ゆきゆきて闇と銀月(5)
天井回廊の中ほどで、白い絨毯が停止した。
「同志よ、いよいよ『黄金郷』の時は来た」
首領魔導士――黄金の骸骨仮面をした大柄な『毛深族』の黒ヒゲ怪人が、重々しく右手を掲げ、しわがれた声で喋り出す。黒ターバンに取り付けられた贅沢な宝冠が、キラキラと光っている。
灰色の骸骨仮面をした魔導士たちは全員で8人。いずれも邪霊使い。黒い長衣の袖の中で表敬の形に手を組み合わせ、傾聴の姿勢を取っていた。
総勢9人の邪霊使いたちの首元で、黄金色にぎらつく首飾りが、ジャラジャラと鳴っている。
「これより1001人目の生贄の儀式を催行する。いと高き、世界の王の中の王《怪物王ジャバ》祭壇を、抜かりなく整えよ」
黒い長衣の邪霊使いたちが一斉に動き、護符が再び音を立てた。
定番の護符の一種と見える、黄金色の大玉ビーズを連ねた首飾り。実際は、邪霊害獣《三つ首ネズミ》や《三つ首コウモリ》の頭蓋骨が数珠つなぎになっている、おぞましく忌まわしい装飾品だ。
アルジーは恐怖と怒りに震えながら、彼らの不吉な宣告を聞くのみだった。
いまや敵にして卑劣な裏切り者と判明した従兄、シュクラ王太子ユージドに取り押さえられたまま……
いつしか東の端に、銀月が出ていた。
満月と半月の間――という風の、下弦の月。
月の出の刻を告げる時の鐘が、そらぞらしく、聖火礼拝堂の天井回廊に響きわたっていた……
*****
聖火礼拝堂の3階をめぐる、アーケード回廊の一角。
アルジーは、その一角にある展望室に閉じ込められた。邪霊使い魔導士たちの手先と化した、シュクラ王太子ユージドの手によって。
この時刻、銀月の光が、もっとも差し込んで来る位置だ。
展望室には、華麗な幾何学格子をはめ込まれた大窓がある。
大窓は、外側のほうから、武骨な鉄鎖によって封じられている状態だ。人質の塔に居た頃のアリージュ姫が、バルコニーの大窓から毎日のように抜け出していたことを、よく知っているに違いない。
ターバンを外して月光浴を始めながらも、アルジーは皮肉を込めて呟く。
「生命力を回復したイキの良い生贄でないと、困る理由があるのかもね」
質素な生成りのターバンを握り締めるアルジーの手は、小刻みに震えていた。
生贄を捧げるのは、真夜中の刻だという。あと数刻。
……精一杯の皮肉を込めたとはいえ、アルジー自身でも、身体も声音も恐怖に震えているのが、分かってしまう。
満月の頃のように――とはいかないものの、腰の下まで届く長い髪を通して、《銀月の祝福》が流れ込んで来ているらしい。
アルジー自身には、その類の霊感も無く実感も無いが。
不健康にパサついた灰髪に触れてみると、徐々に手触りが改善してきているのが感じ取れる。それと共に、気力も思考もハッキリして来ている。
窓辺を、白文鳥《精霊鳥》パルが、ピョンピョン跳ねながら行ったり来たりしている。
白文鳥アリージュのほうは、ヨタヨタと歩いていた……いつの間にか、歩ける程度には回復したのだ。アルジーの耳飾りとなっているドリームキャッチャー細工の護符は、オババ殿のお手製だけあって、微々たる進展であっても効果は確か。
やがて、再び力尽きたように目を閉じ、白文鳥アリージュはペタリと窓辺に座り込んだ。それを掬い取り、肩先に止まらせる。ドリームキャッチャー細工の護符の傍で、白文鳥アリージュは少しずつ元気そうな様子になって来た。目をパチパチさせ、翼の感触を確かめるかのようにパサパサとやり出す。
まともに飛ぶのも難しい状態の白文鳥を、これ以上、傍に置いておく訳にもいかない。
幾何学的格子の大窓は、幸い、ガラスはめ込み型では無かった。小さな白文鳥の身体なら、隙間を通って外へ逃げ出せる――ちょうど手頃な距離のところに、ナツメヤシの木が生えていた。
『ねぇ、どう考えても絶体絶命っぽいから、いまのうちに逃げて。あのナツメヤシまでだったら、飛べるよね』
白文鳥アリージュから返って来たのは、何故か拒否の返事だ。冠羽をピッと逆立てて「ルルッ」と鳴き、サッと収める。
相棒の白文鳥パルのほうは、何かを待っている様子だ。純白の小さな尾羽を、孔雀の尾のようにいっぱいに広げ、窓枠を左右に行き来しつづけていた。
幾何学的格子の窓枠を通して、市街戦と思しき爆発音が聞こえて来る。『退魔調伏』御札の類が大量に使われているのだろうと想像できる。
……個室にしては広いほうと言える展望室の中を、グルリと見回す。
奥まった壁には、『魔法のランプ』安置用の室内祠がしつらえてあった。荘厳のための装飾的な紗幕を備えてある。神殿や礼拝堂では定番の調度。いまは亡き神殿役人ハシャヤル氏の部屋にあった室内祠と、同じ。
異様なのは、部屋の真ん中に設置されたスタンド式ハンガーである。
生贄の装束――見事な金糸刺繍と宝飾が施された白い長衣が掛かっている。ただし、その金糸刺繍や宝飾は、すべて『邪眼』をモチーフにしている、おぞましい代物だ。
そのスタンド式ハンガーは、婦人用の調度としては上等な代物。かなり大きな鏡……姿見が、てっぺんに取り付けられていた。
――背丈のある男性の目線を意識して姿を整えるべし、と言わんばかりに。
実際、その姿見の目線は、あの宝冠セット黒ターバンと黄金の骸骨仮面を装着した、邪霊使いたちの首領と思しき大柄な『毛深族』黒ヒゲ魔導士の背丈だ。
「……着替えてなんか、やるものか。民間の代筆屋の反撃を、ガッツリ味わえっての」
アルジーはフンッと鼻を鳴らし、荷物袋を開く。
代筆屋の仕事道具を収めるための袋。市場路上の労働者たちの間で広く使われる、頑丈さだけがウリの品である。
邪霊使い魔導士たちも、いまや卑劣な一味と知れたシュクラ王太子ユージドも……中に入っているのは安っぽい筆記用具やガラクタの数々だと判断したのは、明らかだ。
即座に、バカにしたような空気が漂い……取り上げられることは無かったのだ。
アルジーは紅白の御札を取り出し、赤インクで《精霊文字》を記した。
書きあがったのは、通称『お喋り身代わり居留守』御札。
具合が悪くて寝込んだりした時、客の振りをして侵入して来た空き巣を諦めさせるために、使っていた防犯用の御札だ。機能としては『お喋り』――音声のみ。一筆付け加えて、離れたところに居るアルジー本人の音声を引っ張って来るようにした。
紅白の御札を、スタンド式ハンガーのてっぺんに取り付けられてある姿見に、ペタッと貼る。ちょうど口の位置。
次に灰色の御札を取り出し、赤インクの《精霊文字》で、『身代わり人形』となるよう書き付ける。そして、最初の御札と重ねて貼り付ける。
すると。
生贄の白い装束をまとったスタンド式ハンガーが、「もうひとりのアリージュ姫」になった。
アルジーは、その幻影の出来をチェックしながらも、口を引きつらせる。
簡素だが造りの良いスタンド式ハンガーは……当人の《骸骨剣士》めいた体格を、過剰なまでに正確に再現していた。
アルジー本人がブツブツと呟くと、早速、「もうひとりのアリージュ姫」がブツブツと音声を再現する。
――「なかなかの骸骨だね」。
肩に止まっていた白文鳥パルとアリージュが、「ぴぴぃ」と、さえずり返した。
脱出のチャンスは1回。
生贄として、この展望室から引きずり出される時だ。
――邪悪な魔導士たちが、この『身代わり人形』を本人と取り違えてくれたら充分。すぐに「正体はスタンド式ハンガーだ」と見破られてしまうかも知れないが、少なくとも隙を突くことはできる筈。
アルジーがターバンを締めなおすと、白文鳥《精霊鳥》パルとアリージュが、驚くくらい素早く、ターバンの隙間へと潜り込んで来た。
『用心! 用心!』
『人が来る、ピッ』
廊下側の仕切り扉が……スーッと開き始めた。
「どういうこと? まだ早い……!?」
ギョッとしながらも。
アルジーは身を隠す場所を選び、そこに飛び込んだ。
――『魔法のランプ』安置用の室内祠に掛かっていた、紗幕の陰に。




