008
「この中だな?」
「はい」
綴が魔術で外したマンホールから、茶竹が下水道の中を覗くと中に痕跡が続いているのが見えた。
綴が先に取り付けられている梯子で下水道の中に入っていった。
下水道は入り口から入ってくる日の光で降りた先こそ明るいが、そこ以外は一寸先も見通せないぐらいの暗闇だった。
綴は右耳に着けたイヤホンを操作してライトを点けた。
下水道の中は広く、水路を挟んで大人が二人横並びで歩けるほどの横幅があった。
「思ったよりも臭くはないな」
綴が言う通り、下水道内は湿っぽい臭いこそするが悪臭というほどではなかった。
綴に遅れて降りてきた茶竹がその問いに答える。
「それはたぶん、ここが雨水管だからですね」
「雨水管?」
「ええ、下水道は汚水管と雨水管で分けられているんですよ。雨水管は雨水を河川に直接流すためのものですね。だから、臭いがしないんだと思います」
「ふーん、それで痕跡はどっちに続いているか見えるか?」
茶竹は紺跡魔眼で階段の下段、日の光に照らされている梯子の過去を視る。
[雨水管 27年前建造 横幅4.2メートル 一歩海抜23m
気温十五℃ 材質コンクリート 湿度60パーセント ヒメアリ通過中
四十二秒前茶竹飛鳥 八十三秒前黒池綴通過 1800秒前クマネズミ通過 十一万五千三百二十五秒前初城一二三通過
十一万五千三百三十秒前f@けry74,。n通過……]
過去を視るのは、映像を見るというよりも本を読むに近い感覚だ。
視覚を通じてなだれ込んでくる膨大な量の情報の中から先ほど得た初城の魔力を手掛かりに本人の情報を探し出す。
[115325秒前初城一二三通過]
見つけた情報をわかりやすく定義しなおす。
[32時間2分5秒前初城一二三通過]
今見ている情報は、初城が約32時間前にこの梯子を下りたことを裏付けるものだった。
視線を少し先に向けると初城の痕跡が北に続いているのが見える。
「初城は約三十二時間前にここを降りた後に、北上しています。おそらく、正体不明の擬獣も一緒です」
「三十二時間前か、走れば今日中には追いつくか?」
「かなり厳しいと思いますけど」
「そうか?この雨水管もどこまでも続いているわけではないだろ。なら、どこかで地上に出て別の下水管に移らなければならない。
そのうえ、彼らは人目に付きたくないわけだから、地上に出られるのは夜間だけ。
そう考えたら、言うほど遠くへは行けてないんじゃないか?」
「確かにそうかもしれませんね、少しお待ちを」
そう言うとすぐに、茶竹は足元に魔力を集め始めた。
「駆けるは千里、過ぎるは万里。韋駄天」
魔導は思考でコントロールする都合上、どうしても雑念や感情に左右されるため安定させるのが難しい。
そこで「詠唱」と言った、魔導発動前に呪文を述べることで一定の結果を保つ補助技術を使う。
「詠唱」は、思考を定めるために長文の呪文を唱える行程と短く魔導の名称を唱える二行程に分かれる。
的確に魔導のイメージを掴むために詠唱には、二つルールが存在する。
一つ目は、思考を定めるための呪文は変更しても問題がないこと。
例えば、炎を槍の形にして飛ばす「炎槍」という魔術の場合。
この魔術の本来の詠唱は、「赤き炎よ、槍と化せ。炎槍」だ。
炎の温度を上げたいのであれば、「白き炎よ、槍と化せ。炎槍」という風に変更を加える。
炎は温度によって色を変えることから、詠唱で色について言及することで炎の温度のイメージを固めることが出来る。
二つ目は、一つ目とは逆で魔導の名称には決して変更を加えてはいけないことだ。
開発者が決めた名称を使い続けることで、発動者の中で元のイメージを固定させるのが目的だ、ルーティーンと言ってもいい。
元のイメージを固定させることで、素早く魔術を完成させることができる。
先程の「炎槍」の場合であれば、どんなイメージであっても炎槍という魔術名に変更してはいけないということだ。
魔導を行使する際に、詠唱は必ずしも必要になるわけではなかった。詠唱の有無は魔導士の技量や、発動させる魔導の難易度によって大きく左右する。
熟練の魔導士であれば詠唱なし、いわゆる「無詠唱」で魔導を発動させることも出来た。
茶竹が詠唱しながら「韋駄天」を発動させている隣で、綴は無詠唱で「韋駄天」を発動させていた。
詠唱技術は、しばしば走り幅跳びに例えられることがあった。
呪文を唱えるのが助走で、魔導名を唱えるのが踏み込み、発動がジャンプ。
常人は、助走と踏み込みが無ければ上手く跳べはしない。
しかし、世の中には助走がなくとも、踏み込まずとも常人の頭上を優に超えてくる超人が存在した。
魔導の腕前は、才能と努力によって裏付けられる。
茶竹の技量は決して低くはない、だがそれ以上に綴と茶竹の才能には埋めることのできない差が存在していた。
初城の痕跡を追い始めてから、すでに一時間が経過していた。
道中、何度も地上に出ては別の下水道に潜ったりを繰り返していた。
地上に出るたびに、付近の監視カメラに魔導で干渉された形跡が見つけられた。
今は、下水道内に二人分の足音が反響していた。
綴と茶竹が発動させた「韋駄天」は、走行能力を強化する魔術だった。
「韋駄天」は綴が緑鬼にとどめを刺すときに使用した「氷杭」のような単発型の魔術ではなく、必要な限り発動させ続ける常駐型の魔術だった。
「韋駄天」は、地面を蹴るときに足裏から進行方向に魔力で運動エネルギーを生み出すことで、一歩の幅を大きく伸ばすことが出来た。
「韋駄天」で加速しながら痕跡を追うことで、綴達は一時間で初城の自宅から30キロ当たりのところまで来ることができた。
綴の予想通り、初城たちは日が昇っているうちは地下を出ず、彼らは徹底的に人目に付かないようにしていたのが痕跡から確認することが出来た。
おかげで綴達は着実に追いつくことができていた。
[5時間2分5秒前初竹一二三通過]
雨水管の壁に打ち付けられた梯子に、初城がここから出たことを示すように痕跡が残っている。
茶竹の視線から痕跡が外に続いていることを察した綴が、付近に初城がいることを危惧して無言で梯子を上り、魔術でマンホールを少し浮かした。
綴は隙間から外を窺ったあと、茶竹にうなずき外に出た。
続いて下水道から出た茶竹の目に入ってきたのは深緑に覆われた山だった。
「山だな」
「都心から30キロも離れましたからね」
端末の位置情報によるとここは「吉沢町」らしい。
背後には住宅地が広がっており、住宅地と山の境にあるこの下水道は目立たないところにあった。
これまで人目を避けて行動していた彼らの痕跡は当然、住宅街ではなく人気のない山道へと通じていた。
「茶竹。ここまで魔眼を使いっぱなしだがまだ大丈夫か」
「お気遣いなく、今が正念場でしょう?」
茶竹はここまでずっと魔眼と韋駄天を併用してきたせいで魔力を消耗しているが、ここまで追いつけた以上ここで悪戯に時間は浪費したくなかった。
「無理はするなよ」
「ええ、もちろん」
痕跡が続く山道は道と言えるようなものではなかった。
これまでの下水道のように一本道とは打って変わって、山道は木々が生い茂り入り込んだ道になっていた。
当然、痕跡も木々を避けるように曲がりくねりながら続いていた。
それに加えて、丈の高い植物や露出した木の根に足を足られていた。
綴達は時間が掛かりつつも、痕跡を頼りに道なき道を駆けていった。
ほどなくして、切り開かれた広場にたどり着いた。
広場の中央に建てられたボロボロの小屋から、この広場は過去に猟師か誰かが作ったと思われた。
目立たない場所、雨風を防げる程度には使えること。このことから、あの小屋には何か手掛かりが残っているのではないかと綴に予感があった。
予感があったのは綴だけだった。
過去を視ることが出来る魔眼を有している茶竹には、予感ではなく確信が存在していた。
「特等。痕跡はあの小屋で途絶えています」
「途絶えている?どういうことだ」
「あの小屋に入った痕跡は残っていますが、出たという痕跡が残されていません」
「ここから見えないところに痕跡が続いている可能性は?」
「無いとは言えませんが、高い確率でまだ中に居るかと思います」
要は、綴達は初城に追いついたようだ。
ターゲットがすぐ目の前にいる可能性が浮上したことで、綴達の緊張感は高まった。
「俺が先行する、場合によっては撃っていいぞ」
「確保が目的なのにいいんですか?」
「身に危険が及ぶ場合は許可する。仮に、死なせてしまっても責任は俺が持つから撃て」
「了解」