かくして、逢魔が時は始まれり(6)
アルジーは無我夢中で、梯子の残りの段を登った。
身体を動かしたのは、かつてのシュクラ王国での恐怖トラウマだ。
高灯籠のてっぺん、吊りランプの空間に飛び込み……転がり込む。
巨大化《人食鬼》が、異様なまでに筋骨の発達した腕を、翼のように広げる。
左右の手に当たる位置からは、黄金にぎらつく長いカギ爪が9本ずつ。三日月刀のような形。2倍ほどの大きさがある。
試し切りなのか、威容の誇示なのか……異形の両腕がうねり、回転する。
カギ爪が縦横に走り、城壁の石積みが前後左右に吹き飛んでゆく。巻き込まれたらしい多数の邪霊害獣が、ことごとく黄金の肉片となって飛び散った。
ぎらつく黄金の巨体が、城壁の上から跳躍し……
こちらへ向かって舞い降りて来た!
いやに三日月刀に似た左右それぞれ9本のカギ爪は、平たい面の角度を変え、即席の滑空能力を発動している。
重量のある巨体ならではの、大地を震わせる圧倒的な着地音。
距離が近い。
神殿役人にして邪霊使いゾルハンが、意味の無い悲痛な声を上げながら、ランタンを投げつける。
だが、普通の火で、これほど強大な怪物に対抗できる筈が無い。
空を飛んだランタンは、あっさりと、うごめく洞穴のような口の中に消えて行った。
次の瞬間。
無造作に振られた黄金のカギ爪が、地面をバックリと裂いてゆく。
その圧倒的な斬撃と……それに伴う、恐るべき衝撃。
3本ほどの桑の木が形を失いつつ、吹き飛ばされてゆく。
その先へと逃走中だったゾルハンを……文字どおり「粉々に」した。
かつて人体ゾルハンだった存在の、むごたらしく粉砕されてゆく肉片の残骸。
巨大化《人食鬼》の洞穴のような口から、無数の触手のような舌が、バッと噴き出す。
ヌラヌラとうごめく無数の触手か――舌が高速で這いまわり、地面に散らばった肉片は、あっと言う間に舐めとられていった……
次に、うねうねする黄金のカタマリのような三つ首、各々ひとつずつ貼り付いた三つの大きな邪眼が、ギョロリと、高灯籠を向く。
再び「があああ!」と、人外の雄たけびが上がる。
高灯籠の下半分に、ビシリと、蜘蛛の巣のようなヒビが入った。
だが、白文鳥《精霊鳥》の飛行痕が白く輝く上半分は……激しく振動しながらも衝撃波を受け流し、無傷で持ちこたえた。
怪物の邪眼が、苛立ちと怒りに膨れ、ランプのように光った。
巨大化《人食鬼》は、9本ずつのカギ爪の付いた左右の黄金の腕を高く振り上げ……高灯籠に襲い掛かる。
「離れなさいッ!」
アルジーは力を込め、目の前に現れた洞穴のような口を狙って、即席の反撃を、投げつけた。
出涸らし《精霊石》を詰めた藁壺。ごくわずかな時間ではあったが、『退魔調伏』御札を突っ込めるだけ、突っ込んである。
アルジーは運を天に任せ……残りの藁壺の間に身を伏せた。
そのアルジーの身を取り囲むように、20数羽の白文鳥《精霊鳥》が集結する。
怪物の口の中で、出涸らし《精霊石》と『退魔調伏』御札が共鳴し、新規で呼び込めるだけの《火の精霊》を呼び込んだ……
強烈な閃光。
桑林じゅうが、夕陽の光に照らされたかのように赤々と照り映えた。
ヌラヌラとした無数の舌の間で、灼熱の爆炎が続けざまに噴出する。
その衝撃波が、怪物の全身を震わせ、高灯籠を揺さぶる。
――ぎぃえぇええぇぇええ!
爆炎の間から洩れる、明らかに苦痛の叫び声。
洞穴のような口の中で燃え上がった真紅の烈火は、みるみるうちに熱量を増して青白さを帯びた白金色の炎となり、おぞましい舌という舌を焼き切った。
出涸らし《精霊石》とはいえ、元は帝国軍で使われたほどの強力な《精霊石》であったのだ……
新規に呼び込まれた大量の《火の精霊》による偉大な火力は、あっと言う間に三つ首の全体へと延焼した。
三つの邪眼が、魔除けの炎に焚かれて、ぐつぐつと煮えたぎっている。
城壁の上の方で、帝国軍の射手と東帝城砦の射手が集結し、共同戦線を張った。
魔除けの力を持つ《火の精霊》の宿った火矢が、一斉に放たれ……空気を切り裂くうなりを上げる。
怪物の巨体に、無数の火矢が突き立った。
そこで、新たに、退魔の力を持つ真紅の炎と火花が噴き上がってゆく。灼熱の真紅は、ジン=ラエドの雷撃にも匹敵するような、強烈な白金色をも帯びていた。
ぎらつく黄金の巨体が、グズグズと崩れていった。だが、最強の怪物というにふさわしく、三つ首の巨大化《人食鬼》は、なおも仁王立ちのままだ。
やがて。
無数の燃える矢を生やした巨体は、火花と共にバチバチと弾けてゆき……怪物ならではの、おぞましく異様な骨格を剝き出しにして、断末魔の舞踏を踊り始めた。
マダラになった黄金色と真紅色の……ドロリとした不気味な肉片と骨片が、あたりに撒き散らされてゆく。
重量の均衡を失った忌まわしい肉塊は、舞踏をつづけながら……前後左右へと動揺し始めた。
三つ首の巨大化《人食鬼》の頭部だった存在の、グネグネとした不定形な内臓を思わせる黄金と真紅の残骸が、粘性の高いヘドロか何かのように、高灯籠にのしかかる。
下半分がひび割れていた高灯籠は、その圧倒的な重量を支え切れず。
根元からボキリと、折れ曲がった……
『アリージュ、飛んで!』
相棒の白文鳥《精霊鳥》パルが鋭く鳴き、アルジーは吊りランプ用の空間から身を躍らせた。
肩から下げていた荷物袋の中で、《白羽の水晶玉》が、清冽な銀月の光を放つ。
落下地点に、白毛ケサランパサランの大群が召喚された。
アルジーの身は、民家の3階ほどの高さから落下したにもかかわらず……ワチャワチャし始めた白毛ケサランパサランの大群に受け止められ、地上でポンポン弾みながら転がったのだった。
ガラガラと音を立てて高灯籠が倒れ、砕けて、瓦礫となっていった。
――この異常な状況のなかでは、唯一の、かえってホッとするような、馴染みのある物理音。
『走って、早く!』
傍で不気味な動きがある。ハッとして、そちらを見やると……
全壊した高灯籠の瓦礫の間で、退魔調伏しきれなかった部分――黄金色の肉片がうごめいていた。
忌まわしい魔性の黄金のカタマリが、寄り集まって増殖し始めている。
密集したままだった大量の白毛ケサランパサランの数々を、これ幸いと捕獲し、食らいながら、不吉な造形を再生しつつあるのだ。
ケサランパサランは邪霊の一種ゆえ、同じ邪霊である《人食鬼》の構成要素になる。
――なんて、しぶとい……!
これこそが三つ首の巨大化《人食鬼》の、真に恐るべき特徴。
だからこそ絶対に、城壁の内側では、三つ首の巨大化《人食鬼》を出現させてはならなかったのだ。
よりによって、オアシスの水分で土が湿っている桑林の中だ。砂漠の真ん中では無い此処では、不活性の熱砂に変えるのは、とても難しい。
城壁の上で、双方の射手たちの驚きの声がつづいている。
ドヨドヨうごめく小さな的へ向けて、射撃の名手たちが必死で火矢を打ち込んでいるが、数が追いつかない。
発熱した身体で、走れるのか。訝しく思いながらも、アルジーは身を起こそうとして……
……動ける!?
発熱と頭痛はあるけれど……満月の頃のように走れる!
目の前に転がった《白羽の水晶玉》をパッと拾い、再び荷物袋に収める。中にある白孔雀の尾羽の彫刻は、5枚羽に減っていた。そして今、1枚の尾羽が急速に形を失い始めている。
精霊魔法。
アルジーの中で、大いなる直感が閃いた。
――オババ殿の言っていた、白孔雀の守護の力!
その不思議な力で、地下水路を照らした。落下の衝撃を緩和した。それで2枚分の羽が失われたのだ。そして、アルジーを走らせるために、3枚目の羽を浪費しているところなのだ。確実に。
振りあおぐと。
20羽ほどの白文鳥は、桑林のはるか上へと、高く舞い上がっていた。
白い小鳥の群れが一斉に羽ばたき、勇ましく立てた冠羽を星のようにきらめかせながら……《精霊鳥》特有の連携を取っている。
相棒の白文鳥パルが、アルジーの行く手の空間を飛び、先導し始めた。上空を飛び交う20羽ほどの同族と同じように、パルの冠羽もキラキラと光っていて、何らかの情報連携をしていると知れる。
アルジーは、夜が始まった城下町へと走って行った……
城壁のうえに居た一部の戦士たちの間で、驚きの声が行き来していた。
「白い小鳥と一緒に走って行った骨格標本っぽいのは何だ、邪霊《骸骨剣士》じゃ無いのか」
「あれは《精霊鳥》だったぞ! 冠羽が光ってた!」




