ゆきゆきて闇と銀月(4)
直後。
救助隊を待つ重傷者たちの間で、ひとつの死体が動いた。
――内臓を撒き散らして無残な肉塊となっていた、『邪眼のザムバ』。
装飾鋲きらびやかなベスト付きの、武装親衛隊の制服は、かろうじて名残が窺えるくらいのボロ布と化している。
再び立ち上がった、山のように大きな体格。
ぎらつく魔性の、黄金の肉塊と変じていた。
顔面はグチャグチャに崩壊していた。再生が間に合わず、顔面を構成する筋肉の束や、腱で連結されたままの骨片、舌、脳みそ――が、だらりと垂れ下がっている。無残に崩落している形で。
不真面目に再生された胴体の各所の破れ目からも、ズルズルと内臓がこぼれ落ちていた。
眉間の黒い刺青は、そこだけ、不自然なまでに急速に再生されている……
……次の瞬間。
かつて『邪眼のザムバ』であった大男の背骨に沿って、恐竜を思わせる黄金の骨板の列が、バキバキと音を立てながら飛び出した。
それは、まるで……先ほど退魔調伏されたばかりの忌まわしい大型《人食鬼》の成れの果てが、そのまま乗り移ったかのような……異様そのものの光景。
魔性の黄金にぎらつく背中で、恐竜を思わせる黄金の骨板が震え……遠隔でやってくる指令を受け取り始める。
――『1001の夜が来た。その邪眼を開け。生贄の祭壇へ、急ぎ参れ』。
狂暴な黄金にぎらつく魔性の死体――といった様相の『邪眼のザムバ』は、恐竜を思わせる黄金の骨板を脈打つように光らせ、猛烈な速度で駆け出して行った。
顔面崩落して舌その他が垂れ下がった頭部や、内臓をズルズル引きずる胴体を、持ったまま。
宮殿に付属する、聖火礼拝堂の方向へ。
そこだけ不自然に完全形の眉間、「邪眼」の黒い刺青は変化していた。「邪眼」はグニョリと歪み、皮膚に裂け目を作っていた。
奇々怪々な裂け目は、本物の目であるかのように「カッ!」と開き、赤々と燃え上がっていた……
*****
羽翼紋様を織り込まれた白い絨毯は、猛烈な速度で飛行していた。
空飛ぶ絨毯は、古代の『精霊魔法文明』に由来する品だ。《魔導》工房でも稀にしか生産できない高価な品だが、精霊雑貨の一種である。
飛行中の間ずっと、絨毯そのものの魔法による風防が機能していた。絨毯に乗っている黄金骸骨の仮面の怪人、シュクラ青年、アルジーは、そよとも風圧を感じなかった。
あっという間に、宮殿に付属する聖火礼拝堂のドーム屋根へと到達する。
豪華絢爛を極めた広大な聖火礼拝堂は、上から見ると、正方形の敷地に造成されたドーム建築になっていることが分かる。
贅を凝らした四階層アーチ型の渡り廊下が目立つ。正方形の敷地から飛び出し、一直線に築かれている。宮殿と、聖火礼拝堂とを、連結しているのだ。
本体の筈の聖火神殿は、此処では目立たない。巨大な聖火礼拝堂の付属物さながらだ。だが、礼拝堂よりも宮殿に近い位置に設けられているのは、神殿の重要性の証といえる。
アルジーのターバンの隙間に隠れていた白文鳥アリージュが、小さく「ぴぴぃ」と、さえずった。
『前に引っ掛かって骨と皮になって禿げたの、あそこの聖火神殿と聖火礼拝堂の境界、シビレル呪縛《魔導陣》だよ、場所が同じ、ピッ』
すぐに、別の隙間で、相棒の白文鳥パルがピョコピョコ動いて応える。
『白タカ・シャールの前任も、あの辺りで消息を絶ってた。2年前、その前任の白タカがお星さまになったの、あの辺り。パルも危ないとこだった』
『あんなシビレル呪縛《魔導陣》あったかなぁ? 大きな黒ダイヤモンド仕掛けてあって呪縛シビレル。下手したら白骨化して《根源の氣》に還る。引っ掛かった時は気付かなかったよ、ピッ』
『あの巨人族の子孫「邪眼のザムバ」の邪眼のせいだ。ザムバの邪眼、シビレル《魔導》黒ダイヤモンドと共鳴してる本物。さっき、ザムバ、大型《人食鬼》に襲われて死体になったから』
『共鳴が切れたから、隠蔽状態だった《魔導陣》が見えるようになったんだ。この禁術の中の大禁術、いったん切れたら、組み直すのに時間かかる。当分は、あの状態だね。怪物王ジャバ復活の《魔導陣》ピッ。異次元の底なし沼、ピッ。灯台下暗し、ピッ』
内緒話のようにつづく、白文鳥《精霊鳥》たちの指摘と検討。
――2年前の夜。トルジンに放逐されて、夜道をさ迷って……パルでさえ惑わされたと思しき、不吉な《魔導陣》。
御曹司トルジンが、100人や200人の大魔導士やらを引っ張って来て、コソコソしたのだ、と思っていたけれど。
真相は……
アルジーは、そっと、そちらの方に視線を投げた。
聖火神殿と聖火礼拝堂の境界。奇妙な間隙が広がっている。廊下――回廊のような構造が通っているらしい。
定番の《火の精霊》による魔除けが維持されている筈の位置だが、そこだけ、夜間照明の光が届いておらず……異様に暗い。夜間照明の吊りランプが落ちていた時の、桑林の中のようだ。
――何があるのかは分からないけれど、何かがあるのは感じられる。
何かを焚いているのか……暗い煙霧のようなものが淀む。特に、聖火神殿と聖火礼拝堂の境界の辺りの輪郭が、煙霧でかすんでいて、不鮮明だ。
毒々しい空気。
これ以上は、観察するのも、ヤバイ。
あの煙霧は磁石のように、すべてを吸い付けて食らう……下手に共鳴しては、いけない。
直感のままにアルジーは目を反らし、呼吸を止めていたのだった……
……聖火礼拝堂は、人通りがすっかり絶えていた。
今まさに、大型の邪霊への対応をも含む、退魔対応の市街戦が進行中――
普段、聖火礼拝堂を巡回したり警備したりしている、まともな神官・魔導士たちや衛兵たちは、みな出払っているところに違いない。
聖火礼拝堂のドーム屋根の直下は、アーチを連ねた柱廊がグルリと巡っていた。天井回廊である。
空飛ぶ絨毯は、芸術的なアーチ柱廊が成す天井回廊へと到達した。
そこで待ち構えている、人影の群れ。
いずれも黒ターバン。金の縁取りのある黒い長衣姿の人々。邪霊使いであった神殿役人ゾルハンと同じような、灰色の骸骨顔の仮面をしている。その目の位置に相当する孔から、妖しくも美しい薔薇輝石の眼光が洩れていた。
全員、邪霊使い。薔薇輝石の彩りは、それぞれ違うけれども。
アルジーは極度の疲労から回復し始めていた。白い絨毯のうえで身を起こし……
……首領魔導士と思しき、黄金の骸骨仮面の大柄な怪人に、蹴り技を仕掛けようとしたところで。
シュクラ王太子――従兄ユージドが、アルジーの身を取り押さえ、拘束したのだった。
ハッとして振り返るアルジー。
次に、青年の、淡い茶髪の下の不穏な表情に気付き……ギョッとして息を呑む。
「これはどういう事なの……まさか、あいつらの仲間?」
「そのまさかだよ。何のために、私があそこへ……白文鳥の群れが飛んでいるところへ、現れたと思ってた? アリージュ姫の居るところには、いつも《精霊鳥》の群れが集まって来た」
アルジーは呆然と震えるばかりだ。
生成りターバンの隙間に身を隠していた白文鳥《精霊鳥》パルとアリージュも、異様な雰囲気を感じ取っているのか、息を潜めてジッとしている。
ドーム屋根の天井回廊の各所で、最低限の夜間照明が灯されている……
シュクラ青年――アルジーの従兄にしてシュクラ王太子ユージドは、それきり無言のままだった。
夜間照明にボンヤリと照らされた色白の横顔には、できたばかりの多数の裂傷が残っている。先ほどの、大型《人食鬼》の咆哮に伴う、魔性の衝撃波によるものだ。
陰影が形作ったせいなのか、それとも奥に潜む悪意を反映したのか。それは、古代の禍々しい風習としての刺青のような様相を見せていた……




