南方前線の砦の中の、面々(6)朝
どの経路をたどって、元の部屋まで戻って来たのか、覚えていない。
――『ヒョロリ殿下』と評価されている、虚弱な藁クズ少年セルヴィンの部屋。
白文鳥《精霊鳥》アルジーは、ゼイゼイと息をついていた。
もはや懐かしいような気のする、ハンカチとクッションのカタマリに潜り込む。
心臓がドキドキしている。憑依している状態とはいえ、生きている肉体ならではの、強烈な実感。
ひとたび目を閉じるや、アルジーの意識は、すっ飛んでいた。
少しの間、失神しているうちに……月の出の刻となっていたらしい。
格子窓枠の外は、暁闇。
下弦の月――しかも、いわゆる三日月よりも、いっそう細い銀月が掛かっていたのだった。
*****
次に目を覚ますと、もう夜が明けていた。
陽射しの差し込む格子窓――払暁の空が見える。
傍の『魔法のランプ』の上、《火の精霊》が呆れたような様子で火花をポポンと打ち上げつつ、ユラユラと身をくねらせていた。セルヴィン少年の相棒《ジン=***アル》と名乗って来た、《火の精霊》。
『昨夜は大冒険だったようであるな、銀月《鳥使い》アリージュ。宴会場の照明を担当した同僚の《火の精霊》から、色々と聞いておる。ポンコツ白文鳥の子守になった覚えは無いのだが』
アルジーは頭をゆっくりと起こし、プルプル振った。
とても柔らかい寝床だ。『ヒョロリ殿下』セルヴィン少年が敷いてくれたのか、白毛ケサランパサランが追加されている。このお蔭で熟睡できたらしい。
――セルヴィン殿下、良く気付いて優しいところのある少年だ。あの虚弱体質が何とかなれば……とは思うが、必ずや白文鳥にモテる……いや、人類の女性にモテる男になるだろう。理想的な伴侶の候補として。
現在19歳、民間の代筆屋(性別詐称・男)にして御曹司トルジンの13番目のハーレム妻、既に死亡――の身にとっては、対象外ではあるけれど。
お互いに人類の姿で――たとえば帝都の宮廷社交の場で――ご一緒できる機会があったのなら。
――もっと詳しい《精霊語》を教えてあげるとか、市場で見かけた面白い出来事を話してあげるとか……軒先に遊びに来た白文鳥たちみたいに、可愛がってあげるのになあ。
ぐらつくような眩暈も来ない……そうだ、いまは健康な白文鳥《精霊鳥》の身体に憑依していたのだった。健康とは実に素晴らしい。
傍に置いてあった大きな器には、新鮮な水が用意されていた。器サイズは、小鳥の身体サイズよりも何倍も大きく、余裕で水浴びできそうだ。
さっそく喉をうるおして。アルジーは、ようやく、昨夜の記憶を整理できたのだった。
『ゴメン……なんか、色々あって……事件とか』
『大麻キメ飲んだくれ赤毛男バシールの件だな。《鳥使い》アリージュは、強力なトラブル吸引魔法の壺を所有しているに違いない。朝っぱらから、虎ヒゲ・タフジン大調査官が、ノリノリで捜査を進めておるぞ。若き現場スタッフだった頃を思い出したように』
――あの「閣下」と呼ばれていた、見事な虎ヒゲの、帝都から派遣されていた高官。もう1人の虎ヒゲ『毛深族』、ここジャヌーブ砦に勤めている武官マジードも、いっそう忙しくなったに違いない。
しばし間を置いた後、《火の精霊》は、火花に懸念を乗せて話しかけて来た。
『アリージュよ、この件、不穏な要素を感じる。大麻キメ飲んだくれ赤毛男だが、奇妙な現象は無かっただろうか?』
『あの、いきなり襲って来た酔っ払い……商人バシールのこと? 奇妙な現象……?』
いまいちピンと来ずヒョコリと首を傾げる、白文鳥アルジーであった。
『帝国軍仕様の魔除け紗幕を、あっさり突破して来た。帝都でも評判の、暗殺教団に属する《邪霊使い》作成、不法侵入用《魔導札》が、飲んだくれ赤毛男の長衣の袖の中から見つかったのだ。かの人類バシールは、そんなシロモノを袖に入れた覚えは無いと言っているが』
『あの赤毛の商人バシール氏、ラーザム財務官をものすごく怨んでたみたいだから、ラーザム財務官を殺そうとして手に入れたのかしら……暗殺教団への接触は、その筋を当たれば、割と簡単って話。裏の市場の業者……イロモノ娼館、酒場、賭場、故買屋、転売屋……』
『銀月の祝福を受けし《鳥使い》アリージュ。その身に起きた事は非常に深刻な現象。かの白文鳥《精霊鳥》パル殿が直接に干渉し、わざわざ我に子守を依頼して来たほどなのだ。飲んだくれ赤毛男がキメていたのは、出涸らしのカスとはいえ、禁術にかかわる邪霊植物の大麻。我ら精霊すべて警戒せねばならぬ』
『邪霊植物なんてあるの?』
『現に、精霊植物《精霊クジャクサボテン》一族がある。邪霊植物として進化した《三ツ首ハシシ》一族が存在するのだ。通常の暗殺教団で取引される大麻などよりも、ヨコシマなブツだ』
白文鳥アルジーは、幼い頃に、オババ殿から聞いた昔話を思い出した。おぞましい怪談そのもので、怖くて眠れなくなった話なので、印象深く覚えている。
思い出すままに、復唱してみる。
――《三ツ首ハシシ》。古代の邪悪な呪術や禁術の数々で定番の素材。
――成熟した株の草丈は、一般の民家の、床から天井くらいまで。地上の姿は、黄金色をした大麻に見える。茎の太さは、三日月刀の柄くらい。
――ギラギラした黄金色の、頭蓋骨によく似た形の球根が三つ……《三ツ首ハシシ》の名は、そこから由来する。
――頭蓋骨によく似た形の球根から延びる、太いヒゲ根は、《蠕蟲》みたいにブヨブヨ蠢く。
――抜こうとすると、牙の生えた口そのものの、多数の裂け目が、株全体に開いて、すごい邪声を上げる。その邪声を聞いた生き物は、すべて狂い死にする。ちなみに、その裂け目は有毒であるうえに、ヘタに指を突っ込むと食いちぎられるので、直接に触ってはいけない。
――花は蠕動する数多の舌……トゲ付き触手に似ていて、毒性の粘液を垂らす。種には《邪眼》が付いていて、その目玉が勝手にグルグル動く。成熟して花と種を付ける時期になると、ひとりでに根っこを抜いて歩き回る……
恐ろしいことに、《火の精霊》は各々の言及に、各々、ポン、ポン、と火花を出して同意した。
……《青衣の霊媒師》オババ殿が伝承した内容は、正確だということだ……
思わず、白文鳥アルジーは、全身の羽毛を恐怖に逆立てたのだった。
『ずっと昔に絶滅したと聞いてるけど、いまも在るの? その、メチャクチャ変な……大麻』
『禁じられた栽培や増殖を手掛ける、魔導士クズレや霊媒師クズレが居るのだ。《精霊クジャクサボテン》栽培技術に匹敵する複雑な高度技術が必要ゆえ、出回るのは、古代モノには到底およばぬ、出涸らしのカス品質のモノだが』
懸念を示す火花が、再びポンと散る。
『その《三ツ首ハシシ》を使うと、誰でも……薔薇輝石の目を持たぬ者でも、一時的に《邪霊使い》になれる。邪霊害獣を使う呪殺の需要は大きいものよ。出涸らしのカス品質であっても、収穫された重量以上の高価な黄金と取引される。莫大な金額が動く、とんでもない闇取引ルートがある様子。我ら精霊も詳細は探り出せておらぬが』
――莫大な金額が動く、とんでもない闇取引ルート……邪霊害獣。誰でも、一時的に《邪霊使い》になれる。
何かが引っ掛かる。
記憶をつつく、何かがある……何でもない日常の光景の中の不協和音で、重要な物事だった気がする。何だろう。
アルジーは少しの間、集中して考えてみたが、ピンと来る物は無い。
『うーん、何か、あったような気はするんだけど。それよりも、クダを巻いてグッタリする程に酔っぱらっていた人が、あんなに素早く動けるというのが、ビックリだったかな』
『それだけでも充分に怪異。くだんの赤毛バシール出生を祝福した《火の精霊》によれば、バシールには《邪霊使い》をやらかした経験は無い筈だが。同僚の手が空いたら、もう少し聞き込んでみよう』
懸念を呟きながらも、《火の精霊》は、同族が運営する秘密連絡網の中へと移行し始めた。
『赤毛酔っ払い男バシールの案件は《三ツ首ハシシ》を含むゆえ、白タカ《精霊鳥》のほうから隠密に接触するとの打診があった。人類の側は、まだ大麻の種類に気づいていない様子だが、機密情報を共有できるように環境を準備せねば』
やがて、『魔法のランプ』の口の火が引っ込んで、静かになった。
白文鳥《精霊鳥》アルジーは、早速、かねてから計画していた行動を起こす。
――ノンビリしては居られない。
まずは、例の高灯籠に隠してある《精霊亀》甲羅を取り出して、運んで来るのだ。オーラン少年の《人食鬼》裂傷を、何とかしなければ。
ちっちゃな小鳥の身体でもって、格子窓をすり抜けて、まだ涼しい早朝の空へと飛び立つ。
相棒の白文鳥《精霊鳥》パルと寝泊まりしていた、城壁の一角――廃墟も同然の高灯籠へと急ぐ。
ジグザグに折れ曲がる居住区の区画の壁を越え、かの財務官ラーザム殺害事件の現場を横切る。幾つか見覚えのある人相の兵士たちが、現場警備のため巡回していた。
お馴染みの赤茶の迷彩ターバン姿が、上空をゆく白文鳥《精霊鳥》アルジーの姿に気付いた様子で、ヒョイと見上げて来る。
「おやまぁ。ありゃ白孔雀さまの御使いだぞ、故郷の城砦で見た事ある。あのチッコイ身体で、どの《精霊鳥》よりも遠くへ飛ぶんだってよ」
「この辺まで渡って来るなんて珍しいよな、白タカ《精霊鳥》や伝書バトは見かけるんだが」
「帝都の怪談もビックリの酒姫事件があったうえに、ラーザム財務官とか、おかしな死人が出たからだろ」
「あの事件、まだ未解決なんだってな。皇帝陛下直々の惑乱の指令のもと、魔導大臣が交代するくらいの大事件でさ」
…………
……白文鳥《精霊鳥》アルジーは飛び続けた。
見覚えのある区画を過ぎ、目的の高灯籠へ到達する。
そこは、相変わらず人通りが無かった。
アルジーの荷物袋は、藁クズの中へ隠されたままになっていた。苦労して時間をかけて、荷物袋の覆いを開け、さらに奥の仕切りへと潜り込む。
――あった。
まんざらでもない気持ち。白文鳥アルジーは、薔薇色のクチバシを駆使しつつ、目的の物を引っ張り出した。
千年を超えた《精霊亀》の――不思議な虹色に輝く甲羅だ。螺鈿細工のようにも見える。この甲羅をくれた《精霊亀》自身が、《人食鬼》の傷には効く、と言っていたから、効き目は確かに違いない。
(この白文鳥の身体で一度に運べるのは……甲羅の薄片2枚くらいだけど、足りるかな……)
その辺は、「人類史上、最高の名医」と胸を張った、老魔導士フィーヴァーに確かめれば良い。足りなければ、また運んで来るまでだ。
白文鳥《精霊鳥》アルジーは、はやる心のままに飛び立ち、オーラン少年と老魔導士フィーヴァーが詰めている部屋へと向かう……




