かくして、逢魔が時は始まれり(3)
7歳かそこら――シュクラ王国の王女アリージュ姫だった頃の記憶が、よみがえって来る。
背の高い護衛に肩車してもらって、チラリと目撃した悪夢のような光景が。
――シュクラ王国の国境の外から押し寄せて来た、巨大化した三つ首《人食鬼》の大群。
国境地帯は、険しい岩山や滝の激流、退魔能力のある《水の精霊》を含む濃い雲霧によって、厳重に守られていたところである。
わずかに通行可能な、交易用の峡谷の道。構造上、そこに無防備に空く形になっていた「穴」……王国衛兵による定期的な見回りがあり、管理は完璧の筈だった。
峡谷の道に沿って整備した鎖場があり、そこに、《精霊石》を詰めるタイプの吊りランプを、一定距離でズラズラと取り付けてあった。邪霊がゾロゾロ出て来る異次元の「穴」を塞ぐための、強力な魔除けと夜間照明を兼ねたものだ。
……あの時期は、三つ首《人食鬼》の出現が不自然に増えたこともあり、オリクト・カスバから贈呈された大量の《精霊石》を詰めていた……
自然に落ちたのか、誰かが故意に落としたのかは不明だが……その吊りランプの列が、いつの間にか一箇所でゴッソリと失われていた。
そこにポッカリと空いた邪霊の次元の「穴」から、巨大化した三つ首《人食鬼》の大群が出て来たのは、あっと言う間だった。
第一発見者だった護衛とアリージュ姫が無事だったのは。
鷹匠だった父親が、大柄な護衛よりもずっと大きな白ワシ《精霊鳥》を飛ばして、目に付く限りの三つ首《人食鬼》を狩り、退魔調伏したからだ。
ついでに、その白ワシ《精霊鳥》は、唖然とするほど大きな足でアリージュ姫の身体を捉えて運び、安全なシュクラ王宮まで運んで行った。
――その頃、母親シェイエラ姫は、原因の分からない謎の体調不良が始まっていて、宮廷霊媒師オババ殿が常駐しているシュクラ王宮の奥で静養しているところだった……
*****
――あの白ワシ《精霊鳥》の種族ほど大きくないと、巨大化した三つ首《人食鬼》に対応するのは難しいと聞く。《精霊象》や《精霊亀》にしても、似たようなもの。
そして東帝城砦には、それほどの大型の白ワシ《精霊鳥》を扱える有力な鷹匠は居ない。
帝国軍になら居るかも知れないが……大型の《精霊象》や《精霊亀》を使う「象使い」や「亀使い」たちも。
だが、とりわけ三つ首《人食鬼》に関する限り、曖昧な希望に賭けるほど愚かな事は無い。まして今は、双方ともにエスカレートする攻城戦の真っ最中だ。
――行かなきゃいけないのは、理解できる。でも、怖い。
トルジン親衛隊の面々も、攻防戦に参戦している筈だ。テラテラ黄金肌の巨人戦士『邪眼のザムバ』と、かち合ったら……
あの時のように、説明のつかない失神が襲ってきたら? そして邪霊害獣に、そのまま襲われたら……
次にアルジーの脳裏に浮かんだのは、あの妙に頼りがいのある、ごま塩頭の番頭だ。
『ば、番頭さんは? 番頭さんは何処で何を……?』
『帝国軍の所属の鷹匠。あの人、退役軍人してるけど、特別に呼び出されて、帝国軍の鷹匠の仲間と一緒に大型の白ワシと白タカをいっぱい使って、砂漠から湧いて来てる大型《人食鬼》の群れを食い止めてるところだよ、ピッ』
……いまは亡き父親、鷹匠エズィールと同じだ。同じ立場の人。
白タカ《精霊鳥》シャールが、妙に番頭に慣れていたのも納得できる。秘密口座の連携に関して、シュクラ・カスバへ極秘の秘密通信を送ったのは……きっと、番頭だ。
『帝国軍の、鷹匠の仲間って?』
『あ、言うの忘れてた、アリージュ。白鷹騎士団だよ。今回、帝国軍に加わって、東帝城砦を包囲してる』
いまは亡き父・鷹匠エズィールも、シュクラ王国に来て母・シェイエラ姫と結婚する前は、白鷹騎士団の団員だったと聞いたことがある。
――あのごま塩頭の番頭は、帝都に居た頃の、父の同僚だった人に違いない。オババ殿も帝都に居た時があったと言うから、その頃から直接の、慎重なやり取りもあった筈だ。オババ殿が、連絡を付ける筈だ!
思い出してみれば、馬の扱いが不思議に上手だった。元・騎士団の人なら納得だ。《精霊語》に巧みだったのも――白タカ・白ワシ《精霊鳥》を扱う鷹匠としての技能。
アルジーはグルグルと混乱しながらも、立ち上がっていた。
恐怖よりも混乱のほうが大きい。
そうで無ければ、恐怖にへたり込んだまま動けなかったに違いない。
『行かなくちゃ』
『絶対に安全な秘密の道を行くよ。大丈夫だよ、ピッ』
白文鳥《精霊鳥》パルが自信タップリに宣言していたが……アルジーは、もはや足元の感覚が無い。
屋上から中庭へと、階段を降りる。
金融商オッサンとタヴィスは、別室のほうで、長い相談の真っ最中だ。
早い夕食が終わったいま、金融商オッサンの店の中は、シンと静か。厨房のほうで夕食の準備中らしい数人のスタッフの気配。そのほかは、表通りに面するカウンターの方で、いつだったかの隊商の傭兵団から引き抜いた2名が、警備しているのみだ。
日没が近い。夜は一気に気温が下がる。
アルジーは習慣で、機械的に防寒用の外套をまとった。そして、これまた機械的に、肩から下げるいつもの荷物袋も。代筆屋の仕事道具を詰めたもの。
『7枚羽、7枚羽!』
『水晶玉!』
白文鳥《精霊鳥》コルファンとナヴィールが、不意に思いついたというように、奥の間の鍵付き書棚へと飛んでいった。続いて、パルも。
『アリージュ、アリージュ《白羽の水晶玉》持って。道中安全の御守りだよ、ピッ』
見事な織りの絹の紗幕が、機密保護のための垂れ幕となっている。その奥に、厳重に施錠された鍵付き書棚が佇んでいた。扉を封印している錠前は、《地の精霊》の守護の力を帯びて、黒光りしている。
『この鍵付き書棚、黒ダイヤモンドの《魔法の鍵》のヤツだよ? 店主さんのマスターキーが無いと』
『アリージュは白孔雀の《魔法の鍵》持ってるから、それで開錠できるよ』
相棒の白文鳥《精霊鳥》パルは「ピッ」とさえずるなり、アルジーの荷物袋の中に飛び込んだ。慌てて荷物袋を開くアルジー。
パルがクチバシで挟んで取り出したのは、白孔雀の尾羽を細工した『失われし高度技術』による古代の羽ペンだ。『精霊雑貨よろず買取屋』で、大きな火吹きネコマタから譲り受けたもの。
アルジーは白い羽ペンを受け取り、ためつすがめつ。
『これ羽ペンであって、鍵では無いよ?』
『古代のハサンの、白孔雀の《魔法の鍵》が、それだよ』
『変人の魔法使いハサンの? 変な魔法で金庫を次々に空っぽにした「貧乏神ハサン」……?』
『本当は少し、すごく違うけど、だいたい、そうだよ。ピッ』
――伝説というのは、何処かで予期せぬ変更が入ったりするものらしい。白タカ《精霊鳥》シャールいわく『伝言の内容が、出発点と終着点とで食い違っているのは、よく有ること』。
オババ殿から教わった様々な事例や過去の知恵の中に、「こういう場合にどうするか」というの、あっただろうか。
黒ダイヤモンド《精霊石》――精霊の玉座。邪霊仕様の荘厳を施せば、邪霊の玉座にもなり。《地霊王の玉座》……いやいや、あれは幻の世界最大の山脈の別名だった。
パルは再び荷物袋の中でゴソゴソと動き、まっさらな紅白の御札を取り出した。助け舟を出すかように「ぴぴぃ」と、さえずる。
『開けゴマ《精霊文字》だよ、アリージュ』
分厚い紗幕がパッと開いたかのように、アルジーの記憶の扉が開いた。小さい頃、寝る前に聞いた幾つもの物語の中にあった、『流転の玉座』の伝説。
アルジーは半信半疑になりながらも……白孔雀の羽ペンに赤インクを詰め、ブランクの紅白の御札に《精霊文字》を綴った。
――『孔雀の玉座いま来たれり、開けゴマ』
文字の入った紅白の御札を、中庭の噴水の水に浸す。この噴水は、オアシスから水を引いている。すなわち、ユーラ河の水源から来た水の筈だ。
紅白の御札は、水の中に溶ける代わりに……白く輝きながら形を変え。古代アンティーク風の白い鍵に変身して行ったのだった。
初めて見る現象にドキドキしながらも、噴水の水の中に漂う、その白い鍵を……そっと取り出す。
「雪花石膏で出来てるみたいな感じだね?」
不思議な恐れを感じるままに、ささやくように呟く。
水の中から取り出した鍵はあまりにも軽く、現実的な素材としての重みを感じない。シッカリつかんでいないと、何処かへ浮遊して行きそうだ……無害な邪霊の毛玉ケサランパサランのように。
白い鍵の持ち手の側に、白孔雀の尾羽がくっついていた。なるほど白孔雀の《魔法の鍵》だ。
アルジーは書棚に近寄った。
六角形に成形された金属製の錠前が取り付けられてある。《地の精霊》による守護の力を帯びて黒く光っている、その真ん中に鍵穴。白い鍵を突っ込み、手ごたえが来たところで、クルリと回す。
――カシャン。
「ひ、開いた……」
パタリと開いた鍵付き書棚の、厚みのある両開きの扉を見つめ、アルジーが呆然と震えているうちにも……
『黒ダイヤモンド《魔法の鍵》解呪は、少しの時間しか続かないから、早く《白羽の水晶玉》を探すよ、ピッ』
『ガッテン』
……白文鳥《精霊鳥》コルファンとナヴィールが、パルと共に、鍵付き書棚の中をゴソゴソ動き回ったのだった。
アルジーのターバンの中に挟まっていた白文鳥アリージュも、お目目パッチリ状態でピョコピョコ動いている。
幸いにして、金融商オッサンは整理整頓の上手な人であった。
すぐに《白羽の水晶玉》が見つかった。シュクラ産の天鵞絨の袋の中に。
黙って持ち出すのは、さすがに気が引ける。
アルジーは別の普通紙を取り出し……置手紙を差し込んだ。
――「城壁の桑林にある魔除けの吊りランプが《三つ首コウモリ》にかじられて落ちたとのことで、魔除けの穴を塞ぎにゆきます。道中安全の御守りとして《白羽の水晶玉》をお借りします。アリージュより」
ふと、気付く。
いつか見た、黒い柄の三日月刀と剣帯は……すでに持ち出されたのか、そこには無い。
あれだけ強力な、臨戦状態の退魔の武器だ。きっと、今回の攻城戦で、縦横に使われている。
アルジーは納得しつつ、鍵付き書棚を閉じた……「ガチャリ」。黒ダイヤモンド《魔法の鍵》の厳重な封印が、かかった音だ。
3羽の白文鳥《精霊鳥》は、次に中庭の噴水の周りに集まった。
『ここから出るよ、ピッ』
もう、何があっても驚く気はしない。アルジーは、もはや半分ヤケクソで動いていたのだった。
パルが、水道に使われている伝統的なタイル装飾のひとつを示した。
お馴染みの精霊――《精霊亀》の甲羅を模して六角形にかたどられた、古代から変わらぬ造形のタイル。
そのタイルを装飾するのは、青い《渦巻貝》を模した伝統の螺旋紋様だ。《魔導》工房の職人によって描き込まれた、正確な装飾……その中心に、鍵穴の絵があった。
『上手な絵だけど、鍵穴じゃ無いよ?』
『大丈夫だよ、ピッ』




