神殿の塔、闇をいだいて爆発炎上す(3)
アルジーは、いつしか無意識のうちに髪をいじり始めていた。
――これは推理と想像に過ぎないけど。
その不気味な『死の呪い』、すなわち《怪物王ジャバ》へ1001人の生贄を捧げるという邪悪な陰謀に関して……東方総督トルーラン将軍は、母親の死には、関係していないだろう。
御曹司トルジンも言っていた。トルーラン将軍は若かりし頃から『シュクラの銀月』に懸想していた、と。
シュクラ王国の財産や秘宝をゴッソリ分捕ったうえ、シュクラ国王夫妻を含めて王族全員の首を刎ね――アリージュ姫の父親も加えて――
そして、未亡人となった『シュクラの銀月』シェイエラ姫を、自身のハーレム妻として獲得しようという時に。『死の呪い』を仕掛けるというのは、動機や目的そのものが矛盾している……
自分自身が《怪物王ジャバ》への生贄に選ばれているという指摘は、確かに怖い。《怪物王ジャバ》が1001日目の期限と認識する「命の終わりの時」が、いつか到来する――それは、怖いけれども。
明確な死期を告げられて、逆に度胸が据わる人間も居る。医師に、不治の病名と死期を告げられた病人の一部が、そうであるように。
すでに一度、死にかけた身だ。二度目は心臓が本当に止まる、ただ、それだけのこと。
アルジーは腕を組み、ボンヤリと、明るさを増す空へと視線を投げた。
一度、死にかけた時……7歳だった時の、あの日。
トルーラン将軍が身体をベタベタ触って来たのは確か。生贄《魔導陣》は、その時に偶然、張り付いたのだろうか? 嫌な感じはしたけれど、これというような違和感は無かったと思う。
違和感があったのは、あの日の夕食の後だ……あの後で、不意に髪の毛の長さが乱れた。
オババ殿がアリージュ姫の髪を少し切りそろえようと決めたのは、それが理由。
波長の合った精霊が干渉したり、祝福したりして来て、髪の毛の長さがバラバラになる現象は、あるにはある。
精霊の干渉や祝福によって、髪の色が変わる現象のほうが多い。《火の精霊》の祝福を受けた赤髪、《地の精霊》の祝福を受けた黒髪、という風に。《風の精霊》や《水の精霊》の干渉で『髪の色が変わった』という事例を見かけないのは、それぞれに透明なため。
……生贄《魔導札》が、あの夕食に、ひそかに盛られていたように思う。
盛ったのは誰だろうか?
オババ殿や、一緒に来ていた付き添いの人たちは、ヒゲを剃ったり、慣れない場所で転んでスリ傷ていどの怪我もしたそうだけど……何とも無かった。明らかに、アリージュ姫の食事だけを狙って、盛ったということになる。
あの件は『毒を使った暗殺か』と大騒ぎになったということで、夕食に関係した料理人や給仕たちが徹底的に調べられたと言う。誰も毒を持っていなかったそうだ。怪しそうな、灰色の御札さえも。
ほかに怪しそうな人物と言うと、例えばトルジン親衛隊に居たテラテラ黄金肌の戦士ではあるけれど……彼は、昔は、居なかった。
この1年、思い出せる限りの記憶をたどって来た。時には、屋根の上に登って東方総督の住まう宮殿のシルエットを仰ぎ、眠れない夜は夜を徹して、考えすぎるくらい考えて来た。でも、考えれば考えるほど、袋小路にハマってゆく。
――真犯人を突き止めるまでは、死んでも死にきれないけれど。犯人が絞れない。分からない……
アルジーは長い髪をたたみ、ターバンに押し込みながら、つらつらと思案を巡らせた。
――この灰髪は、確かに月光を通じて《銀月の祝福》を受け取っているらしい。
一時的ながら不健康なパサつきが収まっていて、いまの手触りは幾分かマシ。
7歳の時に死ななかった理由も、依然として謎ではあるのだ。仮説としては、生贄《魔導陣》による呪縛が始まったと同時に、《銀月の祝福》の精霊が干渉または祝福して来て、髪の毛を余分に、長く伸ばしておいてくれたお蔭なのか、というのがある。
自分が、母と同じように《銀月の祝福》由来の銀髪だった、ということは記憶には無い。
二つ名『シュクラの銀月』だったという母シェイエラ姫の髪については、とってもキラキラしていたというような記憶はある……ような気はするけれども……
…………
……
程なくして。
相棒の白文鳥《精霊鳥》パルが、アルジーの肩先に飛び降りて来て、「ぴぴぃ」と鳴き始めた。
『アリージュ、アリージュ』
『なに、パル?』
『人が来た、人が。同郷の人、ピッ』
――人の気配。
サッと振り返る。
曙光の中、ひとり佇む年配の男性が居た。
荷役などに従事する底辺層の労働者を思わせる粗末な出で立ちだが、不思議に、宮廷風の上品な雰囲気を感じる。ターバンからこぼれる髪は白髪混ざりながら――シュクラ山岳では多い、淡い茶髪。
「シュクラの人? だれ……?」
年配の男性は涙ぐみながらも、折り目正しい一礼をした。シュクラ王国の流儀で。
「アリージュ姫。シュクラ王国の宮廷で侍従長を務めさせていただいた、タヴィスと申します。覚えてはおられないでしょうが、姫が御年7歳で人質として護送された時、随行いたしまして。此処でお待ち申し上げておれば、お目に掛かれると確信しておりました。月命日の際は行き違いになってしまいましたが」
7歳の頃……『キチンとしたオジサン』が、オババ殿と一緒に居たというようなことは、ボンヤリとながら覚えてはいる。
――ただ、顔が思い出せないから、何とも言えない状態だ。
「本名は『アリージュ』だけど。ごめん、いきなりだから信用する気になれない。それに今さら『姫』なんて……」
「当方は姫の御母堂を存じ上げております……こうして拝見いたしますと、まことに御母堂、シュクラ王妹シェイエラ姫に、よく似ておいでです。背丈は、お父上のほうの血筋ゆえかと存じます」
そそくさとターバンを巻き終えながらも、思わず目をパチクリさせるアルジーであった。
「私の顔、さる御曹司いわく『骸骨ヤロウ』だよ?」
かつての侍従長タヴィスと名乗った年配の男は、ちょっと首を傾げた後、何故か訳知り顔になって、苦笑に近い笑みを湛えたのだった。
「これは平行線のようでございますから、さておくといたしましょう。シュクラ宮廷霊媒師、オババ殿より、お預かりした重要な事項がございまして。是非ともお伝えさせて頂きたく、こうしてお待ち申し上げていた次第です」
「オババ殿、何かしてたの?」
「シュクラ・カスバの秘密口座を、設置してくださいました」
思わず目を見張って、まじまじと年配の男タヴィスを見つめるアルジーであった。
「……オババ殿、いつ設置してたんだろ? どこに? シュクラ・カスバは、東方総督トルーラン将軍の直々の指令、というか嫌がらせで、経済封鎖されてたよね。東帝城砦への奉仕と納付だけで、ほかの城砦との自主取引すべて厳禁で……」
「ご存知の、姫が7日に1度お通いになっている金融商のところです。私どもにしても、1年――1年半ほど前、白タカ《精霊鳥》シャールが運んで来た秘密通信を受け取るまでは、存じ上げておりませんでした」
「オババ殿が病気になって寝込み始めた頃だ、それ。高価な薬が必要って分かって、もっと実入りのある裏営業を始めて。行き付けの金融商オッサンにお願いして、あの薬の名前で貯金口座つくって……あれ? 維持手数料、やたら高いと思ってたけど……あれ?」
「シュクラ・カスバの秘密口座は、ここ東帝城砦にある貯金口座からの定期的な送金支援を受けておりまして。帝都公認の金融商の管理のもと、1年以上に渡って安定した送金を受けている秘密口座は、信用が高いのです。お蔭さまで、近隣の城砦との取引が進んでおります……」
落ち着いた口調が続いていたけれど――最後は震え声。
不意に気付くところがあり、アルジーは息を呑んだ。
「オババ殿、薬代に使ってなかった……? いや、あの薬、だんだん市場に入って来なくなって。トルジンが『自称アリージュ姫』に貢ぎすぎたせいで、節約で、事業仕分けを通じて輸入許可リストから削られてたから……」
予期しなかったところで、次々に連結する点と線。もはや混乱しきり。
オババ殿と、金融商オッサン……もとは薬代支払いのためだった貯金口座と、シュクラ・カスバの秘密口座。個人向けにしては不自然に高かった、口座の維持手数料。東帝城砦の外へ、送金――送金支援。
金融商オッサンのところで、確かめなければ……あるいは、白タカ《精霊鳥》シャールに。
目の前がグルグルして、ふらりとよろめく。
――この身体、気を抜くと、すぐにふらつき始める。気を付けてはいるけれど。
タヴィスが慌てた顔になって駆け寄る。侍従長としてのスキルなのか、支え方が上手。
「お気を確かに、姫」
…………
……
アルジーが口から魂を飛ばしていたのは、5分ほど。
脇の植込みの傍で、アルジーは、タヴィスにうやうやしく支えられた状態で、へたり込んでいたのだった。
気が付くと。
明るい朝の青空を背にして……見覚えのある白タカ《精霊鳥》が、年配男タヴィスと一緒にのぞき込んで来ていた。馴染みの《精霊鳥》シャール。
『よぅ、銀月の。妙なタイミングだが金融商オッサンの伝言の件、間に合ったようだな』
アルジーは困惑顔で、白タカ《精霊鳥》シャールと、年配男タヴィスを、交互に眺めるのみだ。詐欺やハメコミの類じゃないのは分かったけれど、何が何だかだ。
「いったい何が起こってるの……?」
「時間がございませんので、要点のみ説明いたします、アリージュ姫」
非常に生真面目な性質らしく、タヴィスは敬語を崩さない。
ほぼ野生と化した緑の植込みの間を、さわやかな朝の微風が通りすぎ……アルジーの口元は、少しばかり引きつっていた。
何とも、むずがゆい。幼少期、両親と共に過ごした祖国シュクラを懐かしく思う気持ちはあるけれど。
「シュクラ・カスバの財務状況の改善が加速しているため、オババ殿の設置した秘密口座の存在が、トルーラン将軍の側に漏洩しつつあります。ご指摘のとおり、トルジン様の使い込みもあって東帝城砦の財務状況が芳しくなく、強権を使って没収可能な財源に手を伸ばしているとの観測がございます」
――それは納得できる。そのような話を、金融商オッサンの店で小耳に挟んだばかりだ。
だが、シュクラ・カスバの情報網や諜報力に唖然とするのみだ。王国時代から続く各種組織を、諜報機関も含めて、コッソリと維持していたのだろうけれど。小国といえども、群雄割拠のつづく長い歴史を存続して来たゆえの蓄積か。トルーラン将軍支配下の世界しか知らなかっただけに、とても想像できない。
アルジーの理解状況を察した様子で、タヴィスは説明を続ける。
「その『回収可能な資金』の中に、オババ殿の設置された秘密口座が含まれている可能性が高いという訳です。恐れながら、名義変更は姫にしかできません。できる限り速やかに、東帝城砦にある貯金口座の名義を、『オリクト・カスバのローグ』に変更お願いいたしたく。ほかの処理は、私どものほうで進めておきますゆえ」
「あ、ユージドお従兄様の親戚で親友……シュクラ王妃さまが元々オリクト・カスバから来た人だった……結構ボンヤリしてるけど覚えてる。信頼できる人だから、やっとく。けど、残金を全額、引き出してドロンするだけで良い気が……? 早いし、簡単だし」
フッと苦笑を浮かべるタヴィス。
「そこが、姫の生存情報の唯一の窓口でございまして。あの正式な輿入れの夜に、アリージュ姫が聖火神殿に現れなかったばかりか、トルジン様に放逐されて不意に消息を絶たれた件、こちらでは大変な騒動になっておりましたのです。白タカ《精霊鳥》シャールが連携するまでは、熟練の霊媒師や魔導士でさえも、足取りをつかめませんでしたから」
言及された白タカ《精霊鳥》シャールが首を振り振り、素早く突っ込む。
『実を言えば、その時に、姫を張ってた前任の我が種族が、急にお星さまになってたんでな。不意打ちでツナギが切れたから、我のほうでも、いわゆる「わけわかめ」だったんだよ。同時並行で進んでた計画があったとパルから聞いてるが……まぁ、今はどうでも良いか。7枚羽の《証明》が付いて来たから』
アルジーは少し首を傾げた後、眉根をキュッとひそめた。
何だか思い当たるのが、あるような気がする。
オババ殿の遺言――『何はなくとも、7日に1度は、生存の《証明》として……《白羽の水晶玉》を撫でる』。
生存の《証明》。あれが、《証明》なのだろうか?
あの夜に放逐されて、花嫁衣装も処分はしていたけど、熟練の探索者にさえ分からないような形で、不意に消息を絶った覚えは無い。
たぶん、パルでさえ惑わされたという、異様に長時間の《魔導陣》による妨害が関係している。おそらく、探索の類を妨害するための《魔導陣》。そんなの使うの、忍者や暗殺者を務める隠密の魔導士ぐらいだと思うけど。
唯一の生存情報の窓口って、7枚羽の彫刻を抱えている《白羽の水晶玉》だったりする……?
その生存情報って、敵の魔導士に洩れないように秘密扱いになっていると思うけど、どこへ連携してるんだろう。シュクラ・カスバへは行ってると思うけど。オリクト・カスバも関係しているんだろうか?
「……全部の事情を説明してないよね? 急いでるのは分かるけど」
「私どもも全て存じている訳ではございません。ローグ様および関係者が、この案件に特別な懸念と関心を抱いているという事実のみ、お伝えいたします」
今日は、朝っぱらから驚くことでいっぱいだ。アルジーは、詰め込みすぎて痛み始めた頭をさすりつつ、立ち上がった。
次の瞬間。
人間よりはるかに感度の良い《精霊鳥》パルとシャールが、急に激しく飛び回り、鋭い鳴き声を上げた。ほかの白タカ《精霊鳥》たちも、警戒心いっぱいに冠羽をビシッと立てたまま、ワッと騒ぎ始めている。
『危ない、ピッ!』
『伏せろ!』
ドッと湧き立つ、異臭。
オリーブの木々の連なる向こう側で、禍々しい黒いモヤの、巨人のような煙が立ち上がった。
共鳴する《火の精霊》たちの、焦げ付くようなにおい。
あたりを揺るがす、大爆発――大音響。
ドドドドガーン!!
衝撃波による一陣の熱風、そして、高所から飛散して来る着火破片の数々。爆風に枝葉を飛ばされ、折れ曲がってゆくオリーブの木々……