ファンタジーオブザデッド
眠りに似た感覚の中から引き上げられる感覚。
もう少しまどろんでいたいというのにと思う気持ちを、若い女性の悲鳴にも似た叫び声が無理やりに覚醒させる。
「お願いです! 助けてくださいっ! 目を開いてっ!」
聞き覚えのない声だ。
無視してしまいたいのは山々だったのだが、何やら胸倉を掴まれてこちらの体を容赦なく前後に揺さぶっている気配がするので、このまま放置しておくとこちらの身に危険が及びそうな気がする。
何となく感じる嫌な予感に従って、重い瞼をこじ開けるようにして目を開くと、思った通りにこちらの胸倉を掴んでいる人物と目があった。
「あ……」
驚いた表情をしているのほあ、年の頃は多分俺と同じくらいの十代後半から二十代前半に見える女性。
こちらが何か固い床の上に寝かされているような姿勢でいるので、それに覆いかぶさるような格好になっている。
なので全身がどうなっているのかを見ることはできないのだが、見える範囲で言うと何だかひらひらが多くて青を基調とした、創作物の中に出てきそうな魔法使いっぽい衣服を着ていて、こちらを見つめている顔は水色の長い髪に縁取られていた。
追い詰められた者特有の緊張感に揺れる瞳の色は衣服と同じような水色であり、顔立ちはかなり整っている。
あまり目に優しい配色だとはとても言えないが、コスプレだとかカラコンだとか言うカタカナなんとなく脳裏を横切っていく。
そんな彼女の細い両手はしっかりと俺のシャツの胸倉を握りしめていて、安物で紺色のシャツがすっかりとしわだらけになってしまっている。
「助けてくださいっ!」
「どちらかと言うと助けて欲しいのは俺の方なんじゃないかと思ったりするんだが」
状況の方は全く分からないが、コスプレ風の女性に胸倉を掴まれているのだ。
これでどちらが被害者なのかと問われれば、結構な確率で俺の方だと言い切ってもいいのではないかと思うのだが、女性はそんなことにはお構いなしに俺の胸倉を右手で掴んだまま、左手で自分の背後を指さした。
「私からじゃありません! あれから助けて欲しいんですっ!」
そう言われてもさっぱり現在の状況というおのが俺には飲み込めない。
飲み込めないのだが彼女が指さした方向に、何かしら現在の状況が分かるようなものがあるのだろうと考えて、俺はまず俺の胸倉を掴んでいる彼女の手を軽く叩く。
彼女の背後を見るためには、少なくとも俺の半身を起こす必要があり、その行動は彼女に胸倉を掴まれたままでは実行しづらい。
だから離して欲しいという意味を込めて彼女の手を叩いたのだが、こちらの意図は正しく彼女に伝わったらしく、すぐに俺の胸は解放された。
ほっと息を吐きつつ、まずは半身を起こしながら現状と周囲の確認を試みる。
まずは記憶の確認。
俺の名前は空木 想也。
年齢は二十二歳でフリーターの男性。
日本人で少々癖のある黒髪と黒い瞳。
身に着けているのは安物で紺色のシャツとジーンズにスニーカーで、それ以外はポケットに入っていたはずの財布も、腕にしていた時計もなくなってしまっていた。
何かしらよくない人種に拉致されたのではないかと思ってしまうが、もしそうだとすると目の前にいるコスプレ女性の存在に理由がつかない。
どういうことなのか考えてみようにも手持ちの情報が少なすぎるので、これらについては一旦保留しておく。
次に周囲の状況だが、体の下の床も天井も全て石造り。
クラフトのあるサバイバルゲームで言う豆腐ハウスのように、正方形に見える部屋を囲む四方の壁には窓がなく、代わりに何故か壁自体が燐光を放っているので一応視界は確保されている。
出入口は一つだけ。
それが女性の背後、数メートル程離れた所にあるのだが、問題はその扉さえついていないただの穴であるそこにあった。
それを言い表す言葉を、俺の乏しい語彙の中から探そうとすると、動いている死体、あるいはゾンビという言葉しか見つけることができない。
土気色の肌に白く濁った瞳。
生前は兵士か何かだったのか、簡素な革鎧を身に着けた男性と思われるそれが三体。
何もないはずの部屋の出入口に、まるで目に見えない透明な壁でもあるかのように肘を当て、何もない空間を拳で叩いていたのだ。
拳が何かを叩くたびに、拳の当たったところに小さな火花が飛び散るのだが、その光景は何となく俺に嫌な予感を抱かせる。
「なんだあれ?」
「ゾンビ、だと思います!」
「あぁ、見たままなのね……それで君は誰なわけ?」
「ハイランド王国、宮廷魔術師第三位。クロエと言います」
「想也だ」
「お名前、ソーヤさんと言うんですね」
俺が半身を起こしたことで、俺の上から体をどけたクロエと名乗った女性はぺたんと床に座り込んだ姿勢でこちらを見ていたが、出入口にいるゾンビ達がうめく声と、叩かれた空間が火花を飛び散らせる音とにびくりと体を震わせるとまた、こちらの胸倉へ両手を伸ばしてきた。
たぶん、恐怖から来ている行動だとは思うのだが、俗にいうハイライトの消えた瞳でもっておろおろとこちらに手を伸ばしてくる様子は、彼女の整った要望と相まってなんとなく怖い。
まさかこいつもゾンビの一種なのではないだろうかと思いながら俺は胸元に伸びてきた手を払いのけ、ついでに正気に戻ってくれることを願いながら彼女ことクロエの額に少しばかりきつめにデコピンを入れる。
小さく悲鳴を上げて、打たれた所を両手で押さえて仰け反るクロエにわずかばかりの罪悪感を感じつつ立ち上がり、また掴みかかられてはたまらないので彼女から距離を取ろうとするが逃げ場がない。
というかここは一体どこだと言うのだろうか。
先程クロエはハイランド王国という言葉を口にした。
しかし俺の知る限り、そんな国名はたぶんない。
外国のどこかにそんな地名だか地域だかがあったような気はするが、仮にここがそこなのだとしても彼女が名乗った宮廷魔術師の第三位であるとか、いまだに虚空を叩き続けているゾンビにしか見えない代物についての説明がつかなかった。
ただ一つだけ。
こういった諸々の説明がつかず、理解が追いつかず、訳の分からない状況を一言で説明してしまえる魔法のような言葉がある。
現代日本において、何故か不思議と日本人ばかりが狙い撃ちされる創作上の現象。
現世においては特に目立ったこともなかったり、むしろマイナス的な立ち位置にいる者が急にちやほやされたり、異性にモテまくったり、周囲から有能さのあまり称賛を浴びまくったりするという空想世界に一発逆転劇。
人はそれを異世界転生。
もしくは異世界転移と呼ぶ。
大体の場合、そういう創作物の主人公は何かしら普通ではない異能を授けられて異世界へと赴くパターンが多いように思うのだが、俺の場合はわざわざ間違って殺してしまったことを謝りに来たり、永遠にも思える時間の暇潰しに面白がって顔を出してくるような超常の存在には出会っていない。
そういうハズレ的な設定も最近は増えてきたらしいが、当事者としては非常に不満だ。
しかし、いくら不満に感じてみても実際に無かったものをいまさらどうこうすることもできない。
もしかしたら自分では気づいていないだけと言う可能性もないわけではないのだし。
「質問がある。レベルとかステータスとかスキルといった言葉に聞き覚えは?」
「いいえ、全く」
デコピンされた所をさすりつつ、クロエははっきりと否定した。
なるほどどうやらゲームまがいの設定がまかり通る世界ではないらしい。
これは、たぶん悪くない話だ。
これで数値の差が覆しようのない絶対の差になるのだ、とどこぞの誰かにドヤ顔で言い放たれるような世界であったのならば、憤死してしまう可能性がある。
「俺は何故ここに?」
「私が……私が異世界からの召喚儀式で呼びました」
クロエが額をさすっていた手をおろし、申し訳なさそうな顔で言う。
「誘拐と同義の行為であるとは分かっていたのですが、他に頼りにするものもなく」
「まぁその辺りの話は後でゆっくりするとして、まずは……」
俺は部屋の出入り口を見る。
そこには相変わらず何も見えない空間へひたすら拳を打ち付けているゾンビ三体の姿がある。
「アレをなんとかしなけりゃならないんだろうけど。俺にどうこうできる代物なのかアレって……」
「できない場合、多分二人仲良くアレの仲間入りになるかと」
「あ、あれってやっぱり殺されるとゾンビになるのか」
不安そうなクロエからもたらされた情報に、俺は深々と憂鬱な溜息を吐き出したのであった。
面白いなとか、もっと書けなどと思われましたら。
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