噂に聞いた工事現場へ、進路を取って来てみれば(2)
アルジーは、白文鳥《精霊鳥》たちのさえずりを聞き流しながらも、つらつらと思案した。
――社会的地位の格差が、最も如実に現れているのが、ハーレム内部における『名誉の殺人』という不文律の慣習だ。
これは「夫は、不倫をしたハーレム妻を殺害処分して良い」という決まり事だ。
殺人をしても、夫の側は正義とされ、罪に問われることは無い。逆に、不倫をしたハーレム妻のほうは、連座制だ。一族郎党「不倫するような女を提供して来たほうが悪い」と非難され、夫の側の一族に皆殺しにされても、泣き寝入りするしか無い。
帝国が急速に領土拡張できたのは、この慣習が方々の城砦で支配的であるということが大きい。《人食鬼》の時代の置き土産ではあるが。
方々の城砦からハーレム妻を出してもらい、程よいタイミングで偽の証拠をそろえて、「浮気をした」と言い掛かりをつける。《人食鬼》の時代であれば「不味くて食えない人肉を出しやがって」という文句となっただろう。
そして、ハーレム妻もろともに妻の出身の城砦の有力者たちを粛清し、さらに領土を獲得するというのが、最も手っ取り早い方法だ。
元は《怪物王ジャバ》への生贄や、《人食鬼》との人身売買に回すための理屈として使われていた――『名誉の殺人』。
これらの事情を考慮してゆくと、何故に御曹司トルジンが、あれほど居丈高で居られるのか説明が付く、というものだ。そして、トルーラン将軍、御曹司トルジンともに『独身女狩り(幼女も含む)』に熱心な理由も。
もっとも、こうした苛烈な慣習を維持しているのは、富と権力を持つ有力者たちに限られる。
その辺の一般庶民は、そもそも複数の妻を持てるほど裕福では無い。普通に見かけるのは、一夫一妻。とはいえ、男性の不倫が甘く見られるのに対して、女性の不倫に対する眼差しは、概して厳しい。
目下、風紀役人ハシャヤル氏の妻ギュネシアに対する眼差しは、「浮気していたのではないか」という噂が出たため、相当に微妙なことになっている。社会慣習上、「離縁ないし『名誉の殺人』において殺害される前にと、夫を殺害しても不思議では無い」という状況があるためだ。
アルジー自身は、「この疑惑が発生した件については、夫である風紀役人ハシャヤル氏に半分以上の責任がある」という見立てだ。
――ハシャヤル氏が、愛情の面においてもケチケチせずに、ちゃんとギュネシア奥さんに愛情を示して居れば、こんな微妙なことにならなかった筈。
一皿料理の行商をやっている、裏路地のご近所さん……あの、仲の良い夫婦のように。
アルジーは、手の中で『灰色の御札』をキッチリたたみ、広場の別の一角にある高灯篭へと近づいた。聖火祠でもある。
相棒の白文鳥パルが、パッと飛び上がり、いつものようにアルジーの肩に止まって来る。
高灯篭に付属する梯子の支柱は、善男善女がオマジナイとして結んでいった、紅白の御札でいっぱいだ。『家内安全』、『安産祈願』、『商売繁盛』、『交通安全』、『良縁招来』……
所々に、自家製の「呪いの御札」と思われる、真っ黒に塗った御札が混ざっている。
ちょっと覗いてみると、『浮気夫に天罰を!』、『貸した金を返さないアイツに永遠の苦痛を』というような恨み言から、『悪徳と汚職の帝王トルーラン将軍を打倒せよ』という大真面目な政治的要求まで――と、範囲は広い。
先客による興味深い恨み節の御札の数々を眺めていると、聖火祠の陰から大きめの『火吹きネコマタ』が出て来て、「にゃあ」と鳴いた。此処の高灯篭すなわち聖火祠は適切に管理されていて、お供えもある。火吹きネコマタの毛並みはツヤツヤだ。
「なかなか、御利益ありそうだよね」
聖火祠となっている高灯篭の梯子の支柱へ、新しく『灰色の御札』を結びつつ、物騒に呟くアルジーであった。
その横で、白文鳥《精霊鳥》パルと、火吹きネコマタが会話を交わしている。
『毎度お疲れ様、火吹きちゃん、ピッ』
『鳥使いの姫さん、よく飽きもせず、礼儀正しく呪ってるニャ。お蔭さまで「独身女狩り」とやらが沈静化してて、この近所の「家内安全」「良縁招来」管理が楽になってるニャ』
『トルジンが、そんなに混乱もたらしてたのは想定外だった、ピッ』
『気を付けるニャ。前々からトルジンに憑いてる「よろしくないモノ」、ここ最近、増強いちじるしいニャ。2年前にも騒ぎになった、シビレルくらい強大な「禁術使い」本人が、いよいよ東帝城砦に入って来たらしいニャ。このネコのヒゲに、確かにピピンと引っ掛かって来てるニャ』
『注意するピッ』
精霊どうしの意味深な会話を、何となく小耳に入れているうちに。
ふと、アルジーは、目下の懸念を思い付いた。
――この機会に一度、噂の『銀髪アリージュ姫の贅沢な別荘』の工事現場という場所に、行ってみよう。
タダ働き同然とか、あまり良い話を聞かないのが気になる。遊女ミリカからも、食費すら不足する報酬――という話があったし。
多くの人々が行き交う市場の広場には、数本の街路が連結している。その街路のひとつへと、頭を巡らす。
目を付けた街路を急ぎ足で移動しつつ、アルジーは、ターバンの上で腰を落ち着けている相棒パルへ声を掛けた。
『この間の話にあった「銀髪アリージュ姫の贅沢な別荘」の工事現場って、どこだったっけ』
白文鳥の姿をしたジン――《精霊鳥》パルが、いつものように「ぴぴぃ」とさえずって、返して来る。
『オアシス岸辺の葡萄畑だよ。畑をツブシて熱帯雨林のほうのランとか植えまくって、エキゾチックでトロピカルな別荘にするの、ピッ』
『本当? トルーラン将軍も御曹司トルジンも本気で頭おかしいわよ。あそこ、確か東帝城砦の金庫っていうくらいの貴重な高級葡萄の生産地なのに』
『葡萄の質が落ちたから高く売れる良い葡萄酒が出来ないの、ピッ。事業仕分けで肥料の購入量が減ったせいだよ、ピッ。「良い葡萄を育てるには肥料はいっさい与えない方が良い」という専門家もしゃしゃり出て出世したよ、ピッ』
『トルジンはともかく、トルーラン将軍、そんなにバカだったかなぁ?』
街路を行き交う大勢の人波を抜けて、ポコポコと通りを歩いている内に。
この辺りの歓楽街の一等地と交わる一角まで来た。
数々の食堂、酒場、珈琲を扱う喫茶店。夜間運営の公衆浴場を備えた連れ込み宿。大人の時間を提供する多様な店に混ざって、女商人ロシャナクが裏営業している高級娼館『ワ・ライラ』が、少し先に見える。
相棒の白文鳥パルが、ターバンの上でピョコンと跳ねた。
『工事現場までは、ひとつ曲がり角が増えるけど、こっちのほうが日陰があって涼しいよ、ピッ』
『じゃあ、この道を行こうか。今日も暑くなって来たしね』
太陽は南中の位置に近づいていた。さえぎるものの無い直射日光は、突き刺さるように強い。
複数階層を持つ建物のバルコニーから、日除けを兼ねて張り出された超大判の紗幕の下に、濃い陰ができている。
やがて高級娼館『ワ・ライラ』の前まで来た。昼間とあって「休業中」の看板が下がっているところだ。
パッと見た目は、芸術家ご用達のギャラリーという店構え。元・傭兵らしきベテラン警備員が数人。これが名高い高級娼館だなんて、誰も思わないだろう。
端から端まで設置されている2階のバルコニーの下、街路に沿って延びる公共アーケード空間が、ほどよい日陰となっていた。そぞろ歩きの数人が日陰で涼んでいる。
アーケード空間は、ちょっとした公衆画廊といった風。絵画作品や彫刻作品が、街路の彩りと宣伝を兼ねて展示されている。使われている画材などといった文房具は、当然、女商人ロシャナクが表で営業している文房具店『アルフ・ライラ』で取り扱っている品に違いない。
芸術作品ギャラリーの中に、新進気鋭の無名の書道家のものと思われる作品がある。
紺紙に銀泥の文字。
斬新かつ見事な筆遣いをもって書き付けられてあるのは、「無名詩人カビーカジュ」による四行詩。
四行詩の題名は『闇と銀月』。
――千と一つの夜と昼 すべての星が落ちる時
天の果て地の限り やよ逆しまに走れ 両大河
千尋の海の底までも あまねく統べるは 闇と銀月
三ツ辻に 望みを捨てよ 巌根ひとつを ともにして――
アルジーは首を傾げた。
――何度か読み直してみたけれど、変な詩だ。
亡きオババ殿から、ずいぶんとたくさんの古典詩歌を教わった。だけど、この詩歌は、含まれていなかったような気がする。
文学的な、というよりは……祭文や呪文のような雰囲気。《精霊語》に翻訳して詠唱すると、呪文の形式になる。あるいは人ならざる者の託宣。
此処で《精霊語》で詠唱して、その影響のほどを確認する――というのは可能だが、得体の知れない呪文をウッカリ《精霊語》で詠唱すると、とんでもない事態になりかねない。特に「無名詩人カビーカジュ」作品は、危ない。亡きオババ殿も、厳しく注意していたことだ。
アルジーは、ブツブツと呟いた。
「古代『精霊魔法文明』に由来する作品ではありそうだね。カビーカジュって、古写本を虫食いとかから守護する精霊の名前で呪文だし、古典詩歌ではお馴染みの、いわゆる『読み人知らず』で……あれ、パル?」
ターバンの上で、フルフル震えている感触がある。アルジーが手を差し伸べてみると、相棒の白文鳥パルが、明らかに異常な様子でフルフルしていたのだった。
『パル? 病気?』
次の瞬間。
看板「休業中」が下がっていた高級娼館『ワ・ライラ』入口扉がパッと開き。
遊女ミリカと、同僚らしき数人の遊女が――ただならぬ様子で飛び出して来た。
アルジーはギョッとしながらも、ぶつからないように、二歩、三歩ほど後退する。
「いや、何処かの道端に落としたんでしょうが、ミリカ」
「それはもう考えた。でも有り得ないの! だったら可能性はひとつ、あの野次馬してた火事の現場で色々落として、詰め直した時に、うっかり混じったってこと!」
「相手からは何も連絡が無いの? そのまま、ちょろまかしたってこと?」
「あれ外見がソックリなのよ、工事現場のヤツと! 昨日のお客さん、工事監督から『大麻とかには着火するから楽しんでね、プレゼント』って見せられた時、ホント世界の果てまでスッ飛んだわよ。舞台の小道具が本物ソックリ過ぎるのも考え物かも知れない――」
遊女ミリカは駆け出そうとして、こっちを向き、唖然とした顔になった。
「あ、アルジー! ちょうど良かった、ねぇ、いつだったかの丁寧語おっさん、早く探さなくちゃ!」
「え? タヴィスさんのこと?」
「それそれ! ああぁ、このアホ頭、名前ド忘れしてたわよ! 今は工事現場だよね、『銀髪アリージュ姫の別荘』の!」
「行くよミリカ、軽業師のロープは用意したからね、さぁ! あんたも!」
かくして、アルジーは何が何だか分からないまま。
考えられ得る限りの高速で、遊女の一団と共に「銀髪アリージュ姫の贅沢な別荘」の工事現場まで急行することになったのだった……




