千と一つの夜と昼 すべての星が落ちる時
人ならざる交響を通じて、怪異な双子の銀髪グラマー美女の、毒々しいまでに甘い誘惑の声が聞こえて来る。
『いいえ、これは正しいことよ、銀月の。お前がそう望み、指を鳴らすだけで、この下等にして下劣な人類どもの帝国は、跡形も無く滅亡する。逆流する両大河、ユーラ・ターラーの洪水に流されて、最初から存在しなかったかのように、きれいさっぱりと』
『あの下等生物、あの2つ。手始めに、どうしたい? 気ままに煮るなり焼くなり……ネズミやコウモリに変えて、洞穴に追い込んで、引きちぎって遊ぶのも面白いわよ。銀月の望みのままに』
いつしか、首領魔導士による不気味な詠唱が陰々と響き始めた。黄金の骸骨仮面の奥の目は、ギラギラと、狂気の色に染まっている。
「いまこそ、偉大なる『黄金郷』ジャバ=シャーハンシャー復活の時は来たれり」
「此処で、あの忌まわしい《怪物王ジャバ》が復活するなんて、聞いてないぞ!」
トルジンが悲鳴を上げる。
骨灰色の仮面――シュクラ青年ユージドが、ハッとして身動きしたが。
異形の首無しの巨体と化している筈の『邪眼のザムバ』は、目が見えているかのように、2人の青年と黄金祭壇との間に、立ちはだかった。黒ダイヤモンドを押し込まれて眉間から上が吹き飛んだせいか、やけに首の長さが延びたような――
ぎらつく黄金色の巨体から噴き上がる蒸気が、異様な瘴気と化してゆく。
2人の青年は、そのまま……動けない。
その有り様を目にして絶句するアルジーを、怪異な双子と化した銀髪グラマー美女が、ニヤニヤしつつ抑えつけた。
一方の銀髪グラマー美女が黄金祭壇の枕の側に居て、アルジーの両腕を捉え、万歳の形にさせたまま押さえている。鏡写しであるかのように同一の姿をした、もう一方の銀髪グラマー美女が、黄金祭壇の対極の側に居て、アルジーの足首を押さえている格好だ。
怪異な双子の銀髪グラマー美女は、首領魔導士の宣言につづくかのように、一斉同時に詠唱し始めた。
「ご照覧あれ、ジャバ、来たるべき世界の王の中の王」
「いまこそ、偉大なる世界の王の中の王よみがえらん、千人と一人の《銀月》の封印は解かれた、ジャバ=シャーハンシャー!」
黄金の骸骨仮面をした首領魔導士が、アルジーの傍に立つ。
ぎらつく黄金色の三日月刀が高々と掲げられた。もとは大型《人食鬼》のカギ爪だった物だ。
つづいて、不気味な四行詩の詠唱。通常の《精霊語》では無い。邪霊を扱うほうの発音形式だ。
『千と一つの夜と昼 すべての星が落ちる時』
『天の果て地の限り やよ逆しまに走れ 両大河』
『千尋の海の底までも あまねく統べるは 闇と銀月』
地下神殿の中の、あらゆるものが、邪なる響きに同調して……不気味に震動し始めた。
浅く広がっていた水面が、ザワザワと波立つ。
見る間に、不穏な震動は大きくなった。
すべての人々が、台座に佇んでいられないほどだ。次々に、水の中へと振り落とされる。
動かない台座であった筈の『逆しまの石の女』が……ゾッとするような美しい笑みをたたえ始めた。
その目の色が、生ける薔薇輝石のごとくに輝き始める。口元も、いつの間にか、露を帯びた薔薇の花さながらの艶と赤さだ。
真っ青になったトルジン。骨灰色の仮面を外したシュクラ青年ユージド。だが、『邪眼のザムバ』の異形の巨体に阻まれて、この場から逃げ去ることも出来ない。
かつては『邪眼のザムバ』だった、ぎらつく黄金色の首無し巨体は……みるみるうちに、三つの頭を生やし始めた。
肉の盛り上がりと共に、黒ダイヤモンドも頭頂部へと押し上げられる。
三つの頭の周囲に、新たにメキメキと生えたのは、忌まわしい意匠の王冠のような構造体。
見る間に……黒ダイヤモンドは、三つ首のうち中央の、その『一ツ目』の位置に張り付いた。
異様に大きな一つ目の形をした「それ」は、《炎冠星》さながらの黄金の光背をまとい、皆既月食の月を思わせる暗赤色の光沢を帯び始めた。
古代の伝説で語られ続けて来た――『大邪眼』そのもの。
そして残りの二つの頭部に、意味深なヒビが出来て、開き始める。怪物ならではの増殖能力でもって、そこに、新しい目玉を造成しているかのように。
かつてザムバであった異形の肉塊は、伝説の《怪物王ジャバ》さながらに、ぐんぐんと体格を拡大させてゆく。
――『邪眼のザムバ』の身に、《怪物王ジャバ》が宿るのだ!
黒ダイヤモンドであった筈の「それ」に、爬虫類を思わせる細長い瞳孔が開く。その瞳孔は、ぎらつく黄金色だ。
怪異な変容を間近で目撃する羽目になった2人の青年は……次に来る恐怖と絶望を理解したかのように、腰を抜かして、へたり込む。
震動に合わせてアルジーの全身が揺れ、不意に、天井を荘厳する黄金の仮面に視線が向く。
今までは忌まわしいと感じていた筈の三つ首の仮面が、まるで違った印象に見える――偉大なる《怪物王ジャバ》のご尊顔。
動揺するアルジーの中で、異様なまでに不自然な愉悦が急激に膨れ上がった。魔性の力に満ちたまばゆい銀髪が、銀の蛇のようにうねり始める。
――追いかければ、もっと楽しめるじゃない?
『そう、下等生物を虐げて楽しむことは、正しいことよ。私たちは、お前を永遠に楽しくするために来たのよ』
『さっさと捨ててしまいなさい、こんな忌まわしい封印――下等な人類の肉体など』
怪異な双子の銀髪グラマー美女は、アルジーの身を、黄金祭壇の上に押し付けたままだ。
大きく揺れつづける地下神殿。
地上のほうで、新たな《火の精霊》による爆発音がとどろいた。先ほどよりも、ずっと近い。人々が交わす大音声も。
「……東方総督トルーラン将軍および御曹司トルジン、このたび帝国への反乱の疑いにより……」
「誰だ、貴様ァ……」
ひとしきり、刀剣の金属音。
……しつこく邪魔していた何人かが、まとめてなぎ倒されたらしい。もしかしたら、トルーラン将軍も。
この地下神殿を目指して殺到して来ている、大人数の軍靴の音……
いまひとたび、地下神殿が揺れた。
黄金祭壇が「ドン」と突き上げられ、弾んだ拍子に、アルジーは片足を打ち付けた。足首に、人間らしい痛みが走る。
「うぐ」
魔性の笑みを浮かべていた怪異な銀髪グラマー美女の片割れ、アルジーの足元を押さえていたほうの女が、「えっ」と言いながらアルジーの足首に視線をやった。
「なんなの、この赤い糸の痕は――《精霊亀》の――月下老人のヤツ!?」
「え、明かき流星の道の?」
アルジーの両腕を押さえていたほうの女が身を乗り出し、拘束がゆるんだ。アルジーの耳元で、ドリームキャッチャー護符が揺れる。
――シャラン。
邪霊を察知した時に鳴る、かすかな玉響の音。
痺れきってしまったような意識の片隅で、あがく。
――オババ殿!
邪悪な『魔法のランプ』による黄金色の炎が、怪異なまでに高さを増した。ぎらつく魔性の炎の先端が、天井を荘厳する《三つ首》の黄金仮面にまで、届こうとしている。
伝説の《怪物王ジャバ》が支配する、闇めく黄金時代を……立ち上げようとしているのだ。
なおも狂気と愉悦をほとばしらせる首領魔導士が、黒ヒゲを震わせながら、最後の一節を詠唱する。
『……三ツ辻に、望みを捨てよ。巌根ひとつを、ともに――』
三日月刀の黄金の刃が、アルジーの首めがけて振り下ろされる。
――と、ほぼ同時。
地下神殿の出入口となっている鋼材のアーチ扉が、凄まじい音響と共に爆発飛散した。
真紅の宝冠のような形をした火炎が、見る間に強烈な白金色に燃え上がり、あたりは真昼よりも明るくなった。上位の《火の精霊》の攻撃。
まばゆい炎と大量の瓦礫の間を縫って飛び出して来たのは、白文鳥《精霊鳥》だ。
2羽。
いったんは飛び去りながらも、戻って来た、相棒。
壁をも突き抜けてゆく不思議な《精霊鳥》の精霊魔法――《超転移》だ。
『アリージュ! アリージュ!』
首に、灼熱の衝撃が走る。
頭と胴体が離れたような――感触。
内側で熱く燃えていた暴威のような『何か』が、一気に流出してゆく。
この地下神殿の基底に多数、意味深に配置されている、銀色の『逆しまの石の女』が……薔薇輝石の目を輝かせて、一斉に呟いた。ただ一言。
『鳥舟』
幻影なのか――信じがたいほど大きな、真っ白な鳥の影が、白い絨毯から湧き上がった。
その風圧をまともに食らったのか、怪異な双子の銀髪グラマー美女が、2人ともに、黄金祭壇から転げ落ちる。
天空へ向かって、純白の鳥の影が舞い上がっていった。
長く長く引く尾は、白孔雀の尾羽の形だ。
無数の純白の羽根が、降りそそぐ。
瞬く間に、純白の花吹雪のごとく舞い散り――そして、花吹雪が止んで、虚空が開けた。
無限の虚空。
真夜中の闇よりも深き虚空の闇の中を、無数の星々が高速で回転している。
すべての星が、虚空の無限の底へと落ちてゆく……千と一つの夜と昼の、その時なのか。
輝く流星の道が、ドリームキャッチャー細工の護符のような、複雑な編み目を描きつづける。みるみるうちに構成されていったのは、大輪の花のような形の《魔導陣》。
それは、さながら数多の花弁を持つ花……月下美人。
大いなる鳥の羽ばたきの音が、いつまでも続いているようだ。
いつしか……アルジーは空飛ぶ白い絨毯《鳥舟》に乗せられていて、無我夢中で、しがみつく形になっていた。
そして、そのまま、《魔導陣》の扉の部分を通り抜けて……虚空の闇の中を貫く流星の道へと、放り込まれていった。




