001
チンッと音を立てオーブントースターは、トーストが焼けたことを知らせた。
私服に身を包んだ青年がトースターの中からトーストを二枚取り出し、代わりにまだ焼けてない食パンを二枚トースターに乗せタイマーを回した。青年は、皿に乗せたトースト二枚にそれぞれレタスとトマトを乗せマヨネーズをかけた。
青年は慣れた様子でIHヒーターに、フライパンを乗せ火にかけて油を引いた。青年は続いて手際よく温まったフライパンにベーコンを四枚並べ、さらにベーコンの上に卵を落とした。殻を三角コーナーに投げ捨て、開いた手に・引き寄せられて来た・塩コショウのボトルを持ち、ベーコンエッグに目掛けて振りかけた。
青年は、フライパンに蓋をして一区切りがついたとばかりにテレビから聞こえるニュースに耳を傾けた。
「次のニュースです、来月五日から行われる迷宮狩りに向けて迷宮都市、新谷市では準備が進められています。
八月には、「迷宮」が出現した神世一年から九九年経ち神世百年の節目を迎えます」
神世一年――今から九九年前、何の前触れもなく突如として世界各国の当時の首都が地面に飲み込まれていった。何もかもを失って更地となった地上に残ったのは、金属で出来た門だけだった。
不思議なことに、門は荒れた地上とは違う場所に繋がっていた。つながった先は入り組んだ洞窟のようだったことから、そこは「迷宮」と呼ばれるようになった。
首都を失ったことで混迷を極めていた人類に追い打ちをかけるように、迷宮から「擬獣」と呼ばれる異形の怪物が跋扈し始めた。
擬獣の力は強大で何よりもその圧倒的な数の暴力によって、瞬く間に人類史は滅亡の一途を辿っていた。
このまま滅ぶかのように思われた人類に転機が訪れた。
四柱の神の出現だ。
白の神、ハクタイテン。
赤の神、セキボザン。
青の神、セイテンショウ。
黄の神、コウケンラン。
自らを神と呼ぶ彼らによって擬獣は迷宮に追い返され、人類は生存圏を再度確立できた。
神によって、確かに人類は救われたが、人類史が救われたわけではなかった。
この一連の騒動で霊長の長たる人類は星の半分を失い人類史は終焉を迎えた。
力を失った人類に代わって、台頭したのが神だった。
それぞれの神が人類に代わって国を治めた。人類に残された国は治める神の名から、「白の国」、「赤の国」、「青の国」、「黄の国」と呼ばれた。
神によって人類は救われ、神によって人類史は終止符を打たれた。
それこそが神の時代、神代の始まりだった。
焼きあがったベーコンと卵をトマトの上に乗せ、トースターから取り出したトーストで挟みこんでサンドイッチを二人前完成させた。
青年が、台所に置かれた麦茶の入ったピッチャーとコップに手を翳したあと、少し離れたリビングテーブルに手が向けられた。
すると、ピッチャーとコップはひとりでに宙に浮きテーブルに着地した。
その様子は、人為的でも機械的でもなく。
それは、まるでおとぎ話に出てくる奇跡のような光景だった。
青年は両手に二人分の朝食を持ち、キッチンを後にする。自身の朝食はテーブルに置かれたコップの傍に置き、残ったサンドイッチを一つだけ持ってリビングのドアを開ける。
廊下出て二階に上がると開けっ放しのドアが一つと閉ざされたドアが五つ。
閉ざされたドアのうち唯一隙間から灯りが漏れているドアを開けると、
「ちょっ、何そのモーションっ。も避けちゃうんだけどね!」
朝からやけにテンションの高い同居人がコントローラーを持ち一人で画面に向かっていた。
「クロ、朝飯ここに置いとくぞ」
「おっ、来た来た」
青年が持ってきたサンドイッチを近くにあった机に置くと、小柄な少女はこれまで続けていたゲームを中断して青年の方に寄ってきた。
クロと呼ばれた少女の印象は名が体を表すように黒かった。黒い髪、黒い瞳、身に着けるパジャマも黒猫があしらわれたものだった。唯一その肌だけは他と対極をなすように真っ白であった。
クロが立ち上がってもなお地面につくほど長い黒髪を床に擦りながら歩いているのを見て、週末には掃除機をかけておかないといけないな、とまるで母親のようなことを青年が考えていると、
「今日のごはんは?」
普段であれば気の抜けた返事が返って来ていたのに、珍しく今日は会話があることに意外感を感じつつ返事をする。
「ああ、サンドイッチだけど」
「サンドイッチかー」
作ってもらっていることを棚に上げて不満そうにつぶやくクロに対して、青年の視線も険しくなる。
「何か文句でも?」
強い口調で青年の機嫌を察したのかクロは慌てたように言い訳を口にする。
「いや、文句とかじゃないよ。文句じゃなくてお願い?要望?」
要望も文句と大して違わないだろう、と思いながらも青年は寛大な心をもって無言で続きを促した。
「ほら、ホットサンドとか食べたくない?」
「サンドイッチもトーストしてあるから温かいだろ」
そもそも、青年がサンドイッチを作るようになったのはクロがそれまでの朝食に苦情を入れたからである。
それまでの朝食は食パンをそのままで出していた。
ある日、これじゃあ動物園のアヒルの方がいいもの食っているよとクロがキレたのをきっかけに毎朝、青年がサンドイッチを作る羽目になった。
「ホットなサンドイッチが食べたいんじゃなくて、ホットサンドが食べたいの。ポテトサラダとかチョコバナナのホットサンドが食べたいの」
まだ見ぬホットサンドの妄想でも思い浮かべているのか少女は目を輝かせながら乞いてくる。
「自分で作れよ」
「自分で作るのは違うよー、人が作ったホットサンドが食べたいだよ」
分かってないなーと言いたげな顔に苛立ちを覚えた青年はベッドに向かってクロの華奢な肩を強く押した。
「え?」
ベッドに倒れ込んだクロは事態が呑み込めていないのか間抜けな声を上げた。
クロをベッドに押し倒した綴は、倒れたクロの足に自身の足を絡め、クロの頭を抱きかかえるように隣りに自分も寝転がり……。
「フンっ」
締めた。
これでもかと言わんばかりに腕に力を込めてクロの頭を締め上げた。
それは所謂、ヘッドロックと言われるプロレス技だった。
逃げれないように足を絡ませたうえでのヘッドロック。
クロにこの痛みから逃れられる術はなかった。
「痛い!いったい、いっだい、いったただだだだだあ」
数分後その場に残されたのは、涙目で息を荒げている少女と満足げに寝転ぶ青年だった。
どう見ても然るべきところに通報すべき事案であった。
一通りクロを虐めて満足した青年は上半身を起こしながら、隣で頭を抱えているクロに声をかけた。
「時間もないし、そろそろ行くわ」
発言の前後が分からなければ完全にクズのセリフである。
「あ、待って」
痛みから帰って来たクロは、立ち上がった青年を呼び止めた。
どうやらクロには朝食の要望以外にも要件があったらしい。
「なんだ?」
「相談、なんだけど」
ベッドに座りこんだクロは手をもじもじ合わせながら上目遣いにこちらを窺ってくる。
「?」
「ボクさ、配信業始めようと思うんだけど、どう思う?」
「うん、絶対やめとけ。怒られるぞ」
勿体ぶられたわりに大したことのない相談に青年は即答でノーを告げると、逃げるように体を部屋の外に滑り込ませた。そして、素早くドアを閉めることで会話を遮断した。
ドアからかすかにクロの声が漏れてくるがどうせろくなことじゃないと青年は聞こえていないふりをしてリビングへと戻っていった。
一連の動きは熟練の域にすら達していた。
リビングに戻るとニュース番組は天気予報に移っていた。今日はどうも冷え込むようだ。
用意した朝食を食べようと席に座ろうとすると充電をしていた携帯電話が着信音を鳴らし始めた。
青年は朝食を名残惜しそうに見つめた後、携帯電話を取りに行った。
――茶竹飛鳥、着信元は自身の部下の名前を表示していた。
青年は彼から早朝に電話がかかってくる理由に心当たりがなかったのか軽く眉をひそめながらも、振動を続ける携帯電話を耳に当てた。
「もしもし?」
青年のいぶかしげな声に電話から返って来たのは落ち着きのある男声だった。
「おはようございます、特等」
茶竹は青年のことを階級で呼んでいる。
これは互いに距離があるわけではなく彼らの仕事柄のものだった。
「おはよう。それでこんな時間からどうしたんだ?」
青年の問いに答える前に、茶竹は言いにくそうに所在を尋ねてきた。
「特等は今、ご自宅ですか?」
「そうだけど?」
「白神統括から至急おひとりで執務室に出頭するようにと」
それは青年の上司からのお呼び出しであった。
「……分かった、急いで向かう」
「お願いいたします」
「ああ」
茶竹の要件はそれだけだったようで、どちらともなく通話を切った。
「ハァ」
理由は分からずとも呼ばれたからには急がねばならないのは、社会人の悲しい性であった。
青年は急いで朝食を流し込み、空いた食器を片付けて着替えるために自室へ駆け込んだ。
青年は自室のクローゼットからシャツ、制服、ネクタイを取り出し順に身に着け始める。
シャツとズボンを身に着けたところで姿見を使いながらネクタイを締める。その出来は可もなく不可もなくといったところであった。
シャツの上から制服を着こみ上までボタンを留めると、箪笥の上に置かれた小箱から金属製のバッジを複数取り出した。
制服の左襟に二つバッジを付けると残ったバッジは左の胸元に取り付けた。
最後に、姿見で乱れがないことを確認してからカバンを手に玄関に向かった。
「ンド、ンド、ンド、ンド、ホット、サンド~」
途中、居候の部屋から馬鹿みたいな歌が聞こえてきたが聞かなかったことにして玄関に向かった。
「いってきます!」
二階で歌いながらゲームを続けているであろう少女に聞こえるように大声で外出を伝えると、返答を待たずに家から出た。
外は朝だということもあり肌寒かった。
青年は寒さから逃げるように車に乗り込んだ。