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新たな疑惑と、桑林の高灯籠と(1)

翌日。


丸い姿をした銀月が西の端へ降り立ちながらも、東の端で漂う翌日の兆候を振り返る頃合い。


アルジーは、歓楽街通りの高級娼館『ワ・ライラ』の一室で、パチリと目を覚ました。


幾何学的格子に彩られた窓から、夜明け前の市場バザールの喧騒が聞こえて来る。近くの市場バザール広場へ運搬されてゆく多種多様な荷車の音、輸送業者たちの掛け声、辛抱強いロバたちの蹄の音。


「ああ……娼館『ワ・ライラ』で休ませてもらってたんだっけ……」


フニャフニャと呟きながら、身を起こすアルジーであった。


発熱がひいたお蔭で、気分はすこぶる良い。毎度の、栄養失調かつ餓死寸前を思わせる骨と皮だけの身体つきではあるが、走れるだけの元気は戻って来ている。


寝台の脇テーブルに設置された、色っぽいザクロ意匠のランプ台。そこで、相棒の白文鳥《精霊鳥》パルが、紙を使って遊んでいた。思わず《精霊語》で突っ込む。


『ちょっと、パル、それ伝言の紙じゃないの。ロシャナクさんの』


亀甲城砦キジ・カスバの特産なの。この柔らかなのが最高、ピッ』


その伝言用の紙は、クシャクシャになってはいても、破れていなかった。評判に聞く品質に見合うだけの丈夫な紙だ。帝国の献上品として選ばれている高級紙ともなると、ゆうに千年はもつ……と言われているほどだ。


「あぁ、確かロシャナクさん、亀甲城砦キジ・カスバに親しい友人が居て、時々、高級紙の端切れ入手してるって言ってたっけ……書道や芸術用の紺紙とかも」


伝言の紙に、目を通す。


女性のものにしては力強い書体が並んでいた。カッチリと形を取っているので、読みやすい。


――おはよう代筆屋アルジー。よく眠れただろうね? さて、この部屋の一泊の料金は高くつくんだけど、そんなに現金を持ってないだろう。宿泊料金は、現金で三割もらうよ。残りの七割として、特製の『灰色の御札』15枚を作成しておくれ。『酒乱の客を速やかに眠らせて、おとなしくさせる』オマジナイで、よろしくね。ロシャナクより。


程なくして。


高級娼館『ワ・ライラ』カウンター脇の、ひっそりとした特等席のあたりで。


裏の真の娼館主である年齢不詳の美女――女商人ロシャナクと、迷い出て来た邪霊《骸骨戦士》そっくりの男装の代筆屋アルジーは、支払い手続きをまとめ始めたのだった。


目隠し用の衝立で慎重に仕切られた別のカウンターの前では、娼館でやる事をやって朝帰りする客が、コソコソと覆面ターバンをしながら料金を払っているところである。


特等席のほうから窺うと、訳知り顔の熟練スタッフたちが手際よく行列をさばいているのが分かる。適当に距離を取ってばらけた組ごとに、艶っぽい後朝きぬぎぬの別れの言葉が順番に行き交っているのだ。


一晩で数人の客を相手した猛者スタッフが、器用に衣装その他を取り換えて変装しつつ出没し、客たちに順番に「唯一の愛」や「真実の愛」の言葉をささやいていた。客を次々にデレデレさせて、割増チップを巻き上げている。


つらつらと眺めていると、たった数分で、「愛はカネなり」という世の中の真理を悟れようというものである。


――男・女の組だけではなく、男・男の組も、女・女の組も普通に見かける。抜け目のない女商人ロシャナクが、男娼も女娼も揃えているからだが、「愛は性別を超える」というのも、また真理なのであろうと思えるところだ。


アルジーから提出された『灰色の御札』を検分し、女商人ロシャナクは、上質なベールの間からニンマリと下心のある笑みを見せる。


「毎度ながら良い出来だね。価格を付けて、知り合いの酒場に譲渡してみるのも良さそうだ。ひどい酒乱の客が居て、手を焼いてるそうだからね」


「なんだ、ロシャナクさん……最初からそう言ってくれれば良いのに」


「あくまでも、ビジネスだよ。フフフ」


女商人ロシャナクは、いつになくご機嫌である。


アルジーが男装用のターバンを整えつつ、不思議そうにして窺っていると。年齢不詳の美女は悪戯っぽく片目をつぶって返して来た。


「ひとり、身請け話が決まったんだよ。商品に変な事があってはたまらないからね、ちょいと脅しを入れて確かめてみたんだけど。どうやら大丈夫そうだ」


――『地獄の辣腕』で知られる女商人ロシャナクが、商談相手の信用度合いを確かめるために、何をどうやって脅したのかは……あまり聞かない方が良い。


いずれにせよ、めでたい話ではある。


アルジーは物わかりよく、「成る程」と頷くに留めたのだった。


*****


日の出の刻が近づき、空が明るさを増してゆく。


東帝城砦の誇る広大な市場バザールは、まだ夜の名残のひんやりとした空気に包まれていた。


かつての表通りの大衆食堂としての佇まいを残した帝国伝書局・市場バザール出張所は、既に早朝の客を迎えている。


日の出と同時に、お使い少年や若手スタッフといった使い走りたちが、伝書バトに託す文書束を持って集まって来ているのだ。


いずれも、東帝城砦・城下町の各所で事業所を開いている、有力な金融商たちからの使い走りである。


内容は、ほとんどが為替などの決済情報だが、月次営業報告書も上積みされている。各月のこの日が、日ごろから宮殿や神官の役人たちと同じくらい伝書バトを多く使っている金融商向けの、お得な割引サービスの日程となっているためだ。


昨夜のうちに既に他の城砦カスバから到着していたり、素晴らしい速度で折り返し帰還していた伝書バトたちが、早くも伝書局スタッフの手で付属の鳩舎から取り出され、にぎやかに鳴き交わし始めた。


帝国伝書局・市場バザール出張所の待合スペースには、金融商オッサンの店の若手スタッフ、赤毛のクバル青年も居た。ここでは初の新顔なので、早くも他の若手スタッフたちが好奇心を持って、色々と話しかけている。


モッサァ赤ヒゲ熊男バーツ所長の監督のもと、宮殿にある本局から出張して来た伝書局スタッフの中年男3人が、手慣れた風で作業を進めていった。


既定の重量まで軽量化されてある文書束に番号を振り、次々に専用運搬ケースに詰め、伝書バトにくくり付けてゆく。手が足りなくなるのが常で、代筆屋も駆り出されるものの……やはり伝書局スタッフの方が作業が速い。


規定重量内に収まらなかった重要文書の束は、体力と知性に優れた白タカ《精霊鳥》が担当する。普段は宮殿や神殿が占有している状態だが、この日のために空けていたり、近隣の城砦カスバから一時的に出向して来たりした白タカ《精霊鳥》が集結しており、15羽が飛べる状態になっていた。


アルジーはもっぱら、《精霊文字》作業を担当していた。


中継所でリレーする他の白タカ《精霊鳥》向けにも詳しい指示が必要になるため、《精霊文字》送り状を作成する。


手を動かしながら、アルジーは、ちょっと首を傾げた。


白タカ《精霊鳥》15羽に、いつの間にか、3羽が加わっている。合計18羽。


「バーツ所長さん、こっちの子たち、宮殿の中にある本局のほうから来てる? この送り状『誤字が多すぎてヒドイから書き直してくれ』と言うのは分かるけど」


「痩せっぽちの《精霊文字》が正確だからじゃねぇか」


モッサァ赤ヒゲ熊男といった風の毛深い巨漢が、手持ちのソロバンでモッサァ赤ヒゲをしごきつつ、面白そうな顔をしている。


馴染みの白タカ《精霊鳥》シャールが、順番待ちの列の中でカチカチとクチバシを鳴らしながら、ピッピー、ピョッと鳴いていた。その妙に人声めいた抑揚の中に、《精霊語》が編み込まれている。


『遅れは、工夫次第でカバーする事はできる。遅延トラブルも織り込み済みだからな。だが内容の正確さは、そうはいかん。伝言ゲームと同じで、最初と最後とで内容が食い違っているのは、良く有る事だ』


そんなこんなで、任務中の伝書バトが全て飛び立ち、さらに白タカ《精霊鳥》15羽と3羽を送り出せたのは、朝食の刻の少し前のタイミング。


「はーい、おつかれー」


速度と正確さを求められる作業が終わり、場の緊張が一気にゆるんだ。伝書局スタッフも依頼人たちも一斉に、口々にお喋りを始める。かつての大衆食堂から引き継いだ空間――テーブルと椅子が並ぶ待合スペースが、にぎやかになった。


「何か新しい出来事とかあったかい?」


「あぁ、あったわ、あったわ。昨夜の大事件よ。現場のほう、まだ衛兵たちが騒いでる」


「西の商館の地下室で開かれていた賭博の宴会で、ボヤがあったんだ。知る人ぞ知る怪奇趣味の賭場でよ」


「石膏で作った《骸骨剣士》人形の怪奇ダンスが目玉だったんだが、酒宴してたら、ランプの火か、タバコの火が、アルコールに引火したらしくてさ」


「へッ、誰かが禁じられたアルコール度数の酒を持ち込んだんじゃねぇか。全員へべれけにして自分だけ冷静な頭で儲けをさらっていこうとしたんだろう、バカな野郎よ」


「逃げ足の速かった野郎どもは、これ幸いと、現金やらチップやら余分に持って逃げてんだ。別の賭場に潜り込むんだろうな、イタチゴッコってとこさ」


雑談をしつつ、方々の金融商のお使いスタッフたちに順番に領収証を発行してゆく、伝書局スタッフとバーツ所長であった。


「それにしても近ごろ情報が早いじゃねえか、お役人さんは。何処から仕入れたんだよ。西の商館の地下室、かなりデカい空間だろ。このバーツ様も知らなかったぜ」


「新しく凄腕の忍者を雇ったんじゃろ。市場バザールの場末の酒場のほうでは真偽不明の噂の範囲だったようじゃが。どうやって聞き付けたのかのう」


――忍者軍団の中に、精霊使いが居たのかも知れない。


アルジーはフッと、そんな事を思った。


隠密活動に協力する精霊は珍しいが、居ない訳ではない。


このような種類の任務に最も適するのは、火吹きネコマタだと聞く。ただ、非常に気まぐれな性質の精霊だけに、その集中力がいつまで続くか、正確な《精霊語》を使えるかどうか……などの要素が、分かれ目になってしまう。


高位の精霊であれば、そういった不安要素も無くなっていくが……そもそも高位の精霊の協力を仰ぐのが難しい。


一般的には邪霊のほうが使いやすい。隙あらば嘘をつく、血の匂い次第で裏切る、こちらを食物エサと認識するのみ……などといった数々の不都合を、無視できれば。

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