バザールの邂逅、運命の十字路(中)
2羽の《精霊鳥》が紹介する店を訪れた、アリージュ姫とオババ。
その店の吊り看板には、『精霊雑貨よろず買取屋』とある。
こういった店は、古道具屋や古本屋などと同様、目利きの店主が経営する。
ブツがブツだけに訳あり品だらけ。全ての品が偽物だったというこぼれ話も多くて、ピンキリだけど。
店に接近する前に、アリージュ姫は破れてしまったベールをターバンに見立て、長い髪をたたんで、クルッと巻いておく。
そうしているうちにも、シャールとパルの姿に誘われるように、フッサフサ眉と白ヒゲの老店主が店の中から出て来た。
「おや、白タカでは無いか。もう1羽の小さいのは『いちご大福』か? 不思議な取り合わせじゃの」
次に客に気付いたようで、老店主は目をパチクリさせながら振り返って来た。ここ東帝城砦では誰よりも立派なお眉の持ち主に違いない。
老店主の首元で、多種多様な数珠やリング、チェーンが、ジャラジャラ音を立てる。オババと同じような、熟練者ならではの護符の組み合わせだ。
本物の霊媒師ないし魔導士であるか――までは分からないが、精霊・邪霊といった「ジン」や、《魔導》の術に関する深い知識はあるのだろう。確実に、精霊雑貨の目利き。そういう雰囲気。
「ご来店のお人かの。白いお召し物の娘さんに……そちらの紺のお召し物、おばあさまですかな? ご用は何じゃろう」
「恐れおおい。あたしゃ、姫さんの祖母では……」
「しッ、オババ殿」
足元のおぼつかないオババを支えつつ、アリージュ姫は改めて老店主に向き直った。
「いま着ている服を、物々交換できます? できれば、最も丈夫で安い男物の服と……残りは現金で」
オババは、もはや、すぐにでも失神しそうな顔色だ。
白ヒゲの老店主は何かに気付いた様子で、一瞬、その目をキラーンとさせたものの……『その手の話である』と承知したように、なめらかに頷いた。再び、老店主の首元で、多数重なった首飾りがジャラリと音を立てる。
「確認させてもらおうかの。当店で『最も丈夫で安い男服』を出しときますぞ、どうぞ店内に」
――『精霊雑貨よろず買取屋』の店の中。
不思議な品々でいっぱいだ。
半分以上が偽物かも知れないけど、『本物ってこんな風かな』と、見ているだけでも興味深い。
魔除け紋様が施された様々な雑貨や装飾品。定番の武器、魔除けの仕掛けがされてある中古の三日月刀。
地下水路メンテナンスでよく見かける《精霊亀》の脱皮から得たのだろう、色々お役立ちな亀の甲羅。
土木工事などで活躍する《精霊象》の、新しい牙に生え変わった後の、古い象牙。
医学用の骨格標本の数々……
あちこちに相当数の魔除け用ドリームキャッチャーが飾られていた。色とりどりで、いずれも堂々たるサイズ。中古。
魔除け用ドリームキャッチャーは、どこの家や店舗にも、ひとつはあるという魔除けである。
一般的には、城砦に侵入して来る事の多い小型の邪霊害獣の類を近付けないようにするのが目的だ。石畳の隙間に潜んで妙な疫病を撒き散らす《三つ首ネズミ》。商館や隊商宿につないだラクダや馬を襲って食い荒らす《三つ首コウモリ》……他、数種ほど。
もっと危険な邪霊、たとえば三つ首の成体《人食鬼》にも対応できるほどの退魔ドリームキャッチャー護符となると非常に高価で、おもに帝国軍――帝都皇族の警備などの方面に納められる。その後、下賜されたりなどして、役人の隊商の間で使い回されたりする。有効期限が近づくと処分され、中古品として民間へと流れていく。見掛け倒しの出涸らしが多く、詐欺師も横行する業界。
ひととおり見回してみて、アリージュ姫は感心しきりだった。
……全部、掘り出し物のようだ。
ドリームキャッチャーの中央部で、えり抜きの《精霊石》が力強く燃えている。
有効期限を延ばすための複数の《精霊石》を各所に配置したドリームキャッチャーもあって、それもチラチラと光っていた。ドリームキャッチャー護符は、このように《精霊石》を配置して増強しておくのが定番。
……ここにある全部のドリームキャッチャーが光っている。魔除け作動中ということ? 邪霊か何か、悪いモノが入り込んでいたのだろうか?
少しの間、アリージュ姫の中を、得体の知れない違和感がかすめたのだった……
…………
……
着替えが済み、アリージュ姫の花嫁衣装を検分し始めた老店主。
時々、老店主は訝しそうな顔になって、オババとアリージュ姫を振り返って来たが……のっぴきならない事情を抱えた客に慣れているようで、訳を聞いて来るようなことは無かった。
「これは最高級品じゃな。10年ほど前になるかの、シュクラ山岳王国が東方総督トルーラン将軍によって制圧された後で、この種の絹織物が一時的に出回ったのじゃ。業界では『白銀ノ紋羽二重』と呼びならわしておる種類。『螺鈿糸』による白糸刺繍が見事で……これ程の品は、ワシも初めてじゃぞ。そう、たとえば王族の間で代々受け継がれて来た家宝、婚礼のための、といっても良いくらいと見ゆる」
――ドンピシャの大正解。
思わずギョッとして、息が止まる。
「見て分かるものなの? 誰かさんは、見ても分からなかったみたいだけど……というか、私も分かってないんだけど。フツーに、昔ながらの手の込んだ刺繍の……特別な保管はしてたけど、母から譲り受けた中古で」
「ふむ。《火の精霊》による『魔法のランプ』の光で、本物を見たことが無かったようじゃの」
老店主は訳知り顔になり、古式ゆかしき『魔法のランプ』を近くの棚から取り出した。
ランプをこすると、蓋のツマミとなっていた《精霊石》が真紅色に光り……ランプの口で、ポッと淡い金色の火が灯る。ほとんど白に近い金色だ。
それは見る間に、太陽柱のようにスッと立ち上がった。真紅色をした微細な火の粉が、透けるように淡い金色の柱の周囲を巡りつつ、確かに意思をもって揺らめいている。
「これが、《火の精霊》による聖火です。それ、ご覧なされ」
一見、古い絹で作られた風の長衣ドレスが、不思議な『魔法のランプ』の光を受けて、白銀色に揺らめいた。婚礼用に織られた吉祥紋様が幻想的に浮かび上がり、その中で、白かった花柄刺繍が、虹色の螺鈿細工のようにきらめく。
――すごい……!
素人目にも分かるほどの、素晴らしいまでの逸品。思わず、口をアングリしてしまう。
「これなら当分の宿代も食費も……! とにかくカネだカネー! 残してくれてありがとう、天国のお母様!」
老店主は思案顔で白ヒゲを撫で、もろ手を挙げてピョコピョコ飛び跳ねる男装の娘を見やった……
……次に老店主は、店内のソファで改めて休ませていた老女の方にも、注意深く視線を投げた。
オババは何かにビックリしたように目を大きく見開いて、アリージュ姫を見つめていたのだった。
間に合わせのターバンからこぼれ落ちた、アリージュ姫の髪。それは、一時的にではあるが、ほぼ健康的によみがえった髪色。いつものような、ズルズルと引きずる不吉な『呪い』の流れも無い。
「姫さん……髪の色が……あの『呪い』が遮断……?」
オババは店内に吊り下げられている大型ドリームキャッチャーの群れを見回した。やがて、ハッと息を呑む。
「あ、あの護符……」
そのマクラメ細工ドリームキャッチャーは……茶カップほどのサイズの水晶玉タイプ《精霊石》と、大型の白羽、7本の組み合わせ。
――その白羽は、白孔雀の尾羽。
老店主とオババの間で、何かを探り合い、お互いに何かを察知したような視線が交差する。
オババは、そそくさと御礼のような仕草をするや、普段から霊媒師として肌身離さず身に付けていた、種々の護符をそろえてある首飾りを、素早く手繰り始めた……
ほんの、ひと呼吸か、ふた呼吸の間。
ささやかではあったが、決定的かつ重大な間をおいて……老店主は、おもむろにコホンと咳払いし、アリージュ姫の注意を引いた。
「そのターバンも売るつもりはあるじゃろうか? 見たところ、そちらは『螺鈿糸』……しかも、更に希少なレース織りじゃな」
「破れている状態ですけど。値段は付きます?」
「端切れ布の取引も多くあるからの。本物の『螺鈿糸』なら、その辺の類似品などよりも、よほど高く売れますぞ」
*****
アリージュ姫とオババは、2羽の《精霊鳥》に導かれ、近くの手頃な宿に落ち着いた。
オババを静かに休ませるため、壁と扉でキッチリ仕切られた個室を頼む。市場界隈とあって相場は高かったが、花嫁衣装を処分して得たお金で、充分にお釣りが出た……数日分もの余裕で。
もうほとんど徹夜だ。夜明けの刻のほうが近いくらい。
確保できた個室に入ってみると、古くて硬そうなベッドがひとつ、ペラペラのクッションがひとつ。今までの塔の部屋と同じという訳にはいかないが、ベッドがあるだけマシなのだろう。
オババを、クッションを更に重ねておいたベッドに入れる。
部屋の扉を閉める前に……アリージュ姫は用心のために、別の部屋の様子をそっと窺った。
近い位置の別の大部屋では、それなりの身なりの男たちが夜通しの酒宴と博打をやっていた。
いかがわしい猥談が飛び交い、ドッという笑い声や、「ごまかすんじゃねぇ」などという大声が響く。これでも市場の賭博の宴会の中では、おとなしく上品なほうに違いない。
とぎれとぎれながら、帝都の噂も混ざって来た。
「史上初の女帝の時代が始まりそうだなぁ、おぉ帝都うるおす、ふたつの大河ユーラ・ターラーよ、かの予言どおり逆流するのか」
「帝位を継ぐのは男だろうが。有望株はハディード皇子か、それとも傍系のだか、まだ独身だそうだが側近も有能で、賭けだ、おら、賭けろ!」
「帝都の聖火神殿を巻き込んで連鎖して大爆発ってな、美しさは罪ってホントだな、同じ人間とも思えねえ絶世が皇子たちをも次々に骨抜きにしやがってよ。偉大なる皇帝陛下の死因ってのも酒姫の夜のアレだってよ、アレ」
「罪深いほどの美貌たぁ、一度、拝んでみたかったぜ。確か神殿と一緒に大爆発したってな。汚職ゾロゾロ、宮廷ガラガラポンのビックリポンよ」
「砂漠の真ん中で死にかけてた皇子、男色らしいとか怪しい噂があるが、まぁそっちだろ、帝位を継ぐのは」
「無い。確かな筋から聞いた話がある。オリクト・カスバ出身の重鎮、すなわち国土建設大臣フォルード様への出入りの業者のな。あの砂防ダム造成の……聞いて驚け、かの予言の《怪物王》復活とかユーラ河とターラー河の大逆流とか、宮廷の汚職疑獄とか、ガッツリ関係してな。聞いてるだろ」
「聞いてねぇぞ。話せや、ごるぁ! あな恐ろし激ヤバ、ジャバの大魔導士、こっちまで来てんのかよ」
「おら丁と半いった! ハハハのハァ、恐怖の大魔王ザバだろうが、薔薇色の目をした酒姫だろうが、やるのみよ、やれ! おら酒だ!」
――話の筋があっちこっち行って訳が分からない。もはや酔っ払いの騒音。
扉をキッチリ閉じて鍵をかけ、余りの布を詰め込んでみる……騒音の質が幾分かマシになった。
いつしか、一緒に付いて来ていた《精霊鳥》シャールとパルが、部屋の中の標準装備と見えるスタンド式ハンガーを止まり木に見立てて、並んで止まり、くつろぎ始めている。冠羽が静かに収まっていて、パッと見た目は、普通の白タカと白文鳥だ。
「あの『精霊雑貨よろず買取屋』のお爺さん、とっても親切だったよね。衣装、高く買い取ってくれて助かった……オババ殿、そんなに落ち込まなくても」
「これが落ち込まないでいられますか、姫さんは古代の『精霊魔法文明』の時代にまでさかのぼる由緒正しき白孔雀の《魔法の鍵》を受け継ぐシュクラ王家の末裔、精霊の言葉をことごとく聞きこなす銀月の、祝福の……」
「時代は変わってるよ、オババ殿。今は御幣捧げて祈って祝福の鍵や護符をさずけてもらうような《魔法》じゃ無くて、精霊も邪霊もゴリゴリ召喚してアレコレする、ジンと《魔導》の時代で……」
窓の戸締りも確認しつつ、オババに応えるアリージュ姫であった。
「それに王国に伝わってる《魔法の鍵》って、古代の変人ハサンの鍵でしょ。変な魔法で、金庫を次々に空っぽにしたから、二つ名『貧乏神ハサン』で。古代伝説の白孔雀の精霊なんかよりも、カネと戦闘力のほうが、世の中、ずっと……オババ殿、大丈夫?」
オババは、ベッドに入った後もウンウン言っている。口調も、うわごとに近い。
――無理がたたったに違いない。額をさわってみると、熱くなっている。
さっそく冷湿布を作り、オババの発熱を冷やす。
「明日の朝一番で代筆屋の募集に行って来るけど、オババ殿は休んでてね。頑張って、仕事と家、もぎ取って来るから」
スタンド式ハンガーでくつろいでいた白文鳥《精霊鳥》パルが、「ぴぴっ」とさえずる。
『パル、見てるから大丈夫だよ。現場復帰予定のご隠居さん、事情を察したから口は固いし、変なことしないよ、ピッ』