ゆきゆきて闇と銀月(3)
新たに現れた声の主は……厳しい表情を浮かべた赤毛スタッフ青年クバルだった。
姿は一変していた。
帝国軍の軍装だ。戦士の印である迷彩ターバン。退魔仕様の鎖帷子その他の防具で固めている……それが本来の姿であったかのように、あまりにも自然だ。
その手に構えているのは、見覚えのある……黒い柄の三日月刀。
刀身全体が、鋭利な白金の輝きを帯びていた。施されているのは、雷のジン=ラエド《魔導陣》。
記憶に間違いなければ、あれは、金融商オッサンの店の……貴重品を収める鍵付き棚の中にあった、黒い三日月刀だ。宿っている《雷の精霊》の気配が、完全一致。
――『雷霆刀』の使い手なのか!
アルジーは呆然とするあまり動けない。
ぎらつく黄金の――不完全な人体をした肉塊が、高々と立ちはだかる。
その中央、数束の焼け残った舌がヌラヌラと蠕動しつづけている場所……洞穴のような口の直下には、白金の火花にまみれた壮絶な穴が貫通していた。
人類で言えば、ほとんどの臓器が吹き飛んでいる格好。
だが、まだ急所をやられた訳では無いと言わんばかりだ。
――があああぁぁぁああ!
異形の音響による、衝撃波。
大地が揺すれ、世界じゅうが、ビリビリ震えた。耳の奥で鼓膜が破れんばかりに悲鳴を上げる。
あたり一帯の建築に、蜘蛛の巣のようなひび割れが次々に現れる。魔除けの盾にカバーされていない状態だから、魔性の衝撃波に対して、無防備だ。
路上にあった哀れな肉塊がいっそう細分化し、生き残っていた重傷者の全身にも、新たに多数の裂傷が走る。
アルジーが咄嗟に身を潜めていた水壺もひび割れ、退魔紋様ごと破砕した。
シュクラ青年ユージドが手前にかざすように構えていた三日月刀。そこに施されていた真紅の《火の精霊》の退魔紋様も乱れる。カバーしきれなかった身体の端々に、やはり多数の裂傷が走った。
だが、赤毛スタッフ青年クバルは、熟練の退魔対応の戦士だった……それも、単身、大型《人食鬼》と戦えるほどの。
黒い『雷霆刀』――雷のジン=ラエドを宿す三日月刀が舞った。太刀筋が見えないほどの高速で。雷光さながらに輝く白金の光跡を残しつつ、最後に逆袈裟を描く。
太刀筋に沿って、刀身の退魔紋様が投影された……高速の、正確な軌道が描く残像。武芸の奥義だ。
中空に投影された白金色の退魔紋様が、魔除けの盾となって発動する。
雷のジン=ラエド特有の、雷撃に匹敵する音響が立ち上がった。
反発力を食らったかのように魔性の衝撃波が弾かれ、はるか天空へと散逸していった。空気がかき乱されて、星々の光が激しくまたたく。
「くっ」
紙一重の差で防いだとはいえ、相当の衝撃。クバル青年の赤毛が、迷彩ターバンと共にベロリと剥がれた……
……剥がれて飛んだのは、赤毛に見えた毛束だけだった。現れたのは、漆黒の髪だ!
相手の属性が不意に変化したことに気付き、《人食鬼》肉塊が訝しそうに口の動きを止めた。
一瞬の隙。
クバル青年は全速力で異形の肉塊へと殺到するや、一刀両断の勢いで三日月刀を構える。
その三日月刀はすでに、充分な威力を備えた雷のジン=ラエドの力に包まれて、まばゆい白金に輝いていた。
ぎらつく黄金の両腕が、迎え撃とうと蠕動しつつ、しなる。
クバル青年は、熟練の身のこなしで怪物の両腕をかわし、三日月刀を薙ぎ払った。
怪物のカギ爪と、雷光に燃える刀身が衝突する。
重い金属音が響きわたった。
三日月刀が、その『雷霆刀』としての威力でもって、一太刀で打ち砕いていた……恐ろしいカギ爪の一列を。
その勢いのまま返す二太刀、怪物の両腕をまとめて両断する。
つづいて、不完全な人体をした肉塊の急所を、三日月刀の斬撃が正確に切り裂いた。
全速力ですれ違い……
……両者は立ち位置を変えていた。
肘から先が失せた、黄金色の二つの腕を路面に食い込ませている忌まわしい肉塊。
三日月刀を振り切った軍装姿のクバル青年。
白金色をした退魔調伏の雷光が、不完全な人体をしてうずくまった肉塊の内部に、満ちあふれた。背中部分の、恐竜を思わせる異様な骨板が白熱し、爆散して形を失った。
忌まわしい肉塊は……断末魔の踊りすら、踊れなかった。
上位の精霊ならではの強烈な白金の灼熱が、見る間に肉塊全体を焼き、火煙と化し……肉塊は、まばゆい火花と共に蒸発していった!
――目の前の光景が信じがたい。
腰を抜かしたアルジーと、シュクラ青年。
クバル青年が、身を返すなり2人に気付いた。必死の面持ちで駆け寄り、手を差し伸べる。
「生きて――」
次の瞬間、不気味な黒い影が……高速で割り込んで来た!
「ハッ……!?」
あまりにも突然の異変。
全員で動きを止める。
「いよいよと言う時に……邪魔されてはかなわん!」
しわがれ、かすれた声音。
声の主は黒い長衣をまとった、大柄な人物だ。
人相は、分からない。骸骨の顔をした黄金仮面で覆われている。そして、闇のように黒いモサモサ――『毛深族』特有の長く分厚いヒゲ。
黒ターバンは多彩な宝冠装飾で彩られていた。ターバン端から背中へ垂れている布は、上半身を覆うほどの丈。市場を行き交う一般庶民や労働者の類では、ありえない。宮殿や神殿の奥に住まう王侯諸侯、ないしは高位の大神官、大魔導士。
「何者……!」
クバル青年が黒い三日月刀を構えた。刀身の退魔紋様が、真紅よりも強い白金色に光る……波長の合う長年の相棒らしい、独特の精緻な雰囲気。
「帝国軍の特殊部隊『ラエド』が出るとは想定外。しかも黒の『雷霆刀』。かくなるうえは」
骸骨の顔をした黄金仮面は、意外にガッシリとした毛深い手を伸ばし、アルジーをつかんだ。明らかに拉致する構え。
咄嗟に気付いたクバル青年――気付くと同時に、黄金仮面へ斬りかかる。
「てめぇ!」
「うぐぅ」
雷光さながらの刃先が、黄金の骸骨仮面の下にモサモサと垂れていた黒く長いヒゲを、半分ほど斬り飛ばす。刃に当たった毛先が、ジュッと音を立てて焦げた。
黒衣の怪人は、クバル青年の刃先をよけた。死に物狂いで、その『雷霆刀』を、よけたのだった。
刀身に宿る雷のジン=ラエドは、最高位の火の精霊《火霊王》にも匹敵する上位の精霊だ。たいていの護符を説得できる。
怪人は、黒い長衣と、派手に垂らしたターバンの端を、ザックリと裂かれた。ジャラジャラと鳴る多種類ビーズで出来た護符の首飾りを無力化され、吹き飛ばされながらも。
バッと浮上した。脇腹から相当の血しぶきを散らしつつ。
――2階ほどの高さへ。
黄金仮面の怪人の足元にあったのは、白い絨毯だ。見事な羽翼紋様。
浮上の直前で絨毯の端をつかんでいたらしい、シュクラ青年がブルブル震えながらも絨毯に取り付き……よじ登る。
息を呑むクバル青年。
「空飛ぶ絨毯……!」
「捕まえられるものならば捕まえてみよ」
黒衣の怪人の、骸骨顔をした黄金仮面から洩れて来たのは、しわがれ声の挑発。黒ターバンを彩る贅沢な宝冠装飾が、ギラリと光る。
黄金仮面の怪人と、シュクラ青年とアルジーを乗せた不思議な絨毯は……猛烈な速度で飛び去った。
――東方総督が住まう宮殿に付属する、聖火神殿の方へ。
クバル青年が歯ぎしりする。
少し遅れたという風で、帝国軍の軍装をした一団が、ドヤドヤと集まって来たが……やはり遅かった。
「追うぞ!」
「おぅ!」
「馬を回せ!」
クバル青年と帝国軍の特殊部隊の一団は、速やかに騎馬団となって、街路を駆けて行った。




