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バザールの邂逅、運命の十字路(後)

翌朝。


東の空を、払暁の光が駆け抜ける。


アリージュ姫は、犯罪に初めて手を染めようとしている――という緊張感で、一睡もできなかった。


法律を破り、本来の性別を詐称して、『男』として売り込むのだ。


――宮殿の塔で暮らしていた時は、バルコニーから、オアシスの青い水面が見えた。鬱蒼と茂ったナツメヤシやブドウの緑を眺めたりしながら、朝を迎えていたけれど。


城砦カスバの街路は入り組んでいて、陽射しがなかなか入らない。これはこれで、涼しさを保つには良いけれど、時刻が分かりにくい。


少し身を乗り出して、宿の窓ガラスに映った姿を、ジッと見つめる。


長い髪は、生成りの質素なターバンの中に慎重に巻き込んである。


頑丈なだけが取り柄の、男物の街着。生成りのチュニックと広幅ズボン、丈の短い赤色ベスト。


深窓の姫君として育っただけあって色は白いが、トルジンが酷評したほどの男っぽい平たい体格。女声の中でも低音域のほうのハスキー声。貧相すぎて、ヒョロリとした骸骨のような印象は変わらないけれど、頑張れば『男』に見える。


「此処に居るアリージュは消えた。今日から私は、大金を稼ぐ予定の、市場バザールの代筆屋『アルジー』……!」


白タカ《精霊鳥》シャールが、冠羽をキリッと立てて、早くも先導を始めている。


『新しい「人類・オス」を募集中の代筆屋の店は、こっちだ』


御年17歳の男装姫は、こけて血色の悪いほおを、パンとはたいて気合を入れると……薄い肩をいからせて、市場バザールの目抜き通りへと踏み出して行った。


*****


――アリージュ姫、あらため、アルジーが帝国伝書局・市場バザール出張所へ売り込んでいる頃。


宿屋の中。


幾分か体調が戻って来たオババは。


真剣な顔をして訪問して来た白ヒゲの老人……『精霊雑貨よろず買取屋』の老店主と会見していた。


やがて、白ヒゲの老店主が包みを開く。


オババが目を留めていた、あの大型ドリームキャッチャーが現れた。茶カップほどのサイズの水晶玉タイプ《精霊石》と、白孔雀の尾羽7本の組み合わせ。


2人の間で相談が始まり、そして結論が出る。


白ヒゲの老店主が、小卓の上に『魔法のランプ』を置いた。『魔法のランプ』のフタを開けると、中にあるのは、黄金色のオイルのような液体。


老店主は白ヒゲを少ししごいて集中すると、持ち込んで来ていたあしペンを黄金色の液体に浸し……


同じく準備されていた、とっておきの黄金色の色紙の上であしペンが走る。それはそれは見事な熟練の動きで描かれていったのは、《魔導陣》。


老店主が特別な《精霊語》呪文を詠唱すると、黄金色の色紙から、黄金色の炎が出現する。


止まり木さながらのスタンド式ハンガーに控えていた白文鳥《精霊鳥》パルが、パッと飛び出し、黄金色の炎へと飛び込む。


黄金色の炎は見る間に純白の炎へと変容し、伝説の白孔雀のような姿形をして燃え始めた。まさしく古代の伝説の、火の鳥さながらだ。


白孔雀の尾羽の形をして揺らめいている純白の炎のてっぺんから、手乗りサイズの毛玉がワラワラと現れて来た。ほぼ無害な邪霊、ケサランパサランの群れ。いずれも、白毛。


所定の位置に、例の大型ドリームキャッチャーを配置する。空飛ぶ白い毛玉の群れがワワワッと取り囲み、ワチャワチャと騒ぐ。


――白毛ケサランパサランの大群が解散した後。


残っていたのは、あの水晶玉。高度に圧縮された白羽――白孔雀の7本の尾羽を、内部に抱え込んでいる状態。


いつしか、スタンド式ハンガー止まり木に、白文鳥《精霊鳥》パルが戻って来ていて……「ピッ」とさえずっていた……


*****


――あの夜。


聖火礼拝堂の華燭の典に現れた花嫁が、『灰髪ヒョロリ長身アリージュ姫』から『銀髪グラマー美女アリージュ姫』に入れ替わっていた件は、トルジンの父トルーラン将軍を含む関係者たちや、招待された貴賓たちの間では、驚愕をもって受け止められていた。


それは、以下のような次第だ。


聖火礼拝堂に集まった貴賓たちが、それぞれの座に就き、豪勢な料理や酒杯が振る舞われ。


華燭の典に伴う宴会が進行し――めでたい場では定番の神聖舞踊、聖火神殿の神官による荘重かつ華麗な『聖火の舞』や『薔薇の舞』が、流れる音楽と共に披露され。


クライマックスが、帝国創建の故事を元にした、花婿の儀礼の舞――御曹司トルジンによる『英雄の剣舞』だ。


手に持つ刀剣は、雷電を放って大型の邪霊を倒せるとされる《魔導》紋様が刻まれた三日月刀シャムシール


古代の英雄が愛用したと伝えられる《雷霆刀》を現代の刀匠が再現したものだ。


トルジン好みにあつらえてある真紅色の柄は、過剰なまでの金銀宝玉の装飾に彩られている。ギリギリまで薄づくりにされた刀身も、それだけ輝きは素晴らしいものとなっていた。


もちろん御曹司トルジンは、父トルーラン将軍の権勢を具現化したかのような、金銀刺繍や宝飾ビッシリの、贅沢な長衣カフタン姿だ。濃色の更紗を使ったターバンに、特大サイズの極彩色の羽飾り。ダチョウと孔雀の尾羽。


――ただし、御曹司トルジンのターバンを装飾する宝玉は違っていた。アリージュ姫が最初に見た大きな黒ダイヤモンドでは無く、トルーラン将軍の部族の紋章をデザインした、ブローチ型の宝飾品である。


舞い終えて、聖火礼拝堂の――宴会の場の――中央の祭壇へ立つ御曹司トルジン。


祭壇には、過剰なまでの宝飾を施された7個の『魔法のランプ』が円状に配置されていて、太陽柱のような聖なる金色の光柱が7本、ドーム型への天井へと伸びあがっていた。


祭壇の傍に控えていた赤い長衣カフタン姿の神官長が、《精霊語》の祭文を詠唱する。


続いて、詠唱士たちの美声によって、同じ祭文が繰り返される。


下座のアーチ入り口の紗幕カーテンがしずしずと開き、いよいよ花嫁の入場となった。


全員の視線が集中する中を、注目されてウキウキしているのか、色っぽいクネクネとした所作で歩を進める花嫁姿のアリージュ姫。


そのベールは、大胆にも大きく上げられていた。慎ましく隠されてあることになっている筈の髪の毛も、お肌のきわどい部分も丸見えだ。ベリーダンス衣装そのものの大胆なカットデザインの裾から、金銀宝玉タップリの足飾りを装着した、なまめかしい素足がチラチラと見えている。


そのアリージュ姫は、『銀髪グラマー美女アリージュ姫』であった。


全身を彩るのは、燦然ときらめく最高級の宝飾品の群れ。悩ましいまでに真っ赤な唇。たわわな胸と、キュッとくびれた腰。


銀月の光を集めて来たかのような、まばゆい銀髪。


ガシャン。


最高位の上座で傲然とふんぞり返っていた華やかな美形中年――トルーラン将軍が、驚愕のあまり、最高級の葡萄酒の入った酒杯を落としていた……


下座の別の一角のほうでは。


黒髪のローグ青年と、その従者が、困惑顔を見合わせていた。


オリクト・カスバのローグは、いまは亡きシュクラ王妃の実家の血縁である。傍系ながらシュクラ王族であるアリージュ姫にとっては、もっとも近い親戚。


幼い頃のアリージュ姫を直接に知っていた関係者の面々が、ザワザワし始める。


シュクラ側の代表の1人として出席していたシュクラ貴族の青年が、年配の男をおずおずと振り返った。


「名高い『シュクラの銀月』の娘というのも納得、さもありなんというお姿ですが……?」


「シュクラ宮廷霊媒師……オババ殿が、どこにもいらっしゃらない。あの山ほどの装飾品も、シュクラの装いの流儀では……!」


ローグ青年は顔をしかめ、ゆっくりと腕を組んで思案し始める。


「すべて帝都の最新の流行の品だ。トルーラン将軍と御曹司トルジン、アリージュ姫を自分ごのみに調教した、ということか?」


ローグ青年の従者として控えていた、同じく黒髪の青年が、激怒に全身を震わせていた。


オリクト・カスバは《地の精霊》との縁が深い城砦カスバのひとつだ。赤髪や茶髪も普通に見られるが、より暗色系にシフトしていて、黒髪を持つ人の割合が多い。


彼が剣呑な動きで身を起こした瞬間、ローグ青年がハッシと抑える。


「おい、君はいま私の従者だ。落ち着け。どうなっているのか調べないと」


……


…………


――実に偶然だったのだが。


この日この夜、シュクラ宮廷霊媒師オババ殿が、妙に落ち着いていた理由は。


オリクト・カスバのローグ青年がひそかに陰謀していた、『アリージュ姫・奪還計画』が動いていたからだった。


だが、オババ殿が何処にも居なかったため、かねてからの計画は不発に終わってしまった。


そして、あまりにも不確かで奇妙な目撃情報と、談話の断片のみが残った。


――『銀髪グラマー美女アリージュ姫』が華々しく出現する少し前、宮殿の裏のゴミ捨て場に面する街路で、珍妙な邪霊がうろついていたらしい。ゴミ捨て場から拾ったと思しき、白い花嫁衣裳の長衣カフタンドレスをまとった、《骸骨剣士》だ――


安全のためにも、邪霊をしっかり調伏しておくべきだったと判断して、あとから追っ手を差し向けてみたものの。


花嫁姿をしてうろついたという珍妙な邪霊《骸骨剣士》の足取りは、熟練の魔導士でさえも、追跡できなくなっていたのだった……


……


…………


……華燭の典から床入りへと、夜が更けてゆき。


十六夜の銀月は、南中の位置を大きく通り過ぎていた。


東方総督の宮殿に付属する聖火神殿・宮殿出張所は、皆々寝静まり、人通りが絶えてシンとしている。


長い通路には、中程度のサイズの幾何学格子窓が規則的に並んでいた。事務を担当する神殿役人たちが行き交うこの場は、煌びやかな聖火礼拝堂と比べると、はるかに地味で質素である。


小さな夜間照明ランプが、間隔を置いて灯っている。銀月の光が差し込んでいなければ、もっと暗かったに違いない……


……壁沿い、通路が丁字路の形をして交わる一角……


聖火礼拝堂の側から、通路に踏み入って来た者があった。


いや、正しくは『そこに存在しない筈の』秘密の出入口のようなところから、急に出現してきたようだった。まるで、この場が、本来は十字路に交わる一角であったかのように。


「ちょっとスリスリしただけで、トルジンったら、なんてチョロイの……黒ダイヤモンドが無くなってることにも気づかないで……クッフフフフ」


ありえない場所で、あられもない姿をしている銀髪グラマー美女アリージュ姫が、手の上で、あの黒ダイヤモンドをポンと跳ねさせていた。


その拍子に、薄物の衣装の裾から、チャリン……と、コインのような物が転がったが……


黒ダイヤモンドなどといった宝玉の類では無い「それ」は、銀髪をした『自称・本物のアリージュ姫』にとっては、その辺の小石と同じ。


まばゆい銀髪を持つグラマー女が、クネクネと扇情的な歩みをしつつ、立ち去った後。


物陰で、コソリと……聖火神殿の紋章入りの、赤茶色の長衣カフタン姿が動いた。


慎重にソロリ、ソロリ、と足を動かし、チャリンと転がった「それ」を、おそるおそる拾い上げる。


幾何学格子の窓枠を透かして入って来る銀月の光に、「それ」をかざす。


闇を含んだ黄金色――濃色の琥珀ガラス。


そのコイン型をしたモノの、表と裏に、古代の紋章めいた……奇妙に歪んだ形の刻印がある。


「この刻印は……まさか、かの伝説の邪霊の……」


その人物の目が、カッと見開かれた。


「あの女……そんなバカな。あの人に相談するべきか? いや、そんなことしたら、あの黒ダイヤモンドに手を出したことがバレてしまう……」


その赤茶色の長衣カフタンの人物は、震え出した。


「まさかトルジン様が、あのみすぼらしく加工した持ち出し用の箱まで開けて、黒ダイヤモンドを見付けるとは思わなかったし、あの女に更に奪い取られるとは思わなかったし……」


いくら押さえつけようとしても、なお噴き上がって来る不吉な予感……恐ろしい未来への想像が、止まらない。止められない。


「そう、偶然ということもある。偶然、どこかで拾ったとか……いや、でも……」


落ち着かなくキョロキョロする視線が、窓枠から差し込んで来る銀月の光のもと、通路の床の上に残っていた『もうひとつの物』を捉えた。


――そこには有り得ない筈の……白タカ《精霊鳥》の死体。


身を滅するような、すさまじい《魔導》の激闘があったのか、既に白骨化している。


人の手でふれてみると、見る間に、白タカ《精霊鳥》の白骨死体は、『根源ノ氣』へと還元消滅していった……


喉の奥が、いいしれぬ恐怖に凍り付いたかのようになる。


「あの女は……何故、ここに、来ていた……?」


西の地平線へ、十六夜の銀月が近づいて行く……


……未明の闇の底。


通路の片隅で発せられた重大な疑問の呟きは、陰々とくぐもり。


誰の耳にも届かないままに、ナツメヤシの木々を揺らす夜風にまぎれていった……



この夜、いくつもの思惑が絡み合い、重なり合い、運命の十字路に交差した。


闇と銀月の中に錯綜した事象……


これらが浮上して来るのは、2年後のことである。

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