人質の塔の姫君(後)
偉大なる東帝城砦の数多の塔の上に、ぽっかりと現れる十六夜の銀月。
『出た出た、月が出た、アリージュの毛の色した月が』
人質の塔――アリージュ姫の部屋の窓枠で、白い小鳥がさえずっていた。
見た目はフワフワ・モチモチの白文鳥。まさに空飛ぶ『いちご大福』。《精霊鳥》の証である真っ白な冠羽がピッと立っている。
子供の手の中にも収まりそうな、白くて、まるっとして、ちっちゃな《精霊鳥》は、格子窓の隙間をスイスイと出入りしながら、さえずっていたのだった……《精霊語》で。
不機嫌が収まらぬまま、ベールの下から、プリプリと《精霊語》で受け答えするアリージュ姫。
『これは銀月の色とは言わないでしょ、パル』
次の瞬間。
アリージュ姫に与えられていた塔の部屋の扉が、バターンと音を立てて開かれた。
「ギョギョッ!」
空飛ぶ『いちご大福』が、仰天のあまり「普通の鳥の鳴き声」を上げて、天井の一角へと飛び上がった。
バッと立ち上がり、身構えるアリージュ姫と世話役オババ。
「ど、どなたかね? まだ婚礼の儀式の刻じゃ……」
断りも無しにズイと押し入って来たのは。
金銀刺繍や宝飾ビッシリの、贅沢な長衣に身を包んだ、20代半ばの青年だ。
贅沢な更紗を使った濃色のターバンを頭部に巻いていて、それを留めているのは、見事な黒ダイヤモンド。さらに特大サイズの、極彩色の羽飾りが付いている。ダチョウと孔雀の尾羽を組み合わせて製作した物。
いかにも有力部族の御曹司。ランプの光を照り返す鮮やかな赤毛。聖火を崇拝する帝国において、それは特に好ましい髪色とされる。
背丈が程よくあり、顔立ちも良い……徹底的に殴られた場合は、姫君の麻袋に描かれていた奇妙な似顔絵に、似て来るだろうが。
その目は、ぶしつけなまでにジロジロと、アリージュ姫の古ぼけた花嫁衣装を値踏みしつつ、身体のラインをなぞっていた。
「フン、貧相な。その辺の乞食坊主じゃ無いか、これでは。よくも、シュクラ王国の姫などと抜かしやがって」
口をアングリとする世話役オババ。
「まぁ、恐れおおくも、トルジン様、こちらは確かに我らがシュクラ王国のアリージュ姫でございますよ」
赤毛の御曹司はズカズカと踏み入るや、オババの制止を押しのけ、花嫁の純白のベールに手を掛けた。
反射的に身を引くアリージュ姫。
「無礼者!」
――ゴスッ。
「うぎッ」
王族の怒りを込めた高貴な回し蹴りが、夫となる予定の御曹司トルジンのむこうずねに、したたかに決まっていた。
不意を突かれたトルジンは、倒れんばかりによろめく。
同時に、薄いベールが引っ張られて、ビリビリと破れてゆき……
ランプの光がアリージュ姫の姿を照らし出した。トルジンの酷評も、或る程度はアタリかと思われる容姿を。
現れたのは、こけた頬と血色の悪さが目立つ、《骸骨剣士》をすら思わせる陰気な容貌だ。
髪の長さはあるものの……不健康にくすんだ灰色で、パサパサしている。
手の込んだ白糸刺繍の長衣ドレスをまとう純白の花嫁姿ではあるが、貧相すぎて、男と見まがうばかりの平坦な体型。
これといった宝飾品も無い。一般庶民の間でもよく見られるドリームキャッチャー細工の白い耳飾りだけだ。ひとつずつ取り付けられた白羽も小さい。
そのうえ……背丈がある。高いハイヒールを履けば、トルジンの背丈を余裕で超える。公式行事でハーレム妻たちが立ち並ぶ機会があって、その時に判明した。
アリージュ姫は、トルジンのハーレム妻たち13人の中で一番背が高い。宴会で食にあたって体調が悪くなった妻の1人を介抱しエスコートする時も、ベール姿の筈なのに、トルジン以上に「理想的な男として、夫として」サマになっていたため、妙な人気が出たりして、トルジンに赤っ恥をかかせる羽目になった。それ以降トルジンの前では、ハイヒール厳禁だ。
トルジンは涙目で身をかがめ、片足でピョンピョン跳び、むこうずねをさすりつつ。
「ババア、この狂暴な骸骨ヤロウが、女なんて嘘っぱちだろう。父上でさえひそかに懸想したという程の、近隣に聞こえた『シュクラの銀月』の娘にしては、信じがたい程のゴミクズ」
「な、何ということを……」
古典的な老女である世話役オババは、もはやブルブルと震えて座り込んでしまっていた。
アリージュ姫は怒髪天だ。
「痴れ者が。破廉恥将軍と一緒に、今この瞬間から2人まとめて『無礼者の腐れ外道』と名乗るがいいわ、信じがたい程のゴミクズ」
一気に低音域にシフトして威厳を増したハスキー声。
王族の威厳に打たれ、思わず後ずさるトルジンであった。後ずさりながらも、顔じゅうを口だらけにして怒鳴る。
「決めゼリフを真似るんじゃねえ! 地位も名誉も持参金も無いスッテンテン、ゴロツキ邪霊の不細工ヤロウ《骸骨剣士》が」
トルジンが後ろを向き「おい!」と呼ばわると。
物陰から、のっそりと、山のように大きな人影が現れた。
戦士であることを示す迷彩ターバン。装飾鋲きらびやかなベスト付きの、武装親衛隊の制服。
異様なまでに肩幅が広く、物騒な筋骨隆々の巨体。黄金色の肌は、油を塗り込んだかのように金属的にテラテラと光っている。
暗い黄土色の目をした、やけに無表情な風貌。出身部族の風習なのか、眉間に黒い刺青。その奇妙に歪んだ紋章のような意匠は、異形の目さながら。
腰の左右に、三日月刀と戦斧。アックスホルスターのブレードカバーから窺い知れる戦斧の刃は、ゾッとするような大きさだ。
「この不細工な骸骨ヤロウと、ババアを、外のどこかへ、その辺のゴミ捨て場にでも捨て置け! 不敬罪、暴力罪、不法侵入それに身分詐称の罪でな!」
「い、いったい、どういう……」
あれよあれよという間に、部屋の外へと、乱暴に放り出されるアリージュ姫とオババである。
いつの間にか、入れ替わりに、高価な香水をまとった純白のベール姿が部屋に入って来ていた。
「まぁ、何てステキなバルコニー。これから此処が私とあなたの愛の巣になるのね、トルジン様」
トルジンは、キラキラ声をいっそう弾ませた花嫁姿の女の腰を引き寄せ、アリージュ姫とオババの方を改めて振り返る。
「我が最愛を誓うことになる、本物の、いとしい新妻を紹介しよう。これが『本物のアリージュ姫』だ!」
「あら、私の美しさは賛美してくださいませんの?」
「うっかりしていたよ、言葉を忘れるほどの美しさに」
トルジンと『本物のアリージュ姫』は、イチャイチャし始めた。
人目があるのも構わず、ベールが外される。燦然ときらめく最高級の宝飾品の群れが、シャラシャラと音を立てた。
どこから、どうやって見つけて来たのか……パッと見た感じ、目鼻立ちは似ている。肉付きは全然違うけれど。
――『本物のアリージュ姫』は、御曹司トルジンよりも適度に背丈が小さく、女でさえ見惚れるほどのナイスバディに……
銀月の光を集めて来たかのような、まばゆい銀髪を持っていたのだった。
*****
御曹司トルジンの親衛隊、テラテラ黄金色の巨体をした迷彩ターバン戦士は、徹底して陰湿かつ忠実な男だった。
――『外のどこかへ、その辺のゴミ捨て場にでも捨て置け』。
東方総督トルーラン将軍の御曹司トルジンの意図としては『どこか宮殿の隅の、最下級の奴隷部屋にでも入れとけ』だったのだが。
眉間に黒い刺青をした黄金肌の巨人戦士は、言葉どおりに、『その辺のゴミ捨て場』へと、アリージュ姫とオババを捨て置いたのだった。
裏のゴミ捨て場へと投げ出され、呆然としゃがみ込む、アリージュ姫とオババの目の前で。
宮殿の裏口の扉が、ガシャーンと音を立てて閉じられた……
最後の一瞬。
黄金色のテラテラ肌をした巨人戦士の、眉間で。
刻まれていた不気味な黒い刺青が、ぐにゃりと歪んで……
「いや、待て、あれが真の《銀月》だったのなら、いよいよ念願の、千人と一人目の生け贄として――」
……刺青が、邪悪な怪物の目であるかのごとく、ギラリと光ったように見えたのは。
気のせいだったのかも知れないし、そうでは無いのかも知れない……