闇の迷路に踏み込んで、怪人と戦う長い夜(3)
現れたばかりの十六夜の銀月が、ゆっくりと夜の頂きを目指して上昇してゆく。
月光が差し始めた市場の目抜き通りの一部が、付属する数々の路地と共に、とりわけにぎやかになった。酒場や遊戯屋が並ぶ、夜の歓楽街を成す十字路の群れだ。
その十字路を渡ってゆく4人連れが居る。
一見、帝国伝書局・市場出張所の老若スタッフが、業務の打ち上げで酒場へ繰り出すという風だ。
この一団、たまに見かけるのは3人連れだが……今夜は珍しく、骸骨顔をしたガリガリの若手スタッフが1人加わっている。
アルジーは、いつもの荷物袋を肩にかけていた。妙に膨らんでいるその中身は、ほぼ紅白の御札『退魔調伏』である。
荷物袋からは、同行を『強烈に』主張した白文鳥《精霊鳥》たち4羽が顔を出しているところだ。
病気のようになって常時グッタリしている1羽、白文鳥アリージュは別にして。
パル、コルファン、ナヴィール、3羽とも出入口の周りをグルグル飛び回って出発を妨害したり、あちこちにフンを落としたり、備品をつつき回して崩したりして……バーツ所長でさえ唖然とするくらいの暴れぶりだったのである。
帝国伝書局・市場出張所の騒ぎを聞きつけた他の白文鳥《精霊鳥》もやって来て、通りに面した出入口の上で、ピヨピヨやり始める程であった。
――「こいつぁ、白タカ《精霊鳥》5羽とも戻って来てたら、今ごろ、市場出張所をバラバラにするような大騒ぎになったんじゃねぇか?」
とは、代筆屋メンバーと共にあちこちに落ちた鳥のフンを掃除する羽目になった、モッサァ赤ヒゲ熊男バーツ所長の、真剣な懸念を込めた感想であった。
相棒の白文鳥《精霊鳥》パルが、白タカ《精霊鳥》シャールをしきりに呼んでいたのだが、伝書局で扱っている白タカ《精霊鳥》たちは皆々、幾つもの城砦を渡る特別郵便の任務に就いていて、不在。
結局アルジーは、騒ぎを聞きつけて新しくやって来た白文鳥《精霊鳥》1羽に、今夜の予定を伝え……それで、相棒のパルにも納得して貰ったのだった。ちなみに、この1羽は、金融商オッサンの店前にある吊り看板をねぐらにしている白文鳥《精霊鳥》である。
さて。
にわか仕立ての4人連れ調査団が最初に目を付けたのは、慣れない人も入りやすそうな、柔らかな雰囲気をした、大人数収容型の酒場である。建物は3階建てになっていて、2階と3階は、娼館や連れ込み宿のほうでは無い、一般の民宿であった。
酒場である事を示す吊り下げ型の夜間照明ランプが、蜂蜜色の光を投げている。
軽食付きで葡萄酒や蜂蜜酒を提供する酒場で、女性客も多い。聞き込みの主役は、痩せぎすで威圧感の無いアルジーと、好奇心で目をキラキラさせたギヴ爺。
アルジーは覆面ターバン姿だ。こうすると割に骸骨顔が隠れるので、アルジーにギョッとする人も少ない。本物の《骸骨剣士》のほうは、頭蓋骨の全体が周囲状況を見るための感覚器官になっているので、絶対に頭部を覆い隠せないのだそうだ。
南方渡りと思しきトロピカル更紗の紗幕で装飾された窓際の一角に、飲み友達を待っている風の、ふっくらした体格の裕福そうな女性客が居る。濃色ベールで顔立ちは分からないが、蜂蜜酒をたしなむ所作は、堂々とした雰囲気。
「おぉ、こいつぁ運がいいぜ」
金髪ミドル代筆屋ウムトが早速、その女性客に目を付ける。
「あの肉おき豊かなご婦人、裏営業でダーツ賭博屋をやってる女傑でよぉ。町角の占い屋で、絵が超ウマイ。夫の浮気に悩む妻たちが、家事の合間に、浮気占いしてもらってるでよぉ。ダーツの標的に夫の似顔絵や夫の股間の絵を描いてもらって、ダーツでグサグサ、上位争いやってるでよぉ」
「……結婚後の浮気はするもんじゃねぇな」
モッサァ赤ヒゲ熊男バーツ所長は、微妙に下半身の特定の場所を抑えて、いささか顔を青くしていたのだった。
アルジーとギヴ爺はテーブルの間を縫って、その濃色ベールのふくよか婦人へと接近した。
占い屋だけに勘が鋭いらしく、濃色ベール女性が、すぐに気付いて振り返って来る。
「何だい? いまは占いの注文は受け付けてないんだよ」
「分かってますぞい、ご婦人」
ギヴ爺が、手に持った冊子本で意味深そうに口元を隠しつつ、ささやきかける。
「実はワシの長男が、怪奇趣味の賭博に手を染めたようで、行方が追えんでのう。その類の宴会の開催場所を知っておいでなら、お役人様とマズい事になる前にコソッと教えて頂けるとありがたいのじゃ。情報料は相場ギリギリしか出せんがのう」
濃色ベール女性はヒョイと首を傾げた。沈黙し、思案ポーズになって、チラチラと窺って来ている。やがて。
「みえみえの嘘つかれるのは嫌なんだけどね、ご老体。あぁ、あたしは向かいの町角の占い屋ティーナって言うんだ。これでも専門の占い屋だ、あんたたちが、縁起でも無いヤバイ領域に足を突っ込んでるのは、バリバリ感じ取れる」
いつの間にか、濃色ベール女性の視線がアルジーを向いていた……その視線に含まれているのは、懸念だろうか?
「お嬢さん、死相ガッツリ出てるね。それでも虎穴に入らずんば虎子を得ずか……おや、コレは……」
何かをもっとよく見るためか、濃色ベールがヒョイと上げられた。
――《地の精霊》と関係の深い地域の出身なのであろう、白髪混ざりではあるが、見事な黒髪。そして黒い目の輝きが印象的だ。
占い屋ティーナと名乗った人物は、かねてから感じていた雰囲気そのものの、堂々とした40代ほどの中年女性であった。占い屋という稼業のためか、遊女なみに濃い化粧で、素顔は分かりにくい。熟練の霊媒師や魔導士ほど本格的では無いものの、護符の作用をすると思しき数種の首飾りが、シャランと音を立てる。
占い屋の中年女性ティーナの手が動き、幾何学的格子の窓に掛かった紗幕を少し開く。その手首で、金属製の細いバングルが多数、光っていた。
――何故か、十六夜の銀月の光が、いつもより染みとおって来ているような気がする。
占い屋ティーナは、覆面ターバン姿のアルジーを、ジッと見つめていた。
「つくづく綺麗なコだね、あんた。操ヤバイ事になった局面もあった筈だけど……『禍福はあざなえる縄の如し』とは、この事かねえ。とんでもない死相で、『赤い糸』も、見たこと無いくらい、こんがらかってるけど」
少しの間、口元を引き締めて、占い屋ティーナは思案顔をした……
「ふむ。ねぇご老体、ちょっと手伝ってくれるかい。それで教えてやれる賭場があるし、情報料、負けてあげるよ」
「手伝いかの。もちろんじゃよ。何じゃ?」
占い屋ティーナは、手持ちの荷袋から……亀の甲羅と赤い糸巻きを、取り出した。脱皮した《精霊亀》の甲羅らしい。格子窓から差し込む銀月の光を反射して、螺鈿のような不思議な虹色に光っている。
「お嬢さん、亀の甲羅の端っこ、ココ、シッカリつかんでな」
「はあ?」
アルジーが、差し出された亀の甲羅の端をつかんでいると、ティーナは赤い糸で、亀の甲羅のもう一方の端を手際よくグルグル巻きにした。巻き付ける回数の決まりでもあったのか、ある所で「よし」と言い、糸切ハサミでプツンと切る。
占い屋ティーナが、亀の甲羅をクルリ、クルリと引っ繰り返し、しかる後に、グルグル巻きの赤い糸を取り外すと……
あら不思議、魔法のように――本物の魔法かも知れない――マクラメ編みの赤い紐ができていたのだった。なんとなく亀の甲羅のようなパターンだ。
「凄まじく、こんがらかってるね。何とも興味深い。さ、ご老体、コレお嬢さんの足首に結んでやっておくれ。かわいい孫娘に結んでやってるような感じでさ」
「足首じゃな、ホイ」
アルジーは恐縮しつつ、ギヴ爺が結びやすいようにと、近くの木箱の上に片足を乗せておいたのだった。何かの儀式のようにも思えるが、今のところ見当は付かない。霊媒師だったオババ殿の知識の中には、占い屋のオマジナイなどは含まれていなかった。扱う分野が違うせいだろう。
「つくづく、ガリガリの足首じゃのう」
アルジーの荷物袋の中から顔を出して見物していた、4羽の白文鳥《精霊鳥》たちが、ピヨピヨさえずり始めた。
占い屋ティーナは何故か、白文鳥が《精霊鳥》である事に気付いているらしく、いたずらっぽく、フフフと笑う。
白茶ヒゲ代筆屋ギヴ爺が、結び終えた赤い糸を眺め、不思議そうに首を傾げ始めた。
「……何だか、自動的に長さが調整されて、結び目もピタッとくっついたようじゃが」
「それで大丈夫さ。護符みたいなもんだ。それだけ強烈な死相が出てるお嬢さんだから、効果が続くのは今夜くらいだろうけど。今夜のうちに結び目が切れたら、あたしが考えてる程度の効果はあったって事でね。お約束の情報料を出しておくれ、蜂蜜酒3杯分のお代で」
占い屋ティーナはカネを受け取ると、一仕事終えたという風に蜂蜜酒を一服し、改めて向き直った。
「怪奇趣味の賭場の件だね。西の商館の地下でやってた賭博宴会が、ボヤだの何だのでオシャカになった事は、もう聞いてると思うけど。《骸骨剣士》舞踏がウリだったとこだね。東帝城砦で聞いてる限りでは、可能性があるのは2か所」
周囲の聞き耳を警戒してか、占い屋ティーナの声が低くなる。
アルジーとギヴ爺は身を乗り出し、耳を傾けた。アルジーの荷物袋に入っている白文鳥《精霊鳥》4羽も、ジッと耳を傾けている様子である。
「ひとつは、東方総督トルーラン将軍の宮殿に併設されてる聖火礼拝堂の地下室の、どこか。テカテカ黄金肌の巨人戦士が、手を血まみれにして徘徊してるっていう不気味な怪談があるとこだよ。だけど、賭博宴会の開催日は不定期だから、限定会員を捕まえないと分からないね。つながりのある暗殺教団なんかを割り出すほうが早い気もするけどさ」
「あ、あの怪談」
「この間、神殿の調査官と一緒に来ていた大斧槍の衛兵が、そんな噂がある、と言ってたのう。古代の巨人族の末裔『邪眼のザムバ』が、夜な夜な、宮殿の聖火礼拝堂の地下資料室から、両手を血だらけにして出て来てるとか」
幾何学的格子の窓に掛かった紗幕を閉じながら、ウンウン頷く占い屋ティーナ。十六夜の銀月の光が遮られ、酒場ならではの蜂蜜色の吊りランプの光が漂った。
占い屋ティーナは、別のテーブルの2人連れの男女を、肩の動きでヒョイと指し示す。
「あと1か所は、多分、あの2人の後を付いて行けば分かるよ。あたし似顔絵も描くから、覆面してても分かる。覆面ターバン色男のほうが、ここ最近の常連客だよ。西の商館の地下の賭博の宴会がオシャカになった後、客を横取りする形で繁盛してるんだ。数人くらいは、あたしの裏営業のダーツ賭博に流れて来るかと思ったのに、とんだ競合店が潜んでたもんだ」
そのテーブルでは。
男女2人連れが、何かをささやき交わしているところだった。
慎ましいベール姿の女客のほうは、不自然な死に方をした風紀役人ハシャヤル氏の――妻、ギュネシア奥さん。
男客は人目を警戒しているのか、覆面ターバン姿。だけど。
アルジーは、思わず息を詰まらせていた。
……あの精霊契約の護符の雰囲気が確かに漂っている。あのシュクラ青年だ。シュクラ王太子が身に着ける事になっている、白孔雀をモチーフにした魔除けの腕輪の雰囲気。
行方不明で生死不明の従兄なのか? シュクラ王太子ユージドも、怪奇趣味の賭博に関係しているのか……?




