死屍累々の点と線~犯人の候補者たちが多すぎる(4)
「へいっす。ご来店ありがとうございます」
赤毛スタッフ青年クバルの、気の抜けたような接客の有り様を面白がったのか、熟練の戦士が「ぶふぉぅ」と吹き出した。濃紺の覆面ターバン青年のほうは目をパチクリさせた後、頭を押さえて、ヤレヤレと言わんばかりの格好。
「お得意さんの用件が先なんで、その辺でお待ちくださいっす」
「ふひははは……! 了解、ハハハ! まぁ、こっちも表通りの邪霊害獣の処理でヘトヘトだから、休憩させて頂きますよ」
新しい来客2人は、ドリームキャッチャー護符が吊られている壁際のベンチで水筒を開け、くつろぎ始めた。機密保護の必要な書庫カウンターとは、細かい透かし細工の衝立で、適切に仕切られている位置にある。
――彼らは、邪霊害獣の死体を片付ける助っ人として、出て来ていたのだ。アルジーは納得したのだった。
不気味なテラテラ黄金肌をした巨人族の末裔が立ち去った後、何か起きていただろうか?
先ほどの凄まじい光景が気になるままに、アルジーは、新しい来客2人へ声を掛けた。
「あの巨人戦士ザムバ、向かうところ敵なしって風だったけど。ざっと見ただけでも50匹ぐらいは、バラバラにしてたよね?」
「まさに死屍累々だったですね。200匹くらいはバラしていた模様です。こっちの通りの退魔調伏の処理は終わったけど、あっちの通りは、まだまだでしょう。長い1日になりそうです」
迷彩柄の戦士ターバンを巻いた傭兵はゴクリと水を飲み、少しの間、ギュネシア奥さんが歩み去った先を眺めた。
「さっきのご婦人、巷で噂の風紀役人……驚きの死を遂げたハシャヤル氏の、奥さんでしたかね」
アルジーは目をパチクリさせた。
「もう知れわたってるの? 情報が早いね。私なんて、さっきまで人相も知らなかったのに」
「や、その筋では、すっかり有名人ですよギュネシア奥さん。さっき、広場の少年少女探偵団っていうか、ませた子供たちが、ギュネシア奥さん浮気してんだろう、って噂してましたよ」
「ほほう、浮気っすか?」
書庫カウンターに潜り込んで書類探しを再開しながらも、赤毛スタッフ青年クバルは聞き耳を立てている格好だ。
――好奇心バリバリになるのは、うん、良く分かる。
アルジーも書庫を順番に確認しつつ、耳を傾けていたのだった。
戦士ターバン姿の傭兵は人の話を聞き出すのが上手らしい。「聞いた話だけどね」と言って、興味深い話がつづいてゆく。
「風紀役人ハシャヤル氏、万事ケチケチしてたそうで。家庭でもケチケチしていて。夜のほうも、えぇと、ゴホン、ケチケチしたんだろうって、ませた子供たちが実に直接的な表現で指摘してましたよ。油断ならないくらい、子供たちって、物をよく見てますね。まあともかく、それで、奥さんとしては耐えかねて浮気を……という推理になってましたね」
「それはそれで納得する、確かに。彼女、美人っぽいし、まだまだイケそうな雰囲気だし」
アルジーは頷いた。
何故か、赤毛スタッフ青年クバルは、アルジーが平然としている様子に、口を引きつらせていた。
濃紺の覆面ターバン姿のスラリとした青年の方も、下世話な内容が苦手な様子だ。新たに始まった頭痛を抑えているかのように額に手を当てているのが、透かし細工の衝立を通して伝わって来る。
戦士ターバン姿の傭兵は、ガッシリとした腕を組んで、思案の姿勢になった。
「問題は、風紀役人ハシャヤル氏が、奥さんの浮気に気付いてたかどうか、でしょうかね。万事ケチケチしてたのなら、浮気されるたびに、損害を1銭も洩らさずキッチリ計上していても不思議では無いですし。損益分岐点を突破したタイミングで離縁……という事例は、帝都では割と見かけます。離縁される前にと、妻が夫の暗殺を企てた……というのは、アリでしょうね」
「成る程……」
言葉少なに、濃紺の覆面ターバン青年が呟いた。アルジーも同感だ。
――可能性はある。
根拠は弱いけど。
聞いた話の内容を思案しつつ、書庫カウンターに並ぶ鍵付き書庫を、順番にゴソゴソやっていると。
やがて。
鍵付きの書庫から、『シュクラ・カスバ』と記された文箱が出て来た。《精霊文字》の御札で厳重に封印されている。
パルが興奮したようにパッと飛び上がった。赤毛スタッフ青年クバルが取り出した文箱に突進し、ふわもちな白文鳥の身体がポンポコ弾む。
戦士ターバン姿の傭兵と、濃紺の覆面ターバン青年が、興味津々で、クバル青年とアルジーの様子を窺い始めた。
クバル青年とアルジーが作業を始めた書庫カウンターとは、透かし細工の衝立で仕切られていて、「だいたいの動作や音声は分かるが、直接の盗み見は難しい」という程度の機密保護がある。
赤毛スタッフ青年クバルは、『シュクラ・カスバ』文箱を持ち上げ、色々な方向から眺め始めた。
「この文箱、黒ダイヤモンドの《魔法の鍵》で機密施錠されてるヤツっすね。どうやって開けるんすかね」
「あ、これ大丈夫だ。オババ殿が霊媒師として契約してた精霊の署名を使うんだけど、私の署名でも開くようになってる」
アルジーは早速、いつも持ち歩いている仕事道具の羽ペンとインクを取り出した。文箱の帯となってグルリと封印している《精霊文字》御札の、所定の場所に署名する。
すると、封印用の《精霊文字》御札が、真紅色の光に包まれた。少しの間、真紅色の光が何かを確認しているかのようにチラチラと揺らめいた後、『よろしい』と言うかのように、パッと消える。
文箱の蓋に描かれていた精巧な「黒い鍵」の絵が、立体化した像となって浮き上がった……それは、速やかに実体化した。
赤毛スタッフ青年クバルが目をパチクリさせ、それをつかむ。
「……《地の精霊》が変身した鍵っすね。黒ダイヤモンド装着マスターキーに対して、子鍵のほう……」
鍵を文箱の鍵穴に突っ込んで、回す。
封印が解除された。《精霊文字》御札を使った封印用の帯がゆるんで解け、カチリと音を立てて蓋が浮く。中の書類が見られるようになった。
同時に、文箱にセットされた開封記録スペースに、『X年X月X日付、開封3回目、開封者は以下の者である』という《精霊文字》が、《火の精霊》の力によってズラズラと焼き付けられていったのだった。
「……『開封者は以下の者である。現シュクラ王統の第一王女アリージュ姫』……へ、お客さん、アリージュ姫の名を使って精霊契約してたんすか?」
「あれ? さっきは《精霊文字》読めないって言ってなかったっけ?」
スタッフ青年クバルは、頬をコリコリとやりながら、照れたような笑みを見せた。
「金融の契約で使われてる初歩的なヤツなら、何とか分かるっすよ。頭取オッサンや番頭さんにしごかれたんで」
衝立の向こう側で、何故か、戦士ターバン姿の陽気な傭兵が「ぶふぉぅ」と妙な音を立てている。吹き出し笑いを抑えているような音だ。
アルジーは、相棒の白文鳥パルを見やった。
白文鳥の姿をした《精霊鳥》は、のんびりと羽づくろいしていて、特に警戒の反応は無い。
彼ら2人は、金融商オッサンや番頭さんが信頼しているクバル青年と、同じ程度には、信頼できるのだろう。シュクラ・カスバの年配男タヴィス氏を、白タカ《精霊鳥》シャールが信頼していたのと同じように。
衝立の向こう側――壁際のベンチで、迷彩ターバンの傭兵と濃紺の覆面ターバン青年がボソボソ会話している気配が続いた。
やがて、傭兵が「ゴホン」と咳払いし、衝立越しに質問を投げて来た。
「城砦の自治をあずかる王侯諸侯ともなると、臣下の誰かが代理人となって、お名前お預かりして代行するのもあるって聞きますけどね。手前さんはアリージュ姫の代理で、本物は、宮殿のほうで傾城の美女してる銀髪のアリージュ姫ですかね?」
「あぁ……色々あって。でも銀髪そんなに有名? 宮殿に居るアリージュ姫、あちこちでベール外して髪を見せてるってこと?」
「此処の頭取オッサンに聞いたけど、知り合いの役人いわく、宴会のたびに盛大に見せびらかしてるとか。御曹司トルジンの妻自慢ですね。でも、ハーレムでお馴染みの、ドロドロ恋愛の噂もあって……クバル君も聞きましたよね、あの超絶ショッキングな噂」
赤毛スタッフ青年クバルが、顔をしかめて応じている。いかにも気になると言う風だ。
「アリージュ姫が、御曹司トルジンが急病とかで七日七晩くらい引っ込んでた時、トルーラン将軍の寝室に入り浸ってたって話っすね。入り浸って何してたんすかね」
――頭痛がして来た。
何とも、イワク・イイガタイ。
同じ名前をした女が入れ替わって来て、かつて自分が居た場所で、自分よりもずっと美人で華やかな姿で、派手にやっているという状況は……
「あの塔の部屋は軟禁仕様なのに、ステキとか何とか抜かしてたんだよね、あの正体不明の銀髪グラマー美女。バルコニーのとこは、オアシスが見えたし、見張りの目を盗んでロープ垂らして市場へ抜け出せる状態だったから、そこだけは気に入ってたけど。でも、あとは……」
今でも苦い怒りが湧き上がって来る。
いつしか、あの夜の時のように、アルジーの手が震えていた。
クバル青年が「おや」という風に首を傾げ、真面目な顔で、アルジーの眉間に手を触れる。
「失礼するっす。そんだけペラペラ皮膚なのに、よくシワが出来たっすねぇ」
一瞬、どちらからともなく、吹き出し笑い。
衝立のほうから、再び傭兵の不思議そうな声音が降って来た。
「じゃあ、あの宮殿に居るほうの、銀髪のアリージュ姫って誰なんでしょうかね」
「トルジンと一緒に、塔の部屋に押し掛けて来た時に、チラッと見ただけだから……自称『本物のアリージュ姫』ってこと以外は知らないね、さすがに。でも大金持ちっぽいよ。高価な香水とか」
「人質の塔の部屋に押し掛けて来た? 香水ですと? その銀髪アリージュ姫、香水を着けてるんですか?」
「うーん、覚えてる限りでは、豪華絢爛な……商品名『バビロン』かな。あれ以上、傍に来てたら、頭痛がして気分悪くなってたかもね」
これでも亡きオババ殿に10年以上「シュクラ第一王女」として鍛えられた身。宮廷社交に必要な知識は、ほぼ心得ている。
衝立の向こう側から、迷彩ターバンの傭兵と濃紺の覆面ターバン青年、2人とも絶句している気配が伝わって来る。
どうも、あの「2年前の放逐された夜」に何があったのか、彼らは興味を持っているらしい……そして、放逐された側の主張を、それなりに検討しているらしい。
この話を聞いた人は、皆が皆、「良くできた作り話だ」と笑うのに。
――何故?
よぎった違和感は、相棒パルの『名義変更を急がないとね、ピッ』というさえずりで雲散霧消した。
アルジーは気を取り直し、慎重に蓋を上げた。『シュクラ・カスバ』文箱の中の書類を改める。
相棒の白文鳥《精霊鳥》パルは、この種の契約書をスッカリ心得ている様子で、必要なページに来るたびに「ぴぴぃ」とさえずって教えてくれたのだった。
「あ、この文書が名義の変更契約書になってる。変更先の名義も書き込んでおくから、後でオッサンと番頭さんによろしく伝えてくれる?」
「勿論っすよ、こっちのアリージュ姫さん。ほー、『オリクト・カスバのローグ』。何となく聞いた事あるような」
「結構、有名人だったりするの?」
「どうだったすかねぇ」
そう言っている間にも、貯金口座の名義変更契約書への書き込みが完了した。
赤毛スタッフ青年クバルは、各種手続きの済んだ書類を『シュクラ・カスバ』文箱に収める。
カチリと音を立てて、自動的に黒ダイヤモンドの封印が掛かった。手際よく封印用の御札の帯を締め、鍵付き書庫へと押し込む。書庫そのものの施錠は、普通の鍵のほうだ。
「これでよし。それより、香水『バビロン』を着けてた『自称アリージュ姫』って、ほかにも何か持ってたすか? 全身、オリクト・カスバ産出の宝石だらけとか?」
「ん? 全身ギラギラしていたけど、オリクト・カスバは、宝石よりは鉱物とか《精霊石》とか……あ、確か、御曹司トルジン、ターバン装飾石に、やたら大きな黒ダイヤモンド使ってたっけ。幾らくらいになるんだろ、アレ」
「黒ダイヤモンドすか? あの夜の、御曹司のターバン装飾石は確か……?」
「いや、確かに見事な黒ダイヤモンドだったよ。六角形の亀甲カットで、これくらい」
アルジーが両手の指を組み合わせて形を作って見せると、赤毛スタッフ青年クバルは目を丸くしたのだった。
「ほへぇ。最高額の帝国貨幣、大判くらいあるっすね」
濃紺の覆面ターバン青年の、訝しそうな声が聞こえて来る。
「10年前の、神殿の爆発事件で紛失していた、特別な黒ダイヤモンドと同じくらいじゃないか?」
「帝都の金融商の間でも語り草になっている未解決事件ですね。まさか……」
衝立の向こう側で、戦士ターバン姿の傭兵と、濃紺の覆面ターバン青年は、訳ありな様子で顔を見合わせていたのだった……