死屍累々の点と線~犯人の候補者たちが多すぎる(1)
翌朝、日の出前の刻。
市場の片隅にある路地裏、アルジーの代筆屋。
アルジーは、鳩舎のエサの刻より早い頃に目を覚ました。
早起きな白文鳥《精霊鳥》パルと、同じく早起きして遊びに来た白文鳥たちが、幾何学的格子窓を通して鳴き交わしている。
やがて、小さな店舗セット住宅の軒下で育てている豆苗を、白文鳥《精霊鳥》5羽ほどがつつき始めた。
同じ路地裏にある一皿料理屋のほうから、朝の行商のための料理のにおいが漂っている。スパイスの効いた肉や野菜を串に通してあぶった類のもので、買い食いの定番だ。
アルジーは大きなあくびをしながらもターバンを整え、財布を持って、隣近所の一皿料理屋を訪れた。
昨夜からの不調が響いている。自炊する気力は、いつもの半分ほど。
新たに火を起こして肉をあぶっていた行商人の熟年夫婦が気付き、振り返って来る。成人して結婚した子供たちが居るという夫婦だ。
「あぁ、お早う、代筆屋アルジー。買ってくかね」
「串2本……できれば消化の良いほうで」
「毎度。こっちはスパイスがマイルドなほうだよ。肉がもたれるなら魚もあるけど」
アルジーは、チーズをかけた白身魚と野菜のセット串を2本、頂いたのだった。魚は、東帝城砦のオアシス湖で採れたもの。
包丁で手際よく野菜を切り分けつつ、オバサンが、ふと思い出したように喋り出した。
「昨日は墓参りの日だったよね。神殿で大爆発やら火事やらあったって聞いたけど、なんか見たかい?」
「離れたところから爆発は……」
興味津々のオジサンが、焼き上がった串料理を皿へドンドン移しながらも、口を挟んだ。
「俺の知り合いの、酒屋の小僧と香辛料屋が早朝礼拝に行っててな、ドーンと爆発するところ目撃したぞ~って、取引先の食堂で騒いでたんだぜよ。死んだの、風紀役人ハシャヤルだって言うじゃないか。ビックリしたぜよ。俺らも取引先の食堂へ惣菜を届けていて、耳に挟んだもんだからね」
アルジーは、市場の情報網に感心するのみだ。
美味しそうなにおいを嗅ぎつけ、なんとなく街中をうろつく野良猫……火吹きネコマタが、フラリと近づいて来ている。まだ邪霊害獣を狩って食うほどでは無い子猫だ。
「これは人間さまの食事ぜよ、ネコちゃん。お金を持って来ないと売れないぜよ~」
「にゃーにゃー」
「やけに毛並みの良いネコぜよ。この辺りじゃ見かけんな、新しい捨て猫かね。そら、ちょっとやるから、こっちの炉に火を付けてくれねえか」
「にゃー」
子猫の火吹きネコマタは、白身魚の欠片をパクリとやった後、2本の尻尾の先にポポンと物理的な火を灯して、炉に火を付けたのだった。こういう事もあるから、火吹きネコマタは、だいたい歓迎されるのだ。
炉は少し大きめの通風式の壺。その中に、燃料となるラクダのフンが入れてある。ラクダのフンは、優秀な燃料だ。
意外に情報網の広い一皿料理の行商のオジサンは、話し続けた。
「ちょっと話し込んで来てね、近所で、最も怪しいの、ワリドさんじゃねぇかなって話になったんだぜ、なあ、おまえ」
「そうなんだよねぇ。ちょっとアレな人だもんね、『ハシャヤルを殺してやる』とか騒いだって話もあるし」
オバサンも、包丁を止めてちょっと思案顔になった。とはいえ、これから行商の、かき入れ時。オバサンは串に肉片や野菜片を次々に通し、火にかけた。
――ワリドさんという人が、ハシャヤルさんに殺意を抱いていたのか。
アルジーは串料理を味わいながらも、知らない人の名前に反応する。
「ワリドさんって?」
「火事に巻き込まれて、2階から飛び降りた母子が居たって話。スージアさんとヤジドちゃん。そこの別居中の旦那が、ワリドさん」
アルジーの中で記憶がよみがえった。
確かに、礼拝堂のバルコニーから避難した人々の中に母子が居た。近くに旦那さんと思しき男性が居なくて、母子だけだったので、「アレ?」と思ったのだ。
「知り合いの香辛料屋が隣の通りに住んでんだ。奥さん同士の井戸端会議とやらで、スージアさんとヤジドちゃんの事情、あらかた知ってるんだよね。スージアさん、ヤジドちゃん出産する前に、出産育児の資金、かなり溜めてたそうなんだ。しっかり者のママだね」
「あぁ、成る程。東方総督トルーラン将軍の政治みてたら、その辺、慎重になるよね」
オバサンは噂話が好きな性質らしく、イキイキと喋り出した。
「スージア奥さん、ヤジドちゃん教育資金を溜めるのに、帝都の土木建築にも投資したとか何とか。割と当たって、結構な額面らしいんだよね。えーと、近くの金融商のとこに口座あるんだってさ。で、別居中のワリド旦那は賭場に出入りしてんだよね。最近、風紀役人ハシャヤルさんに見つかって、たいそう罰金とられてね、それで『ハシャヤルを殺してやる』とか騒いだんだってさ」
「カネの怨み? アリアリのアリかも。よほど問題な賭場だったみたいだね」
オバサンは「そうそう」と言いながら下ごしらえを完了し、オジサンと一緒に串料理を回し始めた。火吹きネコマタが着火してくれた新しい炉でも、新しい串料理の香ばしいにおいが漂い始めている。
一区切りつき、オバサンはベールの端を気取って摘まみながら、「とっておきの話」をするような顔つきになった。
「ここだけの話だけどね。ワリドさん、怪奇趣味の賭場に行ってたそうなんだよ。常連でね」
「怪奇趣味の賭場? あの、人間も血祭りにするとか、不吉な噂の?」
近くで子猫の火吹きネコマタが、キラキラした目を「カッ!」と見開き、2本の尻尾を「ビシィッ!」と立てた。
その不思議な異変に気付かない様子で、オジサンは、せっせと串料理をあぶり、回し続けていた。焼き上がった串料理が新しい皿に積まれ、行商用の箱に詰められてゆく。
「その酒場の小僧ってよ、地獄耳の鬼耳だぜよ。給仕のついでに、ヤバイのも小耳に挟むんだぜよ~」
――つくづく、市場の「知り合い同士」の情報網は侮れない。
「石膏で作った《骸骨剣士》舞踏がウリの賭場だそうでよ。賭けで当たった景品の酒、それも《骸骨剣士》意匠の酒瓶をもらって、踊りながら拝んでたのが見つかって、大目玉だったそうだよ。聖火神殿としては、そんな邪霊崇拝モドキ、遊びでも冗談でもダメってことだぜね。あぁ、その怪奇趣味の賭場、酒場の小僧が新しく地獄耳の鬼耳に入れたところによれば、西の商館の、酒場の地下にあるらしい」
「そんな場所にあったの? 隠れるの上手っていうか。商館の酒場って広いし、その地下ともなると大会場じゃない?」
「100人や200人は入ってたぜ~って話だったぜよ。なんかのタペストリーの裏に隠し戸があるらしくてよ。怪奇趣味の賭場って大金が動くってことで有名だし、悪知恵が回るもんだぜよ~」
何故か子猫の火吹きネコマタは、ネコのヒゲをピピンと立てて、ピューッと走り去って行った……
やがて、気の良い一皿料理屋のオジサンとオバサンは、手際よく行商の準備を終えた。串料理を詰めた箱を手押し車に固定して、準備万端である。
「ワリドさんって、あの火事とか何かでスージア奥さんも折よく死んでくれれば、夫として、多額の金が入るっていう立場だって話なんだよね。ヤジドちゃんがどうなるかは知らんけど、親戚に預けるってのもあるね」
「聞けば聞くほどアヤシイ……」
「だぜよ~。俺はワリドさん犯人説に1票だなぁ」
炉の火を始末しておいて、朝の行商へと出発する間際になって。
オバサンが「あっ」と気付いた顔で、アルジーを振り返って来た。
「ねぇアルジー、『お喋り身代わり居留守』御札、そろそろ期限切れだからさ、また新しいの、くれるかい? うちの娘んとこ、怪しい変質者がまだ張り付いてんだ。お婿さんも良い人で頑張ってくれてんだけど、出張の仕事が入っちゃったんだってさ。お婿さんの声で喋ってくれる御札、あれスゴイ助かってるよ。帰りに、娘んとこ寄るんでさ、新しい御札あげたいんだ」
「あ、そうだったぜよ、おまえ。ありゃスゴイ御札だぜね~。婿さんの似顔絵と一緒にスタンド式ハンガーに貼り付ければ、婿さんの振りをして喋ってくれる」
「んー、それじゃ、この串と交換で良い? 以前いただいたのも含めて、これでツケ払い完済ってことで」
「がめついね。ハハハ。じゃあ、それで手を打とうね」
アルジーは早速、紅白の御札を取り出し、赤インクで《精霊文字》を書き付けた。
元々は小型の邪霊害獣《三つ首ネズミ》《三つ首コウモリ》が入り込んで来た時に、自動的に「コラッ」と大声を掛けたり、《火の精霊》による火花を、火事にならない程度に散らしたりして追い払うための御札である。それを対・人間用に改造してみたものだ。
試しに、怪しい変質者の振りをして、完成した『お喋り身代わり居留守』御札に声を掛けてみる。
――「うっへへへへ、綺麗なネエチャン、よい壺があるんだよ。出ておいでよ」。
すると、『お喋り身代わり居留守』御札のうえで《火の精霊》による火の玉がパッと光り、楽しそうに揺らめきながら、間違いなく男の声で返事をした。
――「壺は間に合ってるんだ、とっとと帰れ」。
感心した行商人のオジサンとオバサンに、『お喋り身代わり居留守』御札を渡し、アルジーは、彼らの出発を見送ったのだった。
*****
帝国伝書局・市場出張所は、昨日の火事の件で、もちきりだった。
町内の聖火礼拝堂を取り巻いていた塔のひとつ『瞑想の塔』が爆発炎上し、死体を出した件だ。死体の主は、中年の風紀役人ハシャヤル。
商館から依頼文書を持って来た使い走りのスタッフたちと局員たちが、口々に最新情報を交わし、あさっている。
日の出の刻を過ぎて、青空が広がっている。太陽が高くなると共に、砂漠地帯ならではの乾燥した空気の中、気温がみるみるうちに上昇していった。
付属の鳩舎広場のほうで、エサをねだる伝書バトたちの鳴き声が、ひっきりなしに続いている。
アルジーは、ターバン姿の中年の女性局員と共に、伝書バトへのエサやりと鳩舎の掃除を済ませていった。
この帝国伝書局・市場出張所は、市場の定番の手頃な大衆食堂を改装したものだ。鳩舎広場は、元は料理を仕込むための作業場だったところである。
鳩舎の前にある噴水は上水道だ。料理用の水として使うための濾過装置が付いていて、いまでも定期的に《精霊亀》を使う点検を続けているため、人間も飲める水になっている。帝国伝書局・市場出張所の依頼人へのサービスとして、水瓶に水を溜めて提供している。
噴水を掃除し、鳥の水浴び用の水を入れ替える。相棒の白文鳥《精霊鳥》パルと、その友達の白文鳥たちが、待ちかねたように水の中に飛び込んで水浴びを始めた。
中年の女性局員が、感心したように白文鳥の水浴びを眺める。ターバンの端で、顔に跳ねた水しぶきを拭き取りつつ。
「小鳥さんたち、つくづく水浴びが好きだねえ」
「今日は、白タカたちは?」
「みんな出払ってるよ。聖火神殿で起きた《魔導》ジン=イフリート爆発炎上の件で、昨夜からずっと、連絡や調査に駆り出されているんだよね。早く解決すれば、こっちも楽になるんだけど。白タカたちは砂漠の《人食鬼》を避けて飛ぶから、確実な連絡手段だし」
真夜中にいきなり呼ばれるという非常時の騒動を思い出したのか、中年の女性局員は、ターバンにしていた布をベールに直しながらも、グッタリしたような顔になった。
彼女は、元・民間の鷹匠として、普通のハヤブサ等を使う女狩人だった人である。出産・育児を機に第一線を退いているが、鷹狩の繁忙期になると駆り出されるし、体力はそれなりにある。それでも昨夜は、行き来する白タカ《精霊鳥》への対応がつづいて、きつかったらしい。
女性局員は、いくつかの水瓶を客用出入口のほうに揃えた後、手を振って退勤していった。
「私、これから帰って昼寝するからね。後はよろしくね~」