地底の神殿 黄金の祭壇(後)
「と、とにかく、最も、おぞましい証拠がこれだ! よくも、繰り返し、火炎地獄の悪夢を見せて来やがって!」
トルジンは血色の悪い顔を口だらけにして怒鳴りつつ……『灰色の御札』の束を突き付けて来た。
――いずれも、『罰当たりなヤツに悪夢を見せて眠れなくする』御札だ。
この2年、アルジーが、せっせと積み重ねて呪って来たものだ。
横で、シュクラ青年ユージドが、骨灰色の骸骨仮面ごしに『灰色の御札』の束を眺め、感心しきりと言った様子で首を振った。
「一応、ご夫君に、その数を送り込むだけの忠実な愛と関心はあったという事か。《火の精霊》による穏やかな天罰のような物だから、寝不足になる以外の実害は無いだろう。だが、ハーレム妻としての愛情表現としては、随分と反抗的だな。私なら、夫に悪夢を送り込むような見下げ果てた妻は、めとらない」
「こんな凶暴なゴロツキ骸骨、頼まれても妻にしたいものか。こちらから願い下げだ、即刻、離縁だ! そうとも、『離縁』だ!」
トルジンは人類の言葉で「離縁」と言い、《精霊語》でも『離縁』と繰り返した。
この単語――『離縁』という《精霊語》は、すべての男が習得必須とする、契約用の《精霊語》だ。学習に熱心でない男も居るが、既婚者の場合は《火の精霊》が夢に出て来て、繰り返し教授して来るので、いやでも自然に習得してしまう。
――トルジンの発した《精霊語》による、『離縁』という言葉が、響きわたった瞬間。
地下神殿の台座に置かれていた『魔法のランプ』の、暗い黄金色の炎すべてが、不意に、薔薇輝石の炎に燃え上がった。そして、再び、暗い黄金色の炎に戻った。
目撃した人々が、驚きのあまり騒ぎ出す。
「おい、さっきのは、薔薇輝石じゃないか?」
「じゃあ、あの1001人目の生贄の目の、薔薇輝石の位階は……」
「だが《精霊文字》技能に限られていて、邪霊を使ったことは無いとか――嘘だろう、地下神殿の『魔法のランプ』、千と一つの炎すべてに干渉する薔薇輝石……三つ首の巨大化《人食鬼》をも従える最高位ランクの薔薇輝石が!」
「990人目の生贄が、そうだったぞ! 確か《シュクラの銀月》とも称された……シュクラ国境地帯で大騒ぎになった、例の……だが今回のは、訓練が入ってるせいか、アレより強力なもののようだ」
周囲のさざめきは大きくなり、トルジンは、いっそうイラついていった。
トルジンが、アルジーへ向かって、あらん限りの悪口雑言を怒鳴り散らしているうちにも。
地上のほうから、何やら騒いでいるような物音が聞こえて来た。
地下神殿に集まって各所の台座に佇んでいた人々が、ザワザワし始める。数人は、その手の気配を感じ取ったのか、三日月刀を構え始めていた。
耳を澄ますと、確かに、物々しい音が響いて来るのが分かる。
明らかに戦闘のものと思しき、爆発音をはじめとする数々の騒音だ。
城下町の攻防戦でもお馴染みの、様々な怒声や叫び声。
やがて、大型の《火の精霊》による強大な爆発魔法の音がとどろいた。瓦礫の転がる音。
いくつかの防壁が突破され、バラバラになったようだ。もとより聖火神殿や礼拝堂の防壁は、《火の精霊》が守っている。侵入して来た側が、さらに上位の《火の精霊》を使っていたのは確実だ。あっという間に『説得』されたという気配が、漂っていた。
トルジンは焦った顔になり、黒衣の首領魔導士を振り返った。
「あの騒動は何なんだ、どうするんだ! 父上と話し合いはしてあるって言ったじゃないか!」
「ゴミどもなど、どうでも良い」
骸骨の形の黄金仮面をした首領魔導士は、黄金にぎらつく三日月刀を掲げ、大音声で、一同の者に呼ばわった。
先祖を『毛深族』とする者ゆえの威風堂々とした黒ヒゲが震え、陰々としわがれた声が響きわたってゆく。
「我ら永遠の『黄金郷』に目覚めし者は、常に絶対の勝利を得る。皆の者、永遠なる『黄金郷』の到来を祈念し、ひれ伏せ」
「ははー」
「まさに、いま時は来た。これより恐るべき儀式を始める。この至高の儀式が達成されし瞬間、偉大なる黄金の、世界の王の王、シャーハンシャーが降臨する。その最初の成果は、まさに地上で軽挙妄動をしている愚か者どものうえに現れるであろう。称えよ、褒め称えよ」
一斉に礼拝の所作をする、人々の群れ。
「我ら永遠の『黄金郷』を、噓偽りなき情熱をもって褒め称える者なり。今ここに来臨すべき至高者、我らの主」
黄金祭壇の脇で、異様な出来事が進行していた。
いまだ再生途中の『邪眼のザムバ』の巨体の陰から……不意に、現れて来た人影。
白い絨毯にグルグル巻きにされた状態ながらも、その人影の正体に気付き、息を呑むアルジー。
まばゆい銀髪をしたグラマー美女。
「自称アリージュ姫……!?」
トルジンとシュクラ青年ユージドは、首領魔導士の演説に気を取られていて、こちらには気づかない様子だ。
謎めいた笑みを浮かべ、銀髪グラマー美女は宙に浮いた。《魔導》による空中浮揚の術らしい。手には、見事な黒ダイヤモンドを持っていた。いつか見たような、亀甲カット。
――かつて『邪眼のザムバ』だった異形の肉塊の眉間にあるのは、刺青では無く、本物の裂け目のようだ。ぎらつく黄金色の血液がダラダラと流れている。正体不明の銀髪グラマー美女は、手際よく、その裂け目に黒ダイヤモンドを押し込んだ。
ズブリ、という異音。
「何だ……うわ!?」
一斉に振り返ったトルジンとシュクラ青年ユージドは、次の瞬間、息を呑んで後ずさった。
その拍子に、足元の浅い水面が、バシャリと跳ねる。
ぎらつく黄金肌をした異形の肉塊。黒ダイヤモンドを受け入れた眉間から上の、頭頂部にあたる箇所が……飛び散って、失せている。
すでに崩落しきっていた、その場所は、目玉と舌その他の「人類の顔面構造」がすっかり整理されていて、のっぺりとした、首筋か何かのようだ。
正体不明の銀髪グラマー美女は、異形の黄金の肉塊から滑り落ちると同時に……まるで、中央に鏡を立てたかのように、スッと二分裂した。
妖しい笑みを浮かべ、黄金祭壇の傍に降り立った、双子の如き銀髪グラマー美女。
壮絶なまでの怪異。トルジンとシュクラ青年ユージドが、唖然とするあまり見つめている、その前で。
アルジーをグルグル巻きにしていた白い絨毯が、パラリと解ける。
黄金祭壇の上に広がった白い絨毯。その白い絨毯に横たわっていたのは……
双子の銀髪女よりも、いっそうまばゆい銀髪の女だった。
銀髪の照り返しを受けたその目は、鮮やかな薔薇輝石。怪異な双子の銀髪グラマー美女の紅眼が、造り物そのものの光沢であるのに比べて、天然のものゆえの輝きと透明度は、圧倒的だ。
深刻な栄養失調を思わせる病的な痩身ではあるものの、いまや《骸骨剣士》さながらの徹底的な骸骨、というほどでは無い。そして、その同じ人間とも思えぬ造作の面差しは、聖性とも魔性ともつかぬ妖しい美しさをたたえている。
――シュクラの銀月。
かつての、絶世の美姫の二つ名を呟いたのは、トルジンであったか。それともシュクラ青年ユージドであったか。
怪異な双子の銀髪グラマー美女は、毒と媚薬のしたたり落ちるような、蠱惑的な笑みを同時に浮かべた。同時に、アルジーのほうへ、一層にじり寄る。
「銀月の。ついに復活の時が来た」
「我ら両大河を逆しまに流し、とこしえの湿潤にして豊穣なる緑の沃野に遊ぶもの」
「人類の帝国を滅ぼし、我らの夜と昼を、時代を転輪す」
途方もない巨大な『何か』が、アルジーの中に流れ込んで来た。
ほとんど枯渇寸前だった生命力を瞬時に満たし、その人ひとりとしての限界を破壊し、さらに膨れ上がってゆく暴威的な『何か』が――
怪物のエネルギーだ。暗い闇色を秘めた黄金の暴威。
無限の豊穣――不死身の魔性の変容と再生力を与えるもの。
この溶岩のような熱さに、普通の人体が耐えられる物では無い。いまの『邪眼のザムバ』のように、魔性にぎらつく黄金色の、頑丈な肉塊で無ければ。
――現実じゃ無い。これは現実じゃ無い。
アルジーは抗いながらも……すでに地下空間に充満していた麻薬の成分で、頭は痺れていた。




