4 謎かけ遊び2(侍女の証言)
翌晩、床の中で微睡む三毛猫姫に、明衡が声を掛けた。
「昨日の続きは、話してくれないのかい?」
三毛猫姫が小さな欠伸をしたから、慌てて、「勿論、君が疲れていなければ、だが……」と付け足す。
明衡としては純粋な気遣いのつもりで言ったのだが、姫は恥じらうように「嫌だわ」と身体をしならせて、クスクス笑った。
「昨晩は姫の話でしたわね。では今日は、侍女の話をいたしましょう」
「侍女の話?」
「侍女から見た一家と事件について、です」
三毛猫姫はゆっくりと身体を起こすと、襦袢を羽織った。髪を掻き上げ、前夜の続きを語り始める。
* * *
その家で働く侍女も、一応は貴族に連なる家柄の娘であった。『一応』と前置きをしたのは、富も血筋も、姫の家に比べれば格段に落ちるからだ。
侍女の父は、姫の父とは正反対の真面目一辺倒な男だった。学者肌で、世渡り下手。そのせいで、さしたる役職にもありつけず、生活はいつでも困窮していた。
だから、娘である自分が働かざるを得なかった。それで縁者の伝手で、姫の家の侍女となった。
宮中では、高い教養をもつ女房を、女御や中宮の教育係に迎えるのが流行っているという。
漢詩や和歌を一通り父に教えられていたから、自分のそういうところが姫の父の目に留まったのかもしれない。姫の世話役兼指南役として期待された、というわけだ。
侍女の目から見た奉公先の主人は、本当に酷い男で、少しでも気に障ることがあると、彼の妻や娘に暴力を奮う。
何度、主たる姫の傷を拭い、腫れを冷やしてやったことか。痛みに歯を食いしばる姫を見ていると、自分の心まで痛みに震えてくる。
主人は、家の外で感じた苛々や鬱屈を妻や子で晴らしていたのだと思う。
外面だけは、とても良いようだった。その甲斐あってか、地方の国司にも何度か任ぜられていた。
妻子への暴行は気分の良いものではなかったが、そこにさえ目を瞑れば、侍女としての生活は保証されていたのだ。
侍女は、基本的に姫付きということになっていた。だが、邸には他の侍女がいなかったから、必然的に姫の母親である、お方様の面倒もみることになる。
途中で妾が加わってからは、主人の命で、彼女の世話をしてやることもあった。
妾の女は、姫の二つか三つ年上だと聞いていた。
艶っぽい美人で、多少殴られても卑屈な顔を見せたりはしない。それどころか、主人が手を挙げたら、逆に甘えて返すような度胸のある女だった。
女が「嫌だわ」、「よしてくださいな」としなを作ると、それで主人は殴る手を止めるのだから、大した女だと内心感嘆した。
もし年齢を聞いていなければ、もっと上だと思っただろう。
はっきりと聞いたことはないが、女は、主人に拾われるまで、あまり良い生活をしていなかったらしい。
常々、「ここをつまみ出されて、食うに困る生活をするより、少しばかり殴られても、うまい飯と住む場所があるほうがマシだわ」と繰り返していた。
だが侍女は、それは所詮、女の強がりだとみていた。
何故なら、彼女が殴られた後、背を向けている主人を、昏い瞳で刺すように睨んでいたのを見てしまったから。
逃げ出したいけど、逃げても辛い。そういう葛藤があるのだろう。
わざと達観したような態度をとっているのは、相反する願望に、心が蝕まれているからだ。
そんなこんなで、家中の女たちが、心身の傷を、表面上は繕いながらも、日々は続いていた。
ある晩のことだった。
庭の方から聞こえてくる騒がしさに、侍女は「はて、何事かしら?」と部屋の外を覗いた。
常なら、すでに寝静まっているはずの時間である。今日は主人が酒を飲んでいたから、ひょっとしたら、お方様か姫さまが犠牲になっているのかもしれない。
それで騒ぎが起きたのか。
酷いことになっていなければいいけれど……
重く沈む気持ちを堪えて、一度、部屋に引っ込む。燭台に火を灯して、庭のあたりに明かりを向けた。
今晩は月明かりが薄いのか、外は暗い。
目を凝らすと、池の側に立っている主人が見える。
小太りの身体が、前後にふらふらと揺れている。やはり相当飲んだようだ。
側に女がいた。
お方様だろうか。酩酊した夫を案じて、ついてきたのかもしれない。
いつも殴られて憎んでいるくせに、こういう行動をとるところは、理解不能だった。
その時、別の女が屋敷の方からやって来るのが見えた。姫さまの背格好ではないし、母屋のほうからなので、愛人だろう。
妾の女の影が二人に重なり、大きな一つの塊になる。
その瞬間ーーー
「あっ……!?」
主人らしき身体が、前のめりに大きく揺れた。
その背を追うように、影の中から手が伸びている。お方様か、妾のものか……ーー?
主人の身体が池の中にボチャンと落ちる。
大きな水しぶきが上がった。
慌てて下足を履いて庭に降りた。駆け寄ると、どこから現れたのか、池に入った姫さまが蒼白な顔で、主人の着物を引っ張っていた。
非力な姫様では、引いても引いても、びくともしない。
騒ぎを聞きつけた下男がやって来て、すぐに姫様に代わり、主人を引き上げた。
下男に助け出された身体はグッタリと力が抜けている。
詳しく診るまでもない。救助の甲斐なく、主人はすでに事切れていた。
姫さまが真っ青な顔で悲痛に叫んだ。
「お母さまが殺したのではありません! 母さまは無実です」
殺した、ですって?
侍女は驚いた。
てっきり、先ほど影の中から伸びて見えた手は、池に落ちる主人を掴もうとしたものだろうだと思っていたから。
女たちのうち誰かが助けようとしたのだろう、と。
だけど、それはもしかして、背を押した下手人の手だったのか。
主人が立っていたあたりに燭台の明かりを向けると、お方様と妾が並んで立っていた。どちらも驚愕に目を瞠っている。
姫さまによると、お方様は手を触れていない。それならばーーー
「では、ご主人様を殺したのは……」
侍女はゆっくりと、燭台を妾の方へと向けた。
疑惑を向けられたことに気づいた女の顔が、光に照らされ、怒りに染まる。
* * *
「犯人はもう決まりだろう?」
話を聞き終えた明衡が、「簡単だったな」と笑った。
「母親と妾が一緒にいて、母親は殺していない。それならば、侍女の言う通り、妾が犯人なのであろう?」
三毛猫姫は人差し指をピンと立てて、明衡の唇に触れた。まるで彼の性急な結論を押し止めるように。
「お待ち下さい、明衡さま。まだ、この話は続きがあります」
ぱっちりとしたツリ目を細めて、いたずらっぽく笑う。その顔を見て、明衡は思わず眉を顰めた。
「まさか……続きはまた明日、ということか?」
三毛猫姫がコクリと頷く。
「参ったな。こりゃあ、いつまで続くんだい?」
別に、ここに来るのは構わない。姫は可愛らしいし、少し高めの体温は、抱いていて心地よい。
だけど、その心地よさとは裏腹に、明衡の鋭い鼻がヒクヒクと反応する。立て続けに足を運ばせようとさせる策に、何らかの裏を感じて、臭うのだ。
何の意図があって、こんなことをするのか。この姫の策謀に、乗るべきか反るべきか。
迷った明衡は、姫の瞳を覗き込んだ。すると、たちまち、あの不思議な魅力に絡み取られた。
化かされているかもしれない。
喰われるのかもしれない。
だけど、了承せずにはいられない。
「……分かった。分かったよ」
姫の身体を抱き寄せる。姫は心得ているかのように、自然に明衡に寄りかかった。
擦り寄る彼女は、やはり温かい。
温かく、安らぐ……はずなのに、同時に、彼女を見ていると、彼女に触れると、妙に胸が騒ぐ。
今まで女性を前にして抱いたような、明るく弾むようなものとは、少し違う。
もっと不安定で不確かなもの。彼女に頼まれると、否と言えない、言ってはいけないような気がするのだ。
その時、不意に馬鹿げた妄想が明衡の心にストンと落ちた。
あぁ、そうか。きっと彼女は人ではないのだ。
人ならざるものーーーやはり、あの時、助けた三毛猫なのかもしれないな。
とんでもなく馬鹿げていたはずの妄想は、綺麗に落ちてしまうと、妙にしっくりと心に収まった。
猫ならば、仕方があるまい。
「必ず明日も来ると、約束しよう」
明衡の言葉に、三毛猫姫が嬉しそうに身を寄せていた。
「そういえば、明衡さま?」
「ん? なんだい?」
「先程の話、まだ大事な前提をお伝えしていませんでしたわ」
伸びやかで耳障りの良い声が、心地よく明衡の耳に届く。
「前提だって? 何のことだい?」
明衡が尋ねると、姫は明衡の胸の上に乗せた頭を、小さく持ち上げた。不思議な色彩を帯びた瞳でがこちらを見つめている。
「明衡さま、ご注意なさいませ」
そして姫は、彼女が始めた謎解き遊戯とやらの、前提とやる大事な決め事を告げたのだった。
◇ ◇ ◇
ここまでで一度話を切って、時峰は「いかがですか?」と、土筆の反応をうかがってみる。
「そうですね。……小野明衡さまというのは、面白い方だな、と思いました」
「それは間違いありません」
小野明衡は、長年、親友をやっている時峰からしても不思議な男だ。
竹を割ったようなサッパリとした、わかりやすい男かと思えば、突拍子もなく、おかしなことを言ったり、やったりする。
普段、怪異の類を信じないくせに、突然、助けた猫だと言い出したように。
「侍女の話で、二夜目でしたね。姫の話はどこまで続くのですか?」
「どこまで続くと思いますか?」
土筆の質問に、質問で返す。少し考えるような間の後、御簾の向こうから声が返って来た。
「あと2人……か、多くても3人でしょうか?」
どうしてそう思ったのかと問うと、土筆がいつものごとく、淀みなく推理を展開する。
「この話の登場人物は、全部で6人ーーー三毛猫姫とお母様、先ほどの侍女と愛人、そして亡くなった主人と、その主人池から引き揚げた下男。でも、亡くなった人の視点の話が出るとは思えませんから……」
これまでの流れからして、母親と愛人の残り2人の証言はあるのだろう。あとは、下男の視点が加わるのなら、3人だろうという。
「ただ、下男は遅れて登場しているようなので、証言があるのかどうか、ですね」
「お見事です」
土筆の考えた通り、残る証言はあと2人。母親と妾のものだ。
だが、一筋縄ではいかないのは、ここから。
「それで、姫の提示した謎解き遊びの前提というのは、どういうものだったのですか?」
土筆の声音から興味を惹かれているのが分かる。御簾ごしでも、話しの続きを待つ気配がした。
「三毛猫姫は、この遊戯の前提となる決め事について、こう告げたそうですーーー『明衡さま、ご注意なさいませ。お聞かせする4人の話うち、2人の言う事は間違っているのですから』、と」
明衡から聞いた限り正確な表現で、繰り返す。
「間違っている……のですか?」
「えぇ、そうです。そして三毛猫姫は、明衡に改めて出題しました。この4人の言葉の中から真実を探し出し、犯人を当ててみせてください、と」
それこそが、三毛猫姫が小野明衡に出題した謎解き遊戯だった。
細々でも、途切れなく更新していきたい……(決意の呟きです)