夜の宴の表と裏、前哨(4)
何ということもなく。
夕陽に照らされた格子窓枠、そこに古式ゆかしき磔の姿勢で拘束してあるカムザング皇子の姿を、ボンヤリと見やる。
まだ失神しているとは驚きだが、説明はつく。
この不埒者を投げ飛ばしたカラクリ人形が、男性型のゆえだ。男性ならではの攻撃力が、ガッツリ、くわわったせいだ。女性型カラクリ人形であれば、衝撃が少ない分、今頃は既に目が覚めていただろう。
だらしなく着崩した贅沢な長衣の前身頃が大きく開いていて、そこから無秩序な刺青と、小鳥の白い足跡スタンプにまみれた全裸が見える。一応、慎みを保つための重要な一枚布はあるから、ギリギリ、乙女ゴコロは無事だが。
れっきとした、一人の、それなりに顔立ちも整っている成人男性ではあるけれど。
高濃度の大麻や、得体の知れない不潔な異臭が漂っていて、おぞましく不気味なオブジェという印象しか無い。
まして先ほど、アルジーを襲って何かをしようとしたのだから、なおさら「男の証明」を完全に滅失してやるまでは、安心できない。
何やら不穏な気配を感じたのか、ちっちゃな手乗りサイズの火吹きネコマタが、ブワッと全身の毛を逆立てた。
『それだけは、やめれ。とんでもなく恐ろしい目をしてるニャ《鳥使い姫》よ』
『ヘタに身動きしたらどうなるかを考えさせるくらいは良いでしょ』
カラクリ人形アルジーは、続き部屋へ入ってゴソゴソした。
予想どおり、カムザング皇子の三日月刀と護身用の短剣、一式が、床の上に転がっている。不要になったので、乱暴に放り捨てられた、という風に。
――刀剣には本物の精霊が宿るというのに、この乱暴な取り扱いは、戦士の風上にも置けぬ。
虎ヒゲ戦士マジードが激怒するだろう。虎ヒゲ・マジードは、雷のジン=ラエド魔導陣が刻まれた大斧槍を持っている……あの武器は、とても丁寧に手入れされていた。
磔にしてあるカムザング皇子の前に戻るや、手際よく、余りのサッシュベルトや剣帯を組み合わせて……必要な長さを調整してゆく。
カムザング皇子の傍に、新しく刃物を吊り下げて。「男の証明」の直下に、それぞれの抜身の刃を上にして、固定しておく。首元に刃をピタッと当てる感じで。
――ヘタに身動きすれば、この抜身の刃のキレッキレが、どこを直撃することになるか。目が覚めた時、この状況を理解できる程度の、頭脳はある筈だ……
辣腕の女商人ロシャナクが、無銭飲食と色事の末にドロンしようとしていた利用客に対して、「料金キッチリ支払え」と地獄の脅迫……いやいや、穏やかに優しく説得するのに、使っていた手口だ。
一連の作業を目撃していた火吹きネコマタは、毛を逆立てたまま、フルフル震えていた。
『ニャンと、オソロシイ……』
小細工が済んで……アルジーは、まだ意識の無いカムザング皇子を、注意深く観察し始めた。
……カムザング皇子の眉間に、奇妙な刺青がある。
南洋諸民族の刺青とは雰囲気が違う。そこはかとなく滲み出る邪悪感。すごい違和感。
アルジーは目をパチクリさせた。
見間違いでは無いのか。
男性型カラクリ人形ならではの高身長を活かして、少し爪先立ち、さらにジックリと観察する。
カッと開いた異形の目――『邪眼』の意匠。黒い色という印象だが、黒くない。奇妙に闇色を思わせる暗い金色。不気味な光沢がある。
――『邪眼のザムバ』の眉間にあった、あの奇怪な刺青と、同じ形。あの陰湿な風貌をした黄金の巨人戦士は……首無し異形と成り果てていた時、全身からジュウジュウと、禁術の大麻の瘴気を噴き上げていた……
そういえば、赤毛の酔っ払い男バシールの眉間にも、似た形が見えた。バシールは、口をカッと開いて、大麻の煙を噴出して来た。あの時は、色々よけるのに精一杯で、その意味までは思い至らなかったけど。
『……この眉間の刺青……知ってる』
『ニャンと?』
『これ見たのは3人目。邪眼のザムバ、赤毛商人バシール、カムザング皇子。3人とも、禁術の大麻キメてた。邪眼のザムバは、三ツ首を生やして《怪物王ジャバ》に変身しようとしているみたいだった……』
ちっちゃな火吹きネコマタは、聖火と同じ高貴な金色の目をランランと光らせつつ、興奮したように、カラクリ人形アルジーの肩に飛び乗って来た。
『うむ、我にも確かに《邪眼》刺青が見える。これは本物ニャ。重大な手掛かりニャ。過去に同じ事例があるが、魔導士クズレに情報流出した事件があったかどうか、すぐにでも万年《精霊亀》に照会するニャ。万年《精霊亀》は特別なツテを使わねばならぬゆえ、明らかになるのは数日後になるが』
カラクリ人形アルジーは頷き。
不意にピンと来て、再び、カムザング皇子が出て来た続き部屋へと、足を踏み入れた。肩の上で、火吹きネコマタが興味深そうにキョロキョロしている。
『何か、思いついたことが? 《鳥使い姫》よ』
『私は代筆屋。トルーラン将軍と御曹司トルジンの、脱税ビジネスやら不正蓄財やら、散々見てきたからね。バーツ所長さんや、大先輩のギヴ爺、ウムトさんと一緒に。二重帳簿の類があったら、押さえとこうかと。ついでに不正資金もあれば、没収よ』
『ニャンと、がめつい。鼻毛どころか尻の毛も、「男の証明」までも、本当に全部ひっこぬく勢いニャネ……』
アルジーは手際よく、贅沢な調度と宝飾にまみれたカムザング皇子の私室を、あさった。
小気味よい足取りに伴って、帝都紅の装飾ラインに彩られた白い長衣が、華やかに揺らめく。
そこらじゅう、盗賊たちがよだれを垂らしてハァハァするような、贅沢な宝飾だらけの夜間照明ランプやら、小卓やら、椅子やら、鏡台やら、衣装箱やらがあるが……そんなもの、アルジーの関心の対象では無い。
――第六皇子カムザング殿下は、卑劣な行動を平然とやらかすくせに、悪知恵が回りかねる性質だったらしい。
遊女たちに教わった「男の隠し金」ポイントから、すぐに、裏金を貯め込むための手提げ金庫が出て来た。
手提げ金庫の蓋に、バッチリ『この世に2人と居ない頭脳明晰・文武両道・容姿端麗・品行方正・モテモテ無双カムザングちゃまの裏金』と書いてある。気持ち悪いほどに気取った風の、誤字だらけの《精霊文字》で。
カラクリ人形アルジーの肩先に陣取った、ちっちゃな火吹きネコマタが、その《精霊文字》を読み、『お、おぅ』と絶句した。
先ほどから、バリバリ違和感を覚える調度がある。
過剰なまでの宝飾細工と化している贅沢なスタンド式ハンガー。大型ドリームキャッチャー護符が吊り下げられてある。飾り羽パーツとして、ジャヌーブ砦の土地柄を反映したトロピカル貝殻が使われていた。定番の貝殻、数種を金鎖で連結してある様式。
アルジーは狙いあやまたず、違和感の発生源となっている飾り羽パーツのひとつを選び抜いた。
妙にギラつく金鎖で連結してある、男性の手の平サイズのホタテ貝。色とりどりトロピカル南洋型。
二枚貝となっているホタテ貝をパカリと開くと、中から、いかにも怪しげな金庫鍵が出て来た。鍵の取っ手部分に、ご丁寧に、折り畳みタグが取り付けられてある。
これまた気持ち悪いほどに気取った、同じ筆跡の《精霊文字》でもって……折り畳みタグの記載欄に『モテモテ無双カムザングちゃま専用鍵』と、バッチリ記してあった。
『ふーん、《邪霊害獣の金鎖》で連結してる……精霊たちは気付かないよね』
『精霊の弱点ニャ。邪霊の成分が濃厚になればなるほど、相互に反発する現象が大きくなって近づけなくなるゆえ。《邪霊使い》と化した人類から、精霊魔法の相棒を務める精霊が離れてゆくのも、同じ理由である』
カラクリ人形アルジーは興味深く相槌を打ちつつ、素早く、裏金の手提げ金庫を開錠した。
『こういうパターンだと、手提げ金庫の中に、二重帳簿の正本か写しが一緒に入ってることが……あ、蓋が二重底で、直近1ヶ月分の写しが入ってる。じゃ、正本は、過去分も含めて、カムザング派閥の誰かが管理してるわね。目ぼしい有力者の邸宅すべてに強制捜査を入れて、中庭の噴水の敷石まで裏返してみたいところだけど』
『ニャンとも恐るべき優秀な調査官だニャ。もはや国家案件ニャ。対立派閥にタレこめば、すさまじい政局騒動になる。カムザング皇子の皇族籍の剥奪への後押しになるニャ』
火吹きネコマタは、呆れたように、ネコのヒゲをピピンとさせたのだった。
――と、そこへ。
贅沢な宝飾にまみれた入口扉の鍵穴から、何やら『パチンパチン』という金属音が響いて来た。
「来客? ……にしては、先触れが無いわよ《火の精霊》さん」
『感覚鋭敏ニャネ、あれは物理的な音響では無くて、高位《地の精霊》が扉の護符一式を説得して、ぶにゃ!?』
ちっちゃな火吹きネコマタの声を止めるべく、その口を塞いで。
スタンド式ハンガーに吊るされた大型ドリームキャッチャー護符の裏へ、身を隠すアルジーであった。
次の瞬間、扉が音も無く開いた。複数人の気配。
覆面オーラン少年が現れた。少年の肩に、白タカ《精霊鳥》ヒナが止まっている。
仰天するアルジー。
つづいて、緊張の面持ちをした鷹匠ユーサー、オローグ青年、クムラン副官。全員、身元のハッキリしない使用人マント姿だ。忍者として扮装しているようだ。
「ホントに此処ですかね、ユーサー殿」
「代理《火の精霊》が間違いなく請け合いましたから」
アルジーの手の中で、ミニチュア招き猫さながらの火吹きネコマタが、天を仰ぐ表情になった。
『鷹匠どの、哀れな留守番《火の精霊》を、壺に満々の水で脅して、白状させたニャネ』
『それは、また……』
――その時。
続き部屋の寝室のほうで、カムザング皇子が目覚めたのであろう、猿轡ごしの「ひいぃ~、いやあぁ~、むぐむぐぐ~」という、うめき声が始まった。
『誰か寝室に居るぞ、相棒ユーサー』
鷹匠ユーサーの肩から相棒の白タカ・ノジュムが音も無く飛び立ち、《風の精霊》ならではの異能で、宝飾ビーズ製カーテンの前で、フッとかき消えた。白タカ・ノジュムの力で、視界を塞ぐカーテンが風もなく揺らいだ。奥まで見通せる隙間ができている。
4人は、その隙間から慎重に奥を窺い。次に、絶句した様子だ。
「なんで、カムザング皇子が窓に磔……?」
「リドワーン閣下の言及されたとおり、全身に、謎の白い小鳥の足跡スタンプが……」
「あの股間の仕掛け、ヘタな拷問より余程オソロシイですぜ、ブルル。だれか忠実な使用人が来るまで放っておいても大丈夫なくらいですよ。その使用人から、この醜態がワッと広まる恐怖の特典付き」
「このパターン、明らかに《鳥使い姫》の灰色の御札……それじゃ《鳥使い姫》が、これを……?」
「だろうなあ、友よ。あの寝台の周り、相当に揉み合った痕跡がある。こりゃ姫君が抵抗して投げ飛ばしたらしいな。見事に粉々だぜ、あの椅子」
一方で、カラクリ人形アルジーは。
ドリームキャッチャー細工の裏側にペタッと貼り付けられた、琥珀ガラス製の不吉な賭場コインと……添付メモに書かれた指示内容を発見して、呆然としていた。
――「我ら永遠の『黄金郷』を、噓偽りなき情熱をもって褒め称えん。生贄918番、取引完了。ジャヌーブ砦・城門前の市場最終日の夜の打ち上げ、大宴会場にて、案内人『三ツ首サソリ』を待て」
震えながらも、いわくのあり過ぎる賭場コインと、添付メモに手を伸ばす。
ドリームキャッチャー護符を透かして見える入口扉はわずかに隙間が空いていて……その空隙を、正体不明の人影がよぎった。《邪霊害獣の金鎖》独特の、ぎらつく黄金の反射光が、ピカリと垣間見えた。
――あいつだ! 正体を突き止めなければ!
アルジーは駆け出した。
その拍子に、ほぼ外れかかっていた琥珀ガラス製の賭場コインが床に落ちて、チャリンと音を立てた。つづいて添付メモが、カサカサと音を立てながら、ドリームキャッチャーの裏をすべり落ちる。
「そこか!?」
誰何の声と足音が追って来るのを差し置いて、アルジーは廊下へと飛び出した。