スイカズラの蜜の約束
子どもの頃、わたしは彼女と二人だけでよく遊んだ。
草花の生い茂る野原で、林にはスイカズラがたくさん咲いていて、夕映えのなかでわたし達はその蜜を吸ったのだ。
牧歌的な日々、裏表のない純粋なる交流。日が経つにつれて遠ざかっていくわたし達の少女時代の記憶は、時が過ぎても色褪せないかけがえのない宝物であった。
それから十年後、わたしは彼女と共に思い出の野原へと足を踏み入れた。歳を重ね、大人になり、視野も少しは広がり、あらゆることが出来るようになってから、長らく訪れてこなかった思い出の地に、わざわざ足を踏み入れたのは、ただ単に思い出に浸るためではなかった。
この野原は特別だった。この林は特別だった。
ここには言い伝えがあった。それは大人たちに伝わるとても旧い言い伝えで、わたしも彼女も子ども時代には全く知らないことだった。
──永久を誓う者、互いに手をとりスイカズラの蜜を吸え。
大きくなってその話を二人で知った時、わたし達の間にはある種の緊張感が走った。
互いに素直になれなくなったのは、いつの頃からだっただろう。
小さい頃は本当に自然に二人でいた。一緒にいることが当たり前で、血は繋がってなくとも魂で繋がっている仲のいい姉妹のような関係だった。
けれど、時間が経つごとに体も心も成長していくと、無邪気な楽しさだけでないものを彼女と一緒にいる間に感じるようになったのだ。
しかし、わたしはそれに気づかないふりをし続けた。
彼女が特別だとようやく思い知ったのは、珍しく喧嘩して、離れ離れになった時のことだった。
友達と喧嘩をすることなんて珍しいことでもなかったのに、彼女ともう分かり合えないのではないかという恐怖は、世界がぐらつくほど大きなものだった。
そして、これからはずっと一緒にいられないかもしれないという不安は、わたしにとって世界の危機に等しかった。
無事に仲直りできたときの安心感は計り知れない。それは、自然のなり行きで時間をかけて元の関係に戻ることすら平気で願える他の友達とは明らかに違った。
そして、彼女が親友の枠組みすら越えていることに気づけたのは、学校という当たり前に毎日一緒にいられる籠の世界から飛び立つ日が来た時のことだった。
それぞれ進む道が変わってしまったわたしたちは、これまでのように四六時中一緒にいることさできなくなる。
その時が差し迫り、例の言い伝えを耳にしたとき、わたしたちは共にその場所を目指すこととなったのだ。
手を握り合うと、スイカズラの花を摘み、同じタイミングで口に含む。一瞬だけ懐かしい甘味が広がるのを感じると、心が温まると同時にぼろぼろと涙がこぼれ落ちた。
これから、わたし達の当たり前は変わってしまう。同じ学舎で過ごす何でもない時間がどれだけ恵まれていたものだったか。過ぎ去ったその日々が恋しくて、泣いてしまったわたしの頬に、彼女はそっと触れてくれた。涙をすくうとにっこり笑い、彼女はわたしに囁いた。
「泣かないで。わたし達は永久の絆を結んだんだよ」
希望ある明るい笑みに、わたしは泣きながら笑った。
それから、新しい日々が始まった。彼女が隣にいないだけで、学校という施設は心細く感じてしまった。けれど、それだけに、約束しあって彼女と会えるほんの僅かな時間が尊かった。
スイカズラの蜜で約束したためか、大人になったわたし達の関係は、一気に素直なものとなった。彼女と会うだけで幸せになれたし、会っていないときも彼女との絆を思い出すだけで心強かった。
彼女が常に隣にいなくてもわたしが寂しくなかったのは、きっとスイカズラの蜜のお陰だろう。あの言い伝えのお陰でわたし達は素直になれて、関係が深まった。
そしてあの場所は、わたし達にとって思い出の聖地となったのだ。
それから、さらに十年経った。
離れ離れに学んだ日々はあっという間に終わりを告げ、モラトリアムとの惜別の果てに、わたし達は選んだ道をさらに進み、やがては共に暮らせるようになった。
どんなに忙しくとも家に帰れば彼女は当たり前にいて、或いは当たり前に帰ってくる。ほっとする我が家が出来上がったことは喜びだった。そして、一緒にいるだけで心安らぐこの関係は、わたしにとって何よりの宝物だった。
彼女が一緒ならば、何処だって楽しい。ただの公園も素晴らしいテーマパークになってしまう。そんな日々を送り続け、あっという間に時は過ぎていった。
初めて約束を交わしたあの日から十年。
わたし達は再び聖地に足を踏み入れていた。今ではすっかり過去となった子ども時代の思い出がちらつくなかで、わたしは彼女と手を握り、共にスイカズラを摘んだ。
「今日で十年だね」
わたしがそう言うと、彼女はそっとこちらを見上げてきた。独り占めしたくなるその顔に色気ある仄かな笑みを浮かべると、スイカズラを杯のように高く掲げた。
「十年の愛に」
彼女の言葉に続き、わたしは言った。
「そして、これからの月日に」
誓いを交わし、共にスイカズラの蜜を吸う。
記憶よりも甘いその味を、大切な人から貰ったたくさんの幸せと共に噛みしめる。
そして、わたし達は甘味を含んだ唇を重ねて抱き合った。
子どもの頃とは明らかに違うこの関係は、この先、滅びに向かって歩み続けるわたしにとって、まさに生きる原動力とも言えた。
辛いことも、恐ろしいことも、わたしの歩みを止められやしないだろう。
スイカズラの蜜を共に吸った、彼女が隣にいる限り。