死屍累々の点と線~犯人の候補者たちが多すぎる(2)
――帝国伝書局・市場出張所は、目抜き通りに面する、やや長方形の建築である。
一般的な店舗と同様な受付カウンターがある。
かつて大衆食堂であった姿を引きついだかのように、帝国伝書局・市場出張所の待合スペースは、食堂で見かけるテーブルや椅子がポンポン置かれている空間となっていた。
業務が始まって間もない時間だが、早くも依頼人たちが来ている。適当に用意してあった20人ほどの席は、すでに半分が埋まっていた。
中庭と接する待合スペース端は、一段ばかり床が高いため全体を見渡せる。その中央に鎮座する立派なデスクが、ボスである所長の定位置だ。いつも多種多様な文書類に囲まれている。
所長デスクの後ろには、大窓を兼ねたアーチ型の出入口が、複数、並んでいた。そこで、噴水のある中庭……鳩舎広場と連結しているのだ。
受付カウンターでは、先輩の代筆屋2人が、せっせと依頼文書の代筆中だ。
1人は白茶色のモワモワしたヒゲを生やした最高齢の爺さん。もう1人は白髪混ざりの金髪頭に赤茶ターバンを巻いたミドル世代のおっさんだ。
最高齢の白茶ヒゲ爺さんは、長年、筆頭職人として勤めあげた《魔導》工房を引退した後、代筆屋になった。職業上、精霊が反応するだけの《精霊文字》技能はあったので、それを買われた形だが、なにせ高齢。体力と相談して……という勤務だ。
金髪ミドル世代おっさんのほうは、夜は聖火神殿で非常勤の門番、昼は代筆屋と、仕事を掛け持ちしている。神殿のほうで《精霊文字》に触れる機会が多く、自然に《精霊文字》に興味を持って、神殿付属の訓練所で書き方を覚え……割と正確に書けたので、副業として代筆屋を選んだ。たまに「代筆屋がこんなにキツイとは思わなかったでよぉ」と、ぼやく。
午前の常連客、近所の商館から来た使い走りの一団が、待合テーブルについていた。代筆依頼の文書の完成を待つ間、水瓶から貰って来た水を飲みながら、大声で喋る。
「夜を徹しての調査で、火元となったジン=イフリート《魔導陣》が見つかったって話だけどよ。ありゃあ、自然に発火したとか、事故じゃねぇぞ」
「どういう事だ?」
「ジン=イフリートを爆発させる導火線付きの《魔導札》なんだよ。《渦巻貝》様の消火が素早かったんで、運よく、欠片が燃え残ってたそうだ」
「それに、爆発炎上の前に、風紀役人ハシャヤルの食事に呪殺《魔導札》を溶かして、食わせた節があるらしい。気まぐれなジン=イフリートが、あれほど風紀役人ハシャヤルに執着してたの、そのせいだよ。確実に殺害したかったんだろう、恐ろしく念入りだ」
別のテーブルに座った金融商スタッフの若いのが、どこかで買って来た軽食を摘まみながら口を挟み出した。金融商オッサンのところとは別の、顔見知りのスタッフだ。
「よく分かったな、そんなの。暗殺教団っぽいけど?」
「聖火神殿の専属の魔導士にとっちゃ、同じ魔導士が仕掛けたモノだからな、何か共通する特徴とかあるんだろうよ」
白髪混ざりの金髪頭に赤茶ターバンを巻いたミドル代筆屋ウムトが、代筆文書を完成させ、更に突っ込む。赤茶ターバンは、よくよく見ると戦士の定番、迷彩柄と知れる。神殿の門番としてのものだ。巻いたまま、こちらに出勤して来た形だ……先ほど仮眠を済ませたばかりとあって、金髪には寝ぐせが付いている。
「昨夜は私も神殿のほうで夜間の門番やってたが、ひっきりなしに調査官の出入りがあって、そりゃ騒がしいもんだったでよぉ。動ける魔導士が総出で犯人探しをしてるからよぉ」
完成した代筆文書を受け取りつつ、先客の商館スタッフが首を傾げた。
「依頼した殺人犯と、依頼されたほうの魔導士を、同時に逮捕するって可能なのかねえ。賄賂と袖の下の天国だぞ、ここ東帝城砦は」
「ふーむむ。よぉ、千歩も万歩も譲って性別詐称の常習犯アルジー、容疑者かよぉ?」
カウンターの隣で代筆依頼状の束を確認し始めたアルジーに、金髪ミドル代筆屋ウムトが突っ込み始めた。
アルジーは、ウゲ、と呟く。
「下手な冗談やめてよ。私は、キッチリ袖の下、賄賂は払ってたよ。風紀役人ハシャヤルは定期・定額で分かりやすかったし、夜のお勤めとかの理不尽な要求は無かったし、うまくやってた。殺すメリットなんか無い」
ボソリと、商館スタッフが同僚に耳打ちする。
「アルジーの場合、夜の関係の要求が無かったのは、見るからに不気味な《骸骨剣士》で、瀕死の姿ゆえだと思うが」
「骨格の形は良いと思うが『肉』がねぇし、そもそも死体の骨と皮だよなぁ」
下世話な内容を耳打ちされた同僚は、見るからに同意見という顔で返したのだった……
近隣の城砦から来ていた隊商スタッフが、興味津々で口を出し始めた。近くの商館への滞在客でもある。
「女商人ロシャナクも、風紀役人ハシャヤルを殺して得られる利益なんか無いだろ。コソコソと呪殺《魔導札》とジン=イフリート《魔導札》で殺す性質かね、あの豪傑な女傑が。ロシャナクだったら策を弄して、自分の手で地獄絵図を描いて、そこに叩き込むだろう」
「ぐるっと回って、トルーラン将軍と御曹司トルジンが放火犯じゃねぇのか。不正してたのを邪魔されて、とか」
所長デスクでドッカリと鎮座中のモッサァ赤ヒゲ熊男、バーツ所長が笑い出した。
「ひゃひゃひゃ、風紀役人ハシャヤル、同じ穴のムジナさ。あやつ、色々なところから袖の下、ちょろまかしてた。市場は序の口、東方諸国の、あらゆる税関にも手を広げてたぜ。特に金銀宝玉だの鉱石だのはイイ金になったみてぇだな、トルーラン将軍の銭ゲバ介入でな。しかも経理は一流だったぞ。公的な方面では、1銭の狂いも無く、ケチケチ、ピシーと帳簿つけてやがった」
「良く知ってるんだな」
隊商スタッフが感歎する。受付カウンターで額を合わせて相談していた地元の商館スタッフと、老いた白茶ヒゲ代筆屋がそろって、訳知り顔で頷いた。
「その辺の金融商の常識だよ。ヤツの帳簿をコッソリ見て、東帝城砦の財務状況を逆算してゆく」
「諜報戦だのう」
――金融商。
アルジーは、到着した代筆依頼状を整理しているうちに、不意に、昨日タヴィスから依頼された、貯金口座の名義変更の件を思い出したのだった。
「バーツ所長さん、ちょっと急用を思い出して……外出して来ます」
モッサァ赤ヒゲ熊男が、赤ヒゲをモサモサさせながら、目をパチクリさせる。
「なんだ珍しいな、痩せっぽちの。どこ行くってんだ?」
「いつもの金融商オッサンのとこ」
「ひゃひゃひゃ、預け入れたばかりのカネ取り戻そうってのか? ヤツもがめついから、一度口に入れたカネは滅多に吐き出さねぇぞ。がめつさ勝負、頑張って来いやあ」
アルジーはターバンを締め直し、荷物袋を肩から下げて、駆け出して行った。
ちっちゃな白文鳥の姿をした《精霊鳥》パルが、いつものように「ぴぴぃ」とさえずって、ターバンの上にポンと腰を落ち着けて来る。換羽の真っ最中で、尾羽がゴッソリ抜けて、レモンのような姿になっているところだ。
*****
市場の通りを、疲れない程度の早歩きで移動してゆく。
多種多様な店が並び、あちこちで人々が興奮気味に噂話をしているのが聞こえてくる。「ジン=イフリート」だの「大爆発」だのという特定の言葉が多い。あの衝撃的な事件は、たった一晩で、市場じゅうに知れわたったのだ。
金融商オッサンの店へと通じる最寄りの角を曲がったところで……
――ギョッ。
アルジーは思わず立ち止まった。「公共水飲み場」に並ぶ水壺の陰に、ササッと身を隠す。
金融商オッサンの店先で、見覚えのある不吉な黄金色の巨体が動いていた。
トルジン親衛隊の一員、迷彩ターバンをした巨人戦士。眉間に黒い刺青。ギラギラした黄土色の目の、陰湿な風貌をした……確か名前は『邪眼のザムバ』。
巨人戦士ザムバは、左右の腰に手をかけるや、いきなり三日月刀と戦斧を抜き放った。
人体ほどのサイズの大きな異形が4つ、石畳の間からバッと踊り上がる。
魔性の、ぎらつく黄金。
高速で切り裂く刃の音。
噴き上がる、黄金の液体……黄金の血液。明らかに、人類や、その他の常識的な動物の血では無い。
次の一瞬。
巨人戦士ザムバの前後左右に、倍に増えた異形の何かが……ド・ド・ド・ドチャッというような不気味な音を立てて落下した。黄金の血しぶきを撒き散らして。
見てみると、一刀両断された2種類の邪霊害獣。《三つ首ネズミ》2体、《三つ首コウモリ》2体。
魔除けの効果が行きわたる城砦の中では珍しいくらいの、人体サイズほどもある大物。ほぼ、怪物だ。
近所の商館で、複数の隊商が、相当数のラクダや馬と共に滞在中。それらを狙って、たかって来たものだろうか?
――あの巨人戦士ザムバ、さっきの一瞬で……大型の邪霊害獣、4体、始末したのだ。
商館から感謝の印の討伐金が出るくらいの大仕事だけど。もはや興味が無いという風に、ザムバは戦士の印である迷彩ターバンをなびかせつつ、大股で歩き去る。
そのまま見つめていると、アルジーの視線に気づいたのか、巨体がグルリと振り返って来た……
陰湿そうな黄土色の目がギラリと光る。
――目が合った。
ザムバの口が、笑いのような形に歪み、ねじれていた。異様に長く尖る八重歯がのぞく。
黄金色の肌。油でも塗っているかのように、やけにテラテラとして金属的。
眉間の黒い紋章のような刺青が、異形の怪物の目のように、不気味に歪み……
…………
……
これは幻覚だろうか。
それとも、不意に波長が一致した、誰かの目を通じた光景なのだろうか。
……忌まわしき気配が充満する空間。ジメジメとしていて暗い。
多数の、神殿めいた荘厳な列柱。
列柱には、数人が立てる程度の結構な台座がある……実際に、暗色の長衣をまとう人々が、あちこちの列柱の台座のうえに佇んでいる。
えたいの知れぬ長衣の人々の足元には、暗い黄金の炎を灯す『魔法のランプ』が多数。全ての列柱の台座に――人影と共に配置された『魔法のランプ』。
――100個、200個という数では無い。『魔法のランプ』は、1000個に近い数があるように見える。
暗い黄金の光がボンヤリと照らし出しているのは、素人目にも高級と知れる石材によって形成された大空間だった。大広間といえるほどの広さに対して、天井は意外に低い。
基底には、どこから洩れて来たのか、タプタプと波打つ水面が闇のように広がっている。数人ばかり、基底に降りて台座の間を移動していた。その様子を見る限りでは、水深は非常に浅い。くるぶし程の深さも無い。
波打つ水面に浸る部分、すなわち列柱の台座の最下部には、逆さになった大きな人頭の彫刻が施されていた……
――「逆しまの石の女」頭部の彫刻。
地下空間にのみ設置される、特殊な魔除け。此処は、地下空間なのだ。
豊かな銀髪の造形が目を引く。数多の銀色の蛇とも見える。水の中でうねり、逆さになった女の頭部に這い上がって来るような……
古代『精霊魔法文明』に由来する「失われし高度技術」による芸術品。銀色の光沢を持つまでに徹底的に磨かれた、謎の硬い岩石を、彫刻してある。
遠い時代の名工が精緻に刻みあげた、「逆しまの石の女」。その面差しは、闇の底に潜む怪物そのものの禍々しさと……古代の月神のような、絶世の美しさを湛えていた。
グルリと見回すと……この奇妙な大空間は、三つの出入口を持っていることが分かる。
列柱の群れを透かして、わずかに見える端々は、ゆるやかなカーブ。三叉路の交差点に生じた、大きな円形広場のようだ。
列柱に囲まれつつ中心に位置する場に、黄金色の巌根そのものを彫り込んだと思しき黄金祭壇がある。多種多様な古代の怪物を模した禍々しい彫刻が、ビッシリ施されていた。
気分の悪くなるような、重く甘ったるい空気。暗い黄金色の炎を燃やす『魔法のランプ』で、麻薬を焚いているらしい。本来は聖火を生み出すための『魔法のランプ』なのに、冒瀆的な使い方だ。
その毒々しくも甘い空気を吸ったせいか……声帯が痺れたかのように動かない。
三日月刀を持って黄金祭壇の傍に立ったのは、魔導士と思しき黒い長衣姿の人物。
この場を支配する重要な存在……かなり大柄だ。人相は――分からない。骸骨の顔をした黄金仮面に隠されている。
頭頂部が平らになった円筒形の黒帽は、見事な宝冠で彩られている。上半身を覆うほどの丈をした、黒い厚手ベール。毛量は非常にボリュームがあるらしく、垂れたベールを押し広げていた。
古代めいた抑揚の、陰々とした詠唱が流れる。
「九百九十九の夜と昼……」
不意に視界が回転した。
――黄金祭壇に拘束された人物がいる。勢いで、その人物の髪の毛が流れた……《銀月の祝福》由来の、まばゆいまでの銀髪だ。
黒い長衣に宝冠黒帽ベール姿をした、黄金骸骨仮面の大柄な人物が、三日月刀を掲げた。毛深い手だ。上段の構え。
黄金祭壇に横たわった銀髪の人物は、絶望の眼差しをして、暗い黄金の光に揺らめく刃を、その先にある天井の黄金彫刻を見つめる……
三叉路――三つ辻に立つ、三つ首《怪物王ジャバ》の、ご尊顔――黄金仮面。
不自然に人間に似た三つの黄金の顔面を、三叉路のそれぞれの方向へ向けて並べた形だ。それぞれの顔面にある双眼は赤々と燃えながら、祭壇のうえの人物を見下ろしていた……
「……三ツ辻に、望みを捨てよ。巌根ひとつを、ともにして……」
三日月刀の刃が落ちた。
ズブリ、ガツン、という嫌な切断音が響く。
豊かな銀髪が乱れ、水面へ散る。主を失った銀髪はすべて、魔法のように水に溶けて……その水面が一瞬、銀月の色をした閃光を放った。
黄金祭壇のうえに横たわっていた死体は、頭と胴体が離れた骸骨と化していた。その死体を焼くのは、黄金の暗い炎だ。
暗い色をした禍々しい炎が、チロチロと赤い血液を舐めるように燃え……
やがて。
不思議にも瞬時に骸骨となっていた死体は、黄金の炎をした闇に、呑み込まれていった。
天井を荘厳する、忌まわしき三つ首の黄金仮面。《怪物王ジャバ》の三つの口がうごめき、陰々とした《精霊語》の音声を生じる。
『九百九十九の夜と昼……』
ジャラジャラという、多数のコインが転がるような音がつづいた。
「九百九十九、来た! 九百九十九の血祭りだ、さぁ、九百九十九の黄金郷を得たのは、この人だ! 次は千だ! 千は有りや無きや、丁、半、次の血祭りをこそ楽しみにして、なお威勢よく賭けるが良い!」
ドッと湧き上がる笑い声、奇声、悲鳴――その人の死を、いまかいまかと待ち望んでいた人々の、おぞましいまでの欲望をたたえた眼差しの群れ。
そして……