雨がふる 角部屋の事件の謎を追う(1)
翌日の早朝。
分厚い雨雲が一帯を覆い尽くし、断続的な驟雨が始まっていた。
雨雲の濃度ごとに、雨脚は気まぐれに強弱を繰り返し……少しの間、フッと晴れ上がったりする。
――《水の精霊》が宿る雨は、薄明の中、あるかなきかの、かすかな青い光をまとっている。
故郷シュクラでは、お馴染みだった青さだ。元シュクラ第一王女アリージュ姫だったアルジーは、懐かしい思いで窓際に陣取り、幾何学格子窓の外に広がる光景に見入ったのだった。
この光景は、本来の人体の大きさで満喫するに限る。
そして、ふと視線を感じて、クルリと振り返る。
夜を徹した《精霊語》特訓で寝不足になった藁クズ少年セルヴィン皇子と、覆面ターバン少年オーランが、目を丸くして……アルジーの立ち位置に焦点を合わせて来ていた。一方で、《精霊語》教師を務めていた白タカ《精霊鳥》ヒナは、訳知り顔だ。
『霊魂、見えてる?』
思わず目をパチクリさせるアルジー。
つい先ほど、白タカ《精霊鳥》ヒナと、《火の精霊》から学んだばかりの簡単な《精霊語》――および薔薇輝石の目に伴う感覚を通じて、2人の少年は意味を理解した様子だ。2人そろって、コックリと首肯を返して来た。
横にあった『魔法のランプ』の口で、ポンと《火の精霊》が灯った。
『まさしく、その通りであるぞ《鳥使い姫》よ。我も失念していたが、《水の精霊》宿る雨が、普通の人類にも見える、投影用の銀幕になっているのである。人体の生命力ほぼ枯渇ゆえ、我ら一族で、まともな人体の幽霊に見えるよう、増量を頑張ったのだが……』
「ネコミミ付スナギツネしてる……寝不足の……」
「半透明……姫ベール装飾が、ネコミミ……」
――今までの、ゴロツキ邪霊《骸骨剣士》などという形容よりは、はるかにマシである。明らかに。
身に着けている衣装は《鳥使い》の装束だ。男女共用型の広幅ズボンと、膝下丈の長衣。簡素な白地だが、優雅に垂れて広がる袖は、羽翼紋様に彩られている。故郷シュクラ地域では見かけない都会的な意匠。帝都に近くて裕福な、どこかの城砦から霊的に取り寄せて来たと思われる。
体型は、元々の《骸骨剣士》さながらのものに多少の(多量の?)肉を盛った状態で、ギリギリ痩身の女性と見えなくもない。サッシュベルトが女性ならではの高い位置で締めてある。
目の前に居るのは、末席とは言え帝国皇族の皇子と、その従者を務める少年だ。どこかの城砦の、王侯諸侯の係累の。
敬意を表して、恩師オババ殿から叩き込まれた成果――宮廷社交における王侯諸侯の姫君としての一礼を、なめらかに披露するアリージュ姫=アルジーであった。
同時に、サボテン製の扉が開いて閉じた。
入室して来た4人の老若の男、すなわち老魔導士フィーヴァー、鷹匠ユーサー、護衛の黒髪オローグ青年、クムラン副官が、同じようにギョッとして、アルジーの立ち位置に焦点を合わせて来たのだった。
察しの良いクムラン副官が突っ込む。
「こりゃあ、《火の精霊》御使いの《火吹きネコマタ》の流儀でカバーしてますね。息も絶え絶えなのが化けて出る怪談で聞いてますよ、ネコミミ幽霊」
知識のある老魔導士フィーヴァーと鷹匠ユーサーは、すぐに合点が行った様子である。
「なるほど、この雨の《水の精霊》余波で、霊魂が投影されたという訳じゃな、《鳥使い姫》。先ほどの所作と言い、達者な《精霊文字》と言い、優秀な教育係が控えていたと見ゆる。これが生前の体格とすると、深刻な栄養失調が加わっとるな……死亡原因は飢餓、としても不思議では無いところじゃが」
熟練の医師・薬師ならではの鋭い眼差しで、老魔導士フィーヴァーは、サッとアルジーの霊魂を観察し……「ふむ」と頷いていた。
「首元に、《人食鬼》裂傷が開いておる。極めて異常な死に方だったようじゃな。守護精霊が強力に干渉するのも、納得じゃよ」
部屋じゅうの、驚きの視線が集中して来る。
アルジーはポカンとするばかりだ。天才と名乗るのも頷ける、すごい観察力だ。
『傷が見えますの? ……というか、何故《人食鬼》裂傷と?』
「どういう状況だったのか、こちらが質問したいくらいじゃよ。守護精霊の防護を突破してまで、霊魂そのものに傷がついたという事じゃぞ。全身ズタズタになったオーラン坊主でさえ、霊魂の傷は無いのじゃ。《鳥使い姫》の守護精霊は、この傷を癒そうとしているのじゃな。あまり時間が無いであろうことは理解した」
老魔導士フィーヴァーは早速、片手をパッと開いた。
そこには黄金の《魔導札》が乗っていて、今しがた召喚され実体化したばかりと見える、白文鳥《精霊鳥》の身体が現れていたのだった。
――白文鳥《精霊鳥》アリージュの、傷ひとつ無い身体だ。
誘われるように、その白文鳥へ視線を向けると、その瞬間に憑依――意識の回路がつながったのを感じる。人体と鳥体とでは随分と違うが、あの《魔導》カラクリ人形を動かすのにギクシャクと苦労していたのに比べると、やはり動かしやすさが違う。
白文鳥アルジーが、さっそく空中に舞い上がり、翼をパササッと、やっていると。
再び、部屋の中では、唖然とした空気が流れていた。
「さっきのネコミミ・ベールの幽霊、何処へ行ったんだ?」
「消えたみたい……」
藁クズ少年セルヴィン皇子と、覆面ターバン少年オーランの順で、コメントが寄せられる。
「まさに消失ですぜ? この雨の中へ外出とか?」
「その小鳥の中に入ったんですか?」
クムラン副官も、しきりに首を傾げている。護衛オローグ青年が、赤茶の迷彩ターバンの間に指を突っ込んで、黒髪をガシガシとやり始めた。いみじくも正解を出しながらも、明らかに、相当に混乱しているところだ。
白文鳥アルジーは、少し考え……
先ほどのネコミミ付スナギツネ面の幽霊を再び出しておいて……その肩に止まるスタイルに調整してみたのだった。見た目、ネコミミ付ベール姿の、スナギツネ面をした姫君の霊魂が、肩に白文鳥を止まらせている格好だ。
――《風の精霊》に属する精霊、白文鳥《精霊鳥》ならではの、風乗り――空気乗り、すなわち空中浮揚の曲芸である。四色の毛玉ケサランパサランが空中に漂うのと、似た方法だ。人前でやらないのは、怪異現象『空飛ぶ・いちご大福』と思われるからである(相棒の白文鳥パルが、以前にボヤいていた事だ)。
ひとしきり白文鳥アルジーは、スナギツネ顔をした人体《鳥使い姫》の投影イメージを適当に動かし、「ぴぴぃ」と、さえずった。
『こっちのほうが、分かりやすいかしら? この幽霊から物理的音声を出すのは難しいから、白文鳥のほうで、うるさく喋る形になるけど』
『人類の感覚は混乱しやすいですから』
巧みな《精霊語》で応答したのは鷹匠ユーサーだ。その肩先では、白タカ《精霊鳥》ノジュムが虚無の顔をしていた。人類の感覚の鈍さ、混乱しやすさに、呆れかえっているらしい。
『本日は……《水の精霊》の雨の間は、《鳥使い姫》の霊魂が、半透明とはいえ、目に見える形で投影されている状態です。できれば、そのイメージの立て方のほうがよろしいかと』
*****
夜を徹した《精霊語》特訓があったことを踏まえて、セルヴィン少年には、特殊な薬膳料理が配膳されていた。霊験あらたかとされている、お茶『凌雲』も付いている。老魔導士フィーヴァーが、セルヴィン皇子の体調管理のために出して来た、皇族御用達の品だ。
――金融商オッサンの店で御馳走になった、素晴らしい香りとコクのある逸品。幽霊になっても――いや幽霊だからこそ、その香りの霊験を、いっそう感じる。体力が上積みされたかのような、充実の感覚。
スナギツネ面の人体《鳥使い姫》幽霊が、お茶『凌雲』をしげしげと眺め出した。
覆面オーラン少年が、それに気付き。
「そのお茶、好きなの?」
白文鳥アルジーの操作に応じて、コクコクと頷く、ネコミミ付スナギツネ顔の幽霊である。
オーラン少年の肩によじ登って来た白タカ《精霊鳥》ヒナが、初歩的な《精霊語》で、オーラン少年に話しかけた。
『亡霊が好きな線香の香りに寄るのと同じ理屈だよ、相棒オーラン。ボクの名前、早く考えておいてね』
覆面オーラン少年は少し不思議そうな風に黙り込んで……幽霊の所作のクセに注目していた。
虚弱な少年皇子セルヴィン殿下が、今日の予定に興味津々な様子で、老魔導士フィーヴァーに疑問を投げ始める。
「そう言えば、朝食の後で、と言ってたけど、随分と早くないか?」
横から、クムラン副官が陽気な調子で割り込んで来た。
「例の刺客の件、想定外の愉快なことになって来ましてね、セルヴィン殿下。俺から説明させて頂いて良いですかね、老魔導士どの」
老魔導士フィーヴァーは、話題の刺客の件で何やら腹に据えかねる要素があったらしく、冷静に話しづらい、というような不穏な雰囲気である。おおかたの予想どおり、老魔導士は、説明の担当をクムラン副官に投げたのだった。
「大いに結構じゃぞ、クムラン君。誤解を招くような茶々を入れなければな」
「信用してくださいよ、あの灰色の御札を口に押し込まれたくないですからね、マジで」
「そんなに効果あったのか?」
「効果のほどを目撃していた牢の中の凶悪犯すべてが震えあがり、灰色の御札つきの尋問を全身全霊で拒否し、自主的に白状を始めた程度には。それはさておき」
「省略するな。気になるじゃないか!」
「あとで、聞かなければ良かったと後悔しても知りませんよ」
*****
――《鳥使い姫》作成『灰色の御札』の効果は、天罰テキメンというべきものであった。
そして偶然ながら、微妙に、かつて別に作成されていた灰色の御札『男の下半身のアレを究極に萎えさせ、七日七晩、不能にするオマジナイ』から、インクが乾かないうちに生じた裏抜けの成分が、不正確に転写されていた。
更に奇妙な事態が――男たちにとっては心胆を寒からしめる事態が――展開したのは、言うまでも無い。
不正確に転写されていた結果、『男の下半身のアレを究極に萎えさせ、永遠に不能にするオマジナイ』が追加されていたのだ。
標的となった哀れな刺客は、恐ろしい幻覚を見て一睡もできず、グルグル走り回ったのである。
恐怖の汗と涙と鼻水をダラダラと流しながら、刺客は口を割った。
侵入の目的のみならず、過去に見聞していた知る限りの情報や、実績や経歴すべてを――幼い頃にやらかしたオネショなど、恥ずかしい失敗のアレコレまで。
最後に、御札の効果が切れて正常に戻った刺客は、自らが喋った内容の全てを思い出し、とってもスッキリ・サッパリとなっていた特定の位置の状況を確認して……ショックの余り、健忘症と退行現象と人格崩壊を起こした。
一晩にして。
刺客として鍛え上げていた、群を抜く筋骨隆々だった体格は、枯れ枝の老人のように衰え果ててしまった。
ルビーのように輝く紅髪のひと房が自慢だった豊かな毛髪は、総白髪になった上に、すっかり禿げてしまった。
そして、廃人かつ敬虔な巡礼希望者になっていたのであった。
*****
……2人の少年は、畏怖の面持ちで、チラリとアルジーを眺めて来た。
白文鳥アルジーの目が据わった。人体《鳥使い姫》幽霊のほうも、それに同調して口元を「ヘの字」にし、スナギツネ顔の眉間にシワを寄せている。幽霊は、窓を背にして、談話クッションに礼儀正しく腰かけているところだ。
『その刺客が、私の夫と同じくらい罰当たりな人物だったからじゃないの』
簡単なほうの《精霊語》だったらしい。幽霊からは音が出ないが、帝国語の口の動きを伴っていて、ニュアンスは一同にパッと伝わった様子である。
「確かに」
まだ状況激変について行けていない――と言わんばかりに、黒髪オローグ青年が、そわそわと手元のメモを操っていた。
「オーランの故郷の城砦を更に荒廃させるきっかけになった、多数の邪霊害獣を伴う放火・強盗・殺人をおこなった大盗賊団の首領で、魔導士クズレの成れの果て、《邪霊使い》心得あり。高灯籠の《火の精霊石》をゴッソリ盗み、闇市場で売りさばいて相応の財産を築いた」
覆面ターバン少年オーランが、目を丸くして振り返る。
「大盗賊団を部族のひとつと詐称しておいて、宮廷への出入りも王侯諸侯の顧客獲得も可能にするために、適当に没落した王侯諸侯の姫君をハーレム妻として、初夜権も込みで買い取る計画を立てていた。帝都宮廷へも出入り可能な地位身分を持つ、瀕死の……姫君が居る。姫君には婚約者が居るが、刺客は、その婚約相手の一族の面々が、カネと権力の亡者だと分析済みだった」
クムラン副官がつづいて、陽気に突っ込んだ。
「ご存知、オーラン君の故郷の城砦の姫君だ。先方も、新たな金づるを提示されたものだから、とても乗り気で、10歳にもならぬ姫君を取引商品として、人身売買の金額交渉に入る予定だったそうだ、ああなる前は。今回が、《邪霊使い》としての最後の一仕事だった訳だ」
「どんな一仕事だったにしても、未遂に終わって良かったな」
藁クズ少年セルヴィンが、ポツリと呟いた。
覆面オーラン少年は、激怒のあまり無口になった、という雰囲気。覆面ターバンを通してさえ激怒の様子が伝わるというのは、相当なものだ。
クムラン副官がそこへ身を乗り出し、畳みかける。
「要点は此処からですぜ、セルヴィン殿下。オーラン君も、耳かっぽじって、よーく聞いてくださいよ。先ほど、その刺客は大盗賊団の首領で、《邪霊使い》心得あり、と申し上げました。つまり報酬をもらって、邪霊害獣《召喚》や、特殊《魔導札》を取り扱うこともやってた訳です」
「報酬……特殊《魔導札》……」
「例の酒姫の顧客および取引先のひとりでね、白文鳥を愛でる《鳥使い姫》の手前、商品の詳細は伏せておきますが。オーラン君の容姿を知った酒姫は、生贄《魔導札》をオーラン君に貼り付けて、その要素を吸い取ることを思いつき、例の刺客を通じて、ブツを入手しました。ところが、酒姫の手でもって、実際に《魔導札》をペタッと貼り付けられたのは、セルヴィン殿下でした」
「はッ!?」




