ゆきゆきて闇と銀月(7)終
しばし、ヒリヒリするような沈黙が横たわった。
黒装束をまとう従兄――かつてのシュクラ王太子は、口の端に嘲りの笑みを浮かべた。魔性の傷のある顔の中で、それは、まさに異相と見える。
「シュクラ国境地帯に、あの化け物が出現して、速やかに消滅していったのは、そのせいさ。あの時はケンジェル大使が操ってたんだ。速やかに退去させたのは、それで、だ。偉大なる祖国シュクラを、あれ以上、荒らし回らせるわけにはいかなかったし。結局、あの忌々しいエズィールは最後まで生き延びてたけどね。国王夫妻と一緒に斬首されて、万々歳だ」
「ケンジェルを殺してやる」
「それは残念だね、アリージュ姫。ケンジェル大使は死んだよ。シェイエラ姫が死んで、絶望して自殺。あとでオババ殿から、シェイエラ姫の死因の調査結果が明らかにされて、その内容がショッキングだったのも利いてたらしいな」
何故か――淡い茶髪をしたシュクラ青年の顔に、一瞬、苦渋めいた表情がよぎった。
「ケンジェル大使は、1001日が到来する前に生贄《魔導札》を剥がせば、シェイエラ姫は死なないと思っていた。まさか、あの見事な銀髪を、惜しげも無くバッサリ切るとは。それに……シェイエラ姫の体調が良くなかったのも、生贄《魔導札》を通じて《銀月の祝福》を吸い取られていたせいだ、とは」
これは絶望だろうか。怒りか……悲しみか。
邪悪な黒衣に身を包むシュクラ青年は、いつしか、歯ぎしりしていた。
「ケンジェル大使を、偉大なる『王の中の王』にする筈の、絶対的な聖なる力……シェイエラ姫の《銀月の祝福》は、ケンジェル大使にとっては、巨大化《人食鬼》をすら思うまま操る最大最強の《魔導》の源だった……」
――母シェイエラ姫が有していた《銀月の祝福》が、この世で最も忌まわしい暴力となって、シュクラ王国を滅亡させた……!
目の前が真っ暗になるような思い。
銀月の光がいっそう明るく差し込んで来る展望室に……アルジーの疑問がポツンと投げかけられた。
「……もしかして、ユージドも……ケンジェル大使と同じように、三つ首の巨大化《人食鬼》を操れたり……?」
「残念ながら、995人目の生贄で第3等が当たって、大型《三つ首ネズミ》と《三つ首コウモリ》を操れるようになっただけさ。クバルとか言う下民が、まさか帝国軍の特殊部隊『ラエド』戦士、帝都の皇族とすら対等に話せる、王侯諸侯なみの序列とはね……まぁ、オリクト・カスバのローグと同じくらい目障りだし、いずれ殺してやるけど」
「そんな事させないわよ!」
「偽王女アリージュ、お前は『黄金郷』の祭壇で、1001人目の生贄として死ぬんだ。何もできないよ。幽霊となって見ているがいい、古代からの偉大なる伝統、純血のシュクラ王統を引き継ぐ私が、最高位の《人食鬼》魔導の帝王となって、帝国人の全員を絶滅させて……この世を純正シュクラ帝国とするのを」
青年は三日月刀を構えた。
スタンド式ハンガー「身代わりアリージュ姫」のほうへ。
「フン、実に醜い骸骨女だ。7歳の時はシェイエラ姫に生き写しの美少女だったのに、適当に体調を崩すどころか、こうも一瞬で化け物になるとは。トルーラン将軍もトルジンも、一目で、うち棄てる訳だ」
最後の言葉は、ほとんど嘲笑だ。
「死んで、ケンジェル大使に詫びろ!」
狂気の論理と共に、三日月刀が勢いよく回転する。アリージュ姫の幻影をかぶった、スタンド式ハンガーへ向かって。
アルジーは室内祠の紗幕から飛び出した。
力を込めて、青年の後姿めがけて『魔法のランプ』を投げつける。
――それは見事、淡い茶髪をしたシュクラ青年の後頭部に命中した。
陶器製の派手な音を立てて、『魔法のランプ』が砕け。
直下の床へと、油が撒き散らされる。
頭の痛みに呻きながらも、驚愕の面持ちで後ろを振り返る青年へ……アルジーは襲い掛かった。
かつて珈琲滓入りの麻袋で日々鍛えていた、強烈なパンチとキックを続けざまにお見舞いする。
「ぐはぁ」
青年が、たまらず中腰になる。その首元へ、会心の回し蹴りを叩き込む。
黒装束の青年は、床にこぼれた油に足を突っ込み。
そのまま足を滑らせ……転倒した。
アルジーは重い三日月刀を担ぎ、大窓へ駆け寄った。幾何学的格子の窓枠を通して、地上へと放り出す。
その三日月刀の落下地点は、ちょうど石畳の上だった。
刃先と当たった石畳の端が欠けると共に、禍々しい黄金色の邪霊害獣がチョロチョロと姿を現した……そして、聖火礼拝堂から放射されている《火の精霊》の白金色の聖火の光に当てられて、バラバラに逃げ去って行った。
「この《骸骨剣士》の化け物が、身代わりの術を……」
真相を悟った男は、傷のある顔に悪鬼の如き形相を浮かべて、身を起こした。指先をカギ爪のように曲げ、《三つ首ネズミ》《三つ首コウモリ》を召喚する構え。
――《邪霊使い》特有の、均衡の崩れた身体が出現した。
アリージュ姫を「化け物」と表現した……ユージド王太子もまた、「化け物」というべき姿だ。
黒マントの上からも、その不吉な姿かたちが、明瞭に見て取れる。
左右の腕の付いている位置が違う。
食いしばった口元から、長さが不揃いになった歯が牙のように突き出している。
……かつてのシュクラ王国の、2人の末裔は、不倶戴天の敵とばかりに憎しみ合う「化け物」同士の姿で、対峙していた。
青年が、もう一方の空いた手で、護身用の短剣を抜き放つ。
距離を取ろうと後ずさって、アルジーは足をもつれさせた。
勝利の雄叫びと共に殺到する、異相異形の青年。
――絶体絶命。
その瞬間、スタンド式ハンガーに貼りつけられていた紅白の御札が、《火の精霊》の火の玉を放った。真紅色をした火の玉が床の油だまりに落ち、大きな炎が立ち上がる。
「うお!」
前髪の一部が焼け焦げ、異形の青年は身体を大きくのけ反らせ……石床に、したたかに全身を打ち付けた。
その拍子に、着衣の懐が乱れ。
炎の明かりを反射しつつ、チャリンと、こぼれ落ちたのは。
琥珀ガラス製のコイン。怪奇趣味の賭博宴会で、賭けチップとして使われているものだ。今までに見た琥珀ガラス製コインの中では、最も大きい。
硬貨としても最大の数字『1000』が刻まれた賭けチップであるが、意匠や大きさが明らかに規格外。
赤色ガラスで大胆に縁取りをして、大きさを増したものだ。『1000』に、新しく『1』を足した、という意味だろう。
――『1000』と『1』。
その数字が『何』に賭けられているのかは、今や明らかだ。どれだけの金額を賭けたかなんて、考えたくも無い。
アルジーの耳元で、ドリームキャッチャー護符の耳飾りが揺れる。オババ殿お手製の御守り。
オババ殿の残した遺言書の言葉が、走馬灯のように記憶の中を駆け巡った。
――《怪物王ジャバ》復活を願って1001人の生贄を捧げようとしている怪物教団が存在するのは確実だ。その手先、すなわち生贄《魔導陣》や《魔導札》の運び屋が、身体に接触した……《魔導》運び屋は、すぐ近くに居て、確実に死を与えようと虎視眈々と狙っている筈だ――
――きっと、『黄金郷』が、その怪物教団なのだ。
賭けの分け前の内容……ユージドの言によれば「巨大《人食鬼》を安全に使役できるようになる」ということだが。
――そんなの、見せ掛けの罠に違いない!
青年は身を起こそうとしていたが、見るからに、均衡の崩れた身体を扱いかねている。
三十六計、逃げるに如かず。
アルジーは展望室の戸を押し開き、一目散に駆け出した。
「お前なんて……生まれて来なければ良かったんだ、アリージュ……!」
後ろから響いて来る従兄ユージドの声は、亡霊の悲鳴のようにも、呪わしい嘲笑のようにも聞こえて来た……
*****
宮殿に併設された豪華絢爛な聖火礼拝堂は、城下町のほうの聖火礼拝堂よりも、込み入った造りになっている。
その分、逃走距離も倍増している。
アルジーは走った。
押し込められていた展望室は、貴人用のものだったようだ。幾何学的紋様の華麗なタイル装飾。極彩色の壁が、延々とつづいている。
相棒の白文鳥《精霊鳥》パルがターバンの隙間から顔を出し、「ぴぴぴぃ」と鳴き始めた。
『アリージュ、アリージュ、この礼拝堂、シビレル《魔導陣》強すぎてパルには何も分からないピッ。頑張るピッ!』
パルと同じくターバンに潜り込んでいた白文鳥アリージュは、ピョコピョコしなくなった。感触も硬い。
直感が告げる。
不気味な《魔導陣》の影響で、いつだったかのパルのように、雪花石膏の彫刻へと固められようとしているところなのだ、と。エネルギー的に余裕が無い分、パルよりも、呪縛の進行が早い。
途中で、いかにも作業用と見える、装飾の無い階段を見付け。迷わず降り始める……
……地上階のほうへ。
恐らく見張りが不在であろう「ゴミ捨て場」へ通じる裏口を目指して。
――2年前に放逐され、偶然にも市場へ抜け出せた夜のように、この悪夢のような場所から抜け出せるならば……!
階段を取り巻く壁に穿たれた窓は、開いていた。屋上と思われる位置のほうから、『シュボン』という、狼煙特有の軽い爆音が聞こえて来る。
やがて、恐ろしい怪物が礼拝堂へと侵入して来たのか、礼拝堂の中を、非常時の鐘の音が響きわたった……




