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白藍の鱗   作者: きなり
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後編


それから

 それから私たちの生活は一変した。私はスタールームプロダクションと業務提携をしている写真家を紹介してもらい、学校のない土日と長期休みはその人のもとで働かせてもらっていた。基本的には都内、ときには地方の撮影にもついていっており、多くはないがお給料もいただいていた。私たちの住む町からだと都内も二時間近くかかり、学校の勉強もおろそかにしないと両親と約束していたので、なかなか忙しい毎日を送っている。

 一方ルイちゃんはもうこの町にはいない。両親をなんとか説得し、無事に事務所入りしたルイちゃんは、始めはなんとか通って仕事をしていたものの、『SNSで話題の美少女ついにモデルデビュー』とあっという間に人気に火が付き、通うのが難しくなった。両親ともそれほど仲良くなかったようだし、学校にも私以外の仲のいい友達はほとんどいなかったので、この町を出るのに特に悩むことはなかったのだろう。ずっと取り合っていた連絡も、忙しいのか最近はかなり減ってきている。

 あまりにも速いスピードで進んでいき、あっという間にいなくなったルイちゃん。頭で理解していても心が追い付かなかった。ルイちゃんが私のことを大切に思ってくれていることはわかっているし、この町を出ていく日にもお互い頑張ろうと約束した。でもやっぱり、一年半ほどずっと隣にいた人が、私を夢のような世界に連れていってくれる大好きな人がいなくなるのは、予想以上に辛く、心に真っ黒のあざができたようだった。ふとした瞬間や、あのパン屋に行ったとき、ズキズキと心が痛む。私はその痛みを忘れるよう、ただ毎日必死に写真やカメラ、写真家の仕事について学んでいた。



 小沢さんに紹介してもらい、出会ったのは川島さんという写真家で、いろいろな女優を撮った自身の写真集や、アート系の雑誌の専属カメラマン、映画の宣伝用写真の撮影など活躍している人だった。写真家に直接会ったのは初めてで、現場はとにかく刺激的だった。わからないことだらけだったが必死に食らいついていた。

 働かせてもらえるようになってから、少し経ったある現場の休憩中、なんで私を受け入れてくれたのかという、ずっと疑問に思っていたことを、ぶつけたことがあった。川島さんは、頼まれたから、とそれだけ答えた。それだけですか?と食い下がれば、少し考えてから小沢さんに言われたことを話し始めた。

「まだ高校生の若くて才能のある、写真でしか生きられない子から俺たちは、七瀬ルイを奪ったんだ、って。親友であり、モデルであるその子にとってとても大切な人を奪ってしまったのに、そのまま何もしないというわけにはいかない。」

そういって小沢さんに頼まれたらしい。あの小沢さんがそんなことを考えてくれていたなんて驚いてしまった。驚いている私に、川島さんは、まあ俺も夢に向かってもがいてる奴は嫌いじゃないしね、とニヤッと笑た。どうやら私は思っていた以上に出会いに恵まれたらしい。もっと頑張らなければとさらに気合いが入った。

 そのまま働き続け、慣れてきたころには、ルイちゃんとはほとんど連絡を取らなくなっていた。成功して、昔仲が良かった人と連絡を取らなくなるなんてよくあることだ。それでも私はスマホのロック画面も変えられずにいたし、インスタのアカウントもそのままなのでルイちゃんを思い出さない日はなかった。ルイちゃんに置いて行かれたくないと、それは私の原動力にもなっていた。

 川島さんともだいぶ仲良くなり、自分の夢を話したり、自分の過去の写真を見せることも多くなった。何度か賞に応募してみないかと言われたこともあったが、今は知識と経験を積みたいと毎度断っていた。日に日に積もるルイちゃんへの思いが、いつの間にか黒い霧のようなわだかまりに感じたし、未だに消えそうにない心のあざ、有名になっていくルイちゃん、そんな状況でルイちゃんの写真を使う気持ちにはなれなかったのだ。もっと経験を積んで、自分に自信をもてるようになってから、その時まだこの写真達に魅力を感じていられたら、ルイちゃんの写真は私の作品として世に出そう。そう心に決め、私は今はひたすら学ぶことを選んだのだ。

 できる限り川島さんのもとで過ごし、それ以外の時間はひたすら本を読んだり、映画を見たり、一人旅に行ったりとたくさんのものを吸収し、撮りたいと浮かんだ想像の世界をノートに書き留めた。必死にな手ばなるほど時間は早く過ぎていった。




 その後あっという間に私は高校を卒業し、都内の専門学校に進んだ。今はもう立派な川島さんの助手である。高校生のあの時のように大掛かりなものではないが、専門学校の仲間の力を借りたり、学んだことを活かして、自分の作品を撮ることもできるようになり、撮った写真を川島さんに見てもらうことも増えた。そして先日、私は写真家の世界でもかなり有名な大きな賞に応募をした。この賞で最優秀賞をとるとアート系のいくつかの雑誌にも掲載され、作品集を出版できると約束されている。これは写真家として生きていくためのとても大きな一歩になるのだ。

 その応募する写真に、私はルイちゃんの写真を選んだ。そう、初めて想像し作り上げた作品、海の中で泡に包まれ泳ぐ制服の少女の、あの写真だ。

 知識と経験を積んであの頃よりもっと上手く写真は撮れるようになっていた。でもどうしてもあの写真には勝てなかった。ルイちゃんの事務所にも許可をとろうと連絡するとルイちゃんのマネージャーをしている小沢さんに、もともとあれは貴方の作品です、思うように使ってください。とすぐに許可をとることができた。

 ルイちゃんの人気にあやかろうとしてるとか、ルイちゃんのおかげだと言う人もいるだろう。でもそんな人たちもこの写真を見れば、その一瞬だけでも夢の世界、違う世界に連れていくことができる、ここまで川島さんの元で働いて、そう思うことができるようになった。モデルを選ぶところからその写真を作られていて、選んだ私の力でもあるのだと思っている。なにより正式にもっと大勢の人にこの写真を見てもらいたい、私の力を認めてほしい。一度大きな転機になった写真、もう一度私にとって良い転機になることを願って、あの写真を提出した。




 「たまの最優秀賞を祝って、乾杯!!」

グラス同士がぶつかる音が響く。どうやら私の願いは届いたらしく、見事に最優秀賞をつかみ取った。そのお祝いを川島さんのチームのみんながしてくれている。チームのみんなは私以上に喜んでくれているのではないかというくらい喜んでくれて、この会も大いに盛り上がっている。嬉しいことだが、私は早くもテンションについていけない気がしている。未成年じゃなくてよかった。飲まなきゃついていけないだろう。こんなにもみんなのテンションが高いのにはもう一つ理由があった。川島さんが個人事務所を立ち上げることになったのだ。前々から川島さんは、写真家たちがもっと活躍できて、働きやすい環境を作りたいと話していた。その意思を受けて、これまでの川島さんの活躍が認められたことと、スタールームプロダクションが視野を広げていきたいと考えていたことから、提携会社としてスタールームから援助を受けて設立できることになったのだ。私も今回の受賞で、助手を卒業し、写真家としてこの事務所に所属することが決まっている。

「たまお前写真集どうするんだ?なんか決まってるのか?」

「あー、これからたくさん撮ろうかと思ってます、これまでの私の写真ほぼルイちゃんしかないので。」

受賞により、作品集を出せることが確定しているので、チームメンバーはとても気になっているらしい。手伝うからいつでも言えよとみんな声をかけてくれる。チームの多くの人が川島さんの事務所に所属するので、これからは私の仕事も協力してもらうことができるのだ。ちゃんと一人の写真家だ!と嬉しくなる。

「そんで、具体的にはどうするかね。」

ちょっと代われと人をどかし、川島さんが私の隣に移動してくる。やっと一人の写真家になったとはいえ、まだわからないことばかりなので、写真集のことなどは、川島社長と相談ということになっている。

「ルイちゃんとの写真はいつか、ルイちゃんだけの写真集として出したいんです。事務所の方に許可撮るのも大変ですしね。それにいつまでも過去を引きずっている感じがするから。新しく写真を撮りたいです。私はファンタジーメインの写真家だからそれが伝わるデビュー作にしたいと思ってます。」

「誰かモデルを使ってお前の想像している世界を撮る感じになるかな。誰か撮りたい人とかいるの?まあ新人だから頼める人も限りあるけど。」

「あ、それなんですけ…」

「モデルとかなら僕が対応しますよ。」

突然隣から声がしたと思えば、いつの間に来たのか、小沢さんが座っていた。上着が脱ぎ掛けのまま店員さんからビールを受け取っているのでちょうど今来たというところだろう。

「もう、小沢さんは私にかぶせてくるのが好きなんですか?」

来ていただいてありがとうございます、と続けながら、初めて会った日のことを思い出す。小沢さんはごめんごめんと笑いながら、美味しそうにビールを飲んだ。この数年で小沢さんともだいぶ距離が縮まったともう。川島さんと小沢さんが仲がいいこともあって、一緒に飲む機会も多かった。軽口を叩けるくらいには打ち解けている。川島さんの事務所との連携も小沢さんが責任者になるらしい。過労死しないのだろうかと思うが、私が心配したところでどうにもならないので、考えないことにしている。それになんとなくだが、小沢さんは何をしても死なない気がする。

「モデルじゃなくて、学生にお願いしたいんです。」

「どういうこと?」

「えっと、一つの町とかを、不思議なことが起こる町みたいなテーマにして、そこに本当に住んでる人たちに協力してもらって写真を撮るみたいな。主人公的な地元の学生もおいて物語風にやりたいなって。」

ん-、と川島さんと小沢さんは黙って考えを巡らせている。このテーマは高校生のうちから考えていたもので、一般の人を撮ることで、私の写真の世界が自分の周りにもあるんじゃないかと、起こるんじゃないかと、身近に思ってもらえるのではないかと考えていたのだ。

「いいんじゃないかな。」

「手配してみましょう。」

ほぼ同時に、二人からも許可が出る。決まったなら早くやりましょうよ!と近くに座るメンバーたちからも声がかかった。とうとう始まるのだ。早く撮りたい。公式の場ではないものの、自分の作品の話に気持ちが盛り上がる。

「よろしくお願いします!!!」

玉城あこ、写真家人生のスタートだ。



 



 私が無事に写真集を発売したその日、『蒼山朔、七瀬ルイ熱愛発覚』のニュースが流れた。





 写真家と初恋の人探し、私たちがそれぞれの目的を果たしたあの日から、私は順調に売れっ子写真家としての道を歩んでいた。写真集も何冊も出させてもらい、企業ポスターの撮影、若手俳優とタッグを組んで雑誌の連載もしている。最近は個展の話も出て順風満帆だ。

 ときおり、七瀬ルイと仲が良いんですねとモデルさんから聞かれたり、あのインスタで話題になった写真の人だと言われることもある。聞いてもいないのに最近のルイちゃんの情報を話してくる人もいる。大抵聞き流すようにしているが、一つだけ気になったことあった。先日ルイちゃんと撮影が一緒だったというモデルさんの話だ。その話はルイちゃんのスマホのロック画面が、制服を着た私とルイちゃんが、パンを持って笑っている写真だったというものだ。ルイちゃんもあの頃からロック画面を変えていなかったらしい。でもだからと言って、私がなにかするわけではなかった。もう連絡を取らなくなってずいぶんとたち、どう連絡を取っていいのかわからなくなっていたのだ。ただこの話だけは聞き流して終わりにはできず、久々にずっしりと心の中にルイちゃんが居座った。

 そんな私のことなんて何もしらないルイちゃんは、モデルからとっくに女優になっており、今はもう女優だけでなく、表現者として様々な場面で活躍している。この前の仕事では、ルイちゃんがMVにダンサーとして出演した曲のジャケット写真の撮影をした。映画やドラマ、CM、ルイちゃんを見ない日はなかったし、数々の賞も受賞しているらしい。

 もう今はルイちゃんが原動力になることもないし、心のあざもあったことさえ忘れている。純粋にルイちゃんの活躍を喜べる自分もいる。ただその姿を見るたびに、名前を聞くたびに、少しだけ会いたくなることが増えていった。



 今日は私の二十五歳の誕生日だ。かといってとくに何か普段と変わるわけではない。仕事の仲間たちがお祝いすると言ってくれていたが、私が夜まで仕事ということで、別日になった。そのため今日、誕生日を感じることができるのは両親から届いた、明らかに健康に気を使えと言いたいのだろうなという調味料や野菜のプレゼントと、何人かの友人からきたメッセージだけだ。モモちゃんからはお祝いのメッセージとともに、私の隣の席だった野球部のアイツと結婚するという報告がついており、朝から驚かされた。もう二十五だもんな…と時の流れを感じながら、それでも私のやるべきことは写真だと、気合いを入れなおし撮影に向かった。


 撮影も問題なく終了し、時刻は二十一時。今朝届いた野菜を使って適当におつまみをつくり、撮影現場でいただいたワインを開ける。最高の時間である。なんとなくテレビをつけると長時間の生放送音楽番組がやっていた。番組ももう後半だが、あと二時間は続くらしく、十分楽しめそうだ。最新の人気曲から、学生時代によく聞いていた曲まで知っている曲も多く、ワインが進む。高校生の時に比べて、沢山映画や本を読んできたことと、仕事もあり、人並みに芸能人もわかるようになってよかった。

 つまみもなくなり、そろそろいいだろうと、今日のために買っておいた普段なら買わないお高めのケーキを冷蔵庫から取り出す。ワインにも合うだろうよかった。静かに心躍らせながらフォークを指し、口に運ぶ。柔らかな甘味が口いっぱいに広がり、今日一番の幸せを感じる。思ったとおりワインとの相性も良い。少しでも長くこの幸せを続けるため、ゆっっくり食べ進める。

「続いての登場は七瀬ルイさんです!!」

ルイちゃんの名前が聞こえ、驚いてケーキからテレビに視線を戻す。そこには、袖のない、スッと美しい白藍のワンピースを着たルイちゃんがいた。艶めく真っ黒の髪は相変わらず三つ編みになっている。あの頃のルイちゃんを見ているみたいだった。私の隣にいつもいてくれた時のような、もちろん大人になってはいるが、そう思わずにはいられない姿だった。

 曲が始まった。真っ黒な髪と、ワンピースの裾がゆらり揺れる。真っ白な肌、潤んだ強い瞳。一瞬にしてあの日の、制服で海に飛び込んだあの日のルイちゃんが頭の中を駆け巡った。心臓がギュッ握り占められているように全身に力が入る。心臓の音が体中に響きだす。

「人魚みたい…」

そう思った時、息を吐き、泡を作り出し、操る、海を感じて感じられるルイちゃんの姿が一気にフラッシュバックしてきた。人魚なんて馬鹿げていると自分でも思うが、一度人魚だと思うともう人魚にしか見えない。それにルイちゃんがどこか人間離れしていることを私はよく知っている。なんで忘れていたのだろう。明らかに不思議なことが起こっていたのに。それを納得させてしまうような、泡に包まれた人魚姫のように気高く美しいルイちゃんの姿をどうして思い出さずにいたのだろう。

 思い出した途端、この世界の住人とは思えない空気を身にまとうルイちゃんの姿が次々に浮かんでくる。制服のまま気持ちよさそうに泳ぐ姿、夕焼けの目をした遠くを見つめるルイちゃん、雨の雫の宝石のようなルイちゃん。たくさん見ていたはずだ。

 ルイちゃんの歌唱が終わった。私はすぐに、引き出しの奥にしまっていた当時の写真たちを取り出し、一枚一枚見ていく。もう頭の中はルイちゃんでいっぱいだ。最後に制服で海を泳ぐ写真を眺める。あの時は「何も聞かずに信じてくれる?」と言われたのだ。あれから何年も経っている今なら聞いてもいいような気がした。

『ルイちゃんは人魚姫ですか?』

スマホを取り出し、私は何年振りかにルイちゃんにメッセージを送った。

 










告白

『お誕生日おめでとう。たまちゃんに話したいことがあります。』

日付の変わる二分前、ルイちゃんから返信があった。一番に思ったのは、誕生日覚えてたんだということだった。かなりインパクトのあるメッセージを送ったのに、それについては否定どころか、触れてもこなかった。やっぱり人魚姫なんだろうか。話とは何だろう。すぐに私も返信をする。久々のLINEのやりとりで、妙な緊張感の中、あっという間に一週間後、再会の日が決まった。



 いかにも芸能人ご用達ですといった品の良くおしゃれなお店の前、一度立ち止まり、気持ちを整える。先ほど着いたという連絡がきており、このお店にルイちゃんがいる。会うのは高校二年生ぶり、約八年ぶりだ。一体どんな顔して会えばいいのだろうか。特になにか喧嘩して別れたとかではないし、なんならお互いのことが大好きなまま別れている。しかし八年という長い時間が、大好きだった気持ちをわだかまりや、焦りに変え、今はもうよくわからない。会いたいと思うのだから好きなのだろう、でも手放しにルイちゃんが好きとは言えない気がした。ウダウダと考えてしまうが、いいかげんもう待たせてはいけない。意を決してお店のドアを開けた。


 お店の人に案内され、個室のドアが開く。目の前にルイちゃんがいる。テレビの中でも、広告でもない、本物のルイちゃんだ。とてつもないスピードで涙がこみ上げる。グッとこらえたかったのに間に合わない。ボロボロと涙が零れる。

「ルイちゃん会いたかった…」

そう、会いたかった。ずっと私は会いたかったのだ。置いて行かれたくないとか、負けたくないというよくわからない意地を張って、ずっと心の奥底にしまっていたけど、私はルイちゃんに会いたかった。ずっとしまっていた思いが止まらなく溢れる。その場で動けなくなってしまった。ルイちゃんはゆっくりと立ち上がり、こちらに向かってきて私を抱きしめた。

「私も会いたかったよ…」

声が震えている。肩にも冷たい粒が当たる。私たちは泣きながら抱きしめ合った。

「ルイちゃんどんどん離れていっちゃうんだもん、どうしていいかわからなかったんだよ。」

「うん、ごめんね。」

「連絡も来なくなるしさ、すごい寂しかったんだよ。」

「うん、そうだよねごめんね。」

止まらない私の文句をルイちゃんは受け止めてくれている。しばらくの間そのまま抱きしめ合っていた。

 いいかげん泣いて涙が止まってきたころ、私たちは離れて席に座った。適当に飲みものと何品かを頼む。店員さんが明らかに泣き顔の私たちに驚いたのを見て、顔を見合わせて笑った。私たちはすぐに高校生の頃と同じように笑い合い、文句も言い、これまでのことを話した。スマホのロック画面もお互いそのままで、気持ち悪いねとまた笑う。蒼山朔との熱愛は本当で、今現在も付き合っているらしい。私の写真集も全て買ってくれているそうだ。モモちゃんとはたまに連絡を取っており、結婚のことも聞いたようだ。私の方も、川島さんのもとでずっと働いていたこと、今はその川島さんの事務所にいること、今どんな仕事をしているかを伝えた。話をしながら、大人になり、芸能界の波にもまれてさらに美しくなったルイちゃんを何度もスマホで撮った。久しぶりで恥ずかしいと言いながらも、素直に撮らせてくれている。二人でも何枚か写真を撮った。ルイちゃんの隣に写る私の表情が幸せそうすぎて、自分に少し引いてしまった。


「そろそろ話してもいいかな。」

一通り、今までの話も終わり、頼んだ食べ物もなくなってきたころ、真面目な顔でルイちゃんが言った。そうだ忘れてはいけない。今日は私の疑問とルイちゃんの話を聞くために来たのだ。私が頷くと、ルイちゃんは悲しそうな顔をしながら話始めた。

「結論から言うとね、私人魚なんだよね。しかもちゃんとお姫様。」

やっぱりそうか。驚かなかったと言えば嘘だが、それほど動揺はしなかった。ルイちゃんなら不思議なことも普通なことに思えてくるのだ。簡単には信じられないことを言われているのに、私の中にスッと入ってくる。今は口を挟むべきではないと思い、黙って話を聞く。

「海の世界、人魚の世界はね、毎日穏やかに過ぎていくの。歌ったり踊ったりして平和に暮らすの。王族は人魚の象徴のような感じだから、美しく優雅に、穏やかに過ごすことが求められてる。私には姉や妹もいてみんな求められるようになんの疑問も持たずに過ごしてた。でも私はその中でなじめなかったの。」

海の外の世界に興味もあったし、もっと刺激のある毎日を求めてた、普通っていう生き方をすることに何の疑問も持たなくなるのが怖かったと、話を続ける。アリエルみたいな感じだねと辛そうに笑う。

「浅瀬まで行って人に会おうとしたり、沈んできた見たことのないものを集めたり、いたずらも沢山したし、国を開拓しようと遠くまで行ってみたりもしてた。今考えるとめちゃくちゃなことばっかりだけど、何の疑問も持たずにただ、望まれるように普通に生きるというのが私にはすごく苦しかったの。いくら怒られてもめげなかったから問題を起こさないように部屋に閉じ込められたりもしてた。そんなときに、蒼山朔に出会ったの。」

私たちの住む世界とは全く違う世界は確かにあったのだ。そしてその世界はルイちゃんをひどく苦しめていたのだ。ルイちゃんが認めてもらえるのは嬉しいと話ていたのはこのことがあったからだろうと思った。人魚だということは予想していたからいいものの、実際のその世界の話はなかなか理解できるものではなく、頭を整理するのに時間がかかってしまう。ルイちゃんもそれをわかって、時折、整理する時間をとってくれていた。

「丁度9歳くらいの時かな、人を見たくて陸の方に近づいていったときにね、過って海に落ちて溺れている子を助けたの。それが蒼山朔だった。朔は親から離れたところで溺れたみたいで、助けたあと、誰かが探しに来るまで、ずっと話してたの。外の世界の話をたくさん聞いて、朔自身の話もたくさん聞いて、幼いながら私は朔に恋したんだよね。でもそれからもう会えることはなかった。住む世界が違うからね。」

朔と再会した時、このこと朔も覚えてたんだよと、辛そうだった表情から嬉しそうな笑顔に変わった。会ってすぐ、あの時の人魚さんですか?って聞かれたのだという。その話をきいて二人は運命の人だったんだろうなと思った。

「まあでも、思ったより感動しなかったんだよね。」

ルイちゃんがフッと笑う。さっきまでとても蒼山朔が覚えていたことを嬉しそうに話していたのに、突然そんなことをいうから驚いてしまった。

「もちろん覚えていたことは驚いたし、嬉しかったけど、やっぱり思い出って美化されるんだね。海の中から出たいっていうのもあって朔に会うために!って自分で思い込んでたのかなとも思うんだよね。もちろん朔のことは大好きだけど、九歳なんて運命とか憧れたのかなって思っちゃった。」

「それに朔がいなくても、海の外に来てからの生活は本当に幸せだったから」とルイちゃんは私を真っ直ぐに見つめて微笑む。心臓をギュッと掴まれたみたいに苦しくなった。

「ごめん、話戻すね。それで朔に恋した私は、外の世界に行く決心をしたの。捕まって牢獄にいた人魚の魔女に会って、人間にしてほしいと頼んだんだけど、もちろんただでなんかやってくれるわけなかったから、何度も何度も通って、お互いに納得をする条件を決めたの。私が人間として生きている間、魔女が私として生きるっていう条件。もちろん悪さをしないようにそこも条件に含めたけど、魔女はお姫様として生まれたかったらしくてそれも受け入れた。そのまま私たちは契約を結んだの。」

「でもね、その契約にはね…」

ルイちゃんの言葉が止まった。唇をかみ、目がいつもより潤んでいる。言いたくないなら言わなくていいと伝えたが、ルイちゃんは黙って首を振った。そのまましばらくルイちゃんのタイミングを待った。しばらくしてルイちゃんは大きく息を吐き、私を見つめる。

「三十歳になったら、私はこの世界からはいなくなるの。みんなの記憶からも消えて、人魚に戻る。」

「え?待って、どういうこと?いなくなるの?」

「そう。魔女の力には限りがあって三十歳までが限界だった。おとぎ話みたいにいつか泡になって消えてもいいならもっと期間は伸ばせるって言われたけど、泡になってなくなるなんて絶対に嫌だったし、それに三十歳まででも違う世界で生きられれば、朔に会うことできれば、そのあとは自分の力で強く生きて見せるって思ってたの。だからその条件で契約したの。」

ルイちゃんの顔はひどく辛そうで、嘘だとは思えなかった。だからと言って簡単に納得できる話ではなかった。ルイちゃんがいなくなる?しかも記憶からも消える?出会った日も、水曜のパン屋の日も、一緒に写真を撮った日も、離れ離れになった日も、今この瞬間も全て忘れてしまうということ?そんなの嫌だ。ルイちゃんは私にとって大切な人で、今私が写真家として生きているのもルイちゃんのおかげだ。なのにそれを全部忘れるなんてあっていいことではない。

「どうにかならないものなの…?」

「ならないの。私がこの仕事を始めたのは、たまちゃんも知っての通りの理由なんだけど、映画やドラマ、テレビに出ることで、人の記憶に残る可能性が高くなるかもしれないと思ったからっていうのもあるんだ。」

確かにそうだ。三十歳を過ぎた後、ルイちゃんの出演した作品はどうなるのだろう。忘れられるということは、全部消えてしまうのだろうか。私の写真からもルイちゃんはいなくなってしまうのか。

「全部忘れちゃうって、蒼山朔は知ってるの?」

「知らない。人魚っていうのは知っているけど、三十歳のことも記憶から消えることも話してないの。知ってるのはルイちゃんだけ。」

「そんな大事なこと言わなくていいの?特別な人なんでしょ、ちゃんと伝えたほうがいいんじゃないのかな…?」

私だったら、ちゃんと伝えてほしい。それで残された時間をできるだけ一緒に大切に過ごしたい。どうにかこのまま一緒にれる方法だって探すのに。蒼山朔のことは何も知らないけれど、何も知らされずにいなくなるなって辛すぎる。

「悩んだんだよ。でもきっと知らせたら、仕事とかほっぽり出してできるだけ一緒にいてくれようとするだろうし、悲しませちゃう。でも、その一緒に過ごした時間も、悲なしみも全部忘れちゃうんだよ。だったらわざわざ悲しますようなこともしたくないし、朔の人生の邪魔をしたくない。」

「じゃあなんで私には教えてくれたの?」

ルイちゃんの言っていることは理解できた。私にも特別な人がいたら、同じような選択をするのかもしれない。でもどうせ忘れちゃうというなら、なぜ私には話してくれたのだろうか。人魚ということを教えてくれたのも、理由があるのだろうか。

「ほんとはね、話すつもりはなかったの。写真家として活躍しているたまちゃんに余計な心配かけたくないし、邪魔したくなかった。人魚のこともそう、話すつもりはなかった。」

結果バレちゃったけどね、と困ったように笑う。誰にも話すつもりはなかったとルイちゃんは言う。

「連絡もやめて、離れていったのもね、たまちゃんと一緒にいたくなかったの。これ以上、私の中でたまちゃんを特別で大切な存在にしたくなかった。だって辛くなるばっかりでしょ?どれだけ特別で大切な人にも忘れられちゃうんだよ。どうせ忘れられちゃうなら、少しでも、辛い思いが少なくて済むように、私の中でから少しでもたまちゃんがいなくなるようにしたかったの。」

ごめんねと一粒の涙を流したルイちゃんになんて言葉をかけていいかわからなかった。私のことをそんな風に思っていたなんて。何も知らずにさっきは文句も言ってしまった。二人してまた泣き出してしまう。ずっと私ばかりが特別に思っていると思っていた。

「たまちゃんはね、私の運命の人だと思うの。朔じゃない、たまちゃんが。一人海の中で、誰も私のことなんて認めてくれなくて、馴染めずにずっと一人だった。私は普通じゃないって押さえつけられてた。」

苦しそうに涙を流しながら少しずつルイちゃんに私も涙が溢れてくる。テーブルの上に置かれたルイちゃんの手に手を伸ばし、ギュッと握った。

「そんな私のことをね、初めて認めててくれたのがたまちゃんだった。ありのままの私を沢山褒めてくれて、特別だって言ってくれて、このままの自分でいいんだって思えるようになったの。ずっと隣にいたいって思ってたし、たまちゃんのためだったらなんだよだってしたかった。朔を探しに来たはずなのに、たまちゃんと一緒にいるのが幸せ過ぎて朔のことよりたまちゃんとの事ばかり考えてた。たまちゃんが褒めてくれて、たまちゃんの撮った私を見て沢山の人が褒めて、認めてくれて、自信がついてこの芸能の世界に入れたのも、今の私がいるのは全部たまちゃんのおかげなんだよ。」

知らなかった、こんなにもルイちゃんが私を思ってくれていたなんて。もらうばっかりでルイちゃんに何も返せていないと思っていた。ちゃんと私もルイちゃんの幸せのためになれていたのだ。制服で海に入ったり、どんな無茶振りをしてもルイちゃんが答えてくれていたこともずっと疑問だったが、この話を聞いてやっと納得できた。私たちは自分たちが思う以上にちゃんと思い合っていたのだ。私の頬を次々に涙がつたっていく。

「芸能の世界に入って、今はもう沢山の人が私のことを認めてくれるようになったけどだめだったの。離れれば離れるほど、たまちゃんが私にとって特別だって気づいて、もう我慢できなかった。二十五歳になったとき、あと五年って考えたらどうしてたまちゃんに会いたくなったの。自分が辛くなりたくないから離れたのに、やっぱり会いたかった。でもこんなにも会ってなかったからどうしたらいいかわからなくて、ウジウジしてたときにLINEが来たの。そしたらもう止まらなくなっちゃって。」

もう二人して号泣である。顔はぐちゃぐちゃだ。ルイちゃんももう女優らしくない顔になっている。お互いにこれまでためてきた思いが爆発でである。

「朔みたいにね、わざわざ悲しませることはないって何回も思ったの。でも大切なたまちゃんを悲しませることになったとしても、できる限り一緒にいたかった。忘れたくても忘れられないくらいたまちゃんの心の中を私でいっぱいにしてほしかった。たまちゃんは初めてそのままの私を認めてくれた人で、初めてできた大切な人だから。ごめんねたまちゃん、苦しませちゃうけど、私の隣にいて…」

私は立ち上がり、崩れ落ちそうに泣いているルイちゃんを抱きしめる。抱きしめる私の腕をギュッと握り、ごめん、ごめんね、とルイちゃんはつぶやく。私は首を振る。謝らなくたっていいのだ。私はルイちゃんが一緒ならいくらでも苦しめる。どこまでだってついていくのに。

「ずっと隣にいる。もう絶対離さないよ。苦しむなら一緒に苦しもう。」

私たちは抱きしめ合い、涙が枯れるまで、泣き続けた。泣けば泣くほど、気持ちが軽くなるように感じた。私たちなら大丈夫。今の私はルイちゃんがいなきゃいなかった。写真を撮る理由を見つけられたのも、写真家になるきっかけも、大人になってチョココロネだって食べるようになった。それも全部ルイちゃんがいたからだ。記憶はなくなっても、私の中に、私の人生に残り続ける。何もかもなくなることはないから、私にルイちゃんがいた証を刻んでいこう、そう約束する。結局店員さんが閉店のラストオーダーを伝えにくるまで私たちは泣き続けたのだった。



最後に向けて

 ルイちゃんが秘密を明かしてくれた夜から、私たちはこれまでの八年を取り戻すように、そして最後に向けて、これでもかというくらい一緒に過ごしていた。仕事と恋人と過ごす時間以外は全て一緒にいる気がする。蒼山朔も紹介してもらい、小沢さんにも二人で会いに行き、私のルイちゃんだけの写真を使った個展を行うことと写真集を出すことが決まった。これで仕事でもルイちゃんに会える。二人でやりたいことは全てやろうと、少ない休みをなんとか合わせて旅行にも行っている。

 今日は、ずっとやりたかった思い出巡りだ。二人で私たちの住んでいた町に帰る。車でルイちゃんを迎えに行き、町に着いたら、ひとまず互いの実家に向かおうということになったが、ルイちゃんがやっぱりたまちゃんのお父さんお母さんにも会いたいというので二人で私の実家に向かった。

 今日帰るという連絡しかしていなかったので、両親はルイちゃんの登場に驚きながらも、とても嬉しそうだった。聞いてもないのに、私たち二人の高校生の時のエピソードをひたすら話し続けてきたが、ルイちゃんも嬉しそうだったのでよしとする。そして私の部屋で、蒼山朔と小田真希のドラマのあのシーンを見返した。そのあとはルイちゃんの実家に向かい、私も久々に挨拶をする。ルイちゃんの両親も私の写真集を買ってくれていたらしく、サインを求められて照れてしまった。

 軽くおしゃべりをしたあと、私たちは歩いてあのパン屋さんに向かった。今日はちゃんと水曜日、おめあてはシークレットセールだ。

 「こんにちは!席空いてますかね?」

「こんにちは、空いてますよ…っておいおい久しぶりだな!!!」

お店に入るとニカニカ店長が、相変わらずのニカニカで迎えてくれた。ずいぶん久しぶりじゃないか、もう来てくれないかと思ったよと嬉しそうに笑い、いつものね!とシークレットパンとサービスでアイスココアをくれる。さあ今回は一体どんなパンだろうか。

「たまちゃんこれはダメだ…」

一口かじった後、ものすごい形相でこちらを見る。ルイちゃんのはパイナップルパン、コッペパンに生クリームとパイナップルが挟まっているらしい。一見そんなにまずそうではないが、実際食べるととんでもない味がするらしい。眉間に皺のよったしんどそうなルイちゃんの写真をスマホにおさめ、私もパンを一口かじる。

「こっちもだめだよこれ。」

どうやら今回はどちらも外れらしい。私のパンは煮干し味噌パンだった。煮干しと味噌は悪くないが、パンとの相性は最悪だった。相変わらずだねと二人で思いっきり笑った。お客さんも少なかったので、ニカニカ店長と奥さんと沢山おしゃべりして幸せな時間を過ごした。

 気が付くと、時刻はもう三時。そろそろ出なくてはならない。私たちの今回の最後の目的、白ちゃんのもとに向かうのだ。名残惜しいが、挨拶して、サインを残し、私たちは母校に向かう。白ちゃんがまだ働いているのは確認済みだ。ルイちゃんは超有名女優なので、生徒が減った放課後を狙って訪ねることにしていたのだ。何かあるたびに報告の連絡などをしていたものの、直接会うのはかなり久しぶりだ。しかもルイちゃんと三人なんて高校生ぶりだ。嬉しくて二人ともニヤニヤが止まらない。

「失礼します。卒業生の玉城あこと七瀬ルイです。白川先生はいらっしゃりますでしょうか?」

職員室が一気にざわついた。突然の七瀬ルイの登場である、無理はない。職員室にくるまでもルイちゃんに気づいた生徒たちがざわついていた。

「おー!玉城と七瀬か!白川先生なら会議室にいるぞ。」

白ちゃんと同じよに、まだ残っている先生が私たちに気づいて声をかけてくれた。お礼を言い、会議室に向かう。途中生徒にルイちゃんが握手を求められたりとあったが、無事に会議室に到着した。

「白ちゃんせんせーい!!!」

勢いよく登場すると、そこには目をまんまるにした白ちゃんがいた。白ちゃんの驚いた顔なんて初めて見たかもしれない。二人で白ちゃんに駆け寄り、両側からハグをする。白ちゃんは驚きと困惑の表情を分かりにくく浮かべた。

「たまと七瀬か、随分と久しぶりだな。びっくりするから前もって連絡入れろよ。」

「も~久しぶりなのに冷たくない?もっと素直に喜んでよー!」

たまちゃんも私も会えるのすごい楽しみにしてたんだよ?」

そう文句を言えば、それもそうだなと、珍しく笑顔を見せてくれ、驚いて私たち二人とも黙ってしまった。そんな私たちを見て。黙るんだったらもう笑わねえとすぐ真顔に戻ってしまった。

 「白ちゃん先生、私たちねいろいろあったけど、二人とも夢も叶えたし、こうやって今も仲良くしてるよ。」

「全部あのとき白ちゃんが一緒に来てくれたおかげだよ。応援してくれてありがとうね。今日はそれを言いに来たの。」

どんな人と出会って、どんな仕事をしたか、嬉しかったこと、辛かったこと、白ちゃんに話したかったことは沢山ある。私は受賞した時など節々で連絡を取って報告をしていたが、ルイちゃんは相当久しぶりのようで話が止まらない。白ちゃんもそのままのルイちゃんを認めていた一人だ、きっと大事な先生なんだろう。白ちゃんも私たちが来たことがかなり嬉しいらしく、隠しているつもりかもしれないが、ずっと頬が緩んでいる。

 白ちゃんと三人で当時使っていた教室や、校庭、屋上と学校を周る。その間も話は止まらなくて、見かねた白ちゃんが、飯でも行くかと言われ、私たちは学校を後にし、あのときのレストランに向かうことになった。

 レストランでは、当時私たちがどれだけ手がかかったかという話を聞かされたり、嫌がる白ちゃんを押さえつけて一緒に写真を撮った。お酒も入り、当時の暴露話が始まり、びしょびしょで登校した件は、わざと夏休みの最終日を狙ったことなどを話せば、白ちゃんに思いっきりため息をつかれた。笑いが止まらない最高の時間だった。

「また絶対三人で会いましょうね!白ちゃん先生それまで元気でね!!」

楽しい時間はあという間にすぎるものだ。私たちは白ちゃんと約束を交わし、それぞれの家へ向かい、今回の思いで巡りは終わりを告げた。


さようなら

 驚くほどのスピードで、あっという間に五年は過ぎてしまった。明日ルイちゃんは三十歳になる。最後の日、私はルイちゃんの隣にいた。前日からルイちゃんに自宅に泊まり、朝から好きなものだけを食べて、穏やかに過ごしている。

 白ちゃんや小沢さん、ルイちゃんの両親など、ルイちゃんの大切な人たちには事前に挨拶はすませてある。挨拶と言っても、相手は何もわからないので、一方的に感謝を伝えただけだが、何かを感じたのか、みんな優しくルイちゃんを抱きしめていた。挨拶に行った夜、ルイちゃんはいつも辛そうに泣いていた。一緒に苦しむと言った私は、泣きながら辛い、悲しい、とこぼすルイちゃんを眠るまで抱きしめ続けた。私にはこのくらいしかしてあげることができなかった。

 全てのきっかけの人、蒼山朔には、二年ほど前に別れを告げていた。一人だと伝えられないかもしれないからついてきてほしいと頼まれ、呼び出したお店の遠くの席に座り、見守ることとなった。これ以上私といたら、彼の家庭を持ちたいという夢を叶えるチャンスを奪ってしまうと、大好きな人に別れを告げる姿は辛そうで、でも儚くそして強く、美しかった。一生忘れないと思う。でも蒼山朔が目の前から立去るのを見送り、姿が見えなくなった瞬間、ルイちゃんは嗚咽を漏らし、大粒の涙を流した。その姿は心の痛みに必死で耐える一人の普通の女の子だった。その日は朝までルイちゃんを抱きしめ続けた。

 私は最後に最後までルイちゃんの姿を残そうと、大切な人たちとお別れをする時も、一人蹲ってなく姿も写真に収め続けた。



 もう最後の日の太陽も沈んだ。二人でルイちゃんの好物を作り、お気に入りのワインを飲む。私は最後のこの日も写真を撮り続けた。そして今まで撮ってきた写真を全て現像、プリントし、高校生の頃から始まり、この五年間のルイちゃんの全てを一枚一枚二人で眺めた。

「これ、紫陽花通りの写真だ。」

「たまちゃんの写真撮る理由探したときでしょう?全然自分で気づかないから面白かったんだよ。」

「そんなこと思ってたの?」

ニヤニヤとした顔でルイちゃんが笑う。今日でこの笑顔ともさよならかと思うと涙が零れそうになるが、楽しく最後を過ごすために泣かないと決めていたので、グッとこらえる。泣きそうな私に気づいたルイちゃんは優しく微笑んだ。

「この日、人魚姫の力使っちゃったから絶対バレると思ったんだよ。」

制服で海で泳ぐ写真をルイちゃんが手にする。

「見てるときはさ、不思議なことが起こってるって思ってたんだけど、写真撮ってるうちに頭から抜けちゃったんだよね。ルイちゃんに久しぶりにLINEした日に急に思い出したの。」

「あ、あの歌ったときか。」

「そうそうあの時、フラッシュバックみたいに思い出した。それにしてもやっぱりこの写真が、私の過去最高の写真だね。」

この写真を撮ったときのことは一生忘れないと思う。きっとこの先この最高の瞬間を超える写真を目指して、私は写真を撮り続けるだろう。そう思っているけれど、ルイちゃんを忘れてしまったら、このことも全て忘れてしまうのだろうか。絶対に忘れたくないなと思う。

 一枚一枚大切に見返し、撮った当時のことを思い出す。どうかせめてこの写真たちは残りますように。あわよくばルイちゃんがこのままいられますようにと、心の中で神様に願う。もうこの願いも何度したことだろうか。

 ルイちゃんだけをカメラで撮った写真も、スマホで撮った日常写真も沢山の写真があった。そして、最後に一枚を見終わるころにはもう二十三時を回っていた。あと一時間、確実に時間は迫っている。私が明日やるからいいよと、片付けもそこそこに、歯磨きをして、『ここは大好きな友達の家です。片づけをしてから帰りましょう。』と私宛のメモを残してベットに向かった。


 ベットに二人並んで入り、どちらともなく手を握った。

「たまちゃん、最後まで隣にいてくれてありがとう。ごめんね、辛い思いをさせて。」

そんなこと言わないでほしい。これが最後だということを突き付けられる。ずっと我慢してきた涙が、もう我慢できなくなって流れ出した。ルイちゃんは私の手をギュッと握り、話を続ける。

「たまちゃんに出会えて本当に良かった。たまちゃんは私のたった一人の特別で世界で一番大切な人だよ。今までありがとう。」

ルイちゃんの声も震えている。五年も前から覚悟はしていたはずだ。それでもやっぱりルイちゃんがいなくなるのも、ルイちゃんを忘れてしまうのも嫌で、涙が止まらない。だからといって時間は止まってくれない。私もルイちゃんに伝えなければ。

「私の方こそルイちゃんに出会えて本当に良かったと思ってるよ。ルイちゃんに出会えて世界が変わったの。私にとってもルイちゃんは特別で世界で一番大切な人です。たとえ記憶からはなくなってもルイちゃんは私の中から、人生から消えることはないからね。こちらこそ今までありがとう。」

ありきたりな言葉しか言えないけれど、これまで過ごしてきてお互いがお互いをどれだけ大切に思っているかはもうわかっている。

「おやすみルイちゃん。」

「おやすみ、たまちゃん。」

ルイちゃんの手のぬくもりを感じながら、私はゆっくりと目を閉じた。







次の日の朝、私は誰のかわからないベットで一人、目を覚ました。


名のわからない少女

『玉城あこ個展 名前のない少女』

ニュースにもとりあげられ、今回の個展はかなり順調である。

 名前のない少女というのは文字通り、名前がない、わからない少女の写真を展示した個展ということである。私が撮った写真であることも、どんなふうに撮影したかも、時期も場所もわかるのに、彼女が誰かだけどうしてもわからないのだ。

 彼女は少女の時も、女性になってからも映画やドラマ、テレビにも沢山出演していた。しかし、一体誰なのか日本中だれもわからない。映画のエンドロールに名前はないし、自己紹介をしている映像を見つけてもどうしても名前も、彼女に関する情報はなにも聞き取れないのだ。音は聞こえているのに、脳みそにモヤがかかったように聞き取ることができない。音は認識できても脳が理解できなくて、情報を処理できないのだ。それでも彼女には日本中を惹き付ける魅力があった。大勢の人がどうにか彼女が誰なのか探ろうとしたが、結局何もわからなかった。撮影場所を尋ねたりとしてみても、みんな知っている気がするけど、誰だか分からないという答えだった。私もその1人だ。確実に私はこの少女を知っている。しかもかなり深い関係なのではないだろうか。私の作品にも、スマホの中にも至る所に彼女がいるのだ。彼女が映る私の作品はどれも良いものばかりだった。私の過去最高の写真であり、この写真を超える写真を撮ろうと思っている作品にも彼女が映っている。

 あまりにも良い写真が多かったため、個展を開いたのだ。私は過去にも彼女だけを使ったら写真集と個展をやっていた。しかし、それも全く覚えてはいなかった。この個展は反響を呼び、私の写真を好きだと言ってくれている人だけでなく、この名前のない少女に惹きつけられた多くの人が足を運んでくれた。

 展示した彼女の写真たちは本当に魅力的だった。学生服を着た写真から、色気のある大人な写真まで彼女の映る写真は、どれもこの世の物とは思えない美しさを持ち、どこか違う世界に連れていってもらえるのではないかと思わせる、幻想的なものばかりだ。もちろん撮ったときのことは覚えているし、その世界は私が作ったものだ。しかし彼女でなくては撮れなかった写真である。そして何より、彼女を撮っているときの、お腹の中で燃える炎の感覚、どうしようもなく彼女に惹かれていたことを覚えている。ただ自分の感情や感覚は覚えているのに、彼女だけが思い出せない。撮った写真を見たから、そのとき私が撮ったのが彼女だったことが分かるが、彼女がそこにいたことは全く思い出せないのだ。

「やっぱりこの写真いいよね。」

「玉城あこて言ったらこれだよね。」

そう言って、多くの人が立ち止まる写真がある。私にとって過去最高の写真で、私を写真家にしてくれた写真だ。この写真をインスタに投稿したことも、賞を撮ったことも覚えている。でも撮ったときのことを思い出そうとしても、モヤがかかって、写っているから彼女を撮ったことはわかるが、なぜ、どうやって撮ったのか、どうしてインスタに投稿することになったのかも思い出せない。そもそも、なんで小沢さんや川島さんに会ったのかも全く記憶になかった。記憶にないということは、彼女が関係しているだろうとは思うが、彼女が映る写真を見ていないと、そのこともどんどん記憶からなくなっていってしまう。写真を見ているときだけ彼女のことが考えられるのだ。

 私はどうしても彼女が誰だか知りたかった。どうして彼女にこんなにも惹かれるのか。どうしてロック画面やスマホに残された写真の彼女の隣にいる私はこんなにも幸せそうに笑っているのか。何度も何度も撮影地に足を運んだし、来ている制服から同じ高校だとわかったので、白ちゃんに話を聞いてもらい、卒業生名簿を見たり、スマホの中に彼女の連絡先やメッセージが残っていないか探したりと思いつく限りのことはした。それでも彼女を思い出すことはできなかった。そしてだんだんと、忘れていることも忘れていってしまった。




 






終わり

 今日は撮影で、私の実家のある町に来ている。海の中で撮影がしたくてロケ地を悩んでいるとき、なんとなく変えられずにいたスマホのロック画面の制服を着た自分を見てこの場所が思いついたのだ。

 久々の地元だったので、一人前乗りをして町を散歩していた。懐かしい通学路、ここから海に行くんだよなと、草木が生い茂る細道を眺める。明日はここを機材をもって通らなければならないのかとちょっと心配になった。そのまま歩き続け、母校に顔をだし、今度は紫陽花通りに向かう。もう梅雨は過ぎていたので枯れ始めてはいるが変わらず綺麗だった。しばらく眺めていたが、出したての黄色い絵の具みたいな日差しに、流石に歩くのが辛くなってきたので、紫陽花通りを抜けてバスに乗った。残念ながら水曜日ではないが、帰ってきたらあのパン屋に行かないわけにはいかない。ニカニカ店長を思い浮かべながらパン屋に向かった。

 「久しぶりだなー!」

少し老けたものの、相変わらずの笑顔で、店長は迎えてくれた。奥さんも置くから出てきてくれて挨拶をする。二人とおしゃべりしながら、私はチョココロネを選び、席に座った。高校生の時はダークチェリーパイを食べることが多かったが、大人になってからなぜかチョココロネを選ぶことが多くなった。ただそろそろ胃もたれをするようになるのではないかと心配だ。私が席に座ると、ちょっと待ってろと店長が奥に消える。しばらく待つとはいよ!!とアイスココアを二つ持って出てきた。

「二つ?」

「あれ、ほんとだ。いやあなんか二つ作らなきゃいけない気がしてな。どうしたんだろうなあ~」

これは俺が飲むわ!とココアを一つもって奥に戻る。私はお礼を言って、一口飲んだ。私もなんだかいつもは二人で、アイスココアを飲んでいたような気がした。






「もうちょっとこっちがいいかな!」

「そっちに運んで!」

撮影チームの元気な声が響く。やっぱりあの細道を通るには苦労したが、なんとか無事に撮影を開始できている。今日は有名バンドの『泡』とう曲のCDジャケットの撮影である。曲を聞いてももう撮影地は海しか思いつかなかった。バンドの方たちも、泡とか海の中なら玉城あこだろうと依頼してくれたらしいので、問題ない。ただ、あの海の写真のときどうやって泡を作り出したのか全く覚えていないので期待に沿えるか少し心配だった。まあ今は、いろいろな機械もあるし大丈夫であろう。今回は男女のモデルさんで、泡に包まれた恋人を救い出して連れ出すという設定である。一人を泡で包まないとならない。

「もう少しこっち側から泡出したほうがいいかも。」

「この角度は?」

泡を調整するのに、かなり時間がかかる。モデルさんに少し休憩をとってもらい、撮影チームが海に入り、何度も調整し、なんとかあうタイミングを見つける。時間はかかったものの、この海での撮影はなぜか失敗する気がしなかった。三回に一回しかタイミングは合わないが、やってみようということになり、モデルさんたちに海に入ってもらう。何度かシャッターを切り、まあ、及第点の写真は撮れたと思う。海の中の撮影は想像以上に疲れるので、モデルさんたちにあまり負担をかけてはいけない。私はOKの合図をだし、海から上がり、防波堤に腰かけ、撮った写真を見る。

「どうでした?」

「ちゃんと撮れました。綺麗ですよ!」

撮影チームメンバーに声をかけられ、返事をする。私の返事を聞いたメンバーが片付けの指示を始める。

 

 そのとき、『ほんとに今の写真よかったの?』と妙に聞き覚えのある声が頭に響いた。


 「ごめんやっぱりもう一回撮らせて。」

納得いかないからもう一回だけ撮らせてほしい。そう言うと、メンバーは黙って頷き、すんませんやっぱもう一回です!!と指示を飛ばした。

 集中し、水の中でカメラを構える。泡が広がり包み込む。手を伸ばし泡をかき分ける。今だ、シャッターを押そうと指をかけた瞬間、想定よりも泡が散らばってしまい、上手く撮れなかった。あー、もう!!なかなか思い通りに撮れない。すみませんもう一回と、何度か繰り返すも上手くいかない。最高の瞬間というわけではないだけで、撮れた写真が悪いわけではない、次撮れなかったら諦めよう。その意思を撮影チームメンバーにも伝え、ラストの撮影に挑む。

 泡が包み込み、手を伸ばしかき分ける、私がシャッターを押そうと手をかけた瞬間、また泡が散らばってしまう。ダメか… 諦めて、手を下ろそうとしたその瞬間、目の前を何かが通った。見えたのは尻尾だけだった。でも確かに今目の前を白藍の鱗を持った何かが通った。私はただただ、シャッターを切っていた。

 気が付くと散らばってしまっていた泡たちがもう一度集まるようにモデルを包み込む。私は知っている。この泡も、白藍の鱗も。なぜと言われてもわからない。でも確かに知っているのだ。私の目の前に、泡に包まれた恋人を救い出し、連れ出す思い描いた通りの世界が現れる。静かに、噛み締めるようにシャッターを切った。

 

 海から上がり、写真を確認する。ちゃんと納得のいく写真が撮れた。モデルさんたちと撮影チームにお礼を言い、撮影終了だ。片づけをして、帰宅の支度を進める。誰も、白藍の鱗の尻尾の話はしなかった。たぶん、私にしか見えていない。根拠はないが、そう思った。次々と細道を抜け、海から人はいなくなっていく。私はその場から動けずにいた。

「大丈夫ですか?俺で最後ですけど。」

「うん、私後から帰るから、気にせず戻っちゃっていいよ。」

最後の一人のメンバーもこの海から去った。私は一人、防波堤に座る。一呼吸置き、カメラを手に取り、撮った写真を確認する。そう、あの私だけに見えていた瞬間の写真を。

 

 そこには、三つ編みにされた黒い髪を後ろになびかせ、白い肌、潤んだ瞳でいたずらな笑みを浮かべてこちらを流し見る、白藍の鱗を持った人魚の姿が映っていた。

 ボロボロと涙が零れ始め、嗚咽も止まらなくなる。知っている。私は知っている。あの声も、髪も、肌も、瞳も、全部知っている。私はこんなにも特別な人を忘れていたのか。彼女との全てが私の全身を駆け巡る。彼女は、そう彼女は私のたった一人の大切な人…


「七瀬ルイちゃんだ。」


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