ゆきゆきて闇と銀月(1)
駆ける、駆ける、駆ける――次々に十字路が現れる市場の道を、どれほど走っただろうか。
心臓は破れんばかりに痛く、数えきれないほどの段差を縦横した足には、もはや感覚も感じない。
ひとつ先の角に到達したところで、アルジーは石の壁に手を付き、ゼィゼィと息をついた。
アルジーに体力が無く、思うように走れないのが原因だが……それでも、精霊魔法の助けが無ければ、ただでさえ弱っている身体を此処まで走らせることはできなかっただろう。身をジリジリと焼くような、しつこい発熱。
――覚悟はしていたものの、状況は想像以上に激変している。
これ程に早く、増強型の《骸骨剣士》や邪霊害獣の類が街路に出現して来るとは、まったくの想定外。聖別された油を燃やす『魔法のランプ』は、仕切られた街区への侵入をことごとく防いでいたが……大型《人食鬼》が接近すれば、どこも危うくなるだろう。
アルジーの全身に刻まれている生贄《魔導陣》は、大型《人食鬼》の接近を感知していた。距離が近づくごとに、体力を奪ってゆく。そのたびにアルジーは、頭痛やだるさ、心臓を突き刺す急な痛みで、へたり込みそうになる。
銀月は、まだ出ていない。
月の出の刻が遅くなっているのだ……満月の時期を、よほど過ぎ去っているからだ。
夜空の中を、白文鳥《精霊鳥》の一群れが飛び交っている。その冠羽は魔除けの光でキラキラと輝き、その純白の光跡が流れ星のように尾を引いていた。
『もう少しだよ、アリージュ』
白文鳥《精霊鳥》パルが、足元に降りて来てピョンピョン跳ねている。
脇に、水壺を並べた公共水飲み場がある。街路に沿って、もう少し行くと広場だ。その一角は、まだ邪霊の侵入が無い。なおかつ『精霊の道』へと通じる水路の扉があると言う。そこまで到達すれば……
アルジーは更に一歩、踏み出した。そして。
限界の来ていた膝が「ガクリ」と崩れ……転んだ。
一瞬、意識が朦朧とする。
アルジーの耳飾り――いまは亡き青衣の霊媒師オババ殿の特製、ドリームキャッチャー細工の白い護符が、かすかな玉響の音を立てて揺れた。
記憶の隅に仕舞い込まれたままだった言葉が、よみがえって来る。
――『月光浴すると調子よくなるだろ。その護符も《銀月の祝福》を生命力に転換してるし』
以前、白タカ《精霊鳥》シャールが物のついでに口にした内容。
――『いまの不安定な体質は、非常に特殊な邪霊の《魔導陣》のせいだが、この禁術を使える魔導士は居ないことになってるんだ、公的にはな。銀月は、あの邪霊にとっては喉から手が出るくらいの……』
あれは、どういう意味だったのだろう?
オババ殿の遺言書にも、気になる内容が、チラリと書かれてあった。
『……《銀月の祝福》の銀髪は、特に危険な部類の《魔導》を安全に操作するのに必須でね、魔導士や邪霊使いに高く売れるんだ』
特に危険な部類の《魔導》……?
アルジーの中で、ここ1年の間グルグル回り続けていた「些細な」内容が――膨れ上がった。
母シェイエラ姫の謎の体調悪化。
不可解な生贄《魔導陣》が関わる急死。その急死の現場にあったのは……長い銀髪だ。
かの《銀月の祝福》の銀髪を持つゆえに、母シェイエラ姫は、近隣諸国の城砦ばかりでなく、はるか遠き帝都でも『シュクラの銀月』として知られていたという……
手先の誰かが、運び屋となって貼り付けた……生贄《魔導陣》。
魔除けのための結界が人為的に落とされていた、シュクラ国境地帯。
三つ首の巨大化《人食鬼》が発生したタイミング。
トルーラン将軍が何もしなかったのに、不意に後退して消滅していった、三つ首の巨大化《人食鬼》の大群。
…………
……
一見、無関係に見える、それぞれの事象は……実は、ひとつながりに、つながっていたのではないか?
アルジーの全身が、ブルッと震えた。
いきなり閃いた大いなる直感。
衝撃が大きすぎて、身体が動かない……
……
…………
神殿役人にして邪霊使い――邪霊使いとしてのゾルハンは、ゴロツキ邪霊《骸骨剣士》10体ほどを、使った。
帝都を騒がすほどの上級の邪霊使いは、1体の大型《人食鬼》を使うと聞く。
大型《人食鬼》1体だけで、一般的な20人部隊を一気に全滅できると言う。退魔対応の熟練の戦士で固め、《火の精霊》による聖火の壁で包囲して、上手に退魔調伏へと持ち込まないと……倒せるかどうか。
下手すれば、邪霊使い自身でさえ、大型《人食鬼》にやられかねない……命懸けの《魔導》だ。
骸骨仮面の邪霊使いゾルハンが操った、闇の色をしたカラクリ糸。邪霊《骸骨剣士》10体を操っていた《魔導》カラクリ糸には、《銀月の祝福》のある銀髪が含まれていた。ひと筋、ふた筋ほど。
その、ひと筋、ふた筋ほどの「銀月の糸」を失っただけで、あの《魔導》カラクリ糸の術は、不安定化していたのだ。
大型《人食鬼》を縛るだけの強力な《魔導》カラクリ糸ともなると、10体の《骸骨剣士》を操作した《魔導》カラクリ糸と同じ程度、という訳にはいかないだろう。もっと大量に、強力に繰り出す必要がある筈。
そして、あの《魔導》カラクリ糸の術は……ただでさえ不安定な代物。強力に繰り出そうとすればするほど、あれは不安定に跳ねまわるに違いない。
オババ殿が言っていた。《銀月の祝福》のある銀髪は、特に危険な部類の《魔導》を安全に操作する、と。ゆえに、魔導士や邪霊使いに高く売れる品になる、と。
――《銀月の祝福》のある銀髪は、《魔導》カラクリ糸の術を、劇的に安定させるのではないか。大型《人食鬼》を縛るほどの、強力な……それだけ不安定な、大量の《魔導》カラクリ糸を!
精霊クジャクサボテンは、《銀月の精霊》の一族として、超古代の《銀月》から引き継いだ魔除け能力を持つ。その性質は――大型の邪霊や有毒の邪霊を、徹底して遠ざける。魔除けの効果が、盤石と言えるほどに安定しているのだ。その徹底した堅牢さが、《銀月の祝福》の銀髪にも、期待できるのならば……
最強の怪物とされる三つ首の巨大化《人食鬼》の大群を、どうにかして思うままに誘導し、遠隔操作し、出したり引っ込めたり――そのような、とんでもなく危険で不安定な《魔導》が、《銀月》の関与でもって、安定して発動できる《魔導》になるとしたら?
――帝国全土に、三つ首の巨大化《人食鬼》の大群を解き放って……破壊し、征服して……
天の果て地の限り、千尋の海の底までも――あまねく統べるは闇と銀月!
…………
……
アルジーは思いつくままに、相棒に質問を投げていた。
『……パル! 三つ首の巨大化《人食鬼》って、《銀月の祝福》を裏返して……裏技みたいに使って、「邪霊使い」のやり方で……安定して、操ることは可能?』
相棒、白文鳥《精霊鳥》パルは、ビョーンと細長く立ち上がっていた。パカッとクチバシを開けたまま、固まっている。
あからさまに、図星を突かれたという雰囲気。おそらくは超古代の『精霊魔法文明』の頃から隠蔽されて来た最高機密――奥義の中の奥義に違いない。
ターバンの隙間に挟まっていた白文鳥《精霊鳥》アリージュのほうも、ピキッと固まっている雰囲気。
呆然自失して固まること暫時。
上空で飛び交っていた白文鳥《精霊鳥》たちが、慌てたように群れを乱す。
冠羽が輝きを増した。警戒モード。
後ろのほうで、ガシャ、という不吉な硬い音。
――きしゃあぁああぁあ!
振り返ると、三日月刀で斬りかかって来る《骸骨剣士》!




