かくして、逢魔が時は始まれり(4)
不思議な白孔雀の鍵は、まだ淡い白い光を含んでいる。
ヤケクソで、白い鍵の先端を鍵穴の絵に押し付ける――白い鍵の先端は、スッと鍵穴の絵の中に入った。
明らかに鍵穴にハマった、「カチッ」という手ごたえ。
「……え?」
そのまま鍵を回すと、六角形タイルが持ち上がった。
人ひとり通れる程度の縦穴。
縦穴の下のほうから、水の流れる音が聞こえて来る。
「ほえ……?」
『絶対に安全な秘密の道を行くよ、って言ったでしょ、アリージュ』
『地下水路の《精霊亀》の道、お借りするんだよ』
真っ暗な縦穴は、石積みの凹凸が巧みに仕込まれていて、凹凸に手を掛けて降りられるようになっていた。
完全にヤケクソだ。
アルジーは、必死で手足を動かした。
漆黒の闇に包まれたかと思うと……突如、荷物袋が銀月の光を放つ。地下水路の中が、満月の夜のように明るくなった。
――噴水の底をめぐる地下水路って、こんなに広い空間だっただろうか?
不思議に広く、深淵宇宙のような深みを感じる空間だ。
地下水路の《精霊亀》の道――本当に、精霊のみが行き来するという、摩訶不思議な異次元空間に入ったような気がする。
やがて……水路の底に、足がつく。
アルジーは早速、荷物袋を開き、光源を確かめた……光っていたのは《白羽の水晶玉》だ。
水晶玉の中に仕込まれてある神秘的な彫刻――白孔雀の尾羽の形をしたミニチュアの7枚羽のうちのひとつが、闇を払う光を投げている。
何故、と考える間も無い。
とにかく、そういうものなのだと、今は飲み込むしか無い。
『この地下水路は……噴水の下水道のほうだよね』
『そうだよ。あっちが桑林の方向だよ、ピッ』
地下水路の中は、人間業とは思えぬ精緻な退魔紋様を施された亀甲型の石積みで、いっぱいだ。魔性の黄金にぎらつく邪霊害獣が侵入して来る危険は、ほぼ無いと思える。
水の冷たさに震えはするが、いまは、恐怖による震えは止まっていた……
*****
東帝城砦の顕幽の地下水路は、大型の城砦ならではの大規模な編み目構造となっていた。
人の手で造成された単純明快かつ顕な構造の地下水路を補完するように、《精霊亀》による――おそらくは異次元の――幽邃な地下水路が複雑に巡っている。
地上の騒がしさを厭うてか、ところどころで《精霊亀》が自主的に地下水路まで降りて来て、甲羅の中に頭と手足を引っ込めて引きこもりの態勢を取っていた。
産卵の近い《精霊亀》たちは逆に活動的だ。あちこちで穴を掘ったり埋めたりして、精霊の地下水路の新陳代謝を引き起こしているところだ。工事が終わった場所は、いずれも《精霊亀》たちによる亀甲型の石積みに覆われて、構造安定している状態である。
先導する3羽の白文鳥《精霊鳥》は要所、要所で、一種の置き物や掘削作業員と化した《精霊亀》たちをつつき、地下水路の分岐状況を聞き取っていたのだった。
やがて、大きな分岐に到達する。
崩れやすい分岐の守護をしているのか、山のように大きな《精霊亀》が、ジッと鎮座していた。多彩な虹色にきらめきつつ盛り上がる甲羅は、大人の背丈を遥かに超える高度。素人目にも、千年を超えた《精霊亀》なのであろうと見て取れる、見事な個体だ。
非常事態ではあるが、思わず見惚れてしまう。
不思議な《白羽の水晶玉》が投射する銀月色の光の中、それは、巨大な螺鈿細工の芸術品とも見えた。
白文鳥《精霊鳥》3羽が口々に呼びかけると、偉大なる《精霊亀》は、頭を甲羅の中からヒョコリと出して、ムニャムニャと受け答えし始めた。
受け答えが一段落すると、《精霊亀》は興味深げに、アルジーをキョトキョトと眺め回した。
『鳥使い。精霊でも無いのに、よく精霊の道に入って来れたね、銀月の。《魔法の鍵》継承者だね?』
『え? えっと……元・シュクラ王国だから……白孔雀の《魔法の鍵》を受け継いでるって事になると思うけど』
山のように大きな《精霊亀》は、何かに気付いたかのように首を延ばして、アルジーの片方の足首に、チョン、と鼻先を触れた。
――町角の占い屋ティーナ作成の、謎の『赤い糸』が結ばれていた足首のほうだ。いまは、赤い糸は物理的に切れて落ちてしまった後だが……何らかの気配は残っているらしい。
『銀月の。こりゃまた、こんがらかった糸を持ったもんだね。厄介な生贄《魔導陣》持ち。うーん』
首をキョトキョト左右に揺らした後、大柄な《精霊亀》は少しの間、プルルッと身を震わせた。すると。
甲羅から浮き上がった虹色の螺鈿のような欠片――手のひらほどの大きさの、六角形をした薄片が多数、滑り落ちて来た。
『千年を経ている《精霊亀》の甲羅だよ。銀月の、その生贄《魔導陣》には残念ながら効果は無いんだが、《人食鬼》にやられた傷には効くから、持っていきな。三つ首の巨大化《人食鬼》が出現しそうな、嫌な空気が地上に漂っているよ。あまり時間は無さそうだから、急ぎな』
『ありがとう』
透明な虹色に光る不思議な薄片を拾って、荷物袋に収めると、アルジーは再び、先を飛び交う白文鳥《精霊鳥》たちの後を追ったのだった。
やがて、地下水路が急に下へと折れ曲がる場所まで来た。
『桑林の下に到着したよ、ピッ』
『城壁をもぐるから、あんな風に、急に下へ折れ曲がる形なの』
アルジーは周囲を見回した。
銀月の光でもって《白羽の水晶玉》が照らし出すのは、三つの分岐へとつづく狭苦しそうなアーチと、凹凸のある石積みの群れ。いかにも人造の空間だ。
『出口は? この三つの分岐のどれか?』
そう言っている内にも、何処かで、ドシャーンと言う爆発音がした。意外に近い。
ギョッと固まっていると……
真ん中の分岐の下水道から、おびただしい真紅の液体がドロドロと流れて来た。血のにおい。
『うぐ……』
アルジーは思わず、ターバンの端で口元を塞ぐ。
相当に大型の邪霊害獣が、まとめて退治されたのは間違いない。双方ともに多数の邪霊害獣を使っていたから、おそらく……
退魔調伏されて真紅と化した血液とは言え、見ていて気持ちの良いものでは無い。まだ元の名残をとどめている肉片が一緒に流れて来ているから、なおさらだ。
右の分岐へコルファンが飛び、左の分岐へナヴィールが飛ぶ。やがて、偵察に行っていた2羽の白文鳥は、両方とも右の分岐から戻って来た。
『こっちの右のほうが、桑林に近いよ。真ん中のは、城壁の上に設置されてた下水道だったよ』
『了解』
アルジーは右のアーチをくぐり、凹凸のある石積みに手足をかけて、よじ登って行った。
地上への出口では、10数羽ほどの白文鳥《精霊鳥》が、待ちかねていたと言う風で跳ねまわっている。
そこは、桑林に最も近い城壁の町の、共同の洗濯場の下水道になっていた。戒厳令下とあって使用する人がおらず、下水溝を伝って地下水路へと流れてゆく水量も少ない。
「フーッ」
洗濯場の下水溝から半身を乗り出して、アルジーは、ようやく息をつく。どんな仕組みになっているのか、《白羽の水晶玉》は、すでに、目立つ輝きを止めている。
日没の最後の光芒が、夕暮れの星々の輝き始めた空を、うっすらとよぎっていた。もうじき、太陽が地平線の下に隠れる。
城壁の上では、爆発の名残の黒煙が、高く上がっている……
おそらく、さっきの爆発は威力偵察の部類だろう。次の爆発で、桑林の魔除けに、三つ首の巨大化《人食鬼》が侵入できるような穴が出来ていることがバレてしまう。きっと。
白文鳥《精霊鳥》10数羽が一斉に飛び立ち、桑林へと向かい始めた。アルジーは下水溝から這い出ると、ヨタヨタと後をついて行く。
――どうか、間に合いますように。
桑林に到着した。
木々の間から、高灯籠がスッと突き出している。
深くなる夕闇の中、てっぺんの空間に、吊りランプが無いのがパッと見て取れる。
この手のことには素人のアルジーにも分かるくらい、周囲は異様に暗く、禍々しい雰囲気。
早くも、小型の《三つ首ネズミ》2体が高灯籠の中への侵入を試みているところだった。黄金の邪体がギラギラしている。
居残り組の白文鳥《精霊鳥》10羽ほどが、ひっきりなしに警戒の鳴き声をあげ、魔除けの冠羽をビシッと立てて、繰り返し突っかかっていた。
『退魔調伏の御札!』
アルジーが荷物袋から2枚の紅白の御札を出すと、白文鳥コルファンとナヴィールが、それぞれ薔薇色のクチバシに挟む。仲間と共に、高灯籠へと舞い上がって行った。
高灯籠のてっぺんで、20羽ほどに増えた白文鳥《精霊鳥》たちが、見事な連係プレーを展開した。2体の小型《三つ首ネズミ》が、その場に釘付けにされている。そこへ、《退魔調伏》御札がペタッと貼り付けられた。
シュボン、ボン、と《火の精霊》の真紅の火花が飛び散る。
近くでウズウズしながら待ち構えていたらしい無害な邪霊ケサランパサランの群れが、小型《三つ首ネズミ》の残骸をワッと取り囲み……見る見るうちに消化した。やがて、赤キビや玄キビさながらの粒子が、高灯籠の壁を、サラサラとこぼれ落ちて来る。
『吊りランプ!』
地面に手をついてフウフウ言っていたアルジーのターバンの上で、白文鳥《精霊鳥》アリージュが、ピョコピョコ跳ねながら、焦りの鳴き声を上げた。
上空を振り仰ぐ。
見る見るうちに押し迫る闇の色。太陽の最後の光芒が消えている。
城壁のうえで、金色の不吉な《魔導陣》が燃え始めていた。
再びの威力偵察――ジン=イフリート《魔導陣》だ!
魔除けの穴が出来てしまっているタイミングだ。その意図が無くても、三つ首の巨大化《人食鬼》を引き寄せてしまう。磁石が鉄を引き寄せるように。
かつてシュクラ王国を襲った悪夢が、地獄絵図が、逃げ場のない城砦の中で再現されるようなことがあれば……




