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御簾の向こうの事件帖  作者: 里見りんか
第7章 化かされた明衡
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2 明衡と三毛猫姫


 花房邸、通い慣れた部屋の中。御簾の向こう側に慕わしい気配を感じながら、時峰はゆっくりと口を開いた。


「まずは明衡と、その変わり者の姫さまとの出会いから話しましょうか」


 御簾越しに「是非、聞かせてください」と声が聞こえる。僅かに早口なのは、関心を持っている時の言い方だ。何度も聞いているうちに分かるようになった。


 土筆が尚侍として出仕することが決まった時、二人の関係は、一度は断たれそうになった。結局は、そのおかげで気持ちを確かめ合うことが叶ったのだから、悪いばかりではなかったけれど。


 尚侍として呼ばれた目的を果たした土筆は、数日前に再び花房邸に戻ってきた。

 時峰と土筆の間は間違いなく前進したが、それでもまだ、土筆の父から正式に認められてはいない。


 互いの気持ちは確かめられたのだから、本当は関係を進めたい時峰だが、彼女の気持ちの準備が出来ていないことも知っている。

 勿論、そういう初心なところも、愛らしいのだけれど。


 だからこそ、今はこの関係を大事にして、土筆からも彼女の父親からも信頼を勝ち得たい。


 そのために、戻ってきた土筆の元にすぐに参上したし、今後も以前のように足繁く通うつもりだ。


 あまり外に出ない土筆は、いつも時峰の話を楽しそうに聞く。

 今日の話は、土筆の関心を惹きそうな話題としては、うってつけだった。


「夏の終わりにあった火事のことを覚えていますか?」


 時峰が尋ねると、土筆は少し思い出すような間の後、「市の南東あたりが燃えた火事のことですか?」と問い返した。


 平安の都は火事が多い。

 木造の建物が軒を連ねており、一度、火が起こると、一手に燃え広がって大災害となる。


 夏の終わりの火事は、下級貴族と比較的裕福な庶民が暮らすような市街地で起こった。


「あの時は、迅速な消火活動のおかげで、あまり燃え広がらずに済んだのではなかったかしら?」


 庶民の家は特に、隣の家との距離が近い。

 だから、火が起こったときには、手前の家を壊す事で火の回りを抑えるのだ。


「えぇ、そうです。その時に、先鋒に立って飛び込んでいったのが、明衡で……」


 土筆が「えっ?! 明衡さまが?」と驚きの声を上げた。


 それもそのはず。明衡の家はもっと内裏に近い場所にある。彼のような身分の男が市井の火事の消火活動に真っ先に突っ込んでいくなど、あり得ない。


「たまたま近くをウロウロしていたようでしてね。といいますか、そのあたりの女性のところにいたようで……ともかく、明衡は火事を知るなり真っ先に現場に駆けつけ、陣頭指揮をとって消火にあたりました」


 住民を逃がし、近隣の家を取り壊す指示を出し、自らも率先して、壊して回った。

 逃げ送れた爺や女性を身を挺して守り、避難誘導に精を出した。まさに、八面六臂の活躍である。


「その時に明衡は、一匹の三毛猫が壊れた家屋の間に挟まれ、逃げ遅れていたのを見つけました。どうやら、片足が倒壊した柱の下敷きになってしまって、抜け出せずにいたようです」


 明衡が持ち上げてやると、猫は怪我した足を庇うように、ひょこひょこと逃げていったという。


*  *  *


 それから半月ほど経った、ある日のこと。

 小野明衡は火事で燃えたあたりの近くを、従者を一人連れて歩いていた。壊した建物は、すでにかなり建て直されている。


 火事の影響はほとんどなく、市街地は活気に溢れていた。

 実に良いことだと満悦していた明衡の前を、ふいに見覚えのある猫が横切った。


 片足を庇うような不安定な走り方に、おや、と思った。あの時、火事から助けた猫ではないか。


 猫は近くの民家に駆け込んでいく。無事であったかと、嬉しくなった明衡が思わず、その家に引き寄せられて近づくと、突然、水が飛んできた。


「うわっ!?」


 隣の従者が驚いて、飛び避ける。跳ねた水しぶきが明衡の右足の裾に散った。水撒きでもしていたのだろうか。


「ちょっと文句をいって参ります」


 怒った従者が踏み出すより先に、柴垣の間から老婆が顔を出した。


「も、申し訳ございません!!」


 縮めた身体が震えている。

 老婆によると、打ち水をしていたところ、人がいるのに気が付かずかけてしまったらしい。


「よろしければ、お裾が乾くまでの間、中でお休みくださいませ。姫様も、そうしていただくようにと申しております」

「姫様だって? この屋敷の主人は女性かい?」


 「姫様」と呼ばれるのだから、全くの庶民のいうわけではあるまい。

 興味惹かれた明衡の質問に、老婆は「左様です」と大きく頷いた。


「ほほう。どんな女性だい?」


 前のめりに尋ねると、横の従者が渋い顔をした。

 それを無視して、期待の視線を注ぐと、老婆は「少々お待ちください」と家の中へと引っ込んでいった。


 ほとんど待つ間もなく、老婆は撫子の花を携えて戻ってきた。


「姫様より預かりました」


 そう告げながら差し出された紅色の花の茎には、(ふみ)が縛ってある。


 それを解いて中を開いた明衡の目が、キラリと光る。それを、従者は見逃さなかった。


「明衡さま…」


 何か言いたげな従者を「まぁ、待て」と、片手を挙げて制する。主人の悪い癖が出たとばかりに頭を抱えながら、従者が尋ねた。


「……何と書いてあったのですか?」

「見てみろ」


 文には歌が書き付けてある。


・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

 ぬばたまの 夜渡る月を留めむに

  西の山辺に 関もあらぬかも


 (夜を渡る月を留めるために、西の山辺に関所でもないものか)


 庭の撫子が咲き始めております。

 月を留むに足らぬでしょうか?


・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・


「万葉集だな」


 明衡を、手の届かぬ美しい月に喩えて、引き止めている。


「万葉集? こんなボロ家の女がですか?」


 明衡の言葉を疑っているわけではないだろうが、それでも俄には信じられないといった様子で覗き込んでいる。


「紙と筆を寄こせ」

「えぇ?! お返事なさるのですか?」

「これだけ風流な誘いをかけられたのだ。行かぬわけにはいかないだろう」


 ニヤリと笑うと、従者は頭を抱えた。


 紙と筆を奪うように手に入れると、明衡はそこに返歌を書き付けた。


・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・


 この月の ここに来れば 今とかも

  妹が出で立ち 待ちつつあるらむ


・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 


 この歌が意味する「月」は、文字通りの意味の空に浮かぶ「月」だが、明衡を月に見立てた相手に乗って、自らを重ねている。

 月たる自分がここまで来たのだから、愛おしい人は外に出て待っているだろうか、と。


 老婆に託して、またしばらく待つ。

 やがて戻ってきた老婆の案内に従って、屋敷の中へと足を踏み入れた。


 屋敷の外観は年季の入ったボロボロのものなのに、意外や意外、中の調度類はきちんと整えられている。高級品ではないが、必要十分だ。


「姫様」という呼び方といい、この部屋といい、ここの女主人は、どこかの中堅貴族あたりに縁がある者なのだろう。父親が亡くなりでもして困窮している、といったところか。


 案内された部屋で庭の撫子を眺めていると、几帳の向こうに人の気配がした。


 明衡は、思わずふり変える。


 その几帳を乗り越え、姫の姿を見た瞬間、明衡は思った。


「あ……君は…?」


 この姫は、あの時、助けた三毛猫に違いない、とーーー


 *  *  *


「そうして明衡は、その三毛猫の姫と深い関係になったわけなのです」


「ちょ……ちょっと待ってください」


 それまで黙って聞いていた時峰の話を、思わず止めた。土筆は人の話を理解する力は高い方だと自負していたが、突然の展開に、さっぱり分からなくなった。


 今の時峰の話では、几帳越しに女主人に会った場面のはずが、次の瞬間、几帳を乗り越えている。そして唐突に、「あの時、助けてやった猫だ」と直感したかと思えば、瞬く間に深い仲になる。


「申し訳ありません。どうしてそうなったのか、全く分かりません。深い仲……というのは、男女の関係という理解で合っていますか?」


「貴女にそう直接的に尋ねられると……やや気恥ずかしい気もしますが、解釈としては合っています」


 何故か時峰は照れている。土筆のほうは、今の話の流れの中に、全く艶かしさを感じていないのだけれど。


「まず明衡さまは、どうして姫が、助けた猫だと思ったのですか?」


「楕円形のぱちりとした瞳が少しつり上がっていて、猫の目によく似ていた、と言っていました。加えて猫が怪我した左前足と同じ場所に包帯を巻いていたのだとか」


 姫の説明では、先だっての火事で左手に火傷を負ったのだという。まさに猫の前足のケガと同じ。


「それだけで? そもそも明衡さまは、怪異の類はあまり信じていらっしゃらない方かと思いましたが……」


 以前、怨霊屋敷を巡る一連の話を聞いた限りでは、基本的に物の怪だとかはあまり信じていない様子だった。


「恐れはしませんが、信じていないわけではありません。明衡の勘といえばそれまでなのでしょうが、あいつは、その……かなり鋭い、独特の不思議な嗅覚のようなものがあります」


 そういえば怨霊屋敷のときも、直前まで渋っていたくせに、相手の男をみた瞬間、考えを変えたという話だ。


「明衡は姫を見た時に、初めてあったのではないと感じたそうです」


「話が逸れて申し訳ありませんが、そもそも、助けた猫は雌猫だったのですか?」


 倒れた柱を持ち上げ、猫が足を引いて逃げた。時峰の説明によると、それだけのはずたが、いつ雌雄を確認したのか。


「その点は、私も疑問に思ったので尋ねてみました。すると、明衡の答えは、『三毛猫だから雌だろう』という返事でした」


 先だって弘徽殿のちい姫と話した時のことを思い出す。

 ちい姫によると、姫がまだ女御のお腹にいるときに、「男の子が産まれるに違いない」と、蹴鞠を用意していたという。


 もしかして、思い込みや決めつけの激しい人なのだろうか。


「それは、有名な話なのですか? どこか……書物か何かに書いてあるとか」

「明衡が言うには、今まで何匹かとっ捕まえて見てきたところ、三毛猫は全部雌だった。だから三毛猫ならば雌だ、ということだそうです」


 思いがけず、土筆は感心した。


 明衡の主張は、思い込みや決めつけではなく、経験則に基づいた判断だ。

 何匹くらい捕まえたのかは分からないが、本ばかりを読んでいる頭でっかちの自分とは違う軸で物事を判断している。明衡の魅力が、少しわかった気がする。


「それでは、その点については明衡さまの言う事を信じます。ですが、男女の仲になった流れが……その、よくわかないのですが…」


 あまりハッキリと口にするのは憚られて、遠慮がちに尋ねたら、今度は時峰も口ごもる。


「それは…あまり深く追求するのは、止めましょう。なんせ、明衡なので」


 時峰によると、明衡の手練について、あれこれ考察しても無駄なのだという。

 小野明衡は、あっという間に人の懐に入り込む。だから相手が女人であれば、そういう関係になってしまうものらしい。


 百戦錬磨の小野明衡。


「す……すごいですね」


「心配なさらなくとも、姫のところに明衡を連れてくることは絶対にありませんから!」


 やや引き気味の土筆に、時峰がきっぱりと言い切った。


 それから、コホンと咳払いをして仕切りなおす。


「話を戻しますが、どこまで本気かは定かではありませんが、ともかく明衡は、助けた猫が姫に化けて現れたのだと言いました。そして、明衡とその姫は深い間柄となったのです」


 時峰は、再び続きを語り始めた。


 *  *  *


 三毛猫姫と初めて共寝をした晩のことだ。

 明衡の隣に寝ていた彼女の身体がもぞもぞと動いた。


「眠れないのか?」


 つられて目を覚ました明衡が、三毛猫姫の細い身体を抱き寄せる。痩せているくせに、子どもみたいに体温が高い。

 目を閉じると、幼い頃のことを思い出す。捕まえた猫を抱きしめながら、遊び疲れて微睡んだ日のことだ。

 やはり姫は、先ほど、屋敷の中に入っていた三毛猫かもしれぬな、などと冗談交じりに考えていると、耳元で少し掠れたような声が響いた。


「この家に私とツル以外がいるのは久しぶりですから……」


 ツルというのは、明衡に水をかけた老婆のことだ。


「この家には、すっと二人だけなのか? 他に侍女がいないのは、何か事情が?」


 大方、父が亡くなったとか、あるいは妾の子で援助を得られないとか、そういった事情なのだろう。


「これだけの調度品を揃えられるのだから、貴女も元はそれなりの家と縁のある姫なのだろう?」


 すると、猫姫は身を捩って明衡から離れ、起き上がった。


「……どうした?」


 引き寄せようとした明衡が、肘を立てて身体を起こしかけると、三毛猫姫の指先が明衡の頬に触れた。


「私のことが気になりますか?」

「それは……まぁ。貴方が何者なのかも気になるが、それよりも、もし今、貴女が辛い想いをしているのなら助けてあげたいと思う」


 自分と関係を持った姫が、辛い暮らしをしているなら、見て見ぬふりは出来ぬのが、明衡だ。


 すると、姫の大きな両目の間に、一瞬、僅かな皺が寄った。見間違いだろうかと目を凝らすと、先ほどまでと変わらぬ様子の姫が尋ねた。


「もし私のことをお知りになりたいとおっしゃるのなら、私と謎かけ遊びをいたしませんか?」

「謎かけ遊び?」

「えぇ、そうです。ほんの遊びですが、私のことが少しだけ分かるかもしれませんよ」


「君の、どんなことが……」


 身体を起こしかけた明衡は、思わず息を呑んだ。


 手入れが行き届いていない家だ。御格子がところどころ崩れているのか、外の月明かりが薄く差し込んむ。


 猫姫の、少し吊り上がった丸い瞳に、幻想的な光が浮かんでいた。

 空から落ちてきた天女か、明衡を化かして喰おうとする鬼姫か。その姿は、明衡の目には、この世の人ではないみたいに映った。


 もしかして、冗談ではなく本当に化け猫なのかもしれぬーーーなどと考えていると、その蠱惑的な姫が、ゆっくりと口を開いた。


「明衡さま。これからお話することを聞いて、私の父を殺した犯人を当ててください」


家庭の都合により、なかなか思うペースでの更新ができていません。。。

明衡はずっと掘り下げたかったキャラなので、じっくり書けて嬉しいです。土筆とはまた違った意味で、ちょっと変わり者です。笑


作中の2首の参考文献 : 岩波文庫『万葉集( 二 )』


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