再びの邪霊来襲の夜を超えて(2)
色々と訳知りな鷹匠ユーサーの肩先で、相棒の白タカ・ノジュムが、皮肉っぽく、「ククク」という鳴き声を立てた。明らかに人の言葉を解している様子である。
鷹匠ユーサーの、慎重に声量を抑えた説明がつづく。
空気には、相変わらず不思議な緊張感が漂っていた……音声を、窓の外へ運ぶような空気の流れが無い。《風の精霊》系の、不可視の精霊魔法による機密保持だ。《火の精霊》系の、火の粉による隠蔽よりも、ずっと、ひそやか。
「妹姫は、まだ瀕死状態で寝込んでおられます。とは言え、あくまでもオババ殿の占いの範囲ですが、10歳になる頃には寝台から出られる可能性が出てまいりましたそうです」
オローグ青年とオーラン少年は、少しの間……絶句して、顔を見合わせていた。
「……それなら、謎の呪病が解決しそうって事? 衰弱がひどすぎて面会謝絶って……白鷹騎士団のほうの《水鏡》でも見せてもらえなくて」
「予想以上に複雑な問題を含むとの事。場合によっては帝都の大神殿の協力を仰ぐ必要があります。辺境の城砦には、そこまでの政治力はございませんし、問題が深刻化しない事を祈るのみですが。とにかく、噂の『珍妙な霊魂』――あるいは、その霊魂が憑依している、奇妙な白文鳥《精霊鳥》と情報交換しませんと、分からない事ばかりです」
「あの白文鳥が、何か……重大な情報を持っていると? そう言えば、妹は白文鳥と――」
鷹匠ユーサーが素早く牽制をかけた。それ以上は喋らぬように――という風に、口元に指をあてて見せる。
「この件、刺客への対応以上に、言動には一層ご注意を。心して、オローグ青年、覆面オーラン少年として振る舞われますよう。セルヴィン殿下にも、2人の名前を、折衷語のほうで呼びならわして頂きたく。目には見えませんが、今この瞬間にも、白文鳥に憑依していた『珍妙な霊魂』が、我々の会話を見聞きしている可能性があるのですから」
傍で、フラフラと、近くの椅子の背につかまりながらも……熱心に耳を傾けていた藁クズ少年セルヴィンが、唖然とした顔になった。血色の失せた頬に、ほのかに赤みが差している。
「……居るの? この部屋に?」
「相棒の白タカ《精霊鳥》ノジュムの聞き取りによれば、いま現在は、このジャヌーブ砦の何処かへ外出中とのこと。なかなかのお転婆……いや、活動的で、好奇心旺盛な性質のようですね」
生真面目な鷹匠ユーサーの肩先で羽を休めている、成体の白タカ《精霊鳥》ノジュムの足元で。フワフワ・モフモフとしていた、名無しの真っ白な白タカ《精霊鳥》ヒナは、初めて見るオーラン少年を、熱心に眺め始めていた……
…………
……そして、次の瞬間。
暮れなずむ夕空の下、怪物の咆哮が轟きわたった。
見る間に城壁のあちこちの篝火が渦を巻いてまばゆく立ち上がり、城壁に立つ見張りの戦士たちの大声が行き交う。
「来襲! 中型《人食鬼》来襲! 共連れ《蠕蟲》多数! 全軍、武器を取れ! 一体たりとも城壁の内に入れるな!」
「なんと! こんな時に!」
鷹匠ユーサーが顔色を変え、窓のほうへと身を返す。俊敏なオローグ青年とオーラン少年は、すでに格子窓へ駆け寄っていた。
格子窓を透かして、空模様を確かめる。
赤紫色から藍色に移り変わる、日没の刻の夕空。
ぎらつく黄金の、数多の……《三ツ首コウモリ》の群れが、ザアッと押し寄せて来ている!
『我が同僚が前哨戦にて迎撃中だ。こちらへ迷い込んで来る《三ツ首コウモリ》は、我に任せてくれたまえ』
白タカ《精霊鳥》ノジュムが、格子窓に設置されている白タカ用の出入り穴を抜けて、夕空へと舞い上がって行った。
次に、サボテン製の扉が、開いて閉じ……大慌てといった様子の老魔導士が、素っ裸で駆け込んで来た。行水の途中だったのは明らかだ。
「雨季が進んでいる。勢力増強する筈じゃよ! 大型《人食鬼》が出る前に、速やかに退魔調伏せねば。雷の精霊ラエドを《魔導》してくれるわ!」
全裸の老魔導士フィーヴァーは、とるものもとりあえず、黄金インクを詰めた葦ペンと黄金色の《魔導札》を取り出し……老練な魔導士ならではの、それはそれは見事な筆致で、《魔導陣》を描き出して行った。
*****
夕闇おしせまる頃……例の、白文鳥にとっては廃墟と化している高灯籠にて。
『到着できる状況じゃ無いって? 白文鳥《精霊鳥》の身体が?』
霊魂アルジーはポカンとし、次に焦り始めた。
付き添っている《火の精霊》が、高灯籠の所定の位置に仕込まれている《火の精霊石》を座布団にしつつ、チラチラと揺らめいている。
『深刻といえば深刻だが、此処ジャヌーブ砦では、これが日常でな。《人食鬼》の群れが接近しつつある。この南方前線の異常氣象とも言うべき自然現象だ、あの方角を見よ』
促されてみると。
暮れなずむ岩山の群れの一角で、ぎらつく黄金の不吉な点々が、どよめいている。
不意に。《火の精霊》の篝火が揺らぐ。
――《人食鬼》発生に伴う空気の乱れが、アルジーの居る城壁まで到達した!
『雨季の展開に伴い前回より数が増加、中型《人食鬼》来襲! 大型の邪霊害獣の奇襲に警戒せよ!』
高位《火の精霊》の警告は、城壁という城壁に、瞬時に到達した。篝火を担当している《火の精霊》が一斉に呼応して、戦闘モードへと変じる。紅蓮の渦を巻いて高々と延び上がる、まばゆい火炎柱だ。
早くも、第一波、小型の邪霊害獣《三ツ首コウモリ》の群れが来襲した。
迎え撃つは、ジャヌーブ砦に常駐している白タカ《精霊鳥》と、《火吹きネコマタ》の群れである。
上空で、前哨戦が始まった。
戦闘モードとなって渦を巻く篝火という篝火から無数の火の玉が発射され、白タカ《精霊鳥》の白く輝く飛跡と、《火吹きネコマタ》の真紅に輝く飛跡が縦横する。
黄金にぎらつく邪霊害獣の群れと衝突するたびに、盛大な爆発音を轟かせて、色とりどりの火花となって弾けてゆく。さながら――この場合は緊急事態だが――あちこちで、打ち上げ花火が開いているような光景だ。
やがて《蠕蟲》が、城壁の下まで接近した。
明らかに形成途中の《人食鬼》である。未熟な、それでも忌まわしい異形の黄金の肉塊。異様に頭でっかちという風の、人類の頭蓋骨を異形となるまでに歪めたような……三ツ首が付いている。
意外に短い全身長――尾部まで含めて人体の上半身の比率に近い――《蠕虫》の体躯は、奇怪なトゲ付きの装甲に覆われていて、頑丈そうだ。
接近して来たのを城壁のうえから観察してみると、ぎらつく黄金色の禍々しい寸胴をした何かが、ドヨドヨと群れているという……生理的嫌悪感のあまり嘔吐しそうな光景である。
ポツポツと、数体ばかりと見える中型《人食鬼》は、やはり以前にも目撃したように、ずっと人類の姿形に近づいている。それでも不気味な三ツ首という点では変わりない。
白タカ《精霊鳥》が急降下し、《蠕虫》を次々に鋭い爪で引っかいては、上空へ舞い上がる。
そのたびに、《蠕虫》の血しぶきが、黄金から真紅へと色を変えながら飛び散った。不気味な黄金の肉塊に、真紅の色が広がってゆく。真紅の肉塊となった箇所から、怪物の姿形の崩落が始まった……不活性かつ無害な熱砂へと変える、退魔調伏の過程が進行しているのだ。
成体に近づいた中型《人食鬼》は驚くばかり頑丈。再生能力が高く、火の玉の集中攻撃を受けても、なかなか崩落しない。すでに数羽ほどの白タカ《精霊鳥》や数匹ほどの《火吹きネコマタ》が叩き落とされ、《根源の氣》へと変えられてしまっていた。
城壁全体がブルブル震動するレベルの、中型《人食鬼》の咆哮。
霊魂アルジーにとっては、物理的な身体に保護されていない無防備な霊魂そのものが、バラバラに吹き飛ぶレベルの衝撃だ。白文鳥の卵の大きさ――ドリームキャッチャー護符の耳飾りの下にスッポリ隠れるサイズ――となるまでに霊魂を凝縮して、衝撃に備える。《火の精霊》が素早く霊魂アルジーを取り囲み、その精霊エネルギーの結界の中に保護した。
いつしか、城壁に、強力な退魔能力のある火矢を構えた熟練の射手が並んでいた。城壁に装備されている、あの石落としの仕掛けも、準備万端である。
4人の長官とその副官が、担当領域を分けて、手際よく並べて仕掛けたものだ。
――そこには、中年バムシャード長官と、若手クムラン副官も居る……
「撃てぇ!」
その裂帛の号令と共に、数多の火矢がうなりを上げて、中型《人食鬼》の肉塊へ、深々と突き立っていった。
*****
一方、老魔導士フィーヴァーの詰めている、医療関係の区画。一応は安全区とされている厳重な区画である。
どうやって此処まで巨大化したのかというような、人体サイズを上回る体格の……象にも匹敵する大きさの《三ツ首ネズミ》が、その区画へと侵入を果たしていた。
ぎらつく黄金色をした邪霊害獣の一種《三ツ首ネズミ》は、石積みのわずかな隙間をすり抜けて走るという異能を持ち、その異能でもって忍び込んで来たのである。白タカ《精霊鳥》ノジュムでさえ見つけられなかった――知能の高い、恐るべき個体だ。《三ツ首ネズミ》の群れの中で、大ボスというべき立ち位置と知れる。
区画を仕切る石畳の道が、戦場となっていた。邪霊害獣の、血の熱気と臭気が立ち込めている。
熟練の戦士ユーサーやオローグ青年の三日月刀が放つ真紅の退魔の閃光で、あちこちに裂傷を負い、動きが鈍くなっているものの……《三ツ首ネズミ》は、しつこく接近を繰り返して来ている。
不思議なことに、巨大化《三ツ首ネズミ》が飛び掛かろうとしているのは……常に、オーラン少年だ。
持ち前の身のこなしで、かわし続けて……、オーラン少年は次第に疲労がたまって来ていた。
――時に、間合いを見極められず。
オーラン少年のほうでは再びの邪霊による重傷を覚悟したものの。
何故か巨大化《三ツ首ネズミ》のカギ爪は、オーラン少年の肉に食い込まぬまま、不思議な金属音を立てて離れてゆく。
老魔導士フィーヴァーが《魔導》した雷のジン=ラエドは、目下、大型へと増強しかねない中型《人食鬼》を雷撃で全滅させるのに忙しく、雑魚に近い《三ツ首ネズミ》までは手が回らない。城壁の外とは違って、居住区が密集する城壁内部の石畳の道のうえでは、思い切った雷撃ができないのも、要因だ。
ほどなくして……巨大化《三ツ首ネズミ》が襲撃中の、その区画へ、大斧槍を持つ遊撃の戦士が現れた。雷のジン=ラエドに導かれた、虎ヒゲ戦士マジードだ。
黒髪オローグ青年が、必死で声を掛けた。
「何故ここに、虎ヒゲ・マジード殿! ……とにかく援護を頼む!」
虎ヒゲ戦士マジードは、砦の中では知る人ぞ知る有名人である。雷のジン=ラエド退魔紋様が刻まれた武器を所有できる戦士は、かの帝国の始祖『雷霆刀の英雄』に近い者として名を挙げ、諸国の城砦宮廷のみならず帝都宮廷からも『雷霆刀の戦士』叙勲を賜り、方々の王侯諸侯が「われらが護国将軍として来てくれないか」と熱望するほどの人材だ。
「これはデカブツでござるな。お任せを」
虎ヒゲ・マジードは、自慢の大斧槍を振るった。
雷のジン=ラエド退魔紋様が鋭利な白金色に輝き、《三ツ首ネズミ》の頭部のひとつを豪快に斬り飛ばす。一般的な三日月刀の《火の精霊》退魔紋様を上回る、凄まじい斬撃だ。
飛び散った黄金色の血液が退魔調伏されて真紅へと変色し、双頭となった《三ツ首ネズミ》は、激昂と苦悶の咆哮をあげた。手負いの獣そのものの危険な狂乱ぶりでもって、虎ヒゲ・マジードへと飛び掛かる。
大斧槍の刃先が二つ目の首を捉えたが、人体サイズを上回る、その怪物ならではの激烈な突進を受けて、マジードは体勢を崩していた。もう一太刀を封じられた形だ。
「いかん!」
鷹匠ユーサーが、《火の精霊》退魔紋様を備えた短剣を、投げナイフさながらに放つ。
その短剣は、虎ヒゲ戦士マジードを切り裂こうとした《三ツ首ネズミ》片足に深々と刺さり、真紅色をしたヒビをつくった。
見事、腱の切断に成功していて、その片足は動かなくなっている。
ジワリと進む、まだるっこしい速度だが――黄金の肉塊が真紅の断片と変じて、最後には無害な熱砂へと崩落して色を失ってゆく、退魔調伏の過程が始まっていた。
虎ヒゲ・マジードが、脂汗を額に浮かべつつ、声を絞り出す。
「誰か……私の腰から黒の短剣を取れ! 私が、抑えられているうちに……! それで、この怪物の心臓を突け!」
反射的に動いたのは、オーラン少年だ。
――格子窓から心配そうに見つめていた真っ白フワフワ産毛の白タカ《精霊鳥》ヒナが、「アッ」と言わんばかりに、目を見張る。
覆面ターバンの少年兵が、虎ヒゲ・マジードの腰のものを取り、抜いた瞬間――その黒い柄をした短剣の退魔紋様のうえで、鋭利な白金色が輝いた。
次の一瞬。
雷のジン=ラエドが導いたかのように。オーラン少年は、《三ツ首ネズミ》の懐へと飛び込み、そこに位置する邪霊の心臓――急所を、正確に突いていたのだった。
……まばゆい白金色をした雷の精霊ラエドの、退魔調伏の力が、《三ツ首ネズミ》の体内にあふれた。
鷹匠ユーサーと護衛オローグ青年、《魔導札》の繰り出しに一区切りついた老魔導士フィーヴァー、白タカ《精霊鳥》ヒナを抱えた『ヒョロリ殿下』ことセルヴィン少年が、息を呑んで見守っているうちに。
人体を上回るサイズに巨大化していた《三ツ首ネズミ》は……みるみるうちに形態を失い、無害な熱砂へと粉砕していったのだった!




