闇の迷路に踏み込んで、怪人と戦う長い夜(1)
アルジーは午後出勤で、帝国伝書局・市場出張所の仕事を始めた。
作業机には、簡単な線図の羅列にしか見えないような、速記文書の束がある。馴染みの商館でおこなわれた会議の記録だ。これを正式な文字でもって清書する。商館の業務補助も、民間の代筆屋としての手堅い副業のひとつ。
早い時間帯に用件が済んだ伝書バトたちが次々に鳩舎へ戻って来ていて、帝国伝書局・市場出張所の敷地内にある鳩舎広場は賑やかになっていた。「ポポポ」と鳴きかわしながら水場の水を飲んで居たり、風通しの良い物陰でうたた寝していたり……
街路の上では真昼の名残の強烈な熱気が漂っていたが、陽射しは随分と傾いて、夕方の色をまとい始めているところだ。
作業をつづけるアルジーの脳みそは、幾つもの疑問を抱え込んでいた。
あてども無くグルグルとさ迷う思考……なかなか落ち着いてくれない神経。その揺らぎが、代筆屋としての筆先にも伝わっていたのだった。
――今日は、朝っぱらから怪奇な出来事のオンパレードが続いたせいか。
いつだったかの早朝、瞑想の塔のてっぺんで、ジン=イフリート《魔導札》を仕掛けられて爆殺されたという、異常な方法で殺害された風紀役人ハシャヤル氏。由々しき陰謀による暗殺の可能性も濃厚だ。
風紀役人ハシャヤル氏の妻であるギュネシア奥さんは毎日、ハシャヤル氏の倉庫からガラクタを受け取っているところ。価値のある品も混ざっていた、という事は大いに有り得る。
金融商オッサンの店でギュネシア奥さんの為替換金を担当していたクバル青年の証言によれば、先日、ギュネシア奥さんが為替でもって換金して来たというその額面は、相当に大きかったという。
風紀役人ハシャヤル氏が横領して来たガラクタの中に……大きな価値を持つ品が、あったとして。
それは、たとえば……いわくのある中古の精霊宝物であったかも知れない。古すぎて、一見、ガラクタに見えるような類の。
あのシュクラ青年が探している品は、中古に見えて先祖伝来の精霊宝物だという。彼の正体はユージド王太子であるという可能性もあるし、シュクラ王国の国宝だったのなら……価値の分かる故買屋や中古品の買取屋だったら、相当に大きな値段を付ける筈だ。
思い出されるのは2年前の、親切な老店主だ。市場の何処かの十字路の脇で『精霊雑貨よろず買取屋』を経営していた……立派なお眉と白ヒゲのご老人は、シュクラ伝統の花嫁衣装に、高い価値を見出してくれた。結果から見れば、あの花嫁衣装だって、シュクラ家宝の――精霊宝物の――流出と言える。
シュクラ青年が探しているのは、特別な大型ドリームキャッチャーだという。トルーラン将軍が、昔、シュクラ王宮から盗み出した品のひとつだろうか。トルーラン将軍や御曹司トルジンが、古ぼけて価値が無いように見える品から処分していって、カネに換えてるとか……
そして、神殿の礼拝堂のバルコニーから発射された謎の矢。小型の弩の矢だという。あの濃色ベール姿の人物――ハシャヤル殺害犯かも知れない――何故、撃って来たんだろうか。
常識的に考える限りでは、火事現場でアレコレ探りまわっていたのが、かの人物にとっては都合が悪かった、ということになる。
火事現場から出て来たのは、何だったか。特殊な時間差発火型という導火線と……
…………
……
帝国伝書局・市場出張所の所長、モッサァ赤ヒゲ熊男バーツは、のんべんだらりとしているように見えて、よく周りを観察している。
その赤毛モサモサ巨漢が、特等席のデスクのほうで不思議そうに首を傾げた。
「おぅ、今日は書き損じが随分と多いじゃないか、痩せっぽちの」
気が付いてみると、アルジーの作業机の脇には、書き損じの紙の山ができている。
書き損じの紙については遊び道具にして良いという事を心得ている相棒、白文鳥《精霊鳥》パルやコルヴァン、ナヴィールが、大喜びでペリペリ破ったりして遊んでいる。骨と皮だけになってグッタリしている白文鳥アリージュは、ターバンの隙間でお眠りだ。
横でジワジワと代筆作業を進めていた白茶ヒゲ代筆屋ギヴ爺が、モッサァ赤ヒゲ熊男バーツ所長に応えて「うむ」と頷く。持ち前の鬼耳で、状況をシッカリと小耳に挟んでいたのだった。
「うら若き乙女らしく色恋でもしたかの? そう言えば、あの赤毛のクバル青年との朝デートは、楽しかったかのう?」
どこかで、ガタタッと、誰かがずっこける音。
金髪ミドル代筆屋ウムトが、作業机の向かい側で尻餅をついていた依頼人に向かって、首を伸ばしていた。
「おい、大丈夫かよぉ? その椅子、そろそろ脚が怪しくなってるからな、変な風に倒したらポキッといくでよぉ。修理費、いや、新しい椅子代を用意してもらわにゃ」
「……それくらいの持ち合わせはある」
「だろうなぁ、あんた隊商の傭兵スタッフにしては若くて美しいから、酒姫とか男娼とか、夜の副業でも稼げそうだしよぉ」
クルリと振り返ると。
早くも姿勢を立て直していた青年は、金髪ミドル代筆屋ウムトの言葉を気にしたのか……そそくさと濃紺色のターバンを覆面に巻き直していた。いま見えているのは目元だけ。その目の色は……琥珀だろうか、金色だろうか?
――精霊契約の護符の気配がする。これは……《火の精霊》系統。
アルジーは目をパチクリさせた。新しく記憶をつつくものがある。
――あのシュクラ青年も、精霊契約の護符の気配がしていた。
「あ、そうか。精霊契約の護符を身に着けてるんだ。魔除けの腕輪……バングル型だから目立たないけど……そのうち捕まえて、シッカリ話をしなければ」
アルジーは考え事を呟きながらも、羽ペンをインク壺に突っ込んだ。
――金融商オッサンの店前で、最近よく見かけるようになった謎のシュクラ青年。彼は、シュクラ王太子ユージド本人かも知れない……本人じゃ無くても、血縁とかに違いない。それに、従兄ユージドは、三つ首の巨大化《人食鬼》が入り乱れた戦乱の真っ最中に、消息不明になったのだ。衣服の上からは何とも無いように見えても、全身に痕跡が残っている筈。
先ほどから居た依頼人、すなわち濃紺の覆面ターバン青年は、アルジーの呟きにギョッとしたのか再びガタタッと音を立てて飛び上がっていた。
さすがにその異様な振る舞いは、アルジーの気付くところであった。
「どうも失礼を、お客さん。この骸骨顔の独り言で。知人が身に着けてるんじゃないかなーという《風の精霊》系の護符を考えてたもので。あれを身に着けていたんだから、きっと……」
濃紺ターバンをした依頼人は、飛び上がったその場で、ギクシャクと首を傾げていた。ギクシャクと二の腕を触れる。《火の精霊》系の護符の気配がして来る位置。確実に、こちらも魔除けの腕輪。バングル型だと推測できる。
金髪ミドル代筆屋ウムトが訳知り顔で、迷彩柄の赤茶ターバンをガシガシとやり始めた。
「あぁ、確か、精霊が絡んでる護符についちゃあ、感度が鋭い性質だったかよぉ。そりゃそうだな、《精霊鳥》とサシで喋るし、青衣の霊媒師っていうオババ殿に仕込まれてたってんだからよぉ」
白茶ヒゲ代筆屋ギヴ爺が興味津々でアルジーに突っ込んで来る。
「では、その《風の精霊》系の護符を装着している知人が、『気になる相手♪』ということじゃな?」
「いつかキッチリ話を付けようとは思ってます。子供の頃は従兄が、父の次に理想の殿方だったですし。衣服を剥ぎ取って確かめたいし、全裸にして、聞いてみたいことが色々と……」
濃紺の覆面ターバン青年は、何故か急に恐怖パニックを起こしたようで、「今日のところは失礼を」と言いながら退散して行った。
金髪ミドル代筆屋ウムトが『訳が分からん』と言わんばかりに肩をすくめて手を広げ、困惑の格好をして見せている。
「まぁ急ぎじゃねぇ内容だったしよぉ。明日にでも仕上げて、商館に居る雇い主のほうに連絡入れるでよぉ」




