神殿の塔、闇をいだいて爆発炎上す(1)
帝国伝書局・市場出張所の朝は早い。
夜明け前の濃紺の空に、銀月が掛かっている。そろそろ満月に近い。
代筆屋アルジーが通りかかる頃……伝書局スタッフの手によって、伝書バトが集まる鳩舎や、白タカ《精霊鳥》の巣箱が開けられ、餌の時間が始まっていた。
しきりに鳴き交わし始めた鳥たちの群れ。帝国伝書局・市場出張所に付属する中庭が、ワチャワチャと騒がしくなる。
伝書バトの餌は、もっぱら草の実。
白タカ《精霊鳥》は、市場の方々まで飛んで行って――砂漠の方へも足を延ばして――自分で餌を狩って食べる。餌は小型の邪霊害獣の類。
鳩舎を担当するシニア世代のスタッフが、『休暇』の連絡板をセットしたアルジーに気付き、ノンビリした様子でヒゲをしごいた。
「お早う、代筆屋アルジー。商館や隊商宿のほうから、《精霊文字》含む代筆の注文が出てるが。今日は休みか?」
「風紀担当の役人が、性別詐称の見逃しの件で『袖の下』を要求して来る頃合いだから、ちょっと行方不明になろうかと思って」
「さては、がっぽり臨時収入があったな? この間の『とある高級娼館の怪談』とか?」
「おっとそこまで。定番のお約束『私にゃかかわりの無いことでござんす』。まぁ今月の餌代と巣箱代と……ちょっぴりだけど、酒代の足しにでもして」
持ち込んでいた革袋を手渡す。いつもより「ちょっぴり」重い。
「珍しく気前が良いじゃないか……あぁ、今日は師匠の命日だったか、あのオババ殿の」
アルジーは無言でコックリ頷くと、聖火神殿へと足を向けたのだった。
*****
オアシス側の城門へと通じる大きな街路を行くと、聖火神殿だ。
大きな街路の脇では、オリーブの木々が街路樹となって並んでいた。夜明け前の空に、数多の葉影がさやいでいる。
木々の向こう側に、聖火神殿に付属しているドーム建築が見える。聖火礼拝堂だ。礼拝堂のドーム屋根の周りを囲むかのように、数多くの、細く高い塔がそびえている。
ちなみに、東方総督トルーラン将軍が住まう宮殿にも聖火神殿はあるが、こちらは宮殿に関連する役所事務に特化していて、小さな出張所そのものだ。聖火礼拝堂のほうが規模が大きい。
東方総督の宮殿に付属する聖火礼拝堂は、東帝城砦に集まって来る東方の王侯諸侯たちの社交場として機能している。種々のお披露目や諸侯会議、有力者の宴会などの会場として使われることが多い。実際、御曹司トルジンと『自称・本物のアリージュ姫』の華燭の典がおこなわれていたのも、宮殿に付属する煌びやかな聖火礼拝堂のほう。
街路に沿う街路樹が途切れたところで、赤砂岩の外壁が、左右に長く伸びていた。幾つものアーチ入り口がずらりと並ぶ、アーチ回廊だ。
聖火神殿と聖火礼拝堂を取り囲む第一外壁アーチ回廊に沿って、古いオリーブの木々が、やはり街路樹のように長く並んでいた。
第一外壁アーチ回廊の各所で、一定距離をおいて、赤茶色の長衣をまとう門番たちが警備している。夜を徹した業務の終わりごろなのか、あくびをしている門番たちも相当数。
早朝の礼拝のため礼拝堂に向かう善男善女が、三々五々また三々五々と、第一外壁アーチ入り口をくぐって行く。そのパラついた人波に乗って、アルジーは、ひとつのアーチ入り口をくぐった。
第一外壁アーチ入り口をくぐると、すぐに第二外壁だ。第一外壁と同様に赤砂岩のアーチ回廊が続くスタイルだが、そのアーチ入り口には鉄柵による扉が据え付けられている。
早朝の礼拝の刻に合わせて全ての鉄柵扉は全開状態になっていて、大斧槍を構えている門番が目を光らせていた。第二外壁のほうが、警備は明らかに厳重。
……その厳重な筈の鉄柵扉の一角で、ひとりの門番が大斧槍も持たず駆け回っている。
しばらく眺めて、その理由に気付き……思わず目をパチクリさせるアルジーであった。
気付いた他の礼拝者たちの相当数も、微笑ましいという笑いや、苦笑いを洩らしている。
赤茶色の長衣をまとう門番オジサンと、野生の精霊『火吹きネコマタ』とが、追いかけっこをしていたのだった。
「火を付けたまま入るんじゃ無い、こら、消火するからおとなしくしろ」
「にゃーにゃー」
「おぅ頑張れや、その調子だぁ、同僚どのぉ」
担当の違う門番たちは、無慈悲にも(?)、声援を送るだけだ。実際、火吹きネコマタとの駆け引きは日常的な出来事であり、いちいち反応することでも無いのだ。火吹きネコマタに「遊び相手」と見込まれた特定の門番たちにしてみれば、降ってわいた面倒事ではあるが。
2本の尻尾を持つ赤トラ猫の姿をした『火吹きネコマタ』は、《火の精霊》の例にもれず相当に気まぐれな性質だが、驚くほど強い魔除けの力を持つ精霊の一種だ。神殿としては、その来訪を――遊びに来るのを――歓迎するものである。
火吹きネコマタに気に入られてしまった門番オジサンは、フウフウ言いながら、水の入った小壺を持って、火吹きネコマタの尻尾に振りかけようとしている。火吹きネコマタの2本の尻尾の先で、物理的な炎が揺らめいていた。
イタズラ好きな精霊――火吹きネコマタが風船のように飛ばした無害な邪霊、赤いケサランパサランが、空中のあちこちを漂っている。
赤い毛玉ケサランパサランは、ルンルンと踊りながら、陽気に揺らめく炎を出していた。こちらの炎は幻影であって、火事になるものでは無いが……炎の色と形そのものだから、訳が分からず発見した礼拝者などは「火事か」とビックリする羽目になる。
――あの門番オジサンは、火吹きネコマタの2本の尻尾の先の火を消したり、赤いケサランパサランをドリームキャッチャー仕掛けの捕獲網で回収したりと、しばらく運動することになるだろう。
アルジーは、ターバンから肩へと飛び移った小さな相棒――白文鳥《精霊鳥》パルに、《精霊語》で、そっと話しかけた。
『割と中年太りしている状態だから、良い運動になりそうだよね、パル』
『パルもそう思ってるよ、アリージュ』
さて、第二外壁アーチ入り口をくぐると、いよいよ広大な中庭である。
見た目は正方形に近い敷地だが……実際は、正門から奥、神殿や礼拝堂へ向かう方向に、少し長く伸びた長方形になっている。そして、十字の形に作られた礼拝の道で、4つに分割されている。
十字路となっている礼拝の道は石畳で綺麗に舗装されていた。その他の部分は、すべてオリーブ林と他数種の低い植込み。まばらながら、乾燥に強い種類の草地が広がる。
オリーブ林の各所に、細く高い塔の影が見える。礼拝堂を取り巻くように配置されている数々の塔への道は、踏み固められてあるだけの舗装なしの小道である。
直交する礼拝の道の中央交差点に、大きな噴水がある。
噴水周りの水路の点検の日とかぶっていたようで、朝早くから、赤茶色の実用的な長衣をまとう数人の点検作業員が、行ったり来たりしていた。
点検作業員たちの《精霊語》の詠唱が、歌声のように流れていく。《精霊亀》に指示を出しているところだ。詠唱の補助をするための琵琶を抱えてかき鳴らす作業員たちも居て、一見、歌うたいの一団が、大きな噴水の周りをそぞろ歩いている風である。
腕ひとかかえ程の大きさの《精霊亀》が数体、中庭の噴水や水路の周りをグルグル回っている。《精霊亀》は、点検作業員の琵琶の音や《精霊語》による指示に応じて、目をランプのように光らせ、真っ暗な地下水路への潜水を繰り返していた。
アルジーは、礼拝に来た相当数の善男善女たちに混ざって、緑陰の礼拝の道を、ポコポコと歩き続け……
聖火礼拝堂の「よろず事務受付所」脇で、少しの間、足を止める。
墓参りのための線香と「線香着火用の御札」を購入した後、アルジーは、ついでに掲示板へ立ち寄った。
受付所の仕切りを兼ねてズラリと並べてある大振りな衝立を掲示板としてあり、そこに官報がペタペタと貼り付けられてある。
神殿の役人たちが業務開始の前に目を通すのであろう、幾つかの、帝都からの新しい官報が到着していた。
賞金が上積みされた指名手配書が数枚。帝国各所を荒らし回っている、高名な盗賊団や誘拐団の首領たちの似顔絵が付いている。嘆かわしいことに「霊媒師くずれ」「魔導士くずれ」が含まれている。
この「霊媒師くずれ」「魔導士くずれ」というのは、ほぼ、違法の「邪霊使い」と判断して良い。
邪霊使いは邪霊しか扱わない――というより、邪霊を扱うことのみに特化した存在だ。
通常、魔導士は《魔導》によって、精霊と邪霊と両方を扱う。霊媒師は邪霊を扱わないが、無害な邪霊ケサランパサランをサボテンに変えて投げつける程度の《魔導》攻撃は、普通に扱う。
そして邪霊を使った《魔導》攻撃は、効果がハッキリしている分、回数を重ねるごとに上達を実感できるのだ。上達を実感できる分、邪霊に対する《魔導》というのは……必要上の範囲を超えて、のめり込みやすい。
邪霊に対する《魔導》に夢中になるあまり、《魔導》の方向が片寄ってしまうと。
様々な《魔導》を繰り出すための能力の均衡が崩れ、相応に魔性に偏った邪霊しか扱えなくなって来るのだ。
その影響は身体にも出る。身体の崩れがどのように出るかは、個人差があるため定かでは無い。近親相姦に染まった一族や麻薬に染まった人々が、均衡が崩れた身体になってゆくのと同じようなものだと言われている。
かくして精霊・邪霊に対する《魔導》の均衡を失った霊媒師や魔導士は、おしなべて邪霊使いとなってゆく。強い退魔の能力を持つ精霊が近づけなくなるためだ。
あまりにも「邪霊使い」としての能力が強化されると、禁術の領域へと呑み込まれてゆく。
行為が精神を支配するのか、精神が行為の変容をもたらすのか……
いずれにせよ、禁術に手を出して、公的に破門された霊媒師や魔導士が、「霊媒師くずれ」「魔導士くずれ」である……
――悪いカネには手を出すな、と言い、無害な邪霊ケサランパサランをサボテンに変える《魔導》すら決して教えてくれなかった……オババ殿の深い考えが、いまにして身に染みるような気がする。
大金を作るためなら、アルジーは、邪霊使いの方面に手を出しただろう……
アルジーは清らかな人間という訳じゃ無い。
知らぬ間の政略結婚であり、名目上のハーレム輿入れだったとはいえ、腐れ外道な御曹司トルジンと夫婦として釣り合う程度には、意地きたない女の部類。
とりわけ『罰当たりなヤツに悪夢を見せて眠れなくする』という灰色の御札を、ハーレム夫トルジンへ向けて延々と作り、呪いつづけている。護符による防御壁を何とかすり抜けて効果が出たと思しき日は、特別なお茶を淹れて祝杯をあげている。
いつまでもイジイジと根に持つ、恨みがましい、暗くて面倒くさい人妻。死にかけて、なおカネに執着する骸骨女。嫉妬に狂ったハーレム妻そのもの……そういう自覚はある。
次の官報は、いつもの内容だった。
――怪奇趣味の賭博宴会を見付けた折には、速やかに通報のこと。
帝国全土で、邪霊害獣を模した石膏像などを飾って、邪霊害獣を血祭りにする……という内容を伴う、怪奇趣味の賭博宴会が流行している。動いている金額は、気が遠くなるほどの巨額。
その特定の「標的」がいつ死ぬか――を賭け、そして『このタイミングで死ね』と、ワクワクしながら願い、大金をやり取りする……忌まわしい趣向の賭博宴会。
件数としては異様に多い。すでに1万件を超える数が摘発されている。
その中で、邪霊害獣の類を標的にする代わりに、本当の人間を標的にしていたのが、900件以上も含まれていたという。そのいずれにも、いまだ正体の知れない暗殺教団や邪霊使いが主催に関与した形跡があり、鋭意、捜査中。
本当の人間を血祭りにしたと言う、おぞましくも凶悪な900件前後で共通する主催団体の名は、知られている。
――『黄金郷』。
あまりにも欲望をこじらせ、ガツガツするようになると、人間は狂った趣向を発揮し始めるのだろうか。
砂漠を跋扈する忌まわしい怪物よりも、人間の心の奥に潜む欲望や狂気のほうが、よほど恐ろしいのかも知れない。
――巨額のカネを動かす謎の団体『黄金郷』が主催し、人間を血祭りにする怪奇な賭博宴会が、すでに900件を超え……1000件にも達しようという事実。帝国全土をむしばむかのような、怪異な風潮。
そこまでは堕ちたくは無い、とは思うけれども……
気が遠くなるほどの巨額。人の心を狂わせる、お金。
……『黄金郷』という名の、見果てぬ永遠の楽園の夢……
日の出前の薄暗い中庭を……乾いた風が通り過ぎていった。しきりにざわめくオリーブ林。
相棒の白文鳥《精霊鳥》パルが、「ぴぴぃ」と、さえずって来る。呟きのような、不思議なさえずり。
アルジーは首を振って、モヤモヤし始めた感情を振り払い、その場を離れていった……