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走り続ける車の中で青年はくつろぎながら携帯電話を手にネットショッピングをしていた。
人類史から神代に移り変わって九十九年、文明は目まぐるしい発展を遂げていた。
その成果の一つがAll Driving Systemだ。
ADSは、AIが運転や駐車などの運転技術をすべて自動で行うシステムのことである。
この技術が普及したことで「自動」車はこれまでの動力で車輪を動かすだけの名ばかりのものから、文字通り「自動」で搭乗者を目的地まで連れていく完全な自動車へと生まれ変わった。
ADSの登場によって変化が及んだのは、自動車の在り方だけではなかった。
一五年前に法律で普通自動車のADS搭載が義務付けられるようになったことで、市販される自動車の内装に大きな変化があった。
ADSによって搭乗者は行先を入力するだけで目的地に到着するようになった。
これによって、ハンドルやアクセル、ブレーキ等の従来の運転に必要だった制御装置が不要になった。運転席自体が排斥されて、代わりに快適性やデザイン性が重視された内装が取り入れられるようになった。
ADSのおかげ運転手は運転という行為そのものから解放された。
青年が携帯電話から目を離さずにいるのは危険な行為ではなく、むしろ現代ではよく見る一般的な光景であった。
科学技術の目まぐるしい発展は運転技術に限った話ではなかった。
例えば、青年が手にしている携帯電話。
青年が使っている携帯電話は画面のみで構成されており、指で画面を操作することでメールからネットサーフィン、電話までなんでもこれ一つで済ますことが出来た。
青年がまだ幼かった、十数年前まではガラパゴス携帯と呼ばれる画面と入力用のキーボードが一体になった物が市場のほとんどを占めていたが、画面のみの端末が市販されて以来はガラパゴス携帯は見る影も失い、今では携帯電話という言葉は画面のみの情報端末を指す言葉となった。
「目的地に到着いたしました」
到着を告げる合成音声を耳にした青年は、一瞬迷った後閲覧していた通販サイトの購入ボタンをタッチした。
車から降りた青年を迎えたのは薄暗い地下駐車場だった。
家を早く出たのもあって駐車場には空きが多く、数台の車が端から並べるように止められていた。
自動車が駐車場に端から並べられているのは、ADSが駐車をするとよく見られる光景だ。
駐車場に設営されているエレベーターを使って青年は一階に上って行った。
セキュリティの関係上、このエレベーターは地下駐車場と一回のエントランスを結ぶためだけのものだった。
エントランスには「魔導統合組合」と書かれた門標がでかでかと掲げられていた。
魔導統合組合。
神代初頭、迷宮から現れる擬獣への対抗手段として「魔導」と総称される技術体系が神によって人類に伝えられた。
魔導は魔力と呼ばれる、人が持つエネルギーを利用して、発火や、念動、治癒、テレポート、催眠術等の様々な奇跡を形にする技術のことだった。
魔力は時間さえかければ人から勝手に生み出されるためコストパフォーマンスが良く、新たな産業エネルギーとして人類に受け入れられた。
魔導を扱う者の中には、これを逆手にとって魔導を悪用する者も存在した。
魔導は知識さえあれば誰にでも扱えたため、魔導犯罪を未然に防ぐことは難しかった。
それでも、人類はこの革新的な技術を手放すことはしなかった。
魔導を排斥するのではなく、より広めること、そして正しく運用すること。
世間から求められたのは、魔導文明の発展と秩序だった。
だが、神代以前の軍事組織では、魔導の研究どころか秩序を守ることすら難しく旧態依然とした組織を一新する必要が出てきた。
そういった背景を元に、神代以前の軍事組織を前身として設立された国営組織が魔導統合組合だ。
青年はカバンから取り出した社員証でセキュリティを通り、先ほど乗ってきたエレベーターとは違い内部に繋がっているエレベーターに乗り込んだ。
青年が乗ったエレベーターは一度も止まることなく最上階の上司の部屋まで登って行った。
付いた先には、ゲートが備え付けられており、警備員が一人で立っていた。
最上階は、エレベーターから上司の部屋までは一本道となっており辿り着くにはこのゲートを通らなくてはならなかった。
「お名前とご用件をお願いいたします」
ゲートの傍の警備員から丁寧に用件を尋ねられる。
「黒池綴だ。統括から早朝に顔を出すようにと窺っている」
「ああ、例の。一応、社員証を確認させてもらえますか?」
「どうぞ」
社員証を確認したことでゲートが開けられる。
簡易ではない手続きがこれから会う綴の上司がただ者ではないことをうかがわせていた。
綴はゲートを通り、正面に据えられているシックなドアまで行くと内からドアが開けられた。
ドアを開けたのは、壮年の男性だった。この男性は綴の上司本人ではなく、上司の秘書にあたる人だった。
「おはようございます、黒池特等。奥で統括がお待ちです」
この部屋は綴の目的地ではなかった、本当の目的地はその奥。
よほど急ぎの用なのか綴の返答を待たず、秘書は先導しはじめた。
秘書の部屋には、執務用の机と椅子以外の物は一切置かれていなかった。
代わりに出入口から入って左の壁に扉が付けられていた。
秘書はこの部屋の出入り口よりも数段豪華な、その扉を数回ノックした。
「白神統括、黒池特等がお見えになられました」
秘書が扉に向かって声を掛けると、
「どうぞ」
中から年若い声が返ってきた。
秘書が開けた扉から綴はこのフロアの最奥、上司が居座る部屋に入室した。
上司の部屋は秘書の部屋の倍ほどの広さがあり、執務用デスクの他に手前に応接用のソファとガラス張りの机が置かれてあった。
「久しぶりだね、元気していた?」
奥のデスクから入室してきた綴に声をかけてきたのは綴よりも若い、少年と言ってもいい年頃の男だった。
「まあ、ぼちぼちだな」
綴はそう答えながら革張りの椅子に腰掛ける少年の前まで歩を進めるのだった。
高級なデスクも革張りの椅子も本来であれば、まだあどけなさを残す目前の少年には似合わないはずなのだが、不思議と彼が椅子に深く腰掛ける様に違和感はなかった。
白神優魔導統合組合統括。
白神なんてややこしい苗字をしているが、神ではなくただの人間である。
ただの人間ではあるが彼こそが綴の上司であり、魔導統合組合の最高権力者だった。
魔導統合組合は魔導文明の発展と秩序を理念に立ち上げられた組織である。
魔導統合組合には、理念を実現させるために三つの部署が設けられている。
国防に関することを一挙に引き受けている「退魔部」。
魔導の開発や研究を行っている「開発部」。
危険物の管理や人事を担当する「管理部」。
組合員はこれら三つの部門のどれかに配属されることになる。
各部の比率は大雑把に言うと7対2対1、退魔部が7である。前身が軍事組織であったことから魔導統合組合は武力に大きく偏っている。
武闘派が多い彼ら魔導士を統治するのに、退魔部では階級制度が設けられた。
通常、退魔部の組合員には15段階ある階級が宛がわれる。
1から5の等級があり、更に各等級には「下級」、「中級」、「上級」の三つに細かく分けられている。
上は「一等上級」から下の「五等下級」まである。
これらの階級は実力の他に、知識や技術によって決定される。
例外的に、これらの枠組みに入れることが出来ないほど突出した実力を持つ者に「特等」といった階級が与えられる。
「特等」は「一等上級」よりも上の階級であり、この階級を持つ者は国内に三人しかいない。
そんな彼らに唯一命令を下すことが出来るのが「統括」だった。
「統括」は、退魔部ひいては魔導統合組合の全権を握っている。
つまりは、綴の前に座る少年こそがこの魔導統合組合のトップである。
白神と綴が話している、今のこの状況は魔導統合組合ナンバーワンとナンバーツーが話し合っているようなものだった。
一介の秘書が同席できる訳が無かった。
秘書が退室したのを見計らって白神は話を切り出した。
「急遽、召集をかけたのはこれに書かれてある指令を君にこなしてほしいからなんだ」
簡潔にそう言い、白神はケースに入ったメモリーカードを綴に手渡した。
訝しげに綴の眉が顰められる。
「それだけか?」
綴の問いは、用件がそれだけなのかを問うものではなく、それだけしか教えることが出来ないのかを聞いたものだった。
「うん、それだけ」
返って来たのは肯定。
それだけでは流石に不親切だと考えたのか、白神は申し訳なさそうに続ける。
「今回の件は上からのお達しでね、僕も断れなかったんだ」
それを聞いて、ようやく綴にも事のあらましが分かってきた。
魔導統合組合の頂点である白神に命令を下せる者は組合には居ない。だとすると、それができる存在は必然的に組合の外の存在になってくる。
尚且つ、彼に命令できるほどの大物だと綴に思い当たるのは一人、いや一柱だけだった。
「白の神か」
「ハクタイテン様ね、様。お気づきの通り彼女直々のご指名だよ」
白神は敬称を付けない綴を窘めつつ、綴の予想があっていることを告げる。
神直々の仕事に思うことがあったのか、綴は心底嫌そうな声をあげる。
「すんげー、嫌になって来たんだけど」
「はいはい、君が神嫌いなのは知っているけど。どうも、今回の件が大事みたいだから頑張ってもらえる?」
「別に嫌いじゃねーよ。ただ、面倒くさいから嫌いなだけで」
「嫌いって言ってんじゃん」
「グウウウゥゥ」
険しい表情で唸る綴に対して、白神は慣れた様子で綴をなだめる。
「動物じゃないんだから、唸らないの」
このまま白神に文句を垂れるのは流石にお門違いか、と冷静になった綴は、差し出された白神の手からメモリーカードを奪い取り出口へと向かった。
元より、綴にこの仕事を拒否することなどが出来はしなかった。
魔導統合組合を設立するにあたって魔導文明の発展、秩序を成すというは表の理由。
数少ない人物が知る裏の理由、それは神の意向を叶える手足を用意することだった。
綴が裏の理由を知る数少ない人物である以上、彼に神の依頼を拒否することなど出来はしなかった。
その意趣返しではないが、綴は扉の前でまるで今思い出したかのように今朝のやり取りを伝えた。
「ああ。そういえば、もう一つの仕事の方なんだが」
「?」
「最近、配信業始めようかなって言っていたな」
それは白神を慌てさせるには十分だったようで、
「そ、それは絶対に止めさせてね!」
悲鳴に近い叫びを無視して白神の部屋を後にする綴の顔には、悪戯な笑みが浮かんでいた。