南方前線の砦の中の、面々(4)宵~宴
白文鳥アルジーの目の前で。
どこからか漂って来た無害な邪霊の一種――白毛玉ケサランパサランが、フワフワと黒い箱に触れた。
そして、離れていった。
微小な隙間をモノともしない毛玉でさえ、中へ入り込めないのだから、噂の《魔導》カラクリ人形を収納してあると思しき黒い箱の密閉は、厳重。
あれこれ思案しているうちに、白文鳥《精霊鳥》アルジーは不意にギクリとした。
視線を感じる。誰の……?
バッ、と振り返る。
――血の滲む包帯巻き巻きの少年。年は14歳ほど。
前日の夜に《人食鬼》に襲われて重傷を負い、当分の間、老魔導士フィーヴァーの管理下で絶対安静となった、オーラン少年だ。
白文鳥《精霊鳥》の、精霊ならではの優れた夜目が、掛け布団の間に横たわるオーラン少年の人相を捉える。
あの黒髪の護衛オローグ青年と兄弟なのだから、黒髪なのだろう――と当然のように思っていたけれど、こうして見ると、包帯グルグル巻きから飛び出しているのは、淡い茶髪だ。
――シュクラ山岳地帯でも多い髪色。あまりにも予想外。
黒曜石のような、漆黒の眼差し。その中に、驚くほど高品位の薔薇輝石の彩りが入っている。
精霊の目で見ると、このように見えるのか……と、改めて、身体で納得するアルジーであった。
人相の大部分は包帯に覆われて不明瞭。
それでも、顔立ちが整っているのは感じ取れる。見惚れるくらいの美少年と言って良い。肢体はともかく、顔面に《人食鬼》裂傷が残った事実は、それなりにショックに違いない。
やがて、疲れたような――重傷で弱っているゆえだろう――かすれた声音がボソッと洩れて来た。
「人の言葉を解するとはいえ、やけに人間っぽいな、白文鳥」
「ぴ……」
「誰にも気づかれないように、というつもりだったんだろうが、済まんな、訳あって『鬼耳族』なみの地獄耳だから。これは誰にも秘密だ。兄貴にもセルヴィン殿下にも……故郷の妹にも、明かしてない。耳が良いってことで、兄貴の助手――書面では、側近かな――採用されてるところ。兄貴は、城砦の王侯諸侯の血筋だからね」
――な、成る程。小鳥の足音に気付いていたという訳か。
妹さんが居たとは初耳だ。このご時世、故郷で達者で居るよう、祈るアルジーであった。
オーラン少年の漆黒の眼差しが、鋭さを増す。
「中身は人類じゃ無いのか? 背後霊のような……というか一瞬、銀月色の……髪の長い……成人の前後って感じの姫君の人影っぽいのが……んな筈は無いか」
――それは確実に、人類アルジーにして、元・シュクラ王国の王女アリージュ姫19歳の霊魂だ。この少年を祝福した《地の精霊》が、その黒眼を通じて、霊魂を見る力を発現させたのだろう。
憑依しているのは確かなのだ。霊魂が銀月色に見えるというのは初耳だが。ほぼ《銀月の祝福》に置き換わっているとも指摘されているから、それなりに納得する。
やがて、オーラン少年は、どれかの重傷が疼いたのか、苦悶の呻きと共に、掛布団の間でグッタリとなった。
老魔導士フィーヴァーのイビキが止まった。ギシリ、と寝台が音を立てる。
理由の分からない直感が閃き……アルジーは飛ぶ鳥の勢いで、窓枠をすり抜けて、部屋の外へと飛び出した。
*****
今いるジャヌーブ砦は、帝国でも有数の危険地帯だ。
東西に、怪物《人食鬼》や《蠕蟲》が出没する半砂漠の魔境が広がる。
砦は、《精霊魔法》土地占いでもって慎重に選び抜いた、要害の地に建設されている。《水の精霊》が守護する安全な水源・植生帯と、邪霊に対抗できる数々の素材に富む《地の精霊》鉱山帯とが交わる、貴重な好適地なのだ。
さらに南方に大海洋。
ジャヌーブ砦から港町までは、一般的なラクダ隊商で5日ほどの距離だ。早馬で2日~3日。
砦の中でも最も高い尖塔の頂からであれば、ゴツゴツした岩山の群れの向こうに、青い海を望むことができる。
湿気を含んだ海風が渡ってくる雨季、流砂が水分を帯びるため《人食鬼》強大化の危険度は上昇するものの、一面を夢のような緑園にする、待望の降雨がある。干からびたサボテンも丸々と太り、花を咲かせる季節だ。
白文鳥の身体は寒さに弱いけれど……
今は雨季を迎えていて、夜の空気が湿度を含んで暖かい。これくらいなら多少のダメージをものともせずに飛び続けられる。
先刻の動転を引きずりながらも、アルジーは帰路の方向へ向かって屋根の上へ飛び上がった。
高さを見誤って、出っ張りに引っ掛かる。まるっとした「いちご大福」さながらの白文鳥の身体が、コロンコロンと屋根の上を転がった。
程なくして、仰向けの格好で、一箇所に止まる。止めてくれたのは、お馴染みの魔除け、屋根設置型ドリームキャッチャー細工だ。
見上げる形になった、ジャヌーブ砦の大広間の階層。
広々としたバルコニーが突き出している――その階層のかなりの部分が、照明で明るい。
隊商の主だった商人たちと、砦の役人たちが、市井の情報交換を兼ねて交流する社交場。
辺境の砦では、お馴染みの設備だ。城砦の場合は、その城砦を統治する王侯諸侯が出張るのも珍しくない。
――夜を徹した宴会なのか、大勢の人影がよぎっているのが見える。
白文鳥アルジーは早速、身体を立て直し、バルコニーへと赴いた。
「ゴクリ。あの金の亡者ラーザム財務官が、ヒック、落石の下敷きになってペシャンコになったと、バハッ、いい気味だ!」
聞こえて来たのは、クダを巻く男の声、そして物騒な内容だ。
加えて、不健全なアルコール臭。
バルコニーの隙間へ、コッソリと降り立った瞬間、白文鳥アルジーは飛び上がったのだった。
程なくして……目の前に、いかにも無精ヒゲの酔っ払いといった風体の、商人スタイル長衣姿のシニア男が、ドカッと腰を下ろした。
片手に、大振りな酒瓶。商人風ターバンの端から見えるのは、白髪混ざりの燃えるような赤毛。寄る年波にくたびれた、骨ばった中高年の男。
「おいおい、ラーザム財務官が死んだばかりで、そんなこと言ってたら殺人犯にされて牢屋にぶち込まれるぞ、せっかくの酒盛りの夜だってのに」
「この前の……1ヶ月前の市場開催の時の儲け、強欲ラーザム野郎への上納金で大穴が空いてんだ。いきなり死なれて、今回の市場で見返りが無くなったから、こちとらスッテンテンだ……強欲役人なんか、全員《人食鬼》糞食らって死ねってんだ、おっおっお……」
「タフジン大調査官の諜報員が、どの辺に潜んでるか分からないんだから、口を慎め、泣くのを止めれ、バシール」
「落ち着いて、水でも飲んで酔いを醒ませ。そしたら、また飲み直そうじゃねえか、次の成功を祈って……いや、祝って」
似たような風体の、商人仲間と思しき2人ばかりの――中堅世代の男たちが、代わる代わる、飲んだくれ男に声を掛けている。飲んだくれ男バシールは、酒をかっ食らいながらも、愚痴を止めない。
「ネズル、お前だって、骨の髄まで強欲ラーザムを恨んでるだろうが。確か、《人食鬼》活動が沈静化したタイミングで遺跡発掘するからって、一部神官の先取り特権を回してもらえるように大金を上納したんだっけな、それがどうだ、昨夜の《人食鬼》襲撃があって、ラーザムが死んで、掛け捨て損になったとか」
ネズルと呼ばれた商人風の中堅世代の男は、鼻の高さがユーモラスな意味で目立っている。キョロキョロした所作もあって、確かに、ワシ鼻というよりはネズミ鼻だ。
「ま、まぁ、そうだな、うん……あ、確かラーザム財務官は石崩れ事故で死んだのであって、《人食鬼》にやられて死んだのでは無かったとか」
「ネズル。そのネズミ鼻で、やっとラーザム失脚にまで追い込める目ぼしいスキャンダルを嗅ぎ当てたって聞いたぞ。暴露上等、ぶち上げてしまえよ」
「いやはや……噂の媚売りディロンのほうも、政治闘争が入ってる分、当てが外れて憮然ってところだろうが。あれ、今夜はディロンは何処だ? 目立ちたがり屋なのに。さっき何処かで見かけたか? シンド」
シンドと呼ばれた3人目の商人風の男は、困惑した風で片手を頭にやりつつ、背後の室内をキョロキョロ見回し始めた。
商人風の長衣の袖が上がって、剥き出しになった手首に……藍色をした《渦巻貝》トライバル刺青が、ぐるりと巡っているのが見える。魔除け護符チェーン類の装身具は、貝殻製だ。明らかに潮焼けの肌……海の匂い。ターバン布はトロピカル風で、巻き方も独特だ。南洋の諸民族の出に違いない。
「何処かで自慢のツラを売ってるんだろう、あのディロンは、顔だけは色男だ。ハーレムか何処かで間男のチャンスを狙ってるかもな。いまは亡きラーザムの妻を寝取ってもおかしくはないな、色男ディロンも動機は有るんだし」
――なんとも生臭い会話だ。
バルコニーの隙間の陰で、白文鳥アルジーは身体を震わせていた。
あの予期せぬ石崩れで死んだ高位文官――ラーザム財務官は、意外に多方面から恨みを買っていたらしい。彼なりに『魚心あれば水心』を上手にさばいていたつもりなのだろうが、それでも膿は溜まるもの、淀むもの。
再び、バルコニーの陰からチョコンと顔を出す白文鳥アルジー。3人の状況を確認する。
中堅世代の商人の男たちの人相と名前――飲んだくれの赤毛バシール、発掘品の先取り狙いのネズミ男ネズル、色男ディロンを知る南洋民族の潮焼け男シンド。
商人風の男3人組は酔いが回ったのか、おかしな替え歌を歌って、タップダンスを踊っている。一刻もしないうちに酔いつぶれて熟睡するに違いない。
アルジーは、紗幕などの物陰を伝い、酒盛りがつづく室内へと忍び込んだ。
酒盛りしているのは、商談をしている商人風の男たちが多い。
艶やかなベール姿の遊女たちや、美少年・美青年の酒姫たちが、酌をして回ったり、真ん中あたりの舞台で舞踏をしていたり、歓談に対応したりして、さざめいている。
ふと、アルジーは、紗幕と共に並ぶ、何の変哲もないスタンド式ハンガーのひとつに気付いた。
定番の魔除けインテリア、ドリームキャッチャー細工を吊り下げてある。既に数体ほどの毛玉ケサランパサランが付着して、四色モコモコ装飾さながらに動かなくなっている。
そのスタンド式ハンガーのてっぺんに、生真面目な顔をした白タカ《精霊鳥》が止まっていた。
白タカ《精霊鳥》は即座に、スタンド式ハンガーの足元に近づいた不審者すなわち白文鳥アルジーへと、警戒の眼差しを向けて来た。ベテランの個体だ。
『はぐれ白文鳥か? なんで此処に居る?』
回答を用意していなかったアルジーは、いきなり問われて慌てるばかりだ。
『え、つまり、えーと、何か手掛かり見つかるかなと思って』
『手掛かりとは?』
『ラーザム財務官の殺害事件の……殺人犯とか……』
『それは、帝都から出張して来ている虎ヒゲ・タフジン大調査官が調べてると思ったが。手先でも無いのに何故に? その傷痕、《人食鬼》と刺し違えたもののようだが、それ程の何かがあったのか? 治療は?』
『長くなる話だけど。怪我は老魔導士フィーヴァーに診て頂いて……セルヴィン殿下の《火の精霊》に癒して頂いて、えーと……オローグ青年と、オーラン少年……故郷に近い人の、縁……かな?』
白文鳥アルジーは困惑の果てに、ヒョコリと首を傾げた。たった1日、2日のことなのに、色々あり過ぎて、説明しにくい。




