ゆきゆきて闇と銀月(6)
仕切り扉が、ゆっくりと開いて閉じる。
入って来たのは……あの淡い茶髪をしたシュクラ青年だった。
軍装に似た迷彩装束のうえに黒マントをまとい、見た目は、ほぼ黒装束だ。手に持っているのは灰色の骸骨顔をした仮面だ。
今や不倶戴天の敵と知れた従兄、シュクラ王太子ユージド。
アルジーは息を詰め、様子を窺った……
少しの間、黒衣の青年は「身代わりアリージュ姫」を眺め……乾いた笑い声を立てた。
「おとなしく生贄用の長衣を着たね。これだけ豪華な衣装だと袖を通してみたくもなるか。結局、女は、宝石と衣装ってことだ」
「シュクラ・カスバの立て直しどころか、魔導士クズレの手先になって闇稼業してるとは思わなかったわよ、堕ちたわね、ユージドお従兄さ……、ユージドも。《骸骨剣士》すら退治できなかったくせに」
正体がスタンド式ハンガーである「身代わりアリージュ姫」は、見事に再現していた。紗幕の陰に身を隠しているアルジー本体の応答を。
スタンド式ハンガーの『お喋り身代わり居留守』御札に宿った《火の精霊》は、名優の類だったらしい。
幻影が、王女らしく堂々と長衣ドレスの裾をさばく。骸骨さながらにくぼんだ眼窩の奥から、ジロリと視線を飛ばす。大窓から差す銀月の光が、いっそう明るい。「身代わりアリージュ姫」のベールが、2年前の花嫁姿のように、純白の輝きをまとっていた。
「純血の正統なシュクラ王族は、箸より重いものを持ったことが無くてね。何処かの、ヘボ代筆屋とは違って」
禍々しい黒装束のシュクラ青年は、奇妙な事態が進行しているという事には、気付かない様子だ。「身代わりアリージュ姫」から視線を外していない。目の前で、音声と口の動きが一致している存在があると、実際の音声は別の方向から来ているという事実には、人間は案外、気付かなくなるものだ。
「この間の、金融商の店先に出た《三つ首ネズミ》《三つ首コウモリ》、『邪眼のザムバ』が台無しにしてくれちゃったけど。実は私が差し向けたものだったんだ。あの時に『黄金郷』1000人目の生贄として死んでくれれば望みの物が手に入ったのに。別に捕獲済みだった生贄が死んで、台無しになった」
「望みの物ですって? 私を殺しても何も出ないわよ、この裏切り者!」
「シュクラの裏切り者は、お前たちだ。帝国の下僕に成り下がったシュクラ国王夫妻、それに、お前の両親を含む帝国融和派のシュクラ宮廷議員ども」
暗い顔をして声をきしらせる、シュクラ青年――言葉そのものは計算された内容かも知れないが、その表情は本物だ。
「シュクラ山岳王国は、永遠の独立国だ。そうあるべきだった。シュクラ王は、オリクト・カスバから来た帝国女を王妃として、その甘言におぼれた。シュクラ王国を帝国に売り渡すなどという取り決めを行なった売国奴。斬首されたのは当然だ」
「ユージド、いま自分がどれだけ狂った論理を喋ってるか、気付かないの? シュクラ国王夫妻が、クソ外道トルーラン将軍に斬首された理由と罪状は、三つ首の巨大化《人食鬼》を発生させた件について、だったわよ。メチャクチャな言い掛かりだし、この冤罪は何としてでも晴らすべきでしょう」
スタンド式ハンガー「身代わりアリージュ姫」は、アルジー本体の応答に合わせて口元を動かし、見事なまでの演技をつづけている。
……やがて、歪んだ笑い声が、部屋じゅうに響きわたる……
笑っていたのは、邪悪な黒衣に身を包むシュクラ王太子だ。
貴族的かつ秀麗な顔面の左右には、その歪んだ笑い声にふさわしく……と言うべきなのか、先ほどの大型《人食鬼》の衝撃波によって出来た裂傷が広がっていた。
取り急ぎ治療系の《魔導》の術で応急手当をしたらしく、血は止まっていたが……魔性の影響によると分かる色素沈着があり、人相が変わって見える。本来の肌色より一段と暗い色の刺青を、新しく入れたかのようだ。
「フン、私も魔除けの水瓶の後ろに回るべきだった。顔に傷が付くとはな……千年モノの《精霊亀》の甲羅があれば、傷痕も色素沈着も綺麗に消えてくれるんだが。得意の《精霊語》で、頑迷な《精霊亀》どもを誑し込んでみてくれるかい、アリージュ?」
「都合良い事を言うな、外道な裏切り者。怪物サイズの《三つ首ネズミ》《三つ首コウモリ》を呼んでおいて。昔、シュクラ王国の国境地帯の魔除けを荒らして、三つ首の巨大化《人食鬼》を召喚したのも、ユージドなの?」
「違う。シュクラ王国の永世独立派の筆頭の重鎮、王妹殿下シェイエラ姫の夫になる筈だった貴族だ。ケンジェル大使は、シュクラ王国の全権大使として、帝都でも知られていたんだよ。帝国出身のエズィールが、平民のクセに、夫の座に収まらなきゃね。アリージュも覚えてる人だと思うよ。シェイエラ姫が具合悪くなった時、よくお見舞いに行ってたから」
「ケンジェル大使……」
室内祠の紗幕の陰で……アルジーは息を詰まらせていた。
――覚えている。
眉目秀麗な男ざかりという風ではあったが、口数の多すぎる、あまり印象の良くないシュクラ貴族だ。
何故なら、お見舞いに来ては、母シェイエラ姫に、父エズィールとの離婚を勧めていた人だからだ。純粋なシュクラ人では無い父エズィールと娘アリージュを、国外避難という形で、実質、追放することさえ進言していた。
当時のアリージュ姫は、その場を退席したと見せかけて、こっそり戸棚の中に隠れて、しょっちゅう盗み聞きをしていたから……その時の警戒や怒りの感情と相まって、よくよく覚えている。
――あの人が?
「残念ながら、シェイエラ姫は死ぬまで、卑しい平民の鷹匠エズィールに一途だったね。フン、真実の愛か。ケンジェル大使も哀れだな。大金はたいて、生贄《魔導札》を手に入れて、シェイエラ姫に貼り付けた。シェイエラ姫を奪って行ったエズィールを見返すためだけに。シェイエラ姫が生贄にされて、絶望に顔を歪めるのを見たいがために」
アルジーの中で、ふつふつと怒りがたぎっていた。
いつしか、その手に……ずっしりと油の入った『魔法のランプ』を握り締めていた。ターバンの隙間で何かがピョコピョコ動いているが、気にもならない……
「アリージュも、こんな骸骨になった原因は生贄《魔導札》だし、あの人質の塔の夕食に盛って、アリージュに食わせたのは私だけどさ。その《骸骨剣士》さながらの醜い姿で、ここまで、しぶとく生き残るとはね」
淡い茶髪をしたシュクラ青年は、大儀そうに腕組みをして、スタンド式ハンガー「身代わりアリージュ姫」を眺め始めた。温度の無い眼差しで。
「白文鳥《精霊鳥》のせいか、オババ殿が用意周到に護符を用意しているのか……アリージュ姫は、なかなか生贄の捕獲用の罠に引っ掛からない。この間、どうにかして罠に引っ掛けられないかと、昔の《魔導札》を礼拝堂の周りにバラマキもしたよ。それに引っ掛かって生贄《魔導札》をつつき回したのは、何処かの余計な白文鳥だったけど」
――7歳の頃、急に死にかけた原因は……
そして、この間、白文鳥《精霊鳥》アリージュが、骨と皮になって禿げて、死にかけていたのは。
――今この目の前に居る男、従兄ユージドのせい。
油の入った『魔法のランプ』をつかむアルジーの手が、ブルブル震え始めた。
スタンド式ハンガー「身代わりアリージュ姫」を動かしている名優《火の精霊》は、即座に反応した。口を引きつらせ、幻影の手を、フルフルと震わせる。
「よくも……何故、そんな事を、ユージド」
「怪奇趣味の賭博の『真の分け前』ってのは、大金とか、そんなモノじゃ無い。《銀月の祝福》生贄が《怪物王ジャバ》に捧げられた瞬間、そこで得る分け前は、『大型《人食鬼》を使役する力』だ。富、権力、軍事力、栄光と勝利の約束、それこそ大望をいだく者が望むすべて……」
「三つ首の巨大化《人食鬼》を、思うままに操れるようになると!?」
息を呑むアルジー。




