神殿の塔、闇をいだいて爆発炎上す(2)
アルジーの今日の目的地は、オババ殿が眠る墓地だ。
神殿から近い立派な墓地のほうでは無く……外れの方向へずっと行った先の、放置され忘れられたヤブのような場へと向かう。
――民間の共同の無名墓地。
行き倒れの身元不明の死体や、引き取り手が見つからなかった傭兵などの無名戦士、処刑された死体などを葬るための墓地である。
厳重な管理のもとにある立派な墓地とは違って、専属の魔導士によるシッカリした魔除けがされていない。
墓地を区切る日干し煉瓦の列に沿って、半ば野生のヤブと化した蔓草やダマスクローズの植込みが荒々しく生えている。小道の各所でサボテンが突き出して来て、舗装も崩れかけている。
アルジーは、相棒の白文鳥《精霊鳥》パルの誘導に従って、安全な道筋をたどっていった。『邪霊調伏』の御札を挟んだ棒で、地面をつつきながら。日の出前の時間帯、こうした対策が必要になるだけで、太陽が昇った後は問題ない。
各所に、邪霊害獣の出没した痕跡があった。
邪霊害獣を捕食する野良の精霊「火吹きトカゲ」や「火吹きネコマタ」などが入り込んでいるようで、方々で、それらしいゴソゴソとした動きが続いているところ。
今朝は、この辺りが狩場になったようだ。5羽ほどの白タカ《精霊鳥》が、冠羽を勇ましく立てて、夜明け前の狩りにいそしんでいる。
見る見るうちに、定番の邪霊害獣、ぎらつく黄金の身体を持つ《三つ首ネズミ》や《三つ首コウモリ》が狩り出された。
精霊・邪霊にしか見えない特殊な次元の通路があると言われている。どう見ても物理的には通り抜けられないように見える隙間から、《三つ首ネズミ》や《三つ首コウモリ》が数体ほど、バッと躍り上がって来る。人の手で整備されないまま忘れられ、禍々しく荒廃してヒビ割れた場所から出現して来るのが多い。
黄金の邪体が躍り上がるたびに、気配を読んで待ち構えていた白タカ《精霊鳥》が、すかさず捕獲して舞い上がっていった。
邪霊害獣の肉片や血液が一瞬、ギラリと魔性の黄金色に閃くが、退魔の力を持つ白タカ《精霊鳥》の鋭い爪でズタズタに引き裂かれ、清められ、通常の真紅色をした骨片や肉片になる。
その後、めいめいの胃袋に収まってゆく。
野生の《火の精霊》「火吹きトカゲ」や「火吹きネコマタ」も、邪霊害獣が躍り上がった瞬間を捉えて、退魔の火を吹いて狩ってゆく。
――ボボン!
狩りに慣れていなさそうな若い火吹きトカゲが、そこに居た。
火煙の出ている口を、愕然とした様子でパカッと開いている。せっかくの獲物を数体まとめて黒焦げにしてしまったようで、獲物が居たのだろうサボテンが、ぶすぶすと黒煙を上げていた。退魔の火の調整がうまくいかず、まとめて灰燼に帰してしまったらしい。
やがて、アルジーは、そのサボテンの種類に気付いた。植物の姿をした精霊だ。
『精霊クジャクサボテンだね、パル。此処にも生えてたのは知らなかった。古代『精霊魔法文明』の頃に《精霊亀》が運んで来たって……ホントかな』
『浮島をやってた《大ハマグリ》や《精霊亀》の背中で生えてた精霊の、由緒正しい子孫だよ。銀月の精霊、ピッ』
海には不思議な浮島があり……その浮島の正体が、巨大な《精霊亀》や《大ハマグリ》ということがあるのだ。いまでは目撃例は少ないが、たまに漂流の憂き目にあった船乗りたちが、不思議な浮島へ上陸したという冒険談を持って来る。
観察してみると、黒焦げになったクジャクサボテンの先端に、燃え残った白い花弁が垂れ下がっているのが分かる。
『昨夜、咲いてたんだ……月下美人と言うくらい綺麗な花だと聞いてるけど』
『毛玉を呼んでたら、《三つ首》も一緒に集まって来たんだね、ピッ』
古代『精霊魔法文明』の頃、精霊クジャクサボテンは月の出た夜を選んで開花し、月夜を飛ぶ小型のジンを媒介にして受粉していた。現在は、無害な邪霊ケサランパサランを集めて媒介にする。小型の邪霊害獣の類も引き寄せられて来るのは、毛玉ケサランパサランと同じ邪霊だからだ。
何故か、クジャクサボテンには選択的な魔除けの能力が有り、大型の邪霊や有毒の邪霊は徹底して遠ざける。
植物の姿をした精霊として進化させた能力であるが……時代も環境も変わってしまっただけに、なんとも微妙なところだ。開花のたびに小型の邪霊害獣も呼んでしまうため、厳重な管理も無く町内で栽培することは禁じられている。この辺に生えていて問題にならないのは、特に重要でも何でもない墓地だからだ。
雑談を交わす間にも、『邪霊害獣』狩りは、終盤に差し掛かっていた。
おこぼれを狙う無害な邪霊、ケサランパサランが集まって来て、邪霊害獣だった物の残骸に飛びつき始める。赤毛、白毛、青毛、黒毛。
4色をした毛玉ケサランパサランの群れの中で獲物は更に消化されてゆき、赤キビや玄キビのような粒子になる。本物の植物のタネでは無いので発芽はしないが、実際に雑穀類と同じ成分だということで、伝書バトが旅の途中で食べてゆくことが多い。
アルジーの肩に止まっていた相棒のパルも《精霊鳥》ならではの冠羽をピッと立てて飛び出し、赤キビさながらの欠片を、ついばみ始めた。大自然の食物連鎖。
*****
共同墓地となっている敷地の中央に、聖別された一枚岩から削り出された金字塔が、2つある。
4人用テーブル程度の大きさをしたそれが、無名墓地の共同の廟だ。一方が無名戦士や行き倒れ死体用のもの、残りの一方が処刑された死体用のもの。
金字塔の形そのものに天然の魔除け効果があるお蔭で、共同の廟の周囲だけは、別世界のように静か。
銀月は既に没しており、夜天の東の端が太陽の色に染まり始めている。
ターバンをほどくと、出来の悪い藁束のような灰髪が、バサリと落ちた。
不健康にパサつきながらも、腰の下まで届く長さ。オババが、最期の日まで丁寧に手入れしてくれた髪だ。いまは多忙なこともあって以前ほど手入れしていないが、今日この日は、これでも、オババ直伝のハーブオイルで髪質を補修し、櫛を通しておいてある。
ターバンをベール風にして、灰髪を適当に覆った後。
アルジーは準備して来たシュクラ産の線香に火を付け、共同の廟の近くに立てた。
線香は方々の城砦ごとに練り込む素材が異なるため、色合いも煙も少しずつ違う。東帝城砦は帝国の東方拠点の都市とあって、新たに属国となったシュクラ・カスバを含めて、管轄内の城砦の全種類の線香がそろっていた。
シュクラ産の線香が手に入るのは、東帝城砦の物流拠点としての地位と、聖火神殿の影響力のお蔭ということはできる。
首を垂れ……しばしの間、オババ殿を偲ぶ。
――ちょうど1年前。
いつものように朝を迎えてみたら、オババ殿は穏やかな顔をして、息を引き取っていた。
難しい病と言われた割には、ほぼ苦しみも無く、眠るように天に召されたのは幸いと言うべきか。
とはいえ、オババ殿を葬った日を含めて、7日間は何も考えられなかったせいか、とぎれとぎれにしか記憶が無い。
勤め先の帝国伝書局・市場出張所へ顔を出して、「忌引休暇」を申し入れたのは覚えているが、それ以外のこととなると曖昧だ。あとで、そこに居合わせたスタッフ一同に、『骸骨剣士よりも、もっと死体だった』と言われたが、そんなに凄い顔をしていた覚えも無い。
ちょうど、風紀役人が『性別詐称の件』で『袖の下』を徴収しに来ていたそうなのだが、アルジーのあまりの生気の無さを見て「死体」と誤解し、そのまま立ち去っていた、という。
……気が付いた時には。
オババ殿は、行き倒れの身元不明の死体として、簡単な葬儀を経て民間の共同の無名墓地に葬られることになっていた。
シュクラ宮廷霊媒師であったオババ殿は、本名というものが無い。《青衣の霊媒師》免許皆伝の儀式の際に、古代の伝統にしたがって特定の精霊と契約し、人類としての名前を、その精霊に捧げたため。
帝国伝書局・市場出張所の所長から連絡が行ったらしく、金融商オッサンと番頭さん、それに地獄耳の女商人ロシャナクが、葬儀のために、色々動いてくれたらしい。「らしい」というのは、実際に役所や神殿と、どんな事務手続きがあったのか、よく知らない――覚えていないからだ。
もっとも、行き倒れの身元不明の死体として民間の共同の無名墓地に葬る場合は、非常に簡略化された手続きになる。特に正式な書類に残すというような過程は無かった。
神殿の礼拝堂にある「よろず事務受付所」へ埋葬申請書1枚を提出し、1名分の埋葬のための料金を支払い。
無名墓地の埋葬記録帳に、埋葬申請書を綴じられ、「X年X月X日お焚き上げ身元不明の行き倒れ老女1名、市場成人女アリージュ申請」と、事務員の手によって追記されただけだ。『アリージュ』は、一般庶民でもよくある名前の類。
この件については公的に性別詐称していないので、神殿の風紀役人も、この件についてだけは『袖の下』を請求して来なかった。変なところでキッチリしている。
かくして。
オババ殿の葬儀は、無名戦士たちや、処刑された死体たちを一箇所にまとめて葬るのと同じように……実にあっさりと《火の精霊》の炎でお焚き上げにされ、遺灰を共同の廟の周りに適当に撒いて土と混ぜるだけで、終わった。
――葬儀の後、金融商オッサンから『死後開封のこと』と書かれた、オババ殿の直筆の遺言書を見せられた時は、ビックリした。
そこから、途切れがちだったアルジーの記憶は、再開している。
忌引休暇の残りの日々は、ただ、オババ殿の遺言書を繰り返し読んでいた。いまでもソラで要点を繰り返せるほどに、暗記している……
…………
……
『死後開封のこと――宛先、現シュクラ王統の第一王女アリージュ姫』
かわいい姫さん。これを読んでいるということは、オババは今は、もう死んでいるのだろうね。
急に気が変わって、髪を切ったりはしていないだろうね? オババは、それだけが気がかりだよ。
書ける限りは書いておくから、よく覚えておくように。覚えたら、この書状は《火の精霊》にお願いして、お焚き上げしておくれ。得意の《精霊語》で、『お焚き上げ』と唱えるだけで良いよ。そういう仕掛けをしてある。変な人の手に渡ったら、何をどう悪用されるか分からないからね。
まず、姫さんを呪縛している『死の呪い』は、とんでもなく強力なヤツで、どうしても外せなかったよ。
それは、古代の伝説の《怪物王ジャバ》に生贄を捧げる儀式で使われる、1001日の生贄《魔導陣》だ。姫さんは怪物王へ捧げる生贄として選ばれてしまっている。嘘や冗談で言っているのでは無いよ。
霊媒師や魔導士にできるのは、強い護符で一時的に呪縛の影響を遮断したり、薄く細くして弱めたりするところまでだ。
姫さんの母君シェイエラ姫が急死した原因も、《怪物王ジャバ》への生贄にされて、1001日が過ぎる間に、生命力を急激に奪い取られたせいだ。
あの頃、いきなり始まった母君の謎の体調悪化の原因を早く突き止めて、同じ護符を作っておくべきだったんだよ。あの頃は、シュクラ王国の伝統の秘宝、偉大なる白孔雀さまの守護の力が、いつでも使えたんだからね。後悔先に立たずとは、この事だねえ。
改めて耳にタコだろうが、姫さん、髪は絶対に切ってはいけないよ。
耳に着けている護符も、外してはいけない。
姫さんの本当の命の期限が、10歳か11歳の或る日だったのを、護符を使って引き延ばしている状態だからね。ちょっとした怪我ていどなら、ごまかせる。《怪物王ジャバ》が1001日の期限の終わりだと認識する、本当のギリギリになるまで、その護符は時間を稼いでくれる。
かつてシュクラ国境地帯で三つ首の巨大化《人食鬼》が異常発生し、討伐のための兵力が不足していって、帝国の援軍が必要になったという事実は、姫さんが市場で聞き込んで来たとおりだよ。あの戦乱で、シュクラ王太子ユージド様も行方知れずになってしまった。
オリクト・カスバは、シュクラ王妃様の要請に応えて多くの援軍を出してくれたが、それでも帝国の属国の城砦だからね、援軍のための多額の戦費を、東方総督トルーラン将軍を通じて帝国へ支払う必要があった。トルーラン将軍が毎度の強欲と不正で、ゴッソリ中抜きしたようだけどね。
トルーラン将軍は「戦費調達」と称してシュクラ王宮から秘宝や財宝を盗み出す以外には何もしなかったが、それで、何故か、あっと言う間に巨大化《人食鬼》の大群が討伐できたから、オリクト・カスバ側の弁護よりも、トルーラン将軍の主張のほうが、筋が通る形になってしまった。
例の言い掛かり、『シュクラ王国は、三つ首の巨大化《人食鬼》大群を発生させて帝国に攻め込もうとし、国境の安全保障における重大な条約違反と欠陥を呈した』というアレだね。それで、シュクラ国王夫妻および王族男子は斬首され、帝国の属国『シュクラ・カスバ』となって、帝国に支払わなければならない額も増えた。
選択肢は二つに一つだった。戦後賠償金を上乗せして支払うか。推定死亡が確定した王太子ユージドの代わりとなる王族女子を人質とし、未亡人シェイエラ姫とその娘アリージュ姫を差し出すか。
シェイエラ姫は《銀月の祝福》のある長い銀髪を切って売り、それで得た収益を、戦後賠償金にしようとしていた。《銀月の祝福》の銀髪は、特に危険な部類の《魔導》を安全に操作するのに必須でね、魔導士や邪霊使いに高く売れるんだ。
髪を短く切り詰めた瞬間、シェイエラ姫は1001日目を待たずして生贄《魔導陣》が発動し、生命力が枯渇して、急に骸骨のようになって死んだんだよ。
姫さんも生贄《魔導陣》で死にかけた。東帝城砦の人質の塔に到着して、乱れていた髪を少し短く切りそろえていた時、急に高熱で倒れた。でも、母君ゆずりの銀髪を持っていかれただけで本体の方は無事だった。一気に痩せこけて骸骨みたいになったけどね。あの7歳の日に死ななかったのは、不幸中の幸いだったよ。
ろくでもない禁術に手を出した魔導士が、誰なのかは分からない。
ただ、《怪物王ジャバ》復活を願って1001人の生贄を捧げようとしている怪物教団が存在するのは確実だ。その手先、すなわち生贄《魔導陣》や《魔導札》の運び屋が、母君や姫さんの身体に接触した。
そして、まだ生贄の数が1001人に達していないのも確かだ。《怪物王ジャバ》が復活してないからね。《魔導》運び屋は、すぐ近くに居て、姫さんに確実に死を与えようと虎視眈々と狙っている筈だ。気を付けるんだよ。特に大型の邪霊がうろつく夜道は危険だ。
シュクラ王国の財産や秘宝をゴッソリ分捕って行ったトルーラン将軍が《魔導》運び屋だろうと睨んでいるんだが、姫さんは、どう思うだろうね? 真相を突き止められたら、オババにも教えておくれ。
真相を突き止めて、全容を解明できたあかつきには、きっと解呪できるだろう。姫さんに教えられる限りの知識と技術は、すべて教えた。頑張るんだよ。
最後になったが姫さん、最も重要なことを言っておくよ。
何はなくとも、7日に1度は、生存の《証明》として、行き付けの金融商の店にある《白羽の水晶玉》を撫でるんだよ。オババがまだ元気で、姫さんと一緒に、店に通っていた時のようにね。教えたとおりにできるだろう。
この《白羽の水晶玉》の件は、最も重要なことだから、金融商の店主さんにも番頭さんにも、前もって特に依頼してある。姫さんが1回でもサボれば、店主さんか番頭さんが駆け付けるから、ちゃんとするんだよ。
――青衣の霊媒師より、かわいい姫さんに良き精霊の祝福あらんことを――