城壁の石崩れと角部屋の死体と怪物と(1)
いつしか、多くの篝火が赤々と並んでいるのが、見えて来た。
よく見ると、その多数の炎の半分ほどは、退魔能力のある《火の精霊》だ。
銀月が早々に没した後の深夜らしく、明かりの届かない部分は真っ暗。
岩石の多い砂漠の真ん中。
篝火の行列に彩られているところは、明るい。
夜の砂漠をゆく旅人が思わずホッとするような、人工的なラインを持つ大きな建造物が、煌々と照らし出されていた。
城壁には多彩な段差や隙間が仕込まれていて、弓矢の射手ばかりでなく、大砲をも配置できるようになっている。通常の城砦よりも、もっと軍事的方面に機能を絞り込んである形式だ。要塞と見える。
篝火の炎に熱せられて、深夜にもかかわらず気温が上昇している……
空飛ぶ白い絨毯の上で、アルジーは、不意に違和感を覚えた。
空気のにおいが、違う……
ボンヤリと感じているうちに、アルジーの中でモヤモヤしていた違和感が、急にハッキリして来た。
湿度が高い。空気そのものがエキゾチックな塩味を含んでいるような……
明らかに、蒸した空気が流れている。雨が降っていたのだろうか?
一瞬、視界の端を、流れていったのは……『帝都紅』を思わせる鮮やかな紅。華麗なモザイクの、紅ドーム屋根。聖火礼拝堂の一種に違いない。
空飛ぶ魔法の白い絨毯が、急降下し急旋回した。
勢いで、絨毯の表面から白い羽根の幻影が無数に吹き出し……飛び散ってゆく。
――精霊魔法《鳥舟》の解除。
夢のように真っ白な魔法の羽根は、次々に形を失って白い煙と化し、《根源の氣》となって大空に還る。
「わわわ!」
「ぴぴぃ!」
「ぴぃ!」
アルジーと相棒の白文鳥《精霊鳥》2羽は、自律的な動きを止めた魔法の絨毯とメチャクチャにもつれ合う形となって、まとめて転がされた。
篝火の並ぶ城壁の上。
壁に沿った石積みの段差に、身体各所を次々に打ち付ける。
それなりに高級品と言えるほどの厚みのある絨毯がクッションになったお蔭か、骨折の音が響かなかったのだけは、幸運と言うべきだ。
ゴロゴロ転がったその先。
城壁の曲がり角の突き当たりには、独立した塔さながらの、二階建ての小部屋がしつらえてあった。
展望台バルコニーの付いた見張り塔の形式になっている。かつてアルジーが、シュクラ王国の第一王女アリージュ姫として軟禁生活を強いられた人質の塔の部屋に似ているが、角部屋ならではの開放的な造り。
一階のほうの窓は大きく開いていた。空飛ぶ魔法の白い絨毯ごと、開いていた窓を通って、小部屋の中へと転がり込む形。
ほぼ同時に――脈絡も無く――少し離れた別の一角、城壁の暗がりで、何者かの影がサッと動いた。
その城壁の暗がりを作っていた高い段差が、グラリと動き……からくり仕掛けだった段差は、滑らかにスライドした。
既に、充分に傾斜していた段差は、見る間に崩落した。本来の、城壁の外側への方向では無く……内側へ向かって!
――攻城戦でお馴染みの、石落としが始まった!
あたりを揺るがす轟音。飛び散る鋭い石塊。流血の惨事になること確実な、恐ろしい弾幕だ。
「危ない!」
いまや動かなくなった魔法の絨毯の中でモタモタとしていたアルジーは、叫ぶ他に無く……
大小の石塊の大群が押し迫る。
アルジーの視界に入っていた贅沢な角部屋の窓枠が、飛び散る石塊の群れの中でメチャクチャにひしゃげ……大音響と共に粉々になってゆく。
絶体絶命の危機。
今さらどうにもならぬと絶望しながらも、アルジーは身を伏せた……
……
…………
身体全身に壮絶なショックと激痛が走る。
次の一瞬、口から魂が飛び出たのではないかというような感触。
そして、轟音と振動と……永遠にもつづくかと思われるような恐怖。
実際のところは、一呼吸か二呼吸ほどの間ではあったが。
程なくして。
異常事態に気付いた人々の騒ぎ声が、あちこちから上がって来た。
大勢の人の叫び声、走る足音。手に取っているのであろう三日月刀の、空の鞘が剣帯と当たる金属的な音。
「石落とし攻撃か! なんで城壁の内側へ落とすんだ!」
「誤作動か、それとも誰かが間抜けな操作したのか、イタズラか、いかれた野郎はムチ打ちの刑だ!」
「おい、ヤバいんじゃねぇか、あの部屋は確か」
一部の人々が意味深な騒ぎを始めた。帝都宮廷風の発音が混ざっている。
(あの人たちは、身分的には、帝都宮廷でも比較的に上位の人々に違いない)
シュクラ王国の第一王女アリージュ姫だった頃から、諸国の城砦との宮廷社交に必要な教養として、亡き師匠オババ殿から仕込まれていたから……帝都宮廷風の発音は、よく分かる。
元形を留めぬ窓枠を、人々がドヤドヤと出入りし始めた。戦士の定番の迷彩ターバン。退魔紋様を備えた三日月刀のきらめき。一気に騒がしくなって来る。
この場を統率するのであろう上官の大声も、轟きわたっているところだ。
結果として、アルジーは、空飛ぶ魔法の白い絨毯から這い出すのも難しくなってしまったのだった。もっとも、上に積み重なった大量の瓦礫を、どうにかしてからだが。
『どうしよう? どうすれば良い、パル?』
『あ、此処に居たんだ、アリージュ! そのまま居て、ピッ!』
絨毯にくるまれた暗闇の中で、ひそやかな《精霊語》が飛び交った。
相棒の白文鳥《精霊鳥》パルの――《精霊語》の――声が、慌てたように返って来る。身動きできなくとも、それだけで、ホッとするアルジーであった。
そうしている内にも、体力自慢の者たちが上官の指示に応えて、その辺の瓦礫を移動し始めたらしい。角部屋を埋め尽くした瓦礫が転がったりする時の、やかましい音が続いている。
「そら、急げや、今夜は確か閣下が、お忍びで出入りなさってた筈だ」
「チクショウ、まさかの暗殺だったりしたら……閣下ご本人が死体で出てみろ、そこらじゅうの政財界が大騒ぎだ! 帝都からも何を言って来るか」
四方八方から聞こえてくる喧騒の中。
アルジーの身体の中を、不意に「ストン」というような軽い違和感がよぎった。
次の瞬間、身体の周りの空間に、不思議な余裕が広がったのを感じる。
相棒の白文鳥《精霊鳥》――パルの声が、再び暗闇の中から聞こえて来た。不思議に、声の方向が明確に分かる状態だ。
『これで動ける筈だよ。絨毯の外に出ておいでよ、アリージュ、ピッ』
アルジーは早速、バタバタと腕を動かした。妙に腕回りがもたつく。長大な振袖を取り付けられた、祭祀用の衣装のように。四つん這いになったまま、ふうふう言いながら声の方向を目指して這いずった。
絨毯の重みが、急に消える。
ドッと押し寄せる外気……夜間ならではの冷気。
すぐに身を起こして、キョロキョロし始めると。
目の前に、「ぬーっ」と巨大な山が盛り上がったようだ。それは巨人の形をして、素っ頓狂な声を上げたのだった。
「何じゃこりゃ、角部屋で小鳥を飼ってたか? しかも白いの……2羽?」
それは、のそりと身を曲げた。身体の何倍もの大きさの、恐ろしい手のようなものが近づいて来て、アルジーはパニックになった。
『巨人だ!』
一目散に、目に付いた最も近い物陰へと逃げるアルジー。
身体の底から震えあがるような、違和感。
見回す限りの、あらゆるものが巨大化していた。
つい先ほど見た気のあるような角部屋なのに、窓のサイズも家具調度のサイズも、何もかも違う。そこらじゅう、瓦礫運搬の作業中らしい、兵士姿の……人類の巨人たち。
『ななな、何なの、これ、巨人の部屋!?』
『とにかく外へ飛ぶよ、アリージュ、ピッ』
すぐに追いついて来た相棒――白文鳥《精霊鳥》パルも、何故か巨大化している。もっとも、こちらは、ほぼアルジーと同じ身体サイズへの巨大化であるが……
白文鳥《精霊鳥》パルが翼を広げ、高い位置にあって無事だった窓へと飛び上がる。アルジーも腕を広げて、後を付いて飛んでゆく……
(飛んでる!?)
段差に気付かず足を踏み外した時のように、息を呑むあまり、態勢が崩れた。見込みが外れて、壮絶なまでに巨大な窓枠に、思いっきり身体全身を衝突させる。
巨大な窓枠に掛かっていた薄い紗幕をつかむ。「足の指」で。一瞬、グルンと全身が逆さまになった。
ビックリ顔の、2人、3人ばかりの巨人兵士たちが、眺めて来ていた。
「こら何じゃあ、このチビ、飛ぶのヘタだなぁ?」
「羽毛が半分ハゲてるからだろ?」
「俺、知ってるぞ。白文鳥にも換羽ってのがあってな……」
『急いで、アリージュ、急いで、ピッ』
アルジーは気を取り直し、傍で飛び回り始めた相棒パルに合わせて、腕をばたつかせた……パルと同じ、良く見慣れた白文鳥の翼となっている腕を。
いったい何が起きているのか分からないが、一時的に、古代の摩訶不思議な精霊魔法か何かで、白文鳥の翼を与えられたものらしい。
――幼い日、師匠オババ殿から寝物語に語ってもらった昔話の中に、偉大なる超古代の精霊魔法で小鳥になってしまった、《鳥使い》の冒険談があったような気がする……
…………
……思い出した、《鳥使い》シュクラだ。
帝国全土で広く知られているのは、その二つ名『貧乏神ハサン』のほうだ。
いまの帝国の開祖『雷霆刀の英雄』の仲間のひとりとして、《怪物王ジャバ》退治の旅に同行した人物。帝国建国の神話伝説の中で、繰り返し語られている。
恐怖の大魔王《怪物王ジャバ》の退魔調伏を成し遂げた『雷霆刀の英雄』や、超人的な武勇を誇った豪傑の仲間たちと比べると、二番手、三番手といった地味な扱い。
だが、シュクラ王家にとっては偉大な始祖かつ英雄。
――帝国全土の通称として、『貧乏神ハサン』などという変な二つ名が付いたのは。
不思議な《魔法の鍵》でもって、黒ダイヤモンドで封印された金庫を次々に空っぽにして、破産――という逸話があるからだ。おまけに、数々の宝玉、黄金の延べ棒、などといったカネは、鳥の翼を生やして飛んで行ったという。
いまは、その謎の《魔法の鍵》が、いかなる物だったのかは、よく分かる。白孔雀の尾羽の形をした、不思議な羽ペンだ。アルジーは、まさに、その白孔雀の羽ペンを使って、黒ダイヤモンドによる厳重な封印を、こじ開けることができたのだから。
シュクラ王家の始祖――《鳥使い》シュクラにして『貧乏神ハサン』が、いかなる状況で、伝説的アホとも思える「破産」をしたのかまでは、分からないけど……
…………
慣れない動作で身体のあちこちが悲鳴を上げるが、力強い翼の羽ばたきは、アルジーの身体を目論見どおりに空中へ舞い上げた……




