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御簾の向こうの事件帖  作者: 里見りんか
第7章 化かされた明衡
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4 謎かけ遊び2(侍女の証言)


 翌晩、床の中で微睡む三毛猫姫に、明衡が声を掛けた。


「昨日の続きは、話してくれないのかい?」


 三毛猫姫が小さな欠伸をしたから、慌てて、「勿論、君が疲れていなければ、だが……」と付け足す。


 明衡としては純粋な気遣いのつもりで言ったのだが、姫は恥じらうように「嫌だわ」と身体をしならせて、クスクス笑った。


「昨晩は姫の話でしたわね。では今日は、侍女の話をいたしましょう」

「侍女の話?」

「侍女から見た一家と事件について、です」


 三毛猫姫はゆっくりと身体を起こすと、襦袢を羽織った。髪を掻き上げ、前夜の続きを語り始める。


*  *  *


 その家で働く侍女も、一応は貴族に連なる家柄の娘であった。『一応』と前置きをしたのは、富も血筋も、姫の家に比べれば格段に落ちるからだ。


 侍女の父は、姫の父とは正反対の真面目一辺倒な男だった。学者肌で、世渡り下手。そのせいで、さしたる役職にもありつけず、生活はいつでも困窮していた。


 だから、娘である自分が働かざるを得なかった。それで縁者の伝手で、姫の家の侍女となった。


 宮中では、高い教養をもつ女房を、女御や中宮の教育係に迎えるのが流行っているという。

 漢詩や和歌を一通り父に教えられていたから、自分のそういうところが姫の父の目に留まったのかもしれない。姫の世話役兼指南役として期待された、というわけだ。


 侍女の目から見た奉公先の主人は、本当に酷い男で、少しでも気に障ることがあると、彼の妻や娘に暴力を奮う。

 何度、主たる姫の傷を拭い、腫れを冷やしてやったことか。痛みに歯を食いしばる姫を見ていると、自分の心まで痛みに震えてくる。


 主人は、家の外で感じた苛々や鬱屈を妻や子で晴らしていたのだと思う。

 外面だけは、とても良いようだった。その甲斐あってか、地方の国司にも何度か任ぜられていた。


 妻子への暴行は気分の良いものではなかったが、そこにさえ目を瞑れば、侍女としての生活は保証されていたのだ。


 侍女は、基本的に姫付きということになっていた。だが、邸には他の侍女がいなかったから、必然的に姫の母親である、お方様の面倒もみることになる。

 途中で妾が加わってからは、主人の命で、彼女の世話をしてやることもあった。


 妾の女は、姫の二つか三つ年上だと聞いていた。

 艶っぽい美人で、多少殴られても卑屈な顔を見せたりはしない。それどころか、主人が手を挙げたら、逆に甘えて返すような度胸のある女だった。


 女が「嫌だわ」、「よしてくださいな」と()()を作ると、それで主人は殴る手を止めるのだから、大した女だと内心感嘆した。

 もし年齢を聞いていなければ、もっと上だと思っただろう。


 はっきりと聞いたことはないが、女は、主人に拾われるまで、あまり良い生活をしていなかったらしい。

 常々、「ここをつまみ出されて、食うに困る生活をするより、少しばかり殴られても、うまい飯と住む場所があるほうがマシだわ」と繰り返していた。


 だが侍女は、それは所詮、女の強がりだとみていた。

 何故なら、彼女が殴られた後、背を向けている主人を、昏い瞳で刺すように睨んでいたのを見てしまったから。


 逃げ出したいけど、逃げても辛い。そういう葛藤があるのだろう。

 わざと達観したような態度をとっているのは、相反する願望に、心が蝕まれているからだ。


 そんなこんなで、家中の女たちが、心身の傷を、表面上は繕いながらも、日々は続いていた。



 ある晩のことだった。


 庭の方から聞こえてくる騒がしさに、侍女は「はて、何事かしら?」と部屋の外を覗いた。


 常なら、すでに寝静まっているはずの時間である。今日は主人が酒を飲んでいたから、ひょっとしたら、お方様か姫さまが犠牲になっているのかもしれない。


 それで騒ぎが起きたのか。

 酷いことになっていなければいいけれど……


 重く沈む気持ちを堪えて、一度、部屋に引っ込む。燭台に火を灯して、庭のあたりに明かりを向けた。

 今晩は月明かりが薄いのか、外は暗い。


 目を凝らすと、池の側に立っている主人が見える。

 小太りの身体が、前後にふらふらと揺れている。やはり相当飲んだようだ。


 側に女がいた。

 お方様だろうか。酩酊した夫を案じて、ついてきたのかもしれない。

 いつも殴られて憎んでいるくせに、こういう行動をとるところは、理解不能だった。


 その時、別の女が屋敷の方からやって来るのが見えた。姫さまの背格好ではないし、母屋のほうからなので、愛人だろう。


 妾の女の影が二人に重なり、大きな一つの塊になる。

 その瞬間ーーー


「あっ……!?」


 主人らしき身体が、前のめりに大きく揺れた。


 その背を追うように、影の中から手が伸びている。お方様か、妾のものか……ーー?


 主人の身体が池の中にボチャンと落ちる。

 大きな水しぶきが上がった。


 慌てて下足を履いて庭に降りた。駆け寄ると、どこから現れたのか、池に入った姫さまが蒼白な顔で、主人の着物を引っ張っていた。


 非力な姫様では、引いても引いても、びくともしない。


 騒ぎを聞きつけた下男がやって来て、すぐに姫様に代わり、主人を引き上げた。

 下男に助け出された身体はグッタリと力が抜けている。

 詳しく診るまでもない。救助の甲斐なく、主人はすでに事切れていた。


 姫さまが真っ青な顔で悲痛に叫んだ。


「お母さまが殺したのではありません! 母さまは無実です」


 殺した、ですって?


 侍女は驚いた。

 てっきり、先ほど影の中から伸びて見えた手は、池に落ちる主人を掴もうとしたものだろうだと思っていたから。

 女たちのうち誰かが助けようとしたのだろう、と。


 だけど、それはもしかして、背を押した下手人の手だったのか。


 主人が立っていたあたりに燭台の明かりを向けると、お方様と妾が並んで立っていた。どちらも驚愕に目を瞠っている。


 姫さまによると、お方様は手を触れていない。それならばーーー


「では、ご主人様を殺したのは……」


 侍女はゆっくりと、燭台を妾の方へと向けた。


 疑惑を向けられたことに気づいた女の顔が、光に照らされ、怒りに染まる。



*  *  *


「犯人はもう決まりだろう?」


 話を聞き終えた明衡が、「簡単だったな」と笑った。 


「母親と妾が一緒にいて、母親は殺していない。それならば、侍女の言う通り、妾が犯人なのであろう?」


 三毛猫姫は人差し指をピンと立てて、明衡の唇に触れた。まるで彼の性急な結論を押し止めるように。


「お待ち下さい、明衡さま。まだ、この話は続きがあります」


 ぱっちりとしたツリ目を細めて、いたずらっぽく笑う。その顔を見て、明衡は思わず眉を顰めた。


「まさか……続きはまた明日、ということか?」


 三毛猫姫がコクリと頷く。


「参ったな。こりゃあ、いつまで続くんだい?」


 別に、ここに来るのは構わない。姫は可愛らしいし、少し高めの体温は、抱いていて心地よい。


 だけど、その心地よさとは裏腹に、明衡の鋭い鼻がヒクヒクと反応する。立て続けに足を運ばせようとさせる策に、何らかの裏を感じて、臭うのだ。


 何の意図があって、こんなことをするのか。この姫の策謀に、乗るべきか反るべきか。


 迷った明衡は、姫の瞳を覗き込んだ。すると、たちまち、あの不思議な魅力に絡み取られた。


 化かされているかもしれない。

 喰われるのかもしれない。


 だけど、了承せずにはいられない。


「……分かった。分かったよ」


 姫の身体を抱き寄せる。姫は心得ているかのように、自然に明衡に寄りかかった。


 擦り寄る彼女は、やはり温かい。


 温かく、安らぐ……はずなのに、同時に、彼女を見ていると、彼女に触れると、妙に胸が騒ぐ。

 今まで女性を前にして抱いたような、明るく弾むようなものとは、少し違う。

 もっと不安定で不確かなもの。彼女に頼まれると、否と言えない、言ってはいけないような気がするのだ。


 その時、不意に馬鹿げた妄想が明衡の心にストンと落ちた。


 あぁ、そうか。きっと彼女は人ではないのだ。

 人ならざるものーーーやはり、あの時、助けた三毛猫なのかもしれないな。


 とんでもなく馬鹿げていたはずの妄想は、綺麗に落ちてしまうと、妙にしっくりと心に収まった。


 猫ならば、仕方があるまい。


「必ず明日も来ると、約束しよう」


 明衡の言葉に、三毛猫姫が嬉しそうに身を寄せていた。


「そういえば、明衡さま?」

「ん? なんだい?」

「先程の話、まだ大事な前提をお伝えしていませんでしたわ」


 伸びやかで耳障りの良い声が、心地よく明衡の耳に届く。


「前提だって? 何のことだい?」


 明衡が尋ねると、姫は明衡の胸の上に乗せた頭を、小さく持ち上げた。不思議な色彩を帯びた瞳でがこちらを見つめている。


「明衡さま、ご注意なさいませ」


 そして姫は、彼女が始めた謎解き遊戯とやらの、前提とやる大事な決め事(ルール)を告げたのだった。



◇  ◇  ◇


 ここまでで一度話を切って、時峰は「いかがですか?」と、土筆の反応をうかがってみる。


「そうですね。……小野明衡さまというのは、面白い方だな、と思いました」

「それは間違いありません」


 小野明衡は、長年、親友をやっている時峰からしても不思議な男だ。

 竹を割ったようなサッパリとした、わかりやすい男かと思えば、突拍子もなく、おかしなことを言ったり、やったりする。

 普段、怪異の類を信じないくせに、突然、助けた猫だと言い出したように。


「侍女の話で、二夜目でしたね。姫の話はどこまで続くのですか?」

「どこまで続くと思いますか?」


 土筆の質問に、質問で返す。少し考えるような間の後、御簾の向こうから声が返って来た。


「あと2人……か、多くても3人でしょうか?」


 どうしてそう思ったのかと問うと、土筆がいつものごとく、淀みなく推理を展開する。


「この話の登場人物は、全部で6人ーーー三毛猫姫とお母様、先ほどの侍女と愛人、そして亡くなった主人と、その主人池から引き揚げた下男。でも、亡くなった人の視点の話が出るとは思えませんから……」


 これまでの流れからして、母親と愛人の残り2人の証言はあるのだろう。あとは、下男の視点が加わるのなら、3人だろうという。


「ただ、下男は遅れて登場しているようなので、証言があるのかどうか、ですね」


「お見事です」


 土筆の考えた通り、残る証言はあと2人。母親と妾のものだ。

 だが、一筋縄ではいかないのは、ここから。


「それで、姫の提示した謎解き遊びの前提というのは、どういうものだったのですか?」


 土筆の声音から興味を惹かれているのが分かる。御簾ごしでも、話しの続きを待つ気配がした。


「三毛猫姫は、この遊戯の前提となる決め事について、こう告げたそうですーーー『明衡さま、ご注意なさいませ。お聞かせする4人の話うち、2人の言う事は間違っているのですから』、と」


 明衡から聞いた限り正確な表現で、繰り返す。


「間違っている……のですか?」


「えぇ、そうです。そして三毛猫姫は、明衡に改めて出題しました。この4人の言葉の中から真実を探し出し、犯人を当ててみせてください、と」


 それこそが、三毛猫姫が小野明衡に出題した謎解き遊戯だった。



細々でも、途切れなく更新していきたい……(決意の呟きです)

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