付けばママさんがマズルに触れても、そんなに嫌な気はしなくなっていた。全部のトリミング行程が終了すると、前室で迎えが来るまで待機となる。前室にはひなのがいるので落ち着かない。ひなのと僕はつかず離れずの微妙な距離を取りながら、小さな部屋を所狭しとうろついた。ひなのが丸くなると僕も丸くなり、ひなのが立ち上がると僕も立ち上がるという事を繰り返しながら、迎えが来るのを待った。少しすると、パパさんとママさんが店に入って来た。僕の様子を見て「綺麗になった」とママさんは喜んだ。トリミング中の僕の態度をトリマーさんに聞いて、ママさんは反省していた。ママさんは喜んだり反省したり、忙しいなと他人事のように聞いていた。ママさんは最後に会計して、僕は帰りの車に乗り込んだ。そこで僕は驚愕の事実を知ることになった。パパさんとママさんの会話を聞いていると、なんと〝ひなの〟とは姉弟だったのだ。同じ御津の屋根の下で二か月早く生まれたお姉ちゃんだった。どおりで同じ臭い、懐かしい臭いを感じたわけだ。兄弟達も程なくそれぞれ旅立っていったのだと僕は気づいた。御津で分かれて、ここで再開したのも、何かの縁だったのかも知れない。


 月曜日、突然ママさんの同僚がうちに遊びに来た。僕が外出を始めてすぐの頃、会社で僕の話題になり、一度会いたいと熱い要望があったらしい。ママさんが休みの時に、会社に僕を連れて行ったことがある。その時、僕にメロメロになったようなのだ。韓国の男性アイドルグルーブ並みに、僕はイケているので当然だけれど、人気者はつらいよ。僕の追っかけが一人現れた形だ。「アッ!いやいや」ママさんが最初の僕のファンなので、会員番号二番かな。

 同僚が家に来たのは、パパさんの両親が、東京に長期滞在している時だった。パパさんの妹が出産後に両親を呼び寄せ、初めての子育ての指導・補助という名の、お手伝い係として緊急招集した為、二人ともこの家を留守にしていた。パパさんが仕事から帰って来るまでの短い時間だったが、二~三時間は居たと思う。僕と一緒にボールで遊んだ。実は室内に限るが、ボール遊びだけは得意なのだ。前世からの記憶で、何かを取ってくることは、最上の喜びになっている。ただ屋外だと、僕の場合ボールの音より、他の雑音の方が気になってしまい、ボールが転がった先を失念してしまうのだ。僕たちの鼻は敏感であるが、目はそんなに良くない。視力はヒトで言うところの0.2~0.3程度の近視で、遠くのものがあまりよく見えない。しかし、暗がりで物を見る能力は人間の八倍優れている。視野は250度ぐらい見え、ヒトが大体180度しか見えないので、ヒトよりは視野も広い。ただ色を感じる細胞が少ないので色を言われても良く分からないのだ。青・紫・黄色の三色は何となく分かる感じだが、はずれることもある。僕たちの目は、黒い目と白い目があるが、白目は外から見えない様になっている。目のふちと角膜の黒い部分が同じ大きさだからだ。人間以外の動物は、目の白い所を見ることがほとんどない。僕たちイヌの場合は目の角度に寄って、白目が横から見えることがあるが、猿などは全く白い部分が見えない。なぜなら、白い部分が無いからだ。ヒトや僕たちイヌは、黒目が角膜で白目が強膜と分かれているが、他の霊長類は黒目が角膜であるのは同じであるが、強膜は褐色で白くない。これは、野生で敵に出会った時に、視線を知られないようにするためなのだ。視線が分かれば次の行動が分かる。右を向けば右に行くであろうし、後ろを気にすれば、後方に逃げると分かる。当然行動が知られれば、敵の攻撃により致命傷を受ける可能性が高くなる。野生で生きる為には、視線が分からない事は重要な事なのだ。とすればなぜヒトだけが強膜が白目になったのか。ホモサピエンスの一人一人の戦闘力は、動物の中で最弱クラスだ。そんなヒトの祖先が、生き延びるために進化したのが、脳である。新皮質まで脳領域を拡大し、知恵を身に付け、言語や道具を扱うようになって、やっと生き延びられる特技を身に付けた。しかし、個々の戦闘力は低いので、仲間と共闘することで、生存率をあげるように進化していった。その時に必要だったのが、敵に行動が分からない様にする強膜より、無音のコミュニケーションを、目でとれることの方が重要だった。もし敵にヒトが一人で遭遇したら、視線を隠しても、もともとの身体能力が低すぎてやられてしまう。虎や熊と森で出会ったことを考えてみよう。敵と対峙した時には、視線を絶対に外すなと言われているが、睨みあった後どうするのパパさん。勝たないと喰われるのだから死を覚悟して戦うしか選択肢はない。視線も重要だが、ここまで行くと、身体能力の差が如実に出てくる。ヒトが素手勝てる動物が、どれぐらいいるだろう?もしヒトが単独で行動していたら、どこかの時代で絶滅し、現代に人類は存在していなかっただろう。集団で行動することにより襲われにくく、襲われても逃げ延びやすく、また全滅しにくくなった。集団生活を行う上で重要だったことが、仲間の表情を読み取る能力であり、目で何かを伝え、汲み取る能力だ。言葉という文化が根付く前は、目の動きで、コミュニケーションをとっていたのだろう。だからヒトの目は、このように進化してきたと僕は思っている。

 会員番号一番と二番と一緒にボール遊びをして、僕は「ハァ・ハァ」と熱くなってきた。いつも水が置かれている部屋の隅に僕は水を飲みに行った。水を飲むと少し落ち着いてきた。僕はボール遊びも飽きて来たので、会員番号二番の膝の上に乗り、体を預けた。それがとても愛らしく見えたらしく、僕の好物のおやつを出して、食べさせてくれた。僕の軽いボディタッチがキュンキュンしたみたいだ。アイドルの握手会と同じようなものかなと思いながら、僕はさらに顔を近づけて、顔をペロペロした。とてもいい笑顔で僕を見て、おやつを追加してくれた。リップサービスもしておくに限る。会員番号一番と二番を、僕がしっかりとおもてなししてあげたおかげで、いろいろ普段は食べられない物も食べさせてもらえた。ファンは大切にしないといけないとつくづく思った。僕の接待で、会員番号二番は、イヌが欲しくてたまらなくなったみたいだ。

 後日、会員番号二番は子犬を飼うために、いろいろ調べ始めた。自分の娘から知り合いに、「犬の飼い主を探している人がいる」と連絡があった。そのヒトは病気により、犬の寿命より自分の寿命の方が先に尽きることが明白となり、自分が動けなくなる前に、引き取り手を探していたようなのだ。会員番号二番も機会があればイヌを飼ってみたいと思っていたので、渡りに船だ。娘からの紹介で、イヌを譲ってもらったようだ。同じ犬種のトイプードルだが、体高から言ったらミニチュアプードルのサイズだ。

 それからというもの、会員番号一番と二番は、一緒に行動することが多くなった。この間も、長船のドッグカフェに会員番号一番・二番と運転手のパパさんと一緒に行くことになった。近くのスーパーで待ち合わせをして、車一台で行く。ママさん同士の会話を聞いていると、会員番号二番は(ふみ)ちゃんというらしい。そして僕にとって厄介なのが、文ちゃんのSPの如く一緒に座っているトイプードルの斗真(とうま)だ。僕より一つ年下なのに一回り大きいので、いつもの弱虫の血が、顔をのぞかせてくる。車内にいる時から僕は斗真に気合い負けしていた。斗真は断尾だんびをしておらず、尻尾しっぽが長い。それも僕にとっては脅威に感じる。もともと断尾は狩猟犬に施された処置だった。理由の一つは、屋外で敵に襲われた時に、尻尾を損傷しない様にする為だ。長い尻尾は敵から狙われやすいので、短く切って弱点を少なくしたみたいだ。また、扉や荷車に尻尾を挟まれない為の処置でもあるのだ。さらに、排泄物で汚れにくくして、お尻を清潔に保つことにもなる。これは皮膚病の予防の効果がある。ここまではイヌの為の処置だが、残念なことにヒトの都合で断尾することも多い。現代では、短い方が可愛いという理由だけで、整形するのだ。

 1700年代のイギリスでは、愛玩犬には多額の税金が掛けられていた。それを回避するためには、狩猟犬つまり仕事の為に必要な犬という形で登録する必要があり、狩猟犬は先述の事情から断尾を行う風習があった。断尾イコール仕事犬が定着し、税金の有無が絡むと、当然愛玩犬も断尾を行って税金対策としたという過去がある。近年では、昔からの風習だからとか、商品価値をあげる為だとかで断尾を行う。動物愛護の観点から、断尾を禁止する国も出てきているようだ。断尾は生後三~四日の、産まれてすぐの犬に麻酔をかけずに行い、専用の器具で切断する。切断後は感染症が起こりやすいので注意が必要になる。この時期に断尾を行うのは、生後十日ごろまでは神経伝達が未熟で、犬は痛みを感じていないという事が言われていた。しかし、近年では切断時に犬が嫌がる行動をするので、普通に痛みを感じていると定説を改めだした。僕も断尾済みだが、生まれて間もなかったので、痛いという感覚自体が分からなかった。僕が痛みというものを始めて感じたのが、この断尾だったかもしれない。目も見えないので何をされたかも分からないのだが、パチンとしたことだけは覚えている。

 一時間ちょっとのドライブが終わり、目的地に到着した。小高い山の斜面を利用して、犬が遊べるスペースが作られている。小高い山の上に店があるので、受付に行くまで歩いて行くのが、女性陣二人にはきつそうだった。受付兼食事・雑貨販売スペースになっており、テーブルは外向きに設置してある。そこから斜面にいる自分の犬を見ながら、食事をすることもできるようだ。僕たちはご飯を食べたばかりだったので、さっそく散歩をすることにした。アップダウンがきつい所で、ママさん二人は、少し歩いただけで「ゼエ・ゼェ」言いながらついてきていた。僕は斗真にお尻の匂いを嗅がれながら、あっちこっちと逃げていた。しかし、斗真は一年若い同胞なので、ママさんよりははるかに早く走る。僕たちは五十mを五秒台で走ることができる。時速三十㎞ぐらいだ。当然僕は、斗真に捕まらない様に逃げたが、運動能力にさほど差が無いので、すぐに追いつかれマウントを取られかける。だから僕は必死になって逃げ、後ろを取られない様に行動した。我々二人の行動は、はたから見ればじゃれている様に見えるかもしれないが、僕は懸命に斗真の攻撃を躱していたのだ。いくらか遊んだら、ママさん二人が遠くから呼んでいた。斗真は一目散に文ちゃんの所に走っていた。僕も斗真に遅れながら、ママさんを目指した。二人はママさんの所に辿り着くと、みんなでこの建物の横にある施設に向かった。実は、態々《わざわざ》遠くのこの施設まで来た理由が明らかになった。ここのドッグランには犬用のプールが設置してあったのだ。かねてから僕のママさんは水遊びをさせたいと目論んでいたようだ。プードルはもともと使役犬として飼われていた歴史がある。水猟犬として狩り場で獲物を取ってきたり、荷者を引いたりしていた。嗅覚は犬の中でも優れていて、高級食材のトリュフを探索することもしていた。また、近年では麻薬探知犬として駆り出されることもあるようだ。さらに僕たちは、毛が抜けにくいということで、療養施設にも出入りするようにもなった。病気の人の心の支えになるセラピー犬としても活躍することもある。働き者なのだ。

 僕たちプードルは、知能も犬の中で高いことが知られている。イヌごとの知能を測定した結果、一位がボーダー=コリーで二位がプードルだ。因みに三位ジャーマン=シェパード・四位ゴールデン=レトリーバー・五位ドーベルマン・六位シェットランド=シープドッグ・七位ラブラドール=レトリーバー・八位パピヨン・九位ロットワイラー・十位オーストラリアン=キャトルドッグだ。これはカナダで犬を研究しているコリー博士が百三十二犬種を三つのテスト(本能や直感・自分で考え解決する能力・指示に従う能力)で導き出したもので、これだけで犬を計ることはできないが、一つの指標としてみる分にはいいだろう。

 ママさんが何を期待しているのか分からないが、僕から言わすと、水猟犬として活躍していたのは、五世紀も前の話しだ。僕たちは愛玩犬として過ごした記憶が脈々と受け継がれているので、水に自分から入ったという記憶は、体の隅っこにも残されていない。僕の遺伝子は、五百年以上前の情報を受け継いではいないし、受け継いでいたとしてもリスクは避けるようにインプットされている。水に入るという行為は、かなりの勇気とリスクを伴うものだ。水中にどんな敵がいるか分からないので、かなり危険な上、水の中では僕たちの能力が少しも発揮できないので、いざという時の対処ができない。僕の祖先も自分のご飯の為に仕方なく、飼い主の命令を忠実に実行していたに過ぎないだろうと想像する。

 当然僕の大好きなママさんが、笑顔でプールの向こうから呼んでも、水に入って行くことはしない。プールのふちを通り、迂回してママさんの所に行くだけだ。僕が近寄ると、ママさんはため息交じりにつぶやき

「やっぱりそう来るよね。」

複雑な表情で僕の頭を撫でた。僕が指示通りここに来たことは誉めて、思い通りの行動を取らなかったことに肩を落としたようだ。そして、ママさんは水に慣れさせることから始めた。プールの浅い所で、水に触れるように仕向けたが、当然僕は水に浸かるつもりはなく、嫌がった。なにせ今日は少し肌寒く、水に浸かるのに適している気温とは思えない。そして僕は水が嫌いだ。水猟犬として活躍していた何世代前かのお爺ちゃんと比較されても困る。品種改良で小さくされた僕たちの生き残る道は、可愛く尻尾を振ることだけなのだ。このサイズでは、野生に放されても、もう生き延びることはできない。残飯を漁ることは出来ても、自分で食料を調達することは不可能である。ヒトに如何いかに愛嬌を振りまくか、首をかしげて、人の気を惹くかが大切で、この数百年僕の先祖たちはそれを研究してきた。

 僕達プードル一族は、苦しい時代のアメリカで人間に見放され、絶滅しかけた過去がある。僕たちは、いかに安全に鴨を回収するかでなく、いかに人に愛されるかを重んじるようになった。だから、愛想を振りまくのは得意だが、水の中は怖くてたまらない。ここはプールなので敵はいないが、水深は明らかに僕の体高を超えている。お風呂の場合は、足が下につく高さにお湯の量を調整してくれているので、溺れる危険はないが、ここのプールは少し足を動かすことをやめると沈んでしまう。そんなところにママさんは僕を入れた。こんなにしんどい場所は今までにない。死との隣り合わせで、必死に動かなければならない。僕は懸命に水を蹴ったが、なかなか足が前後しない。これが水の抵抗というものかと驚きを隠せない。僕は命からがら、水から上がった。思いっきり体を震わし、体についた水を跳ね飛ばした。「はあハア」と息を吸って、やっと生きている自分を認識できた。一息ついて、自分を確認すると、僕のイケメンがヒョロヒョロの骸骨がいこつのような見た目になってしまった。もともと毛がフワッとしているので、かわいく見えるのだが、水に触れると見るも無残な、骨と皮だけの生き物になってしまう。知らない人が見ると、虐待されているのかと思われるぐらいだ。ママさんはどうにかして、プールを横断させたかった。パパさんが

「プールの中央の辺に放り投げたら、本能で泳ぐかも」

と言いいだした。僕は「まじか。無茶いうなよ。」とパパさんを見て、それだけは勘弁してくれと切に願った。ママさんはオヤツやリード操作で、僕をプールで泳がそうとしたが、僕は如何いかに水に入らないようするかを考えて行動した。僕とママさんの攻防は続いたが、ママさんが僕と一緒にプールに落ちそうになって、ついに諦めた。ママさんは持って来ていたタオルで、僕の体をふき始めた。一方の斗真とうまは、初めてのプールにもかかわらず、プールの縁にそって優雅に泳いでいた。僕のママさんは羨ましそうにその光景を見ていた。僕は我関せずと顔を背け、プールからなるべく遠ざかるようにした。僕はパパさんがいきなりプールの中央に投げなかった事だけを感謝した。僕たちは二・三時間この施設で過ごし、いい時間になったので、帰路に就いた。


 僕の体重を計測したママさんは、どうにか僕を歩かせようと考えていた。僕の体重が増えてきたためだ。僕のサイズだと、四キロ手前が丁度よい体重なのだが、昨日量ると4.3㎏と標準体重より少しオーバーだった。なんとか散歩させたいママさんは、パパさんに散歩を依頼した。これが僕にとっては大事件だった。ママさんに言われて、渋々散歩に行くパパさんなので、散歩嫌いの僕が座り込んだまま動かない時には、パパさんの機嫌が非常に悪い。行きたくない二人が散歩に駆り出されているのだからたちが悪い。僕は絶対動かないアピールをするし、パパさんはさっさといつものコースを一周して散歩を終わらせたい気持ちで一杯なのだ。パパさんはやると決めたらさっさと行動して早く終わらせたい性格だ。なりふり構わずゴールを目指す。多少の障害物はそのまま突き進むような感じだ。さらに、ママさんとの会話を聞くと、ぽっちゃり体系のパパさんのダイエットも兼ねているようなことを持ち出すから、さらに状況は悪化する。ダイエットは二十分の有酸素運動が不可欠らしい。途中で止まってはあまり効果がない。だからパパさんとの散歩は、早歩きの競争をしているのかというほど早い。二十分早歩きで歩くのだから、かなりの距離になるが、一度も止まろうとしないので、僕は何度もお座りで急ブレーキをかけることになる。僕は道端みちばたの草をんだり、電信柱の匂いを嗅いだりしたかったし、何と言っても少し休憩したかった。でも、パパさんは首のリードをグイグイ引っ張り、僕ののどが痛くてもお構いなしだった。散歩なのだから歩かない方が悪いと言わないばかりに、そのまま休憩なしで二十分間歩き通す。僕が止まっても引きずりながら歩くので、僕も歩かざるを得なかった。

 僕たちは、散歩の時に一生懸命に、いろいろな場所の臭いを嗅ぐ。この行動は、この周辺にどのような生物が居るのかを調べているのだ。実は僕たちは尿の匂いを嗅いだだけで、同胞なら犬種や年齢、性別、行動範囲、発情しているかどうかや病気まで分かるのだ。自分の生活範囲に危険が無いか、天敵がいないか何かあったらどちらに逃げるかなどのいざという時の為の情報収集なのだ。こうやって我々は太古から生き延びて来た。この本能行動を禁止されると非常にストレスに感じる。人間で言うと、スマホを取り上げられているぐらいの強いストレスだろう。だから、僕はもっとゆっくり歩いて、沢山の情報を収集したかったのだ。さらに、道の草を食べるのにも理由がある。僕たちは、最近の食事がすべてドッグフードで済まされている。栄養バランスは考えられて作られているので、タンパク質やビタミンなどのバランスはとてもいい。ドライフードは炭水化物の消化率を高め、栄養の吸収がいいので、必要な栄養素を少ない量で補える。しかし、腸内の微生物発酵が減少する。結果、腸内の常在菌が減少する。だから、僕たちは、散歩中に草や土を舐めることで、草や土壌の中の乳酸菌を取り込んでいるのだ。果物の表面にも乳酸菌は豊富だ。また生野菜を食べて食物繊維を取り込み、体内で発酵させることで、腸内の常在菌を維持している。僕たちも人間と同じで腸内環境が悪くなると、皮膚病やアレルギーになりやすい。また腸内環境が悪いとすごくイライラするので、攻撃性が増し問題行動に出るようになる。人間も腸内環境が悪い人や便秘気味の人は、夜に熟睡できない為、昼間もボーっとしていて、全てにおいてやる気が出なくなる。やる気が無いのが周囲に知れるとまた別の問題が生じる。結果家から出るのが嫌になり、最後はうつ状態になってしまう。家に閉じこもることにより、最悪の結果を招くこともある。逆に腸内環境のいい人は、肌艶もよく、体も軽いので元気がよく生き生きとしている。これは年齢に関係がなく、若いから元気とか年寄りだから駄目という事でもない。若くても元気がなかったり、年寄りでも健康だったりする。そのぐらい動物には影響を及ぼすものなのだ。腸内細菌が脳に影響を及ぼしているのは、最近の研究で分かっていることだ。僕が連れていかれたびよういんでは、トリマーさんやクリニックの先生に、

「指の爪があまり伸びてないので、よく散歩されているのですね。」

と言われた。しかし、実体は違う。僕は「パパさんに引きずり回されているだけだ」と訴えたかった。パパさんの散歩の理由がダイエットで、僕の散歩はついで扱いなので困ったものだ。当然僕はだんだん体に違和感を覚え始めた。ママさんも実態を良く把握していなかったし、知識もなかったので、こんなことになっているとは思ってもいなかった。そして数年後、僕は甲状腺の病気になってしまった。原因が分からないが甲状腺に疾患があるようだと診察されたが、どう考えても散歩の時にリードで喉を圧迫したのが原因だったとしか思えない。日常的に首を絞められていたようなものだ。ママさんはパパさんにそのことで文句をいう事はしなかったが、パパさんは薄々感づいて、今では反省しているらしい。僕は甲状腺の薬、三十㎜で一万円するものを、毎日0.7㎜ずつ接種しなければならない体になってしまった。ママさんはリードを首にするタイプのものは止めて、盲導犬がしているような体で固定するものに変えてくれた。しかし僕は散歩が大嫌いになった。散歩に行こうと言われても、僕は家中を走って逃げ回る。机の下に隠れるのはいつものことだ。今ではパパさんとママさんが車で出かけようとすると、イの一番に玄関に急行するが、リードを取り出す音がすると、急いでママさんの手の届かない所に逃げるようにしている。


 僕は、足を舐める癖が小さい頃からあり、なぜかやめられない。病院に何度が行って、原因と思われる薬をくれるのだが、一向に改善されない。食事が原因では無いかという事になり、ご飯を自然素材の物に変えた。純粋な自然素材のご飯がペットショップになかなか扱いが無く、態々《わざわざ》作っている所からネットで取り寄せなくてはならなくなった。このご飯は酸化しやすいので沢山購入できず、三㎏ずつ注文し、一袋が五千円以上するらしい。さらに開封後は冷蔵庫で保管する。一日の食事量は、このご飯で僕のサイズだと七十グラムから八十グラムらしいので、一日百四十円ぐらいかかることになる。以前のご飯だと九十円ぐらいなので、少し割高になるのだ。暫く様子を見ていたが、僕のご飯を替えても、前足を舐めてしまう行動が治らない。僕もなぜ舐めたくなるのか分からないのだ。ママさんはついに原因を調べる為に、アレルギー検査をすることにした。一度の検査で九十二項目分かるのだが、検査費用が二万四千円と安くは無いのだ。調べられる項目は、自生している草花やハウスダスト・ネズミやゴキブリのフンなどで、僕は三十種類ぐらいの項目にアレルギーがあることが分かった。検査の結果でアレルギーの薬を一ヶ月分二千四百円で、ママさんが買っていた。一か月間食べ続けて、症状が多少改善されたので、それ以降この薬は飲んでいない。しかし前足の癖は治らない。

 僕が毎日必要としているものは、ご飯とペットシートだ。散歩をしても、僕は決して外で用を足すことがない。パパさんとの散歩では、そもそも止まることがないので、用を足すことも出来ない。また外での排泄は、僕の痕跡を残すことにもなる。排泄中も周りが気になり安心してできない。だから僕は常に家の中でトイレをする。外出先では、エンジンが止まっているワンボックス車の後部の狭い空間に、ペットシートを敷いてもらって、危険が及ばない状態で行っている。外で排尿をしないので、ペットシートが大量に必要になる。ママさんは事前に、四千五百円で八百枚入りのシートをインターネットで購入していた。おしっこの量は状況により異なるので、多いときはそのままシートを替えるが、マーキング程度に少ししかしない場合は、そこだけを(はさみ)で切って、残りの使えるところを再利用している。最初はその部分を折って、内側に隠すようにしていたけれど、僕は匂いに敏感なので、前の尿の匂いを嗅ぐと、そこを避けて放尿する。すると、当然トレーからはみ出てしまい、フローリングやケージが漏れて汚れてしまう。パパさんは僕の行動を観察して、そのことを突き止め、今は汚物を残さない様に汚れた部分を除去するようになった。汚物が無いとトレーの真ん中で排尿するので、トイレの成功率は格段にあがる。

 この時期僕は頭をよく振っており、耳も痒いので前足でいつも耳をかいていた。そんな行動を見ていたママさんが、病院に連れて行き、僕の症状を説明すうる。女医さんに診てもらと、耳の中が赤くなっていて、悪臭がしていた。

「これは外耳炎ですね」

と先生は良くある症状だとニュアンスで分かるように言った。トイプードルのかかりやすい病気に、ことごとく僕はなっていく。治療を行い、耳の点耳薬を一週間分貰って、ママさんは二千二百円払っていた。外耳炎も一週間薬を飲むと良くなり、その後は飲んでいない。

 僕の病気の為にあれこれとしてくれて、ママさんありがとうと思った。耳は僕たちにとって大切なものだ。僕たちの耳は、低周波帯は人間とさほど検知する能力に差が無いのだが、高周波帯ははるかに良く聞こえる。人間の可聴範囲の上限は二十㎑で、僕たちは六十五キロヘルツまで聞こえる。ピアノの鍵盤が八十八鍵しかないのは、それ以上とそれ以下の音を人間は聞き分けられず、雑音としか認識できないからだと言われている。ピアノで九十二鍵や九十七鍵の物もあるが、端の方は使われたことが無いらしい。若い時なら聞き分けられるかもしれないが、加齢とともに高音が聞き取りにくく、どの音を鳴らしても同じに聞こえるようになると、鍵盤を増やす意味はなくなる。

 音域は人間が二十~二万㎐認識できるが、僕たちイヌは四十~六万ヘルツまでの音を認識することができる。日常会話が四千㎐で飛行機の音が一万三千㎐ぐらいだ。僕たちは本能的に小動物の鳴き声に近い、高めの音に敏感に反応する。僕たちの嫌いな音は、掃除機やドライヤーだ。周りの音を遮ってしまうから、相当なストレスになる。ただそれは一時だけで済むが、人はいいと思っているのか、首に付ける鈴は、僕達には無駄で長期的なストレスだ。

 僕はよく無駄吠えをする。僕が吠えるのは、守備範囲内に誰かが侵入した時やご飯が欲しい時・遊んで欲しい時やこの家の人が帰宅した時なのだ。つまり、警戒、要求、興奮で吠えている。調べてみると無駄吠えは年齢に応じて、別の理由で吠えるようになるらしい。若いときはおねだりや興奮吠えが多いが、歳をとると運動不足のストレス吠えや体の痛みを何とかして欲しい訴え吠え、最後はボケて吠える認知吠えもあるようだ。無駄吠えは近年、生活騒音の迷惑度第二位となっていて、近所トラブルの原因になっているので注意が必要だ。僕もしっかり迷惑になるぐらい吠え散らかしている。するとママさんが無駄吠え防止の為にネットで〝無駄吠え禁止ちゃん〟というものを買った。これが僕にとっては、苦痛の種となった。無駄に吠えている時なら仕様がないが、僕の要求を訴えている時にも反応するので、僕は声を出すことができない。この物体はストレス以外の何物でもない。小さな黒い家の形をしているので、ブラックボックスと名付けて近寄らない様にしていた。それでもリビングぐらいなら、どこにいても反応するので困ったものだ。またこの音はママさんやパパさんには聞こえないらしい。犬に聞こえて、人に聞こえないヘルツの音を出しているみたいだ。非常に不快な音がする。人間には音が聞こえないので、作動しているかどうかを、機械の真ん中の部分に設置してある色で教えてくれるようになっている。黒い家の真ん中に丸いランプが埋め込まれている。スイッチを入れると緑に光り出すようだ。光が緑の時はこの機械から変な音を出すことはないが、ある周波の音をキャッチすると作動し赤になる。作動中はずっと赤色に光っている。たまにパパさんの笑い声をこの装置が検知し、僕が吠えなくても反応することがあるのでたまらない。「僕がいつ悪いことをしたのだ」と憎らしく思う。このあいだ、中学生のおいが遊びに来た時に、このブラックボックスのスイッチを入れていた。僕がどうしてもお腹が空いたので吠えると、当然のようにブラックボックスの悪魔が、僕の頭にささやきかけてきた。頭に響くこの音が、僕の神経を逆なでする。人間で言うと黒板を爪で引っ掻いたような歯の浮くような音だ。当然僕はすぐに吠えるのをやめるのだが、一緒の部屋にいた甥も

「この音何。ちょっとやめて」

と言った。何と十代の子には、この音が聞こえるらしいのだ。僕はこの不快さを共感できる人がいるのだと、心強く思った。甥の一言でママさんはブラックボックスのスイッチを切った。人間は若い時に聞こえた高音が、加齢により認識できる高音域が狭くなる。コンビニはこの違いを使い、若者が店前でたむろしないように、モスキート音を出している所もあるみたいだ。僕は、音の分かる若い子がこの家に居てもらわないと身が持たないと思い、甥にずっといて欲しいと願った。

 その後パパさんは、僕の体調不良があのブラックボックスが原因では無いかと疑い、ママさんは知り合いにあげることにしたらしい。僕にとってストレスの原因であったのは確かだが、体調不良との因果関係は、はっきりしない。ただ無くなったことはこの上ない喜びだ。

 耳の話に戻すと、同胞の中には耳を筋肉でコントロールでき、音のする方向へ耳を左右別々に動かすことができる種類がいる。僕たちのように垂れた耳ではそんな芸はできない。またその同胞は、少し首をかしげて左右の耳の位置を変えることで、音源を探ろうとすることもできるようだ。これは、左右の耳に入ってくる音の誤差で、音源までの距離を逆算しているので、頭の大きい大型犬の方が、音源までの距離の誤差が少なくなる。野生で生きのびる為に必要な能力だったのだろう。

 僕たちは人間の言葉を理解はできない。ただ、音声学でホルマントという概念があり、個体の発した音声は、その人特有の周波数の領域の強さや厚みが違う。この微妙な変化を僕たちは聞き取って個体を識別しているのだ。また母音あ・い・う・え・おの周波数はそれぞれ違うヘルツにあるので聞き分けられるが、子音は母音の周波数の一部なので、違いが理解できない。だから人間が発する言葉の母音ぼいんの発声の仕方が大切で言葉の内容は大した意味を持っていない。つまり「れおん」でも「れもん」でも「えおん」と聞こえ、僕たちには区別ができなくて、同じことを言っていると認識するのだ。例えば「もも」と「ここ」と名付けられた同胞がいるとすると、ヒトには別の名前と認識できるかもしれないが、僕たちはどちらも「おお」と聞こえ、どちらが呼ばれているのか判断できない。僕たちは『あいうえお』の言葉とそれを発する人の周波数(音程・音域)・音の厚み(太い・細い)・音の形(息遣いや息の抜け方)・発生の強弱の五つで言葉を判断している。だから僕たちに言葉を掛ける際には、短くて母音ぼいんが分かれている言葉が聞き取りやすい。また僕たちの耳は、音程の認識能力がヒトより優れている。ロシアのパブロフは、犬に音程を訓練させると、八分の一音のズレでも犬は違う音と認識していることを突き止めた。つまり僕たちは、言葉や文字の内容より、音が大切なのだ。今後僕たちに言葉を分かってもらいたいのであれば、「あいうえお」だけで構成した文章で、音圧・音域・強弱・息継ぎを常に同じようにしてもらえると、僕たちは言葉を理解することができる。日本語は、発音より文章の内容を重視する。その為、アクセントや喋り方がヒトによりバラバラなので、僕たちの躾には向いていない。発音を重視し、誰でもほぼ同じように言葉を発する外国語の方が、正直僕達には分かりやすい。

 余談だが、僕らの同胞でダルメシアンだけは、先天的に耳が聞こえない子が多いと聞いたことがある。

 僕はお金がどういうものかよく理解していないが、僕には何かとお金がかかるみたいだ。それでもママさんは僕の為に、文句の一つも言わずに投資してくれているのには、本当に感謝している。僕も全力でママさんの笑顔が見られるように頑張るつもりだ。


 僕は純粋なトイプードルだが、最近はミックス犬と言われる同胞が増えて来たみたいだ。今では百種類近くのミックス犬がいるみたいだ。トイプードルとのミックス犬は、マルプー(マルチーズ)・チワプー(チワワ)・ポメプー(ポメラニアン)・キャバプー(キャバリア)・コッカプー(アメリカンコッカースパニエル)・ダップー(ミニチュアダックスフンド)・シュナプー(ミニチュアシュナウザー)・ペキプー(ペキニーズ)・ヨープー(ヨークシャーテリア)・シープー(シーズー)・ピンプー(ミニチュアピンシャー)と十一種類のミックスがいる。確かに写真で見るとミックス犬はみんな可愛いが、「なぜミックスさせる必要があるのだろう?」と僕は疑問でしかない。ミックスさせなくても十分純血で可愛いと思っている。ふと疑問に思うが、ミックスに失敗した同胞たちはどうなったのだろうと心配になる。

 1959年甲子園パークで異種交雑が行われた。オスのヒョウの〝かねお〟とメスのライオンの〝そのこ〟の間に体外受精で人工的に子供をもうけさせたのだ。〝そのこ〟はヒョウとライオンのミックスである子を五匹産んだ。この五匹は〝レオポン〟と呼ばれた。レオポンは体にヒョウの斑点を持っているが、体つきはヒョウよりも大型で、オスにはライオンのようにたてがみもあった。ただ、異種交雑を行った雑種は生殖能力を持たない為、子孫を作る能力が欠けていた。一代で終わった雑種だったが、一番長く生きたレオポンの〝ジョニー〟は、二十四歳だった。人間で言えば百二十歳ほどになり、長命だったようだ。その他にも、雄ライオンと雌のトラとの間に産まれた〝ライガー〟や雄トラと雌ライオンの間に産まれた〝タイゴン〟が異種交雑を行ったが、すべて次世代を残すことはできなかった。虎とライオンは非常に骨格が似ていて、骨の状態で見ると、トラなのかライオンなのかを見分けるには、専門家でも難しいらしい。それぐらい骨格が似ていても、遺伝子レベルでは、まったくの別物だったわけだ。収斂進化しゅうれんしんか(全く系統の違う動物が食物や環境が似ていると、似たような体型をもつようになること)というわけだ。逆に牛とガウルは全く別に見えても、交配は可能なのだ。遠い祖先は同じだったというわけだ。進化論が正しいのであれば、遺伝子レベルの生命の木はなかなか複雑だ。遺伝子が近くても、環境が変わればこうも形が変わるのかと吃驚びっくりする。ただ僕は人間の都合で、人工的に新しい種を作るのはどうかという気もする。環境による自然交配ならまだしも、人工交配はやり過ぎだ。

 もし将来人類が火星に住むようになり、行き来がとだえ、数世紀が過ぎると、火星で育った人類と、地球に残った人類は全く違う形に進化するのだろう。僕たちはなぜ生き、なぜ子孫を残そうとするのかは分からないが、長い地球の歴史で、子孫を残す能力が優れていたもの、命ある限り生き抜こうとする種だけが、今なお生きて地球に存在しているという事だけは確かな事実だ。子孫を残すことを積極的に行わなくなれば、ヒトであっても将来絶滅する道をだどるのだろう。


 十月にママさんの両親が家にやって来た。僕はいつものお泊りかと思っていた。ママさんのお母さんの「(せつ)」さんが、良くおやつをくれるので、僕は好きだった。ママさんのお父さんの「(かつ)」さんは、寡黙かもくな人であまりしゃべらない。僕は久しぶりの再会だった。パパさんのお父さん「(のり)」さんと、お母さんの「寿(すわ)」さんと一緒に、夕ご飯を食べることになった。彼らは世間で言うとお爺ちゃんとお婆ちゃんだ。六人は鍋を囲んで、他愛もない話に花を咲かせていた。「お酒も進みこれは長くなるぞ」と僕は思っていたら、今日はやけに早くお開きになった。いつもはだらだらと午前様だ。久々の再開にも関わらず、二十一時にはみな床についたので「どうした、調子でも悪いのか」とご老人たちが心配になった。僕もママさんに連れられて寝室に行った。電気が消え周りが暗くなったので、まあ寝ようかと自分のベッドに行って僕も丸くなった。深夜二時三十分ぐらいにパパさんが起きて来た。いつものトイレかなと思っていると、ママさんも起きてきて、ぞろぞろとみんなが起きだした。何が起こるのだと僕は身構えた。こんな深夜に皆が起きだすことは今までなかったからだ。注意して見ていると、女性陣は朝の行事を念入りに行っていた。洗面所で顔を清めると、真っさらなキャンバスに絵を描き始めた。手慣れた手つきで、いろいろな物を塗り重ねていく。油絵なみの重ね塗りだ。ペンで右の眉と左の眉の端の高さを調整して、口に紅をひいたら、最後にティッシュをパックとして終わりだ。なぜ塗り付けたのに落とすのか不思議でならないが、あえて突っ込まない様にしている。一通り描けたら、今度は髪の毛のメンテナンスを行う。実に朝から様々な工程を経て、女性というものが完成するのかと感心する。男性陣と僕は、女性陣が化けるのを座って待っていた。用意が終わると、昨日買ってあったサンドイッチと大量のお菓子、それに大きなカバンを車に積み込んだ。僕も遅れまいと、いつも通りイの一番に玄関に行って待った。六人は車に乗り込んで、深夜三時に家を出た。こんなに早くからどこに行くのだろうと、節さんの膝の上で考えながら目を閉じた。久しぶりにパパさんの運転だ。スタートして一分、突「ドゴン」という振動がやって来た。タイヤをどこかに乗り上げたのだ。僕「マジか。こんなに朝早く皆を起こしておいて、家を出て一分でイベントは終了か?」と気が気ではなかった。車を急遽止めて、外に出たパパさんがよく確認したようだ。バンクやへこみ等、外から確認して何ともなっていなかったので、そのまま車は目的地目指して走り出した。一般道から高速道路に入って行った。いよいよ僕はどこに行くのだろうと楽しみになって来た。まだまだ周りは暗いので、どこを走っているのか、僕には見当がつかない。高速を走って二時間ぐらい経ったときに、僕はトイレに行きたくて仕方なくなった。僕がそわそわして吠えると、寿さんが

「大丈夫よ」

と言って体を撫でてくる。僕は撫でられるとチビッテしまうと思い、

「ガルゥ・ガルゥ」

と触れられることを拒否した。パパさんはどうもれおんは、トイレに行きたいみたいだと理解してくれ、最初のパーキングに入ってくれた。ママさんが車の後部でペットシーツを敷いてくれたので、僕はその上を二回回って放尿した。僕は車の中ばかりも飽きるので外に出たかったが、あいにくの雨で散歩はできなかった。我々は少しの休憩を挟んで、ドライブの続きを開始した。早朝の高速は比較的走りやすい。兵庫・大阪・奈良を渋滞なく走り抜け、我々一行は三重県の伊賀市に到着した。朝の八時三十分だ。出発が早かったので、目的地に着いてもまだこの時間だった。この施設は開園時間が早く、丁度開いたところだった。こんな時間に岡山ナンバーがやって来たのには、関係者も驚いているだろうと僕は思った。僕は車に乗ることは苦にしていない。三半規管が強いのか、車内での行動がよいのか、車で酔うことは無いからだ。車に乗ると、口を開けて涎を垂らす同胞がいるみたいだが、それは車酔いなのだ。そんな行動を始めたイヌがいたら、車を停めて外に出し、水分を取らせて、酔いを醒ましてあげる必要がある。また移動中も窓を開けて、常に風が車内に入るようにしてあげると、いくらか車に酔いにくくなる。

 今日は三重でも午前中は雨予報で、今も少し雨がおちている。僕は水を浴びると悲惨な顔になるので、クレートに入って移動することになった。昔のお殿様の駕籠かごみたいに、VIPになった気がした。伊賀上野城に入って行くと朝が早いせいなのか、雨が降っているせいなのかほとんど人影が見えなかった。いくつかの建物を見て回り、忍者屋敷が建てられている所にやってきた。僕たちはチケットを買い施設の中に入った。何人か家族連れがいたが、まだ早いので混雑するほどではなかった。僕はクレートの中から屋敷の説明を聞いていた。部屋のあちこちに段があったり、扉があったりして、忍者の屋敷は面白かった。隠し扉の説明になり、忍者の格好をした若いお姉さんが、

「この中に入ってみたい人」

と声を掛けた。お姉さんは小さな子供たちに向けて喋っているようだ。しかし、一番に手を挙げたのは、なんと四十を過ぎたおじさんだ。そう僕のパパさんなのだ。僕は「歳を考えろよ」と言いたかった。お姉さんを見ると、同じように「あなたに言っているのではないのだけどな」という苦い表情をしていた。僕はお姉さんに「うちの出しゃばりパパさんが空気を読めなくて申し訳ない」と心の中で謝った。パパさんの後にやっと子供が一人手を挙げたので、お姉さんはこの二人に体験してもらおうと思ったようだ。初めにパパさんが中に入った。隠し扉の中は、人ひとりがやっと隠れられるもので、どこかに繋がっているというタイプのものではなかったらしい。それを出てきて説明するものだから、後から入った子供の拍子抜けの感が否めなかった。パパさんは子供と同じように今を楽しむので、たまに周りから白い目で見られる。本人には悪気はないのでやっかいだ。一行はからくり屋敷を存分に楽しんで、屋敷を後にした。屋敷の同線上に、忍者に関する展示室があり、ここには手裏剣や巻物など、昔使用していたと思われるものが展示してあった。またまたパパさんは興味津々で一人写真をとったり、説明文を熱心に読んだりして楽しんでいた。あまりに長いので気が付くと、皆外に出ていなかった。展示室を出ると一行は、お城の天守に向かって歩き出した。場内は結構広く、天守までの道のりは、基本上りになる。捷さんと節さんは店主入り口で、足が痛いと言い出し、近くのベンチに座った。天守に登る石段はさらにきつくなっているので、中に入るのを諦めたようだ。建物の中に入っても、当然角度の急な狭い階段を上がるので、平均年齢の高い僕たち一行は、序盤から息を切らしていた。二時間かけて城内を見て回り、ヘトヘトになって車に戻った。このころになると雨は上がっていた。車に戻ると、ママさんがナビをセットしなおし、次の目的地に向かって車を出発させた。僕はママさんの膝の上に乗って、窓をカリカリして開けてもらい、外の空気をいっぱいに吸った。僕も少し酸素が欲しかったのだ。ママさんの膝の上という安心感と新鮮な空気で少し僕は落ち着いてきた。車内の会話が耳に入るようになった。次はご飯を食べに行くようだ。僕もそういえば少しお腹が空いてきたかなと思い始めた。

 城を出て二時間ぐらい走った所に、目的のお店があった。茶色の木造の建物で一般的なファミレスの造りに似ていた。一行は車を降り、僕にご飯を用意して、建物の中に入っていった。僕は一緒に入りたかったが、なかなか食べ物屋はハードルが高い。しかしそこはママさんが気を利かせてくれる。用意してくれたご飯は、おやつ入りで、いつもより美味しかった。自分たちだけではなく、僕にも特別なご飯を用意してくれたので沢山食べた。久しぶりに満足な食事だった。ご飯を食べ終えた僕は、パパさんの座席の下で少し横になることにした。運転席にはレバーのようなものが二個もついているので、少し邪魔だったが、パパさんの匂いがするこの場所が意外と落ち着く。一時間ぐらいして六人が帰って来ると、肉の匂いが服に染みついていた。僕は「ハハーン。パパさんたちは僕を差し置いて、松阪牛を食べたな」と匂いで分かった。特にパパさんから脂の匂いが強い。会話を聞いていると、やはりパパさんはこの店にある最高ランクのステーキを食べたらしい。何とパパさんの昼飯が八千円したみたいだ。ママさんたちも四・五千円の肉を食べたみたいだ。なんとも豪勢な昼食だ。パパさんは旅行時の食べ物は、決してケチらない。態々《わざわざ》遠くからやって来て、今度いつ来られるかも分からないのに、数千円をケチってどうするという思いがあるみたいだ。また、折角せっかく来たのだから、名物の物を食べようとする。ママさんもその意見には賛成のようだ。しかし、パパさんの場合予約というものをあまりしない。そういうお店は、予約してない限り必ず待ち時間が長いのだが、パパさんのスケジュールでは、待ち時間を計算していない。予約もしないのに、待ち時間を計算しないとはパパさんもかなり強引だ。以前別の旅行の時に、昼食の時間を六十分ぐらい予定していた店に行くと、二時間待ちの状態だった。その時は、そのまま昼食を取らずに行きたい所を優先し、昼食抜きだった。妥協してファミレスで食事をするのは、時間がもったいないと思うようだ。僕は基本同じ食べ物しか与えられないので、食に関してこだわりようもなく、食の内容を重視する人間の気持ちはあまりわからないのだが・・・。当然、パパさんたちが食事をしない時は僕の昼食もない。パパさんの旅行時はそんなことが良くある。皆分かっているから、大量のお菓子を車に積んでいるのだ。一度ママさんが「なぜ予約しないの」と聞いたことがある。パパさんいわく、「予約してもその時間に到着できるか分からないし、ご飯の為に観光を端折はしょるのも嫌だから」と言っていた。確かに「ご飯の予約まで後一時間だから、美術館は十五分ね」と言われると、じっくり作品を見ることができない。観光地は規模が分からないので、滞在時間を計算しずらいのだ。美術館といっても大原美術館のよう2時間あれば十分回ることが出来る場所と大塚国際美術館のように最低4時間はかかる所とでは全然違う。旅行には時間という制限があり、その中で優先事項を毎回設定しているようなのだ。食事が優先の旅もある。その時には皆、腹がはちきれないばかリ食べたが、食べきることができなかった。

 僕は先程ご飯を食べたので、トイレに行きたくなった。ママさんがいつもの通り、車の後ろにシートを敷いてくれていたので、いつも通り排便を済ませて、後部座席の則さん捷さんの間を通り抜け、前に移って行った。パパさんがシートを片付けてくれている間に、助手席のママさんの所まで歩いていき、膝の上で丸くなった。座席を移動して鼻を利かせると、パパさんとママさん以外はアルコールも摂取していることが分かった。パパさんが準備を整え、車が走り出した。少し経つと、車内はみんなグッスリお昼寝タイムになった。朝早く起きて、しっかり動き、アルコールが入ると当然だろう。パパさんはしっかり起きているので流石だなと感心した。僕もご飯を食べて、トイレに行くと同じように眠くなるので、ママさんの左腕に頭を載せて、目を瞑った。車は一時間ほど走って、十五時過ぎに外宮(げくう)に到着した。ここが今回の旅のメインである伊勢神宮らしい。車を駐車場に止めると僕はさっそく先頭を歩いて、中に入ろうとした。先行する僕をママさんが連れ戻し、抱きかかえて、クレートに入れた。ここでも駕籠の中の殿様気分が味わえるのかと思ったら、なんと入り口の小屋みたいなところにクレートのまま置き去りにされた。僕は必死になって吠えたが、六人はそのまま行ってしまった。ここの施設に僕たちは入れないみたいだ。一行が見えなくなると、寂しかったが今日は疲れたので、クレートの中で少し寝ることにした。

伊勢神宮の外宮は豊受大御神とようけのおおみかみを祀っており、この神は、天照大神あまてらすおおみかみ御饌都神みけつかみ(給仕係)とされている。伊勢神社の参拝作法は、神宮祭典じんぐうさいてんが〝外宮先祭げくうせんさい〟と言われるように、まずこの外宮の豊受大御神を参拝することから始まる。豊受大御神がいらっしゃる正宮(しょうぐう)皇大神宮こうたいじんぐう〟を参拝し、別宮一位の〝多賀宮たかのみや〟から〝土宮つちのみや〟〝風宮かぜのみや〟と、西に少し行ったところにある〝月夜見宮つきよみのみや〟の四つの別宮を参拝する。外宮を一通り参拝した後に、内宮を参拝するのが作法みたいだ。しかし、時間に余裕がないとすべてを参拝するのは、なかなか難しい。〝月夜見宮〟は、正宮からいくぶんか離れた所にあるからだ。ただ、お守りは外宮と内宮の二つセットで効果が高められるようなので、必ず外宮でも入手しておくべきもののようだ。天照大神は豊受大御神がいないと、力を十分に発揮できないと云われている。

 僕が外宮入り口の預り所でウトウトしていると、パパさんたちが一時間ぐらいして帰って来た。僕は置いて行かれないか気が気ではなかったが、ちゃんとママさんが迎えに来てくれた。僕は「何かお願いしたのかな」と思っていた。皆が車に乗りこみ、車の中の会話を聞いていると、ママさんが僕と同じ質問をした。

「何お願いしたの?」

とパパさんに聞いたので、パパさんが

「伊勢神宮って、お願いするところではなく、感謝の気持ちを伝えるところらしいよ」

と言った。僕は「あらそうなの」と思った。個人的なお願いをするところではないようだ。

 車は外宮を出て、ホテルに向かって走り出した。車内でママさんが電話を掛け始めた。何やら鳥羽駅でホテルの人と待ち合わせをするようだ。僕は、『ホテルの場所がわからないのかな』と思ったが、「ナビがあるのになぜかな?」とも思った。ママさんの膝の上に座って、運転しているパパさんを見た。かれこれもう相当な時間運転している。僕はパパさんが心配になったが、外宮から駅まではそんなに時間は掛からなかった。駅に到着して、辺りを見渡してみたが、まだそれらしい車は見当たらない。駅にはいくらかフリースペースがあり、そこに車を停めて少し待っていると、旅館の名前が車に書いてある観光地ではよく見る車がやって来た。ママさんとパパさんは車から降りて話を始めた。続いて後ろの四人が荷物を持って車を降り始めた。「ん?どういうことだ」僕は状況が呑み込めない。外での話を聞いてみると、どうやら僕たち三人とシニア四人は別々の宿をとっているみたいだ。こんなに遠くまで来て、別々に宿を予約するのは、なんとも奇妙な行動だ。さらに話を聞いていると、パパさんママさんが企画した旅行に、後から四人が追加で参加したみたいだ。同じ宿が取れなかったので、仕方なく別々の旅館にしたみたいだ。

 明日の集合時間を朝の八時三十分に決めて、僕たちはここで四人と分かれた。僕たちは、自分たちの宿泊するホテルに車で向うことにした。実は四人には内緒だが、ホテル周辺にちょっとした観光スポットがあるようだ。パパさんは夕暮れに近かったが、そこにも寄ることにした。目的の場所は、駐車場が分かりにくい。狭い所をグルグル回って、ここかなと言う所にパパさんは車を停めた。駐車場からお目当ての場所は少し歩くようなのだ。十月も後半なので暮れなずむ海は、風がきつく冷たい。僕も海岸沿いを歩いたが、寒くて足が前に進まない。いつもの通り、お座りをして歩くことを拒否すると、ママさんも無理に引っ張ったり、僕が動くまで待ったりすることは無く、すぐに抱きかかえて、見るべき場所まで連れて行ってくれた。海沿いに赤い鳥居が建っている場所だった。海岸沿いなので、そんなに見る物も無く、時間も遅いのでたぶん店もしまっていたのだろう。二・三枚写真を撮ってすぐに駐車場に向かった。パパさんもママさんも疲れていたのだろう。駐車場に戻ると、すぐに車は出発した。本日の最終目的地、ペットと泊まれるホテルに向かった。ママさんが一番楽しみにしていたのは、実は伊勢神宮でも松阪牛でもなくこのホテルだった。「旅行の話を始めた時に、ペットと泊まれる宿に行く。」というのがママさんの最大の希望だったのだ。車は十分もしないうちにホテルに到着した。手続きを済ませると、パパさんはすぐにお風呂に入ることにした。パパさんのいつものルーティーンだ。ゆっくりする前に必ずお風呂にはいる。パパさんは着替えを用意して、共同のお風呂に一人でサッサと向かった。「ママさんもお風呂に行くと、僕は一人になってしまう」と思い、ママさんを見上げて「僕をどこともわからない所に置いて行くなよ」と訴えた。僕の訴えが通じたのか、ママさんは部屋に残り、僕と遊んでくれた。僕はお腹が空いて来たので、ママさんにご飯をくれとせがんだ。ママさんは

「パパさんがお風呂から帰ってきたら、ご飯だからもう少し待ってね」

と言った。僕はやだやだと吠えた。ママさんは僕を叱って、無視をし始めた。僕は吠えても無駄だと思い、吠えるのを止めて、おしっこをした。トイレをするとママさんはすぐによって来て、シートを替えてくれる。おしっこ成功でヨシヨシしてくれるので、僕は調子にのって、またお腹が空いたとアピールしてみたが、またママさんに怒られた。しつこく吠えると今度はボールを取り出して、ボール遊びを始めた。僕は反射的にボールを追いかけて、くわえていた。「咥えたものは持っていくしかない」と思い、ママさんにボールを届けた。ママさんは頭を撫でてくれ、またボールを投げた。しかし、僕はオーバーワークで疲れていたので、もうボールを追いかける気力もなかった。投げられたボールを見送り、ママさんが用意してくれたベッドに行って、丸くなった。少しして、パパさんがお風呂から戻って来た。僕はパパさんを見て、これからご飯が食べられると思い、パパさんに近づいて早くご飯と吠えせかした。パパさんは僕を抱きかかえ、リードをした。「お腹が空いているのにリード?散歩でもいくのか」と体をよじって拒否した。僕は抱きかかえられたままエレベーターにのせられた。途中の階の扉が開くと、そこは食堂だった。ペットと泊まれるホテルだけあって、ご飯もペットと一緒にできるようになっていた。テーブルとテーブルの間に距離があり、犬同士が接触しにくいようになっていた。また、テーブルの横の壁にリードを引っ掛けておくことができるようになっていて、リードを持ったまま食事をしなくていいように配慮されている。しかし、犬同士は自分の守備範囲に別の犬がいるので、ご飯どころではない。自分のテリトリーを確保するために必死で、ご飯はどの犬も、ご主人の合図と共にすぐに食べ終え、隣の犬と臨戦態勢に入る。ワンワン・キャンキャンうるさくて、人間がゆっくり食事できる状況にない。旅で楽しみだったホテルの食事が、吠える犬の対処であまり味も分からず、正直どのような食事内容だったのか思い出せないほどだ。特に僕は隣のチワワとの壮絶な罵りあいを繰り広げていたので、ママさんはその度に僕を叱って、リードを操作していた。パパさんは落ち着かないので、ご飯を食べ終えると、早めに部屋に引き上げようとした。すると仲居さんが

「最後にデザートがあるので、もう少しお待ちください。」

と慌てて言いに来る始末だった。僕は、パパさんとママさんに申し訳ないと思いながらも、隣にいたチワワが気になってしょうがない。リードがもう少し長ければ掴み合いの喧嘩になる所だったが、鼻先まででお互いあと一歩届かない。僕は力いっぱい吠えた。ママさん同士は、僕たちの喧嘩を見ながら、「家の子がやかましくて御免なさい」みたいな会話をしている。パパさんたちのデザートが来ると、二人ともすぐに食べ終え、食堂からそそくさと出て行った。廊下を歩いている時にママさんが、僕に

「れおん、ご飯美味しかった」

と話しかけた。

僕は

「ワンワン」

と言って、「いつもより美味しかったよ」と答えた。実際いつもより肉が多くおいしかったのだ。

ママさんは

「れおんのご飯もここのホテルが用意してくれたのよ」

とパパさんに説明した。

 部屋に戻ると、館内にドッグランがあることを知ったママさんは、パパさんを連れてそこに向かった。扉を入ると三十畳ぐらいのスペースがあり、椅子といくらか犬の玩具おもちゃも置いてあったが、ほとんどフリースペースで走り回れるようになっていた。僕は疲れ切っていたので、もう体力の限界だった。パパさんも朝早くから、運転してほとんど限界に近かった。ママさんだけが、車で寝ていたのでまだまだ元気だった。館内のドッグランで、ママさんが僕を必死に走らそうと努力したが、僕に走れる体力は残っていなかった。無理なものは無理なのだ。ご飯を食べたからと言って、走り出せるはずがない。僕はもう眠くて仕様がなかった。ママさんはドッグランでだめなら次とばかりに、僕とパパさんを連れて、違う部屋に移動した。ここでは写真撮影ができるようになっていた。「そういえばご飯を食べる前に写真撮影の予約をしていたぞ」と僕は思い出した。ママさんは結構高額を払っていたが、写真の出来上がりが今一つ納得できるものではなかった。僕も三枚しか撮影しない上、思ったような写真映りになっていない気がしてならない。このカメラマンは本当にプロなのかと疑いたくなった。パパさんもママさんも写りが気に入らないようだった。しかし、もうどうにもならないので、三枚の中で比較的良いと思われるものを選択し購入していた。それが今でも我が家の寝室に飾られている。

 正直僕はもうヘトヘトだった。ママさんを見るとまだ、目が輝いていて、次にどこでれおんを遊ばせようかと考えているようだった。僕はもう勘弁して欲しいと思ってパパさんを見ると、パパさんの方もどうも限界らしく、パパさんが部屋に帰えろうと言い出した。「僕はパパさん万歳」と心の中で拍手した。

部屋に帰るとママさんは

「お風呂に行ってくる」

と言って部屋を出て行った。男性陣二人は、扉が閉まった次の瞬間夢の中だった。

 翌朝目覚めて、窓の外を見ると景色が見える部屋ではないことが分かった。海に面して立っていたホテルだが、僕たちの部屋は内陸部を向いていた。まあ、到着時に外が見える時間ではなかったので、ママさんも別に気にもしていなかったようだ。僕は朝のルーティーンで、寝起きに水を飲んで、シートで放尿をする。すっきりすると、ママさんの鼻を舐めに行った。大体家うちは、パパさんが一番に起きる。寝るのが早いので起きるのも早いのだ。次に僕が起きて、最後にママさんが起きるのだ。大体ママさんは、僕が起こしてあげる。ママさんのベッドに飛び乗り、鼻をペロペロすると、ママさんが

「ンニュ・ンニュ」

言うので、僕がママさんの上に乗って体重をかけると、だいたいママさんは目覚める。二人とも目覚めると、朝ご飯の時間まで、出発の支度を始めた。僕はもうひと眠りとばかりにベッドに行き丸くなった。朝七時に、前日の夕食とは違う部屋で、バイキングを食べにいった。僕たちは食堂に一番乗りだった。パパさんとママさんは旅行時、朝できるだけ早い時間の朝食を希望する。六時に朝食ができるのであれば六時ぐらいがいいみたいだ。ここの食堂では、籠に入れられて、僕もパパさんとママさんと一緒に席に着いた。僕のご飯は無かったが、おなかは空いていなかったので問題はなかった。僕はまだ眠く、籠の中で丸くなっていて、大人しかったので、パパさんもママさんも少しはゆっくり食べられたのではないかと思った。食堂から海を眺めると、丁度よい散歩コースが海沿いに広がっていた。ご飯を食べ終わると、皆で外に出て、その海沿いの道を少し歩いた。海に照らされた朝日が綺麗だった。僕は散歩中、朝のマイナスイオンをしっかり吸い込んだ。足をとめ、海を眺めていた二人を見上げた。お似合いのカップルだ。僕も黙って海を見始めた。僕は、「今日も一日パパさん、ママさんと一緒にいられる」と思うと、自然とうれしくなってきた。普段何かと忙しい二人が一緒に居てくれる時間は少ない。僕の旅行の醍醐味は、まさにこれだ。

 部屋に戻り出発の用意を済ませて、チェックアウトをした。待ち合わせ時間を確認して、昨日と同じ駅に向かった。十分前に駅に到着し、別の旅館に泊まっている四人を待った。ほぼ時間通りにホテルの送迎が駅に到着し、シニア四人と合流して、僕たちは伊勢神宮の内宮に向かった。駅から十数分で伊勢神宮内宮の駐車場に到着した。この時間はまだ人出も少なく、駐車するのに待つこともなかったが、すでにいろいろな県の車が駐車場に止まっているのには驚いた。駐車場から、内宮入り口までは少し距離がある。僕たちはパパさんを先頭に、目的地に向かって歩き出した。しかし、パパさんは少し方向を間違えたらしく、内宮に表通りから一本横の、裏通りを歩いて内宮の入り口に向かった。僕は裏通りの方が、人が少なかったので、歩きやすかった。内宮入り口に到着すると、テレビや雑誌で有名な鳥居と橋が、絵のように綺麗だった。橋の手前は意外と広くとってあるが、朝九時なのにすでに人がいっぱいで、広さが感じられなかった。僕は張り切って先頭を歩こうとしたが、またまたママさんに抱きかかえられて、橋の手前の預り所で、僕は待たされることになった。僕は今度ばかりは一緒に行きたかったので、

「ワン・ワン」

と言って、連れて行って欲しいとアピールしたが、六人は鳥居をくぐって行ってしまった。僕は

「キューン・キューン」

と言って寂しいよと訴えた。橋を渡っていたママさんが

「れおんが哭いている」

とパパさんに言っていたので、声は届いたようだが、思いは届かなかった。

 伊勢神宮の内宮は外宮と違い右側通行だ。ここには日本国民の総氏神そううじがみであり、最高上級神である天照大神(あまてらすおおみかみ)を祀っている。地上においての最高神は、出雲大社の大国主命(おおくにぬしのみこと)で、旧暦の十月を〝神無月かんなづき〟と言いうが、出雲大社のある島根県だけは〝神在月かみありつき〟という。これは、全国の八百万やおよろずの神が出雲大社のある島根に集まるからで、出雲では〝神迎祭かみむかえさい〟〝神在祭かみありさい〟〝神等去出祭からさでさい〟と神を迎え、送り出すまで、祭りという名の接待を行うようだ。

天照大神は、さらにその上に位置する特別な神である。日本国政府も神社の格付けを否定しながら、伊勢神宮を除いては同格であるとして、ここだけ特別扱いをしている。伊勢神宮は歴史も古く、平安時代の文献にはすでに数多く記載があり、悠久の時を感じることができる。また皇位を象徴する宝物ほうもつとして〝三種の神器じんぎ〟があり、その一つである八咫鏡やたのかがみが、伊勢神宮に収められていると信じてられている。残りの草薙剣くさなぎのつるぎは、愛知県の熱田神社に、八尺瓊勾玉やさかにのまがたまは皇居に保管されていると言われているが、オリジナルなのかレプリカなのかも含めて、誰も見たことが無いので、詳細は明らかではない。天皇すら見たことが無いようだ。

内宮ないくうの鳥居の横で僕は、「パパさんたちが、そろそろ皇大神宮こうたいじんぐうまで行き、天照大神に御幌みとばり(白い布)越しに、お礼を述べているのだろうか」と考えていた。

 伊勢神宮に思いを馳せると僕はある思いが湧いてきた。外宮の豊受大御神とようけのおおみかみは給仕係と言われているが、僕は違う気がしてきたのだ。天照大神は豊受大御神がいないと何もできない。力を発揮できないとされているのはなぜなのか?なぜ外宮が北にあるのか?なぜ外宮と内宮の通行が反対なのか?手水舎がある方を通行するのが一般的と言われているが、ならばなぜ手水舎の位置を同じように作らなかったのだろう。また、伊勢神宮が建てられた時代の常識は、位の上の人が北に居て、南を見ていることが普通だ。そう考えると伊勢神宮の作り方は異常だ。給仕係に過ぎない豊受大御神が北にいて、主人である天照大神が南にいる作りになっている。



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