ひと回りして来た因縁が、回転扉で回転す(5)
「おい、何だか、きな臭くないか?」
火気に敏感な店員たちが、ざわつき出したのだ。つづいて、客たちも騒ぎ出す。
次の瞬間。
白文鳥《精霊鳥》コルファンとナヴィールが、壁を突き抜けて来たかのように飛び込んで来た。
『危険! 危険!』
アルジーのターバンのうえで、相棒の白文鳥パルが、パッと飛び立つ。
ターバンの隙間で静養中の白文鳥アリージュも「ビョーン」と伸びあがった。
白文鳥《精霊鳥》3羽が高速で飛び交い、白毛ケサランパサランの群れが出現した。白文鳥の誘導に応じたかのようにパッと散らばり……配置された。
無害とはいえ邪霊に属するケサランパサランの身体がよぎったせいか、パチッという魔性の金色の閃光が走った……その閃光は紋章のような影を映し出した。
――《魔導陣》だ!
白文鳥《精霊鳥》パルが、その《魔導陣》を瞬時に解読する。
『ジン=イフリート、ピッ!』
アルジーの手に触れていたせいで《精霊語》が通じる状態だった赤毛スタッフ青年クバルの反応は、早かった。子猫を床へ解放するや、護身用の短剣を抜く。
「イフリート!」
濃紺の覆面ターバン青年が、無言で、いきなりアルジーの身体をさらい……棚の裏へ駆け出した子猫の後を追う形で、インク壺の棚から距離を取る。
……明らかに焦げくさい異臭が、文房具店『アルフ・ライラ』全体に広がった!
「火事だ!」
共鳴する《火の精霊》たちの、焦げ付くようなにおい。不意に湧き立つ、禍々しい黒いモヤ。
店内の中が一気に薄暗くなったかと思うや、店の四方八方から、大きな爆炎が立ち上がった!
全身を揺るがすような、重低音の爆裂音。
アルジーの背後を守る位置に付いていた赤毛スタッフ青年クバルが、短剣を鋭く薙ぎ払い、高速で飛んで来た数個の破片を弾き、床へと叩き落とした。
――連続の破砕音を立てて、床へと突き立った破片は……異様な黄金色をしている。
火のジン=イフリートを邪霊として誘導した《魔導札》の、硬化した欠片だ。殺傷力を高めるための欠片。
濃紺の覆面ターバン青年が、明らかにアルジー個人を狙ったという風の黄金色の欠片に気付き、金色の目を険しくした……
「お客様、避難してください!」
文房具店『アルフ・ライラ』が入っていた複数階層の建築が不吉に揺らぎ、異様な破砕音を立てている。床タイルに金色のヒビが入ったかと思うや、次々に真紅の炎を噴出し始めた。
店員たちと客たちがギャーギャー言いながらも、表通りへと転び出て行った。
故ハシャヤル未亡人ギュネシア奥さんを含む奥様たちも、パニック状態だ。
スージア奥さんとヤジドちゃんは、幸いに早い段階で避難済みだ。強く手を引かれたヤジドちゃんは、勢いあまって、石畳の上で転んだ。同じように転んだ小さな子供たちも、火がついたように泣き出している。
瞬く間に店舗の外壁を、炎と黒煙が舐め始めた。石をも燃やす、異様なまでの高温の炎。
市場を行き交う通行人たちが、炎上した位置の数々を指差しながらも、散らばって行く。
別の通りに居た野次馬たちは、口々に「火事だ」と叫びながらも、逆に押しかけ始めていた。
「爆発するぞ!」
混乱が大きくなっていく隣近所のどこかで、誰かが叫んだ。それは正しかった。
文房具店の中は、もとより燃えやすい物が密集している。ジン=イフリートの破壊的な火力によって急激に熱せられ、次々に爆発炎上が始まった。
インク壺の並んでいた棚は、店の中で最も奥まった位置にあった……クバル青年、それにアルジーを抱えた濃紺の覆面ターバン青年が、年長の店員を含む最終の避難グループに混ざりつつ、子猫の火吹きネコマタと一緒に、表通りへと飛び出す。
いっそう耳をつんざくような大音響と共に……文房具店『アルフ・ライラ』が爆散する。
一気に合流して巨大化した紅蓮の炎は、まさに巨人の形。
いつの間にか、女商人ロシャナクが決死の形相で駆け付けていた。警戒すべき範囲に接触したところで、傍に居た店スタッフが敏捷に動き、ロシャナクを引き留める。
「店が……!」
飛び散った建材が、隣近所の店舗の群れを襲う。方々から新たな悲鳴が上がった。
上階層まで燃え広がった炎の中で、新たな爆発が起きた――ギョッとするような瓦礫の群れ。
濃紺の覆面ターバン青年がサッと腕を振ると、それに応じて真紅の冠のような《魔導陣》が閃いた。燃える瓦礫の群れは、重力の法則を無視したかのように、その場で放物線の軌道を延長することを止めて落下した……
あまりにも一瞬の現象だった。それで、瓦礫飛散による怪我人や死人はゼロとなったのだが、気付いた人は、ほとんど居ない。
濃紺の覆面ターバン青年に抱えられる形で、一番近くに居たアルジーでさえ、幻と思ったくらいだ……そして、その意味を考えるどころでは無かった。
「野次馬は道を空けろ、どけ!」
身分の高い人々が行き交う目抜き通りだけあって、衛兵たちの出動は早かった。熟練の神官や魔導士の出動も。
即座に、金縁に彩られた黒衣をまとう魔導士の手によって、黄金色の《魔導札》が掲げられ、《精霊語》による呪文が詠唱され……
かの塔の爆発炎上事件の時のように、大型の《水の精霊》が呼び出されて来た。
呼び出されて来たのは、あの水のジン=巨大カニだ。5匹ほど居る。青い色をした巨大カニは早速、火炎を封じるための大量の泡を噴射し始めた。同時に、ジン=イフリートの、蛇のようにうねる長い腕をスパスパ……と、ちょん切り始める。
5匹の巨大カニに取り付かれた1体のジン=イフリートは、見る見るうちに縮んで行った。
隣近所の一帯に、大量の火の粉と水の泡が、同時に降りそそぐ。
衛兵たちの誘導――というよりも強制的な『おしくらまんじゅう』――で、野次馬たちや避難者たちの集団が乱れ、いっそう押し合いへし合いになった。
「早く!」
頭上を白文鳥たちが舞い、クバル青年と子猫の火吹きネコマタが、隙間を目指して先導する。
濃紺の覆面ターバン青年が、アルジーを抱えたまま人波を分けて移動していた。
横から来た人波に、アルジーはギュウと押される形になった。濃紺の覆面ターバン青年は、群衆をすり抜けるのに慣れていなかったようだ。
アルジーの顔面に誰かの背中が押し付けられ……鼻がつぶれるような思い。アワアワしている内に、ターバンの隙間に誰かの握りこぶしが挟まったらしい。紙を丸めてつぶしたような、クシャ、という感触。
「ぶほ」
「キャッ」
「し、失礼を」
群衆の中で接触し、離れていった団体は、それなりの上質なベールをまとった奥様がたの一団だった。故ハシャヤル夫人ギュネシア奥さんが含まれていた一団。スケベなお調子者や乱暴者の一団で無くて幸いだ……もっとも、不気味な骸骨顔のアルジーに痴漢をはたらくような不届き者は居ないが。
……ようやく、比較的に空いている隙間へと到着する。現場からは、ふたつほど離れた十字路の角だ。
「いきなり何なんだ、あのイフリートの火事は」
濃紺の覆面ターバン青年が、鋭い声で、クバル青年に問いかけている。
アルジーは驚きながらも納得した――2人は知り合いなのだ。それも長年の知り合いという雰囲気だ。クバル青年と同じくらいには、この見知らぬ濃紺ターバン青年を信頼しても大丈夫なのだろう。多分。
「私、オレも分からんすよ。ただ、ハシャヤル爆殺事件でもジン=イフリート《魔導札》が使われたと聞くし、今回もそれらしい気配がある。関連はあると見て……良いっすね」
「その混乱した言葉遣いを止めろ、気が散る」
次に、アルジーのターバンに残っていた白文鳥《精霊鳥》アリージュが「ぴぴぃ」とさえずり、子猫の火吹きネコマタが足元に来て「ニャー」と鳴いた。
「え……紙が挟まってるって?」
濃紺の覆面ターバン青年が、抱えているアルジーをクルリと振り返った。その金色の眼差しには驚きが浮かんでいた……何故か《精霊語》が聞き取れるという方面に関しては、驚いていない様子だ。クバル青年と、色々と情報交換しているのだろうか?
確かにアルジーのターバンの折り重なった布地の間に、紙切れがめり込んでいる。野次馬の中でギュウギュウにされた時に引っ掛かったものだ。
「さっき、ギュネシア奥さんとぶつかったから、その時の、かな」
アルジーが思案しつつ呟くと、クバル青年が眉根を寄せ……濃紺の覆面ターバン青年を少し睨んだ。
「モタモタしていて、あの『おしくらまんじゅう』に巻き込まれたんすか?」
「不可抗力だ! それに、その道化師の言葉遣いを改めろ!」
ターバンから紙切れを引き抜いてみると……それは、何らかのメモ書きだ。
クシャ、となっていた紙を開く。2人の青年は即座にボケとツッコミを止め……興味津々で、のぞき込んで来た。
「ギュネシア奥さんの文字っすね」
「孔雀の羽ペン1本。賭博カード3セット。賭博サイコロ66個。雪花石膏の馬の彫刻2台。琥珀ガラス製コイン1枚。邪霊害獣《三つ首ネズミ》石膏像3台。螺鈿細工の魔法のランプ5個……故ハシャヤル氏が、あちこちから横領して、かき集めた品々のリスト……に見えるが」
「いや、あのギュネシア奥さんは、旦那ハシャヤル氏が何をやってたかは、具体的には知らない筈っすよ。察するに、あの聖火神殿の倉庫から出て来た換金性の高い物品の記録だろうな。孔雀の羽ペンは確認済っす」
アルジーのターバンの上で、白文鳥パルとアリージュが「ピピピ、チチチ」と、口を挟む。
「記録を取って……あ」
不意にピンと来たものがある。アルジーは思わず息を呑んだ。
以前、バーツ所長が……地元の商人スタッフも……いまは亡きハシャヤル氏の行動パターンについて、指摘していた。
――「経理は一流だったぞ。公的な方面では、1銭の狂いも無く、ケチケチ、ピシーと帳簿つけてやがった」
――「その辺の金融商の常識だよ。ヤツの帳簿をコッソリ見て、東帝城砦の財務状況を逆算してゆく」
赤毛スタッフ青年クバルが訝しそうな顔をして、アルジーを見上げて来ていた。
濃紺の覆面ターバン青年が、アルジーを抱えたまま降ろさないのだ……彼も相応に背が高いので、こういう形になるのだ。
「何か、思いついたっすか?」
「ハシャヤルさんの家! 部屋か何処かに記録がある、きっと! あの人、ケチケチ記録を付けてたって言うし、ヤバイ二重帳簿とか……何かがある筈!」
アルジーは降りようとし始めたが……
濃紺の覆面ターバン青年は、いっそう『ガシッ』とアルジーを抱え直した。
白文鳥《精霊鳥》パルも、目立った反応はしない。危険人物では無いと認識しているせいだろうが、アルジーにとっては、まことに訳が分からない状況だ。
アルジーは、助けを求める顔をして、クバル青年のほうを見たが……
……クバル青年は訳知り顔で、ヤレヤレと言った風に、肩をすくめただけだった。
濃紺の覆面ターバン青年が、区壁にぴょんと飛び上がった子猫の火吹きネコマタに、質問を投げる。
「そいつの家を知ってるか?」
「ニャー(お任せあれ!)」




