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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

浮気婚約者の呪いを肩代わりして死にそうになりました

作者: カズヤ


 鈍い頭痛が響く頭で私は彼を見た。

 息も絶え絶えで、熱っぽい全身の節々が痛む。

 そんな私の状況を後目に、婚約者はいつものように嘲るような笑みを浮かべ、その手で見知らぬ女を抱き寄せる。


「アルミア、婚約破棄だ――俺はこのエルフィナと結婚する。俺の前から消えてくれ」


 私の婚約者、ガルド・ダウナードはそう一方的に告げた。


「はい構いません」


 私はそれに対して疲れたように返答した。

 全身を襲うズキズキとした痛みで立っているのも億劫だった。

 婚約破棄が辛いとか悲しいとかもはやそんな状況を感じられないほど、身体が辛い。

 この関係が終わることに安堵さえ感じていた。

 

「今までそんな身体をアザだらけにして、ご苦労だったわねアルミアさん」


 そんな私の返答をせせら笑うように、ガルドの隣に座る女性が返答してきた。

 エルフィナと呼ばれていた女性だ。

 見覚えがない顔だったが、どこかで見たような気もした。

 ガルドは日替わりで連れている女を変えていた。

 その横に立つ女性を覚えるのも馬鹿馬鹿しくなったというのもある。

 

「確かに、能力の副作用とはいえ、あの身体は全くそそらないな」


 ガルドの失笑で私は思わず自分の体を省みた。

 軽い頭痛が取れない身体は痩せこけていて。

 肌はガサガサで、いたるところに鈍く痛むアザがある。

 これ私の『能力』の副作用だった。


「……ふん。ガルドへの『呪い受け』は私が継ぎます……! 大丈夫、貴女よりずっと上手くやれるもの」

 

 エルフィナがガルドに視線を向け、それが剣呑な熱を帯びた。

 その瞬間だった。私の右腕がずきりと傷んだ。


(痛っ、腕に呪いが……このひと……私に嫉妬してる)


 腕に突き刺さるような痛みが発生し、私は奥歯を噛み締めた。

 エルフィナがガルドに向けた嫉妬心を私が受けたのだ。

 これみよがしに告げた私の身体への評に苛立ったらしい。


(ガルドとは一度も夜を共にしたことはないというのに……)

 

 別に彼とベッドをともにしたことはないというのにご苦労なことだ。

 ――この痛みが私の能力である『呪い受け』だ。

 タリスマン家が代々持つ能力で、誓約をした人間に降り注ぐ負の感情を全て代わりに受けることができる。

 この能力を欲した伯爵家によって私は婚約者という体で買われたのだ。

 私の異常に気づいたエルフィナは歪んだ笑みを浮かべて私を見た。

 

「アルミアさんは今にも死にそうな顔をして可哀想。でも安心して。聖女である私は呪いなんて――ほら」


 エルフィナが手を伸ばしたその瞬間だった。白い光が私の腕を包み、腕の異常が少しだけ楽になった。

 

(呪いが消える……? これが聖女の力)

 

 腕を取り巻く呪詛の一部が消滅していた。それに私は驚いた。

 天より授かりし力の中で聖女は特に強い力だ。

 人の悪意や呪詛をたちどころに消し去ることができると伝えられている。

 私はせいぜいその流れを変える程度。しかし聖女の力はそれを完全に消してしまえるようだった。


「そうだねエルフィナは美しい。こんなアザだらけの女とは偉い違いだ」


 エルフィナの嫉妬に気づいたのだろう。ガルドは私を蔑むような形でフォローを入れた。

 実際にエルフィナは美しかった。ウェーブのかかった金の髪は手入れが届く。そして真っ白でシミひとつのない肌。

 私のあざだらけの全身と対照的な姿だった。

 長い間、ガルドに向けられた強い呪いを受けた私の身体はボロボロだ。

 その結果として軽い嫉妬を肩代わりしただけで変調を来すような状態になっている。エルフィナの健康さは羨ましかった。


(こっちは立ってるのがやっとだっていうのに……)

 

 ため息を吐きながら私は作業を終わらせた。

 立っているのも億劫な体調でずいぶんと長引いた。

 ――ガルドの呪いを代わりに受けるように結びつけた契約のパスを解除する。

 その作業のためにこんな茶番に付き合っていたのだ。


「……『呪い受け』の契約解除は終わりました。これで貴方と私は無関係です。お世話になりました」


 作業が終わった以上、未練はない。長話を聞いていたのもそれだけが理由だ。

 緊張が途切れ嘔吐感がこみ上げる。今にも崩れ落ちそうな体調の体を引きずり私は家を出た。

 こうして私は――3年も住んでおいてまるで愛着のないダウナード家を後にした。

 





 

 ガルドと婚約破棄になった私はタリスマン男爵家の実家に戻ることになった。

 懐かしい実家の扉を開きその空気を吸った瞬間、私は倒れこんだ。

 

「アルミア! しっかりして! そんな体なのに独りで帰ってくるなんて」

 

「なんて顔色だ……! とにかくベッドに!」

 

 駆け寄ってきた両親の労りの声を聞いた瞬間に安堵のあまり意識を失った。 

 張り詰めていた緊張の糸がぷつりと切れ、もはや意識を保っていられない状態になった。

 全身を絶え間なく襲う呪いの痛みがついに張り詰めていた気を超えたのだ。

 遠のく意識に両親の涙ぐむ声が響く。


「ああ……アルミア、呪いが全身を蝕んでいる……このままだと命にかかわるわ」

 

 悲嘆にくれる母の声。

 

「くそっ! 勝手な婚約破棄だけでも不義理なのに、こんな状態の娘をダウナード家は一人で放り出したのか!」


 怒りに染まる父の声。


「私がアルミアの代わりに呪いを……ああ、だめだわ。呪詛が身体に食い込んでる! 吸い出せない!」


「くっ……伯爵家相手に逆らうことになっても、あんな男との婚約は断るべきだった。アルミアがいなければ呪いで倒れているのはガルド……お前のほうだろうに!」


 両親の悲痛な声をおぼろげに聞きながら、私はいままでの日々を思い返していた。

 ダウナード侯爵家嫡男、ガルド・ダウナードは優秀だが酷い男だった。

 

 幼い頃からガルドは剣の腕に優れた優等生であり、優れた容姿をしていた。

 そんな華々しい彼に多くの女性が魅了された。

 ごまんと言い寄ってくる女を日替わりで取っ替え引っ替えし、飽きたら容赦なく捨てた。

 ――結果、当然だが彼は大層恨まれた。

 

 ある日彼は病気になった。

 

 医学では治療不能――原因不明の衰弱であった。それは呪いによるものだろうと囁かれた。

 ダウナード伯爵家は彼を治療する方法を血眼になって探した。彼は伯爵家を継ぐ大事な体だった。

 

 その結果――伯爵家は『呪い受け』を生業とするタリスマン一族にたどり着いた。


「タリスマン家からぜひとも……ダウナード家に妻を頂きたい」

 

 ダウナード伯爵家から私、アルミア・タリスマンをぜひとも婚約者として迎え入れたいという嘆願があったのは3年前。

 婚約者をつけることで彼の派手な女関係を抑制しようとしたことは想像できる。

 正直、ためらったが、結局押し切られた。

 伯爵家に強く頼まれれば男爵家のタリスマン家は断ることもできない。

 

 そして初顔合わせの名目で、病気のガルドを見舞った私は驚愕した。

 

(なんて呪いの量……。まるで人の恨みが釜の底で煮えているような)


 ベッドでうめき声を上げるガルドの周囲にただよう呪いの濃さは尋常ではなかった。

 それは十人二十人の恨みではない。専門の訓練を受けた私からしても稀に見る恨まれ方をしている状態だった。

 私は固い口調で告げた。

 

「ガルド様……ご病気が治りましたら、もう少し周囲の方々に誠実に生きてください」

 

「わかった。わかったから……治してくれ……頼む」

 

 いくら呪いを引き受けても、本人が変わらなければ根本的な解決はできない。

 ガルドはその時は同意し、私は呪いを肩代わりした。

 彼への周囲の恨みは想像以上のものだった。

 肩代わりしてまずはじめに、眠りが浅くなった。夜は特に呪いが活発になる時期だ。

 その不健康な生活に耐えながら、ガルドの呪いを吸い上げる。

 甲斐あってガルドは健康になった。

 代償として呪いを肩代わりした私は体に異常をきたし、全身アザだらけになった。目の下から隈がとれなくなった。

 そんな変わり果てた私を見たガルドは眉をひそめ一言。

 

「おまえ醜いな。こんなアザだらけの顔を、妻として愛せるわけがない」


 その言葉を聞いた瞬間、欠片はあった婚約への義務感さえ萎えた。

 この人を愛することは一生ないなと思った。

 

(ひどい……3年だった……)

 

 そして健康になったガルドは変わらず、女遊びを辞めることはなかった。

 別に愛情を期待した関係ではなかった。

 だけど3年私は時間を無駄にした。残ったのはこのボロボロになった身体だけだ。


(……甲斐のない人生……)


 呪いを扱う――そんな家柄に産まれた以上、少しなりとも覚悟はしていた。

 だけどこんな無様に、意味のないまま、死の境をさまようのは流石に悔しい。

 

 死に直面した心が、一つだけ贅沢を思いついた。


(もし――あの人が、最後に看取ってくれたらな)


 思い出すのは幼いころ。

 私は呪いを学ぶため、ある“山”にある学院に行った。

 あの学院で、――最初に会った、あの1つ年上の彼。

 銀の髪。先の細い顔立ち。眼鏡の奥から覗く物憂げな瞳。

 フリッツ・ウィルカース。

 

 学び舎の、ひとつ上の先輩である彼の顔を思い出した瞬間、私の意識は闇に強く引きずり込まれた。

 

 もう目覚めることがないかもという、ぞっとするような認識とともに。







 戻ることは無いかもしれないという意識が再び戻ってきた時、感じるのは安堵だった。

 呪いにズタボロにされた私は、死の淵を確かに見た。

 その上でいま感じているのは、生きる世界に引き戻される感覚だった。

 その奇跡を手放したくなくて私は渾身の力で跳ね起きた。


「生きて……るっ……」

 

 ベッドのスプリングが弾む。

 叫ぶと同時に大きく息を吸った。その呼吸が熱い。

 目を開けた私の視線が捉えたのは全く見知らぬ部屋だった。 


(っえ……ここ、どこ!? 実家いえの間取りじゃない……)


 まず目に飛び込んできたのは高価な家具だった。

 白磁の花瓶に、銀の燭台。

 明らかに手入れの行き届いたじゅうたんに、重厚な木製のドア。

 

(天国……かな……?)


 疑問が脳裏をかすめた。あまりに現実離れした大邸宅。

 ――伯爵家すら持ち得ない調度品が並べられた場所に、自分が寝ている心当たりがない。

 ならば死んで天国に来てしまったのだろうか。

 

「アルミア、良かった。目が覚めたか」


 呆然としていると、名前を呼ばれた。

 ――その声、どこかで聞き覚えがある。

 だが微妙に異なる。記憶にある声はもう少し甲高く若い。

 その声はベッドの隣から聞こえてきた。

 隣を見た私は――信じられなさに目を瞬かせた。

 

「うそ……フリッツ……?」


 名前を呼んで、まるで都合のいい夢を見ているような気分に襲われた。

 そこに居たのは、今際の際に会いたいと願った少年――その成長した姿だ。

 銀の髪に、物憂げな表情。眼鏡の向こうの瞳が私を見抜いている。

 男の唇の端がほころんだ。

 

「ああ。すぐ、理解わかってくれるか」


 眼鏡の奥で揺れる瞳が破顔した。

 間違いないその表情は、同門のひとつ上の少年――フリッツ・ウィルカースだった。


「久しぶりだなアルミア。“お山”の教室以来もう3年になるか」


 そんな彼の微笑を見た瞬間だった。

 家族に申し訳ないけど、それよりもっともっと心の奥底から安心が湧き出してくる。

 同時に涙がこみ上げてきた。


「……っ……ああ……どうして……フリッツ、貴方が」


「どうした。どこか痛いか? ――呪いは殆ど取り除いたはずだが」


 そして、目頭が熱くなる。

 

「い、いえ……ごめんなさい。わたし……もう目が覚めることがないと思ってた。そしたら……生きてて……しかも、貴方が目の前にいてくれるなんて」


 シーツの裾を握りしめ、こらえ切れない言葉がほとばしる。

 ようやくそれだけを言い終えて、私は嗚咽を漏らして涙が止まらなくなった。

 止め処なく涙が溢れる。それは久々の涙だった。

 ――心を凍りつかせるようなダウナード伯爵家の日々は涙さえ流す暇もなかった。

 

「アルミア、君は婚約破棄をされたと……相手の家で何があった?」

 

「っ……フリッツ、私はっ……」

 

 フリッツの優しい言葉に私は思わず、今までのことを全て彼に打ち明けていた。

 ダウナード伯爵家の地獄の日々。だれも味方はおらずひとりぼっちで呪いを受け続けていたこと。

 身体に異常を抱え、死に瀕した状態で追い出されたこと。

 

「そんなことが……。辛かったな、もう大丈夫だ。もうアルミアは苦しまなくていい」

 

 フリッツはそんな泣きじゃくる私に一言そう声をかけて手を握ってくれた。

 暖かくて、大きくて――頼りになる手だ。

 記憶を呼び起こす、あの学び舎時代より大きくなった。大人の手だ。

 しばらく泣いて落ち着いた私にフリッツは含めるように言葉をくれた。


「君の身体に食らいついていた呪力の殆どは俺が吸い取った。もう命の心配をしなくていいんだ」


「え……あ……本当。身体が軽い。それに痛みもない」


 告げられた言葉に私は驚いて顔に手を当てた。

 触れた手の感触から、3年もの間ずっと取り憑いていた目の下の隈も消えている。

 痛みのない体がこんなに素晴らしいなんて!

  

「フリッツ……どういうことなの。私の身体にある呪いは生半可なものじゃなかった。どうやって……? それにここはいったいどこ?」


 驚きのあまり次々に疑問が出てくる。

 3年間フリッツと全く顔を合わせる機会がなかった。婚約を機に私は修練場を抜け、彼と疎遠になった。

 彼は一度足りともダウナード伯爵家に訪ねて来はしなかった。

 なのにどうしてフリッツは私と一緒にいるのだろう。


「いっぺんに質問されると困るな……1つずつ答えさせてくれ」


 混乱に極まる私を制しながら、フリッツは話を続ける。


「まずここは俺の所持してる別荘のようなものだ。仕事で各地に行く必要があって、拠点を色々と持っている」


 私は驚いてまじまじとフリッツを見つめた。簡単に言ったが、こんな邸宅を構えるなんてそうそう出来ることではない。

 

「君の身柄をここに移したのは、君も知っての通り、呪いは高所に来づらいからな。君を安全な場所に移した結果だ」


 急に知らない場所にいて心細かったが、説明を受けることでいくぶんか安心した。

 呪いの性質を知っているアルミアからしても理に適った処置だ。

 貴族が高所に家を建てたがるのは、高所に呪いが登って来づらい性質に由来する。

 私はふとフリッツが身につけた手袋に刻まれた、特徴的な薔薇の文様を見つけた。


「その手袋についた文様ってまさか……宮廷魔術師の文様?」


 彼が身に着けているのは、この伯爵領の更にはるか上、王侯が住まう首都の宮廷魔術師に支給される装具だ。

 

「しまった、外す暇がなかった。部下の瞬間移動魔法で飛んできた時のままだな」


 バツの悪そうにフリッツは手袋を外した。

 プライベートであまり見せびらかすのが良くないほどの立場なのだろう。


「宮廷魔術師ならあの呪いを解けたのもわかるわ。でもまさか……貴方が王都に行っていたなんて」


 私はしみじみとそう告げた。

 確かにフリッツは“お山”でも成績優秀な呪術師だった。けれどまさか宮廷魔術師にまでなっていたとは。

 私が驚いていると、フリッツがふと遠い目をした。

 

「力が無ければ譲らなければならないし、守りたいものも守れないからな……」


 フリッツはそう告げてから私を見た。

 そして私の手を握る力を少し強め、つぶやいた。

 

「君を奪って、こんな目に合わせたダウナード伯爵家……許せるものじゃない」


 怒りの声だった。

 そんな彼の怒りに私はびくりとした。凄まじい、他人事ではない本気の怒りだった。

 私を脅かしたのに慌てたのか、フリッツは慌てて相好を崩し顔の険を取った。


「……そうだ。そういえばアルミア。君の身体に憑いていた呪いは8割方は取り除いたが、完全というわけじゃない。もう少しここに滞在してもらうよ」


 冷静な面持ちに戻ったフリッツは話題を変える。

 その内容に私はふと居心地の悪さを覚えた。


「あの……フリッツ、こんな良くしてもらって。私……貴方に返せるものがないわ」


 死に瀕した身体を救ってもらった嬉しさが冷め始めていた。

 結果、普通ではありえないほど大きな借りを作ったという事実がのしかかってきた。

 あのダウナード家に嫁いでいた間、自由になるお金など貰えるはずもない。

 婚約破棄の慰謝料がもらえるかもわからない状況で、対価を支払える気がしない。

 

「何を言う。返せる物など……君が生きているだけで……」


 私の言葉にフリッツは驚いたように目を見張った。

 そして言葉を返そうとして、私と視線を交わして何かを察したように沈黙した。


(私自身に助けてもらう価値なんて……無いものね)


 私はそう思ってしまっていた。結局のところ、自分の身の振り方を自分で決められなかった。

 危険だと薄々気づいていたダウナード家への縁談は、私の意思が強ければ断れたかもしれない。

 だけどそれを押しのける勇気が私にはなかった。

 うつむいた私を呆然と見つめたフリッツは、1つ小さくため息を吐いた。


「……対価は貰っている。俺が呪術師なのは知っているなアルミア?」


 え、と思った瞬間だった。手を取られていた。

 

「呪術師にとって呪いは、力そのものだ。君から吸い上げた呪いは俺にとって重要な力になる」


「ああ……そっか……貴方の魔力になるのね」


 それを聞いた私は顔を起こし、彼の瞳を見た。

 

「実際に見せよう」

 

 彼はつぶやいて、私の手を強く握った。

 その瞬間だった。握られた手の先に熱さを感じた。

 右腕の肘あたりに残ったアザから何かが吸い上げられている。

 それは私の手を伝い、外へと流れ出していく。


「呪いが……銀の光に……」


 フリッツの手に移動した呪いは、白銀の光へと姿を変えた。

 これが呪術師が行使する力。

 

(綺麗……)


 私は思わず罪悪感も忘れてそれに見入った。

 黒ずんだ汚らわしい光がいまや、白銀のような淡い光沢を放っている。

 

「呪術師が扱う“呪力”だ。この力が集まればどのようなことでも出来る」


 熟練の指揮者のようにフリッツは指を動かし、呪力がそれに合わせて変化した。

 白銀の光は振動を発し、風を起こした。

 やがてその風は空間を伝い、ドアの近くにある花瓶へと走った。

 そして、花瓶に活けられた花の茎をすぱりと切り裂いた。

 

「まあ……!? 魔法と、ほとんど変わらない!?」


 精緻な動作だった。呪いを学んだ私から見ても驚愕するほどの。

 そしてその花を呪力の風が巻き上げ、空中を移動する。

 花はフリッツの開いた手の上にふわりと落ちた。

 

「だから安心しろアルミア。君からは十分すぎるほどのものを貰っている」


 そう言ってフリッツは握った花を私の枕元にもある、空の花瓶に活けてくれた。

 赤い花弁の美しい花だった。

 私は嬉しくなった。

 自分の力が役に立ったということも嬉しかったがそれ以上に。

 呪力の扱いを自慢するフリッツの得意そうな笑みは、少年の頃の彼のままだったからだ。


(……ああ……こんな風に、昔も笑ってた。フリッツだ。これは、紛れも無く彼なのだ)


 懐かしさがこみ上げてきた。

 いままで、どこか遠い世界に行ってしまったようで一致しなかったフリッツの姿がようやく一致した。

 

「アルミア。治療を承知してここに居てくれるね?」


「はい」


 その言葉に私は我を忘れて頷いていた。

 死に瀕した次の日からまさにジェットコースターのような生活が始まったのだ。

 






「まあ……まあ、すっかり元通りに……本当に良かったわアルミア……」


 目の前で泣きじゃくる母の姿を見て、私も少しだけうるっときた。

 私はいま実家に帰ってきていた。

 治療が始まって5日が経ち、私の身体をむしばむ呪いは大分解けていた。

 全身に刻まれていたアザは消え、慢性的な頭痛もウソのようにない。

 そんな快復を見たフリッツは、両親へと元気な姿を見せてはどうかと私を外出に誘ってくれた。

 

「フリッツ殿……この度は急な依頼に関わらず……ご無理を通していただき誠に感謝に耐えません」


「いえ。“お山”からの緊急依頼には驚きましたが、アルミアの名を見てすぐに決意しました」


 フリッツと両親はすっかりと打ち解けているようだった。

 

「彼女の身体に巣食っていた呪力は取り除きましたので、心配は無いと思います。様子を見るためもう数日お預かりすることになるとは思いますが」


 フリッツの言うとおり私の体調はほとんど完治していた。

 自分でも身体に呪力が残っているという感覚は殆ど無い。

 入る隙間のない込み入った話を続ける父とフリッツを尻目に、手持ち無沙汰になった母が、私の方に近づいてくる。


「ねえねえアルミア。フリッツ様とはどうなのよ?」


 そっと母が耳打ちしてくる。

 唐突な言葉に私はびっくりした。


「どう……って」


「その胸のブローチ、フリッツ様からのプレゼントでしょ? 随分といいものじゃない」


 目ざとく見つけた母は、にやにやと笑う。

 その通りで私の胸にある緋色のブローチはフリッツからの贈り物だった。


「え、ええ。君に似合いそうだって……」


 安物よ、と謙遜したくもあったがどう見てもそれは特注品の価値がありそうなものだ。

 それどころか今日着ているものは全てフリッツから贈られたものだった。

 外出する際に、せっかく外に出るのだからと買い物を勧められ、あれよあれよという間に着飾らされてしまった。


「こんな良い物を贈られるなんて、そうとう貴女のことを気に入ってるみたいね」


「えっ……」


 動揺した私に母はウィンクをしながらニヤニヤとわらって言葉を続ける。


「アルミア……引く手数多の宮廷魔術師様が、お役目を押してまで貴女を救ってくれた。その意味……わからないわけじゃないわよね?」


 続けられた言葉にどくん、と胸が高鳴る。

 考えないようにしてきたことだった。


「そんな、フリッツとは“お山”の学院で同期だったから、その縁ってだけで」


 そう笑顔で告げる母のかしましさに私は溜息をつく。

 だが母は、意地悪くニマニマと笑い話を続けてくる。

 

「んもう。その学院にいるときから彼のこと気にしていたじゃない。長期休暇で帰ってくる度にフリッツ様の話ばっかりしてたわよ」


 確かにそうだった気はする。

 私とフリッツは、呪力の学校である、“お山”――「アシュラド山」に設営された呪力学院にいた時に出会った。

 それから同門として交流を深め、色々と気があった仲ではあった。

 しかし、男女の仲として聞かれると戸惑いが残る。


「そりゃ昔は仲が良かったけど、そんな3年前の話よ……それに向こうは伯爵様より上の扱いなのよ、釣り合わないわ」


 フリッツの肩書である宮廷魔術師は王都における伯爵家相応の扱いである。

 地方伯と王都伯は肩書の名前は一緒だが、王都伯のほうが露骨に格が上だ。

 そんな高貴な方に少し昔なじみというだけで釣り合うわけもない。

 目を伏せる私を覗き込むように母は顔を近づけ、耳元で断言した。

 

「ねえ、アルミア、あなた……フリッツ様と一緒にいる時本当に楽しそうに笑ってるのよ」


 私はついに返答に詰まった。

 代わりに考えた。フリッツのことをどう思ってるのだろう。

 その質問に答えたいと思っても口が開かない。

 確かにここ5日間も、フリッツと一緒の空間で暮らしてきて、驚くほど気取らず一緒に居れた。

 離れていた年月なんてなかったように会話も弾んだ。

 私は答えを探すためにちらりとフリッツの方を見ようとして、そちらに顔を向けられない自分に気づいた。

 代わりに母の顔を見た私は、その瞳が潤んでいることに気づいた。

 

「アルミア……あんなにつらそうな顔をしていた貴女が、こんなすぐに笑顔をみせてくれるようになったのは奇跡だわ……それがフリッツ様と居るおかげなら、お母さんは貴女たちを全力で応援したいわ」

 

 その言葉に私は衝撃を受けた。確かに、命の危機を乗り越えながら私は笑えるようになっていた。

 だが、私の胸の中でそれに反する思いがあった。

 

(違うよ、お母さん……フリッツの目的は、私の身体の呪いを吸うことだったのよ)

 

 フリッツはそう告げた。呪術師である自分のちからをパワーアップさせるために治療を行ったと。

 それが私にとっても納得できる理屈だった。

 贈られたものも、提供した呪いの対価の一部なのだろう。

 宮廷魔術師である彼が、今更私なんかを好意で助けるわけもない。

 そんな風に納得したようとしたら、胸の奥がもやっとした。


「そういえばアルミア、今日は泊まっていくのかい?」


 色々と考えこんで、うつむいてしまった私の後から父が不意に割り込んできた。


「タリスマン男爵……申し訳ありませんが、今日の所は別荘の方へ戻ろうかと」


 それに対してフリッツが苦笑しながら応える。

 父が残念そうに頭を振った。

 私はというもの母との込み入った会話で、テンパっていて話が全く頭に入ってこない。

 ぼーっとしているとフリッツが目の前に立って手を伸ばしていた。


「アルミア、さあ帰ろう。……? どうした?」


 私は反射的にその手を握れず顔をそらしてしまった。

 私の胸がまるで少女のように本気で高鳴った。

 

「あ、う……ご、ごめんなさい一人で立てるから」


 慌てて1人で立ちあがる。首を傾げるフリッツを横目に私は自分の心情に驚いた。

 もう疑いようもない。私は彼のことを気にしている。

 あるいは3年前見ないふりをした思いをもう一度見返しているのか――答えは出なかった。

 






 帰り道だった。

 フリッツと私は急に人だかりに囲まれていた。

 

「宮廷魔術師様……この度はどうもこのような辺境へ……ご挨拶を賜ります」


「男爵家の者です。お見知り置きを……」


 領地の下級貴族が全員集まってきたのではないかと言わんばかりの挨拶参りが繰り広げられていた。

 下位貴族から高位貴族への挨拶が大切だという知識はあったが、宮廷魔術師というのがこれほど強大な権威を持つことは知らなかった。

 まるで侯爵かそれ以上の対応である。

 

「お連れの方もなんとお美しい。宮廷魔術師さまの細君だろうか」


「あの美しさは、どこかの姫君であろうな」


 当然連れの私もすさまじい好機の目線にさらされる。

 人目を引いている私に対しても、男性の何人かがため息を付きながらそんな事を言う。

 見え透いた世辞だなと思う。大人になってから、一度たりとも容姿を褒められたことがない。

 呪いが溶ける前はとても人に見せる容姿ではなかったけど、あざが無くなっただけでそんなに変わるものでもあるまい。

 だが周囲の言葉を聞いたフリッツはすっと私の後に下がって。

 

「でしょう。私も世界一美しいと思いますよ」

 

「っちょっ……」

 

 私を押し出しながら、すっとそんなことを言ってのける。視線にさらされ、男性貴族たちがこぞって「ほぅ……」と感嘆の声を上げる。

 私は恥ずかしくて顔が真っ赤になった。

 その一方で、何人か縁談を勧める写し絵を抱えた貴族たちが落胆したようにそれを引っ込めた。

 

(なんだ……縁談避けか……何を動揺してるのよ私は)

 

 だが本当にドキドキした。

 同時に、ふと気になることが会った。

 

(フリッツは、王都に想い人がいるのではないだろうか)


 そういった不安だった。王都の暮らしぶりを何度か言葉を交わし、同棲などしている気配は無かったが、想い人がいないとは限らない。

 そこまで考えて私は自分の思考に驚いた。

 家で母に過去のフリッツのことを聞かされてからとても意識するようになってしまっている。

 

「いやしかし、この女性どこかで見たことが……」


 列をなす下級貴族の一人がそうつぶやいた時だった。

 背筋が凍る声がした。


「なんだこの行列は!」


 聞くと同時に嘔吐感がこみ上げた。

 そうだ、浮かれて何を失念していたのだろう。

 ここは伯爵領。目立ったことになれば――その支配者であるあの男が来ないわけがない。


「…………っ!? ガルド」


 引きつった声が出た。

 ダウナード伯爵はこの一体の管理者だ。

 その領内で目立つことがあれば伯爵嫡男であるガルドが来ることは予想できた。

 ガルドの後からさらに別の声がする。


「何事です! 騒がしい! 往来を占拠するのはおやめなさい!」


 あの時の聖女もいるようだった。

 すっかりと女主人気分で、ガルドに寄り添っている。

 

「こそこそと集まって、旅芸人でも来たか? 伯爵家に報告を入れてからやれと……」

 

 だが下級貴族の1人がガルドの怒声を遮ってまで慌てて耳打ちした。

 

「ぼ、坊っちゃん……聖女様……! 不味いです! この方は、王都から来られた宮廷魔術師どのです」


「っ……宮廷魔術師!?」


 ガルドの表情がぎょっとしたものになった。

 それは明確な畏怖の表情だった。

 後退り、目を白黒させるガルドを差し置いて、横から影飛び出した。


「まあ! 宮廷魔術師さま! 私、聖女のエルフィナ・リアハートともうします! どうぞお見知り置きを」


 こびた声で聖女エルフィナが前に出た。

 打算が透けて見えるその声は、もはやガルドなど眼中にないといった表情である。


「エルフィナ……!? お前、なにしてんだよ!」


 ガルドもそれに気づいて舌打ちをしてパートナーを見た。

 恋人を前にして、別の男に色気を使っている。

 この2人を結びつけたものが何なのかすけて見えるような状況だった。

 フリッツはまるで檻の向こうの動物を見るような目でガルドたちを眺め口を開いた。


「ああ、貴女が聖女エルフィナさまですか。噂はかねがね伺っておりますよ」


「まあまあ! 私の名前を! 光栄ですわ。あの、よろしければ今度お二人でもっと話を」


 ここぞと顔を寄せようとするエルフィナをフリッツはぞんざいに片手で制した。

 そして冷たい声で言葉を続ける。


「“婚約者がいらっしゃった”ガルド殿と、“不倫を続けて”結ばれたとか、素晴らしい大恋愛ですね」


 フリッツの言葉に、往来中がしん――とした。

 下級貴族たちはとくにぽかんと口を開けて喋れなくなった。

 伯爵領誰もが知っていながら、おおっぴらに言えないことを宮廷魔術師が言ってのけたからだ。


「え、あ……な、なんでそのことを……」


 エルフィナは凍りついた空気の中で、震える声で告げた。

 私も驚いた。ガルドの話も聖女の話も、フリッツとしたことはないからだ。


「中央の情報力をあまり舐めないほうがいいですよ。お二人の節操の無さはだいぶん話題になっていますよ」


 フリッツに告げられたその言葉にガルドの顔色が変わった。


「な、中央でそんな噂が……おい、出世が……」


「王都に来られるときはお気をつけて、貴方に門をくぐらせたくない公・侯爵家の方が随分いらっしゃいますからね」


 ガルドとエルフィナの2人はその言葉に口を開いたまま閉じられなくなった。

 そのまま動揺のあまり視線をせわしなく周囲に彷徨わせる。


「なんなら……辺境からもう二度と出てこないことをお勧めします」


 そうフリッツに告げられた時だった。

 その背にいる私をガルドの目線がとらえた。

 そして大きく目を見開かせた。


「っ……おまえっ……アルミアか!? なんで宮廷魔術師と一緒に、いやまさか!?」


 次の瞬間、ガルドはフリッツを強引に押しのけこちらへと身体をねじ込んだ。


「ガルド! 何をする!」


 あまりに急な変貌っぷりにフリッツでも対応できず、慌てて割ってはいろうとする。

 その前にガルドの手が私を掴んだ。

 ぞっとした。


「お前が話したのか! このっ、クソ女っ!」


 強い力だった。私は身をよじって、逃れようとする。


「いやっ!? 離して! 違う、私は何も言ってない!」


 本当のことだ。フリッツは何も過去のことは聞かなかった。

 傷に触れないようにやさしく、王都のことやかつて学院のときの思い出を交わしあっただけだ。

 思い出したくもないダウナード家にいた時の事など誰が話すものか。

 そこまで考えてふつふつと怒りが湧いてきた。

 常に誰か他人のせいにして自分を省みることもしなかったガルドへの怒りだった。


「これは貴方がっ! 今までやってきたことの報いよ!」


 私は叫んだ。

 治療のおかげで五体が充実し、今まで痛みで湧く気力さえなかった怒りが鮮やかにほとばしった。


「いろんな女の人に不義理をして、恨まれて、そのうえ婚約を利用して私を盾にして! 呆れられるのが当たり前じゃないの! 自業自得よ!」


「てめえっ……!」


 力を強くするガルドだったが、それ以上私に近寄ることはなかった。

 フリッツが彼の肩にてをかけ、静止したからだ。


「ガルド・ダウナード。その手を離せ、じゃないと一生後悔することになるぞ?」


 フリッツに抑えつけられたガルドは、鎖に繋がれた猛獣のようにがっちりと動きを止められた。

 それに焦ったガルドは信じられないことをした。


「うるせえ! そうか、この女から聞いて、言いふらしたのはお前か宮廷魔術師! 取り消せよこの野郎!」


 くるりと押さえつけるフリッツの方に向く。

 そして、ガルドは手を振り上げた。


「ガルド! やめなさい!」


 ぞっとして私は叫んだ。フリッツの体格はどう見てもガルドより一回り華奢に見えた。

 だが――フリッツはそんなガルドを見てなお微塵のゆらぎなく笑っていた。

 次の瞬間だった。


「え……? 何の光だ」


 拳が空中で止まっていた。

 

「正当防衛だぞ。お前が先に手を出した」


 フリッツが冷めた声で呟いた。

 同時に白銀の光がその胸元から溢れだしていた。

 私だけがそれを知っていた。それは彼の扱う呪力だった。


「なんだ、なんだよこれ! うお、おおおおおおおおおお!?」


「きゃああっ!? なによっ!? 眩しい!」


 呪力の光がすさまじい勢いでほとばしった。

 それはこの場にいる全員の目を焼くほどだった。

 エルフィナが叫ぶ。その後でガルドの苦悶の声が響く。

 その叫びに合わせるように、フリッツは告げた。

 

「ガルド、あんたのものを返そう。アルミアが3年間肩代わりし続けた呪いだ。持っていけ」

 

 言葉とともに光が収まった。

 広場中が呆然とそれを見た。

 ガルドが身体をピクピクとさせながら地面に倒れ伏していた。


「う、うぐ……ぐあああ、体が動かねえ……それになんだよ、このアザ……まるで……昔のアルミア……」


 ガルドの腕に大小無数のあざが浮かび上がっていた。

 同時にそのほほがげっそりとへこみ、目の下に隈が浮かび上がっている。

 まるで私が呪いを肩代わりしていた時の末期状態をそのまま再現したかのようだった。

 

「が、ガルドっ! 待ってなさい今浄化してあげる!」


 さしもの聖女は何かに感づいたのか、エルフィナが駆け寄り浄化の光を使う。

 だが――。顔色が変わった。

 

「何よこれ……つ、強すぎる。1日や2日じゃ浄化できないよこんなの、一体どれくらいの時間が……」


 呆然とエルフィナは言う。そしてそれを受けていた私の方をちらりと見て化物を見るような目をした。

 

「運がいいなガルド。君には真実愛してくれている聖女様がいるじゃないか」


 フリッツはかがみ込み、地面にいるガルドに囁くようにつぶやいた。


「じっくりと呪いを浄化してもらうと良い。そうだな、1年もあれば消えるだろう」


 ちらとエルフィナの方も見てそう付け足す。


「はぁ!? 1年も……騎士をできない役立たずの面倒を私に見ろっての!?」


 エルフィナは目を見開いて、ぞんざいに指をガルドに突きつけながらそうやって叫んだ。


「なんだとてめえ……役立たずだと、エルフィナぁ……」


 ガルドは身体をビクつかせながらその全く心のない発言に怒りを表した。


「そうでしょうがガルド! 出世するからあんたを選んだのに! 動けなきゃなんもできないでしょ! くたばれっ!」


「……醜いな。こんなざまを見せてしまって、別れたとて次の縁談なぞあるものか」


 喧嘩を始めた2人をため息を付きながらフリッツは見つめ、興味をなくしたように立ち上がった。

 そして周囲で遠巻きにこちらのいざこざを見守っていた下級貴族たちに何言か告げる。

 ぶんぶんと首を振る下級貴族ににこやかに手を降ってから踵を返す。

 すべてを終えてフリッツは何事もなかったかのように私の方に戻ってきた。


「さ、俺たちは帰ろうアルミア。見物していた貴族の人たちが後始末してくれる」


「え、ええ」


 あらゆる手際が良い解決に目を白黒させながら、私はフリッツに目が吸い寄せられていた。

 顔を見るのが恥ずかしいなどという気持ちは消え、もう目が離せなくなっていた。







 家に帰り、落ち着いた所でフリッツが心配そうにこちらに寄ってきた。

 

「アルミア、大丈夫だったか? 怪我はしていないだろうか」


 可哀想なくらい心配そうな表情だった。

 それが先ほど、眉1つ動かさずに現役の騎士を倒した人とは思えないくらい可愛くて、くすりと笑ってしまった。

 

「ええ、ガルドに握られた所もそんなに……ずっと貴方が守ってくれたから。あ、でもいただいたドレスに土が跳ね上がっちゃったかも」


 そう告げた私の言葉を確認するように怪我を調べたフリッツは安堵のため息を付いた。


「そうか……安心したよ」


 安心して少しずつ宮廷魔術師としての仮面をかぶり始めるフリッツについ、私はもう少し地を見たくなっていじわるをした。


「随分心配してくれるのね」


 突っ込まれると思ってなかったのだろう、動揺したフリッツは所在なさ気に目を白黒させ早口になった。


「……明後日きみをタリスマン家に送り返すまで、俺には責任があるからな」


 その言葉に今度は私がどきりとした。

 そうだ。この関係は私の身体を治すために続いている。

 完治してしまえば私とフリッツに接点が無くなるのだ。

 そのことを想像して胸に穴が空くような感覚を覚えた。

 

「ねえフリッツ、あの……」


 私は何かに押されるように口を開き、フリッツの目を見た。

 

「ねえ……ガルドに殴られそうになって、貴方が反撃した時……」


「ああ」


「私から取った、3年分の呪い全部使っちゃったんでしょ」


「……そうだ。あれは本来あいつが受けるべきものだ」


「で、でもそれって……ここに来た報酬を全部無償で使っちゃったってことでしょ。どうしてそんな」


 そこまで言って私は酷く自分が卑怯なことを言っているような気がしてきた。

 もういい加減気づいている。

 はっきりと自分の気持にも、そして相手の気持にも。

 でも言い出すのが怖くて遠回りをしているのだ。


「俺が君を助けたのは、呪いが、力が欲しいからじゃない……」


 フリッツはため息を付いて、一歩前に踏み出した。

 そして私の目をそっと見返す。

 切ない感情が彼の目にはあった。


「……君が、欲しいからだ」


 私はそれにすぐに言葉を返せなかった。

 だが身体が素直に反応した。

 私は応じるように一歩、彼に近づいた。それがいい加減、答えを私に理解させた。

 呼吸がふれあうほどの距離になる。

 

「3年前、君がダウナード家に嫁ぐと聞いた時、俺は君を止めたかった」


 フリッツは少し遠い目をして滔々と語る。


「だがそのとき俺は一介の呪術師だった。君を本当に幸せにする自信もなかった。だから見送るしかなかった」


 そして――手をそっと握られた。

 私はそれを受け入れた。


「でも今は違う、力もある。俺は君を幸せに出来ると思う」


 フリッツは手を離し、今度は私の背に手を回した。

 ぎゅっと抱きしめられ――私はそれも受け入れた。


「……ええ。ええ」


 私の目頭が熱くなった。

 ああ、嬉しくて泣くことができるなんて、思いもよらなかった。

 少し前まで私はガルドの奴隷のような生活を続けるしか無いと思っていた。

 けど今はこんなにも嬉しい。


「だからアルミア、治療が終わって、家に挨拶をしてそれから……俺と一緒に王都に来てくれ」


 私はその言葉を聞いて、無言で顔を彼の胸板に押し付けた。

 彼と一緒に王都で暮らす。それは、本当に輝かしいことだと感じる。


「あんな酷い婚約があったアルミアに、すぐにこんなことを言い出すのはどうかと思っていた。けど……君と離れることに耐えられそうにない」


 ついに私はこらえ切れなくなって口から言葉が出た。


「……私もよフリッツ。離れるなんて絶対嫌。貴方といっしょに行く。好き、本当に大好き」


 フリッツはにこりと笑い、身体を少し離し――そっと顔を寄せる。

 唇が、触れ合った。

 幸せに包まれながら私は思っていた。

 もし、私の能力を使い集めた呪いをフリッツが扱えば――彼はもっと上にいけるだろう。

 私たちの前途は明るかった。

 





 それから5年後のことである。

 王都に新しく宮廷魔術師長がひとり誕生した。

 ――フリッツ・ウィルカース宮廷魔術師主任が、その類まれな能力を評され、満場一致で昇格した。

 彼が抜きん出たのは結婚をしたすぐ後からであり、名細君を取ったと貴族たちは噂をしたものだった。

 





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