城壁の石崩れと角部屋の死体と怪物と(3)終
急に小鳥の姿となってしまったアルジーには、小鳥にとって都合の良い、安全そうな安眠スポットの知識が無い。
――という事に気付いて困惑し始めたアルジーであったが。
相棒の白文鳥《精霊鳥》パルが、早速、おススメの場所を案内したのだった。
この城壁には、篝火を兼ねた聖火祠が並んでいる。邪霊や怪物の侵入を防ぐ聖火を焚くための普遍的な魔除け施設。数多くある中のひとつが、白文鳥《精霊鳥》向けのねぐらとなっていたのだ。
お目当ての、小鳥の巣を備えた高灯籠スタイルの聖火祠へと到着してみると……
そこは、廃墟も同然に、荒廃していた。
長きにわたって白文鳥《精霊鳥》の渡りが無く、専門に管理する人――《鳥使い》も居なかったためだ。
祠の中の藁壺がグズグズに崩れたゴミの山と化しており、内側にも外側にも、高灯籠の形をした聖火祠そのものにも、蜘蛛の巣がビッシリ張り付いている。
それでも、篝火の台座としての、最低限の機能を期待されていた様子。強力な《火の精霊石》が、聖火祠の所定の位置に仕込まれていた。
相棒パルが、藁クズの山をつついて崩す。
すると、小鳥になった身にとっては巨大な、アルジーの荷物袋が、チラリと見えて来た。
『同族アリージュが、《超転移》で移しておいてくれてたよ、ピッ』
『良かった』
アルジーは早速、心に覚えのある仕分け袋を引きずり出した。白文鳥のクチバシでもって、一苦労しつつ袋を開くと、白文鳥《精霊鳥》たちにあげる予定だった草木の種が、まだ残っているのが見える。
パルと一緒に、少しばかり食事をつついて腹ごしらえをすると、急に眠気が襲って来た。
生贄の儀式の前後で恐ろしい思いをしたうえに、魔法の絨毯には翻弄され。
さきほど、石落とし攻撃による大量の落石に襲われたと同時に、数多くの謎を含んだ殺人事件が起きたのを、目撃したばかりだ。
安眠できると確信できるスポットだけでも有り難い。それが廃墟であっても。
極度の緊張が解けたアルジーは、ボロボロの藁クズに潜り込んだが早いか、一気に眠りに落ちて行った……
*****
まだ夜が明けきらない、それどころか草木も眠る闇の刻。
俄然あたりは騒がしくなった。
「全軍、武器を取れ! 怪物《人食鬼》襲撃だ!」
帝国軍ではお馴染みの《魔導》拡声器による大声が、城壁全体を響き渡ってゆく。
どこかで、当直の魔導士が《精霊語》で詠唱する声がつづく。
城壁のあちこちで眠たそうにボンヤリと揺れていた「普通の火」さながらの聖火が、その詠唱に応えて、一斉にまばゆく輝いた。
戦闘モード《火の精霊石》の紅蓮の炎は、人の背丈を超えて高々と立ち上がり、回転する火柱さながらだ。その周囲に、退魔調伏の力のある真紅の火の粉を散らし始めた。
疲れ果てて熟睡していたアルジーも、そのただならぬ騒ぎに気付いて目が覚めたのだった。
辺り一帯が明るい。高灯籠スタイルの聖火祠を照らす《火の精霊石》が、ギラギラと光っている。
相棒の白文鳥《精霊鳥》パルが、ひっきりなしに、蜘蛛の巣だらけの聖火祠を出入りしている。
『パ、パル? い、いったい何が』
『本当の《人食鬼》来襲みたいだよ、ピッ。この要塞、《人食鬼》戦線なんだよ、ピッ』
相棒パルの声は、いつになく緊張している。
『此処に居れば大丈夫じゃない? 聖火祠だし』
『これ、砂嵐に付き物の自然発生じゃ無くて、誰かの不法《魔導》で召喚されてる気配が、ピッ』
『この軍事基地の何処かに「邪霊使い」が居るって事? さっき名前が出てた老フィーヴァー魔導士とか?』
アルジーは咄嗟の習慣で、お馴染みの荷物袋から、退魔調伏の紅白の御札を引き出した。小鳥のクチバシで。
つづいて脳裏に浮かんだのは、いまや邪霊使いの一人にして憎むべき従兄となってしまった、シュクラ王太子ユージド。
(ユージド、さえ、居なければ)
湧き上がる感情に気を取られている内に、城壁の情勢は激変していた様子だ。足音の流れが変わる。
「早く、廊下のランプを全部! 普通の料理の火のほうじゃ無い、《精霊石》のほうだよ!」
「そっちの、ドリームキャッチャー魔除けのほうも!」
城壁のあちこちで反響して声音がボンヤリとしているが、明らかに女性の声だ。
この要塞には、非戦闘員の女性たちも、相当に多く詰めているのだ。水汲み、炊事、掃除、洗濯の担当といった類に違いない。女性たちが詰めているということは、子供たちも……
その予想を裏付けるかのように、小さめの人影が、ふらつきながら横切った。
明度を増した聖火祠の照明の中に現れたのは、病的なまでに線の細い少年だった。その身にまとう上質な長衣と、ボロボロに貧弱な体格との落差が、違和感バリバリだ。
白文鳥の姿のアルジーが、興味津々で聖火祠から小鳥の首を突き出して、見守っていると。
もうひとつの背丈のある人影が、俊敏な所作で駆けつけて来た。最初に見かけた迷彩ターバン兵士たちと同様、帝国軍の一般的な軍装姿。雰囲気からして20代前後の青年。
「セルヴィン殿下、そちらへ行っては」
……白文鳥アルジーは、驚きの余り「びょーん」と伸び上がった。
オリクト・カスバの訛りが入っている!
ほとんど帝都風の発音だけど、故郷シュクラ王国の隣にある、友好国の……
親しい知人を思わせるイントネーションに、いっそう耳を傾ける。
「オーランが危ないかも知れないから」
「何ですって? チクショウ、あいつ『錠前破り』の……何処に居るんです?」
その声に応えるかのように、軽快な少年のものらしき足音が接近して来た。
病的なまでに貧弱な『セルヴィン殿下』と呼ばれた少年が、弾かれたように、その方向に顔を向ける。20歳かそこらの武装ターバン青年も。
「……オーラン!?」
不意に、城壁に設置されている聖火祠の――聖火が揺らいだ。《精霊石》による炎だから、普通の風などでは揺らがない筈なのに。
白文鳥《精霊鳥》の感覚が、不吉な兆候を捉える。
相棒パルが鋭く鳴いた。
『人食鬼!』
少し先の城壁の上で、禍々しい魔性の黄金のカタマリが、ギラリと揺らめいた。
城壁の石積みに掛かっているのは、いやに三日月刀に似た形。
――《人食鬼》の、カギ爪だ!
『よけて!』
アルジーは、退魔調伏の紅白の御札をくわえて飛び出した。荷物袋から出してあった退魔調伏の御札だ。白文鳥の姿なので、手が使えずクチバシにくわえる形。
白文鳥《精霊鳥》の鋭い鳴き声がつづいたことに気付いたのか、3人が一斉にその方向に顔を向け……
「あれは!」
城壁の上に、ぎらつく黄金の人体のようなモノが躍り出た。
20代の武装青年と同じくらいの体格の、中型《人食鬼》。
黄金のカギ爪を構えて……飛びかかって来る!
白文鳥アルジーは、素早く紅白の退魔調伏の御札を放った。
御札は夜風に乗って、《人食鬼》のほうへと舞い……片方の手首へと貼りついた。
目にも留まらぬ熟練の速度で、武装青年の三日月刀が振り上げられた。邪気に触れて、定番の退魔紋様が真紅に輝く。
禍々しい金属音、そして退魔調伏の聖火の――紅白の御札も加わったゆえの、力強い爆裂音。
――があぁぁ!
苦痛と憤怒の声音。
あの頑強な《人食鬼》の肉体が……数歩ほど、よろめきつつ後退していた。
見ると、片方の手首が、手先に付いていた黄金のカギ爪ごと吹き飛んでいる状態だ。切断面からは、《火の精霊》の真紅の火花がバチバチと散っている。
アルジーは一瞬、呆気に取られたものの、すぐに納得していた。
(そうだ、あの御札、とても頼れる女商人ロシャナクさんから頂いた強力な紅緋色のインクで、試しに作成していた1枚!)
まだ未熟なほうの体格とはいえ、危険な《人食鬼》。その胴体に醜怪な裂け目が入ると、見る間に洞穴のような異形の口となった。黄金の牙がグルリと生えている。
セルヴィン殿下と呼ばれていた血色の悪い少年は、恐怖に足元をもつれさせて、ぐらりとよろめいた。
高速でうねり、襲い掛かる、忌まわしい舌の群れ。
背筋の凍るような一瞬。
覆面ターバン姿の、もうひとりの少年が飛び出して来て、護身用の短剣を抜き放った。夜の闇にも鮮やかな、《火の精霊》の真紅の閃光。
高速で噴射されていた、幾本もの怪物の触手――舌が、まとめて切断された。
驚異の動体視力。
だが、明らかに少年だ。当然、戦闘経験は浅い。
少年は、再び繰り出された第二弾の舌の群れをよけきれず……その怪物の舌に付いていた無数の棘が、少年の覆面ターバンをボロクズと化していった。
その少年の顔面からも、その顔面を守るように上げた腕からも、細かい血飛沫が飛び散る。
白文鳥アルジーは、目の前で噴き出した血の量に動転するままに、怪物の舌の群れを止めようと、少年の覆面ターバンにしがみつく。
アルジーの身体各所を、気の遠くなるような激痛が貫いた。
舞い散る純白の羽根。
複数の悲鳴。
相棒の白文鳥《精霊鳥》パルが、近くの篝火――《火の精霊石》の燃やす聖火に飛び込んだ。
聖火は、精霊魔法の成分を受けて増強した。
白金の聖火となるや、まばゆい純白の炎へと変わり、見上げるような大きさと幅に広がる。
――大きな鳥の、両翼のような影かたち。
鷲獅子グリフィンとも称される、巨大な白ワシ《精霊鳥》のようにも見え……超古代の伝説の白孔雀のようにも、見え。
純白の炎となって輝き燃える、偉大なる《鳥の精霊王》が、そこに出現したかのようだ。
畏怖すべき気配を感じたかのように、動きを止めて振り返る《人食鬼》。
巨大な両翼の形をした純白の炎は、それを見逃さなかった。
左右から、翼を打ち合わせたかのように、《人食鬼》を挟み撃ちにしたのだった!
三日月刀を構えたまま唖然とする武装青年、病的なまでの痩身の少年、血まみれになって倒れ伏しながらも驚愕に目を見開いたままの覆面ターバン少年。
全員の目の前で、《人食鬼》は……純白の火花と散った。
黄金にぎらつく魔性の肉塊は、あっという間に粉砕して……無害な熱砂と化してゆく。
退魔調伏できた――それだけを確認した瞬間、白文鳥アルジーは、意識を失っていたのだった。




