バザールの邂逅、運命の十字路(前)
2人は市場へ到着した。
帝国の東方の一大物流拠点でもある『東帝城砦』名物の市場は、深夜もなお活気が続いている。
色とりどりのランプと看板を吊り下げた、多種多様な店の行列。通りを行き交う商人たちや客たちの声。
――どこかに、物好きな店がある筈だ。要らなくなった花嫁衣装を高く買い取ってくれるような店が。
東帝城砦が誇る市場は広く、街路は入り組んでいて迷路のようだ。次々に十字路が現れる。どのあたりまで来たのか見当が付かない。
天空をわたる十六夜の銀月は無常なまでに明るく、東方総督の住まう宮殿の数多の塔を、クッキリと照らしつづけていた。
オババは夜歩きが老骨にこたえた様子で、その辺に置かれていた木箱の上に、グッタリと腰を下ろしている。その傍で、目を光らせつつキョロキョロするアリージュ姫であった。
不意に、小鳥の羽ばたきの音が近づいて来る。
ふわもちの、ちっちゃな白文鳥が飛び込んで来た。相棒のパルだ。傍にポンと着地し、「ピピピッ」と鳴き始める。
まるっとした『いちご大福』さながらの小鳥の身体が、何故、着地の拍子にコロンと転がらないのかは、謎。
白文鳥の姿をした精霊――《精霊鳥》のさえずりが《精霊語》となって流れ出す。
『アリージュ、すごく探したよ、すごい妨害の《魔導陣》引っ掛かってコッソリ抜け出すのも大変だったよ、アリージュ』
『そんなに強力な《魔導陣》が発動してたの? パルが困っちゃうくらい?』
目をパチクリさせるアリージュ姫。――その可能性は全然、思いつかなかった。
『きっと、トルジンのせいだね。《魔導陣》って、普通は長くても10分くらいだよね。こんなに長い時間つづく強力な《魔導陣》って、帝国軍でも上位の魔導士100人くらいは引っ張って来たとか、帝都宮廷の大魔導士とか?』
『なに探してるの? パルの友達が何でも知ってるから、呼んで来てあげるよ、ピッ』
『それじゃ、この衣装を高く買ってくれそうな商人! 物々交換……それに、できるだけ多くの現金も!』
『イーヨ!』
真っ白な小鳥――《精霊鳥》パルは、意気揚々と冠羽を立てて、上空へと飛び立って行った。
ちっちゃな幟を立てた、空飛ぶ『いちご大福』さながらに。
市場のあちこちに、パルの種族が居たらしい。すぐに市場の数多の屋根の上で、白い小鳥の姿が群れを成して飛び交い始めた。
白文鳥《精霊鳥》の純白の影が、銀月の光でキラキラしている。群れを成して一斉に向きを変えている様子は、ほんとうの流星群のようだ。
市場の方々で、白い小鳥の群れが夜空に舞い始めたことに気付いた人が居たようで、ポツポツと指差す人影が見られた。「やぁ、白孔雀さまのお使いだ」というような言葉も聞こえて来る。
やがて。
目的を達したという風に、白い小鳥の群れが、周囲の木々の枝や屋根の間へと着地していった。銀月の空は再び、静かな闇へと落ち着いてゆく。
相棒パルの聞き込み作業は、驚くほどに早かった……《精霊鳥》どうしの情報網のお蔭に違いない。
ほどなくして戻って来たパルは、白タカ《精霊鳥》を1羽、連れて来ていたのだった。初めて見る個体だ。
オババが目をパチクリさせている。
「あれまぁ……パルの新しい友達かい?」
白タカの姿をした精霊は、《精霊鳥》の証の冠羽を揺らして応じて来た。
『お初に。前任がお星さまになってたことが判明したんで、新しくこっちの任務に就いた「シャール」ってんだ。パルとは既に連携済みだが、お見知りおきを。青衣の霊媒師どの、それに《鳥使い》姫』
『……霊媒師がオババ殿ってことは分かるけど、《鳥使い》姫って?』
『その耳飾りの白羽、パルのだろう。パユール……パルは、精霊の間じゃあ有名な存在でな』
白タカ《精霊鳥》は翼を広げてバササッとやり、折り目正しくたたんだ。
その白い翼には、すさまじく高速で飛んだと思しき乱れが残っている。前任の白タカ《精霊鳥》が攻撃か何かされて死んだと判明した後で、飛んで来たという割には、乱れが大きい。事情は分からないが、よほど超特急だったらしい。
『放逐されたんだってな、パルから聞いたが。となると、人類どもで言う「シゴト」とやらが、必要なんじゃないか?』
『オババ殿も一緒に落ち着けるような屋根付きが理想だけど、すぐには難しいよね』
相棒パルとの会話で上達した《精霊語》で受け答えするアリージュ姫である。
白タカ《精霊鳥》シャールは、『ふむ』と首を傾げるような仕草をした。
『無いでもない。市場の隅っこの小さいのだけどな、2人くらい大丈夫な店舗セット住宅がある』
『ほんとう!?』
興が乗ったのか、白タカ《精霊鳥》は、ウキウキした様子でピョンピョン跳ね始めた。
『代筆屋2人、老衰で続けて引退していて、《精霊文字》書ける人材を探してるんだ。2人分の抜けをカバーできるような若手を、帝国伝書局・市場出張所でな』
白タカ《精霊鳥》シャールは最後の1回をピョンと跳ねた後、アリージュ姫に向き直り、その純白の花嫁姿をしげしげと検分し始めた。
『ただ、募集してるのが「人類・男」でな。その外見、ターバン巻いてるんじゃ無くて、ベールかぶってるってことは、「人類・女」だろ?』
――いける。アリージュ姫の心臓が高鳴った。
『オババ殿がずっと《精霊文字》教えてくれてたお蔭で、何とかなりそう。聖火神殿の経典の……写経や王国祭祀のための書体というか、王族の基礎教養の書道のほうだけど、大丈夫?』
『その《精霊語》なら、確実だ。正統派の書体もできりゃあ完璧だ。本質は我ら精霊への手紙や注文書だからな。正確な《精霊文字》を書けるヤツは、宮廷書記官とか諸侯お抱え書記とか、そっちに取られちまう。民間の代筆屋のほうじゃ常に人手不足、売り手市場だぜ』
アリージュ姫の目がキラーンと光った。
「れっきとした犯罪だけど、髪を切って男のフリをすれば……」
灰髪に手をかける。うっとうしいほど長く、不健康にパサつく。バッサリ切れば、スッキリするのは確実だ。
ギョッとしたオババが、必死の形相で、アリージュ姫に取りすがった。
「髪を切るなんて、そんな恐ろしいこと考えちゃダメだよ、姫さん。髪は、おぉ、髪だけは」
「そんな、死ぬ訳じゃ無いし。髪を切るだけで」
「死ぬんだよ! 姫さんの母君がそれでお亡くなりになったし、姫さんだって、小さい時に死にかけて」
思いもよらない警告だ。アリージュ姫は思わず眉根を寄せた。
「……どういうこと?」
オババは、不意に顔をしかめ……うつむいて、首を振る。
白タカ《精霊鳥》シャールが冠羽をピッと立てて、ふわりと飛び上がった。
『タチの悪い《魔導陣》が全身に食い込んでる……しかも、あの邪霊、怪物っていうくらいの……禁術の中の大禁術じゃねぇか。器用に侵略して潜伏してるから気付かなかったぜ。我が種族は、パルの種族より、ちと感度が良くないんだ』
アリージュ姫の周りを、ザッと一周した後。
『これだけ呪縛されてたら、普通は生命力が枯渇して死んでるが。あぁ、霊媒師どのの対抗措置か。耳飾りの護符。こりゃ良くできてる。アホな奴らが《精霊石》を提供しなかったのもあるんだろうが、霊媒師より戦闘力が上っていう魔導士の禁術に対抗して、10年も生き延びさせるなんて……偉業だな』
――ドリームキャッチャー細工の白い耳飾りは、子供の頃から、ずっと装着していたものだ。パルが飛んで来て、小さな白羽をくれて。オババ殿に「いつも着けてなさい」と言われて。
不吉な予感が濃くなる。
おずおずと、オババを振り返り……
「……オババ殿?」
オババは渋面を伏せて、沈黙したままだ。手元で、多数重なった首飾りの数珠やチェーンを手繰っている。いつも聞いていた、シャラシャラと続く鈴のような音。霊媒師にはお馴染みの、数々のエスニック風な護符アクセサリー。
白タカ《精霊鳥》シャールの《精霊語》がつづく。
『月光浴すると調子よくなるだろ。その護符も《銀月の祝福》を生命力に転換してるし。いまの不安定な体質は、非常に特殊な邪霊の《魔導陣》のせいだが、この禁術を使える魔導士は居ないことになってるんだ、公的にはな。銀月は、あの邪霊にとっては喉から手が出るくらいの……生け贄……いや、こんな道端で大っぴらに説明できる内容じゃ無い。後回しにしよう』
白文鳥のパルと、白タカのシャールは、既に、心当たりのある店へ案内する構えであった。
かくして。
銀月のもとに舞うふたつの純白の鳥影が、ひとつ先の運命の十字路へと渡ってゆく。
鳥に導かれて、ふたつの人影も、市場の十字路から十字路へと、歩みを進めていったのだった。