かくして、逢魔が時は始まれり(2)
ソファを兼ねた寝台に横たわっていたのは、年配のシュクラ人の男タヴィスであった。かつて、シュクラ王国宮廷の侍従長であったという人物。
白髪混ざりの淡い茶髪をしたシニア世代の男は、ここ数日の極度の疲労でやつれた様子であったが……アルジーの姿に気付くや、ハッと息を呑んで、身を起こしたのだった。
「これは、アリージュ姫」
「いいから、そのまま」
寝台から降りて折り目正しい一礼をしようとするタヴィスを、アルジーは慌てて押しとどめたのだった。体調の衰えたオババ殿を寝台に戻したことは数知れず、その経験でもって、スムーズにタヴィスを寝台に戻す。
金融商オッサンが目をパチパチさせ、長衣の袖に包まれた手を、表敬の形で組み合わせていた。
「シュクラの人々への労役の報酬を確保されたり、タヴィス殿の解放に尽力されたり、慈悲深い王女様でいらっしゃいますな」
「いえ、何もしてないし、出来なかったけど」
「聖火礼拝堂の受付所へ出張している知り合いの神殿役人が、目撃しておりましたのです。早朝から神殿役人ゾルハン殿に掛け合ってらっしゃるところを。その件が神殿の調査官や魔導士の耳に入ったそうで。ゾルハン殿は、タヴィス殿の直接の知り合いとして、ただちに、タヴィス殿の当日の行動を調査官たちに説明することになったとか」
――経理担当の神殿役人ゾルハンは、上手に説明してくれたに違いない。細かく神経質な正確さでもって。
戸惑ってターバンの端を引っ張りつつ、アルジーは呟いた。
「それだったら、ゾルハンさんのお蔭かも」
アルジーのターバンの上で、白文鳥《精霊鳥》パルとアリージュが、「ぴぴぃ」と、さえずった……
一区切りつけ。
端々が焼け焦げた衣服を着替え――相変わらず男装姿である――再び、金融商オッサンと共に、タヴィスの部屋を訪れたアルジー。不意に思い出した事があったのだ。
外は戒厳令が敷かれており、行き交う衛兵たちで物々しい雰囲気である。時折、聞こえて来る爆発音などから察するに、城壁を挟んで攻防戦がつづいている様子だ。どのみち非戦闘員である一般庶民は、外出は難しい。
――シュクラ第一王女アリージュ姫として、従兄ユージド王太子と共に宮廷社交の場に出ていれば、帝都の有力者たちの微妙な動きなどといった方面の機密情報をつかめただろうが……
民間の代筆屋としてのアルジーにとっては、どうやって、このような事態に至ったのかは謎だ。
東方総督トルーラン将軍が、その地位を濫用して、12年に渡って延々とつづけた越権行為が、帝都の有力者の面々をいたく怒らせたのは確かだろう。特に税務や国庫を管理する部署、関係する皇族たち、とりわけ財政を担当する重臣たちを。
……「国税をちゃんと納付しろ」という理由で、トルーラン将軍の住まう東帝城砦が帝国軍に包囲される羽目になったのは、驚くには値しない。
脱税の金額は、天文学的なまでの巨額になっている筈だ。いままで罪に問われなかったほうが、不思議なくらい。
そして、がめつさ極まるトルーラン将軍が、利権を手放したくない一心で、帝国軍に抵抗することを決めたのも驚くには値しない。
トルーラン将軍にしてみれば。帝国軍を追い返し、あるいは撃破したうえで。
お得意の賄賂でもって、帝国を本当に転覆する勢いで……道理をねじ曲げれば良いのだ。
トルーラン将軍を後援する帝都の有力者が居る限り、トルーラン将軍は、これまで通り権勢を維持しつづけるだろう……
お茶と軽食をつまみつつ、相談を始める。
「具合のお悪い時に恐れ入りますが、タヴィスさん」
「お気遣いなく、アリージュ姫。シュクラ・カスバの事でございましょうか?」
「うん、そう。いろいろ落ち着いたら、帝都大市場で、辺境の城砦がやっているような店舗を持って、シュクラ特産の絹織物とか扱うのはどうかと思っていて。『シュクラ・カスバ』の収入……財務の足しになると思うけれど、シュクラの人たちがどう感じるかは、私には分からないから」
「帝都大市場に店舗を持つのは、現在の我々シュクラの立場としては、願ったりかなったりかと存じます」
タヴィスは穏やかに相槌を打ちながら、耳を傾けて来ていた。
その穏やかな雰囲気に促され、アルジーはポツポツと言葉を継ぐ。
「昔のように、独立国としてシュクラ王国が復活するなら……というのも考えてはみたけれど。でも、そうなっても、私には女王とかは無理。ユージドお従兄様が生きて見つかったら、補佐くらいなら……シュクラ王国を再興するなら、タヴィスさんとか、それなりの誰かが王位継承してくれれば、私のほうで、前王統の第一王女として承認手続きもできるから」
「姫は女王としても立派におやりになれると思いますが、何故に無理だとお思いに?」
「んーと……病気?」
――我ながら取ってつけたような不自然な理由を言ってしまったと思うが。
さすがに、《怪物王ジャバ》の生贄の呪いが掛かっていて、いつまで生きていられるか分からないから、とは言えない。
アルジーは少し考え……不意に気付くところがあって、首をコテン、と傾けた。
困惑の気分になりながらも、付け加える。
「ほとんど忘れてた。私、人妻で――トルジンの13番目のハーレム妻。トルーラン将軍が逮捕されたら、連座制で、御曹司トルジンと一緒に裁判所まで行くかも。あの意味不明な別荘工事も、私の名前――アリージュ姫の名義でやってるし」
「はぁ、確かに」
「聞くところによれば、聖火神殿の精霊契約により……でしたな」
タヴィスと金融商オッサンは、両者ともに新たに頭痛が始まった様子で、ちょっと額を押さえていたのだった。
*****
午後の後半を過ぎ、日没の刻が近い。
アルジーは、金融商オッサンの店舗の屋上に陣取っていた。
屋上には、簡素なあずまやを思わせる展望台が設置されているのだ。強烈な陽光を遮るための日除けが、巧みに設置されている。
展望台には望遠鏡も用意されていた。西のほうへ向けて、のぞく。
隣近所の店舗や住宅でも、展望台へ出張った住民たちが代わる代わる望遠鏡をのぞいている姿が見られるところだ。洗濯物の取り込みが終わって、屋上の人の動きも少なくなる刻だが……この日に限っては、騒ぎが増えつづけていたのだった。
東帝城砦の西側で進行中の――城門と城壁をはさんだ攻防戦は、激化の一途をたどっている。
未納の国税を差し押さえようと包囲して来た帝国軍と、いまや反乱軍となった東方総督トルーラン将軍の私軍。
双方の陣営のそれぞれの《魔導陣》から召喚された《火の精霊》ジン=イフリートが、その巨大な体躯と、火力の大きさとを競っている状態だ。城下町全体に、大きな爆発音が間断なく轟いている。
トルーラン将軍は『将軍』という役職を務めるだけのことはあるのか、東帝城砦を包囲した帝国軍に対して、意外に――真面目なくらいに――しぶとく抗戦をつづけている。
全体としては、戦況は膠着状態だ。
望遠鏡をのぞいてみると、双方の邪霊使いが、おびただしい邪霊害獣を次々に投入しているのが見える。
城壁の上を、黄金色の魔性の炎に燃える《三つ首ネズミ》や《三つ首コウモリ》、黄金の三日月刀を振り回す《骸骨剣士》が走っていた。
城壁の上で燃えている数々の『魔法のランプ』の火は、退魔調伏のために聖別された油を使っているものだ。
双方の退魔対応の衛兵や戦士に追い詰められ、うっかり、その『魔法のランプ』の火に触れた邪霊害獣は……見る間に浄化され、不活性の熱砂と化してゆく。
――気のせいかも知れないけど、トルーラン将軍の側の邪霊使いのほうが、強大な力を持っているようだ。
アルジーは、疲れが出て来た姿勢を立て直し、再び望遠鏡をのぞく。
望遠鏡をのぞくのが何度目になるのか、回数はもう忘れた。
市場のあちこちの屋根の上で、アルジーと同じように、ピリピリしながら戦況をうかがっている商人たちや商人スタッフたちが居た。夜に入って邪霊害獣の動向が激変するような事があれば、最悪、市街戦だ。それに備えて、『魔法のランプ』の数を倍増しなければならない……退魔対応の松明も。
不意に。
相棒の白文鳥《精霊鳥》パルが、慌てたように跳ねまわり始めた。
「パル?」
振り返ると。
夕暮れ空の中、攻城戦の場とは別の、オアシス側の城門のほうから近づいて来る小さな影……望遠鏡を向けると、白文鳥2羽、こちらへ飛んで来るのが見えた。
新しい馴染みの白文鳥《精霊鳥》コルファンと、ナヴィール。
「どうしたの?」
パル、コルファン、ナヴィール、3羽の白文鳥は、真っ白な団子三兄弟よろしく並んで、懸念をさえずり始めた。
『城壁のとこにある桑林の塔が大変なの』
『はぐれ《三つ首コウモリ》が、魔除けの吊りランプをかじって落としてしまったの。《三つ首コウモリ》は叩き出して、近くに居た神官さんが調伏してくれたけど、吊りランプの落下に気付いてくれなかった』
『吊りランプを元の位置に吊るすのは、人の手じゃ無いと、できない。これから夜が始まるし、邪霊害獣がみんな増強してしまう。三つ首《人食鬼》も出て来る、ピッ』
城壁に沿っている桑林の魔除けに穴ができたら、そこから三つ首《人食鬼》が侵入する恐れがある。
アルジーは、全身が恐怖に凍るのを覚えた……




