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風塵、急を告げる頃(4)終

店の奥の間、見事な絨毯が敷き詰められた段差の上へと案内され、上質な絹張りのクッションを勧められる。


座席の間は茶卓テーブルで仕切って、礼儀正しく間隔を取ってあった。


アルジーは、ごく自然に、王女の所作で応じた。それほど気後れしないのは、2年前まで王女としての生活をしていたせいだ。10年以上かけて世話役オババから叩き込まれたシュクラ第一王女としての行儀作法は、簡単には抜けない。


「今日は帝都の良いお茶が手に入りましてね。『凌雲』の名は聞いたことがおありかと。どうぞ」


繊細な意匠のティーセットで出されたのは、滋養と邪気払いの効果が特にある――と言われている幻の高級なお茶だ。帝都皇族や王侯諸侯の周辺にしか出回っていない品で、さすがに飲んだことは無い。


定番のお茶うけとして、ナツメヤシの乾燥果実。外見に関する自覚はあるが、そんなに栄養失調に見えるのかと凹んでみる。


凹んではみても、お茶は香り高く、素晴らしいコクのある味わい。


一服してみて……アルジーは、ちょっと絶句したのだった。


「美味しい……」


「それは大変ようございました。では、さっそく」


金融商オッサンは楽しそうな顔で、革袋に入った通貨をカウントし始めた。まさに金融商が天職、という風。


定番の退魔インテリア、中型ドリームキャッチャーが、幾何学格子窓の傍に吊るされている。何処かから漂って来たらしい4色の毛玉ケサランパサランが10個ほど、おとなしく引っ掛かっているところだ。


奥の間の中央部分は、一段低くなっている。噴水つきの中庭だ。噴水の水は、オアシスから引いて来たもの。


暑熱の極まる午後の後半の中、噴水を通った穏やかな微風は涼しい。


部屋を仕切る薄い紗幕カーテンが揺らめき、アルジーはボンヤリと、そちらを見やった。


その奥の壁に、特に重要な書類を収める厳重な鍵付き書棚が、台座ごと特殊な鍵で固定されている。マスターキーは、《精霊石》の一種、黒ダイヤモンドを加工した鍵だと聞いたことがある。


オババ殿が元気で、一緒に店に来ていた頃、この薄い紗幕カーテンはシュクラ産の絹で出来ていると教えてもらい、感心したものだ。この薄さなのに、適度に機密性が守れる程度に隠してくれる、というスグレモノ。


薄い紗幕カーテンが更にヒラリとめくれた拍子に、その端が、奥の鍵つき書棚の角に引っ掛かった……


場違いな物が、ポンと立てかけてある。


――黒い柄の三日月刀シャムシール。退魔紋様が白金の輝きを帯びて、キラキラしている。


雷のジン=ラエド《魔導陣》だ。退魔紋様としては最強の部類。巨大化した邪霊にも対応できる刀剣。


セットの剣帯も良く使い込まれていて、雷のジンがしっかり馴染んで活性化している。本当に戦場をくぐりぬけて来たものに違いない。つい最近も、何らかの大型邪霊を斬って来たという風で、臨戦態勢の雰囲気バリバリだ。


トルーラン将軍や御曹司トルジンが所有している同種の三日月刀シャムシールは、一度も実戦で使われたような痕跡が無い。退魔紋様はあれども、本体である雷のジン=ラエドは眠っている状態。たびたび開催されていた宴会のほうで、財力や男らしさ(?)を誇示するための、高級な見世物と化していたけれど……


アルジーは茶カップに口を付けたまま、目を見張っていた。


先ほどまで、別の重要な来客か、お得意さんが居たのか。その客が持ち込んで、一時的に置いて行った、という風だ。


アルジーがポカンと眺めていると、金融商オッサンが「あっ」と気付いた。


金融商オッサンは、シュバッと、仕切りの紗幕カーテンに駆け寄った。黒い柄の三日月刀シャムシールと剣帯を、書棚のどこかに押し込むや、仕切りの紗幕カーテンをピッチリ閉め、更に暗色の厚い紗幕カーテンも二重に閉め。


機密保護のため、黒ダイヤモンドの《魔法の鍵》をも完全に回し切る、という念の入れようだ。アルジーが、黒ダイヤモンド装着のマスターキーを見るのは、これが初めて。意外に古代アンティークな意匠。


金融商オッサンは目にも留まらぬ素早さで、マスターキーを、専用の大振りな――羅針盤を収めるような――ロケットペンダントに入れ、長衣カフタンの下に隠した。


キラリと光った、結構な大きさの黒ダイヤモンドしか分からなかった。鍵の要所の形状は、不明なままだ。


見事なまでの隠蔽ぶり……いったん人目に触れたからには、この後で更に念を入れて、マスターキーそのものを交換するレベルで要所の形状を変える筈だ。


――《精霊石》黒ダイヤモンドの鍵の所有に関する精霊契約が、そういう風になっていると、オババ殿から聞いたことがある。


「おお、ウッカリしておりましたな。顧客情報は完璧に管理しなければ。何か、ご覧になりましたかね?」


「何かって……黒い柄の三日月刀シャムシール、剣帯だけでも、帝都でも有数の《魔導》工房の品のような。所有主との精霊契約は済みでしょう? 所有主の……誰かからの、お預かり? トルーラン将軍や御曹司トルジンの物では無いですよね」


何故か、いつの間にか金融商オッサンはダラダラと冷や汗を流していたらしい。


「黒い三日月刀シャムシールと剣帯だけ、ご覧になっていた。それは大変ようございました。私の首が世界の最果てまで飛ぶところでしたよ、ヤレヤレ」


ホーッと息をつきながら、ハンカチで顔をゴシゴシやる金融商オッサン。


……珍しく動転している顔だ。


以前に、アルジーが金融商オッサンの動転している顔を見たのは、オババ殿と番頭さんと金融商オッサンで、3人で少し長い密談をした後――の時のみだ。その時はアルジーは、急な発熱で別室で休んでいたから、どういう内容の密談があったのかは知らない……


「朝早くから色々ありましてね、さすがに注意がおろそかになっていたようです。三日月刀シャムシールの件は、見たことそのものも、無かったことにして頂けるとありがたいのですが」


「定番のお約束『私にゃかかわりの無いことでござんす』ってことで。了解」


「ありがたき幸せ」


金融商オッサンは、コミカルな様子で、深々と腰を折ったのだった。


そして、革袋の通貨のカウントが再開した。


カウント済みの金額のメモが終わったところで、金融商オッサンが、不意に目をパチクリさせる。


「そうだ、口座の名義変更がまだでしたな。この機に、お変えになりますかね? 今までの信用がございますから、すぐに済みますが」


「考えてなかった……手数料引いて、総額どれくらいになってるの? 店前に来ていた隊商キャラバンの傭兵団は熟練ぞろいに見えたけど。帝都への特急の移動、お得な料金で引き受けてくれそう?」


「ふむ。邪霊はびこる砂漠の難所を高速で突っ切るとなると、移動料金がどうしても高くなりますからな。しかし、遠い帝都まで行って何するんです?」


「人探し」


「最初はオババ殿の薬代、次が亡きオババ殿の葬式代、その次が人探し。いよいよ『絶世の美の悪女』として、帝都の大金持ちの男どもをことごとく骨抜きにするべく宝石やドレスに手を出すかとワクワクしてたんですよ、こっちは。そしたら、悪女ビジネスに便乗させていただいて、あんなことや、こんなことを……と、陰謀してたんですがね」


なんでも、帝都でも一位、二位を争う金融商ホジジンに、ビジネス的にも個人的にも大いに恨みがあるという。史上初の女帝になりそうな第一皇女サフランドット姫を除いて、空白の帝位に最も近いとされる第三皇子ハディードの、お気に入りの金融商。ちなみに第一皇子と第二皇子その他の数名の皇子たちは、以前の政争で死亡している。


目下の究極の目標が、「鼻持ちならぬ金融商ホジジンに、最大限の破滅を与えるべく、第三皇子ハディードの下半身の『大事なアレ』を本当にもいで、《食人鬼グール》に食わせる」こと。


――本当にそんな陰謀を実行したら、帝都宮廷の勢力図が書き換わるのではないだろうか。


ぐふふ、ぐふふ……と、穏やかならぬ陰謀を事細かに語り始めた金融商オッサン。まさに『お主もワルよのう』というべき悪人顔。


アルジーは渋い顔をして、溜息をついた。


あの夜、当時17歳の花嫁にとって、夫になる御曹司トルジンからの酷評と放逐は、キツいものがあったのだ。


――『絶世の美の悪女』なんぞ演じるよりも、《骸骨剣士》よろしく三日月刀シャムシールを振り回して、物陰から「ばぁ!」と脅すほうが、外見そのまんまだから、成功も確実に決まっている。


「ありえない。それよりは確実なほうにお金を使うわよ」


「何と、もったいない。人探しビジネスが、悪女ビジネスよりも儲かるとは思えませんがね。では、いつものように貯金としてお預かりして……ふむ、ひとつ助言がございます。聞きますかね?」


「儲け話? そちらから話を持ち出してるから情報料はタダで」


「がめつくて結構なことです。あのね、このがめつさで、もう1年ほど貯金。そしたら帝都大市場グランド・バザールに、ひとつ店を出せるくらいの金額になりますよ。賃貸の小箱店舗で……それでもショバ競争が激しいから、そこは賄賂とか袖の下の使いようね」


アルジーの目が、キラーンと光る。


「帝都で店が持てるなら……倍は余裕で稼げる? あの女商人ロシャナクみたいに。帝都で店をやりながら人探しするというのも……」


「そこは需要と供給ですな。帝都には才能あふれる魔導士も大勢ひしめいてますから、辺境の代筆屋が太刀打ちできるかどうか」


金融商オッサンは、そこで少し思案顔をした後、計算高そうな笑みを浮かべた。


「ともあれ帝都大市場グランド・バザールに、ひとつだけ店を出せる。辺境の城砦カスバなんかが、そうやって希少品や特産品を扱う店を出して、財務の足しにしたりね。我々金融商も、見込みのある店に融資させていただいて、収益から見返りをがっぽり受け取っております、ふっふっふっ」


不意に、アルジーの中でドキリと来るものがあった。


――辺境の城砦カスバが、信用のある金融商の仲介で、帝都大市場グランド・バザールに店を出して稼ぐ、というパターンがあるのだ。


そう言えば、トルーラン将軍とトルジンを何とかして、可能なら脅迫してでも、シュクラ・カスバへの不当な経済封鎖を止めさせる――という目標はあったけど。


元・シュクラ王国の産業をどうやって立て直して将来につなげていくかは、考えてなかった。市場バザールで聞き集めて来た限りでは、相当にメチャクチャになっている……


恩師とも仰ぐ、いまは亡きオババの――シュクラ宮廷霊媒師の様々な教えは、アルジーの中にシッカリと根を張っていた。古代の『精霊魔法文明』に由来する貴重な文化遺産を受け継ぐシュクラの民、由緒正しきシュクラ王族としてあること、王族の責務、役割、責任……


――犯罪をしてでもカネを貯める。その一点についてだけは、オババ殿と長い口論になったものだ。地獄耳で知られる鬼耳族の子孫、女商人ロシャナクが聞き付けて、実入りの良い裏営業『灰色の御札』を紹介してくれた時も、かなり激論になった。


アルジーの《精霊文字》の知識や技術には、邪霊を召喚できる要素は無いこと。表も裏もある女商人ロシャナクが、邪悪な禁制品の密輸だけは絶対にしないこと。その2点を考慮して、オババは、裏営業に手を出すことを、やっと了承した。


貯金口座を、この金融商オッサンの店に作ることを条件に。


正直アルジーとしてはモヤモヤする部分がある……


やがて、アルジーは思案顔で呟き出した。


「もう1年くらい貯金……ここ、維持手数料が相場より高いでしょ。貯金の減りが早くて、なかなか溜まらないし。半額くらいにしてくれない? でなきゃ、貯金先の金融商を変える」


「オババ殿の特別な遺言も一緒に預ってくれる金融商は、ここ東帝城砦では当店だけですけどね。ふっふっふっ」


「あぁもう。まったく」


アルジーは嘆息し、ガックリと茶卓テーブルに伏せるのみだ。


「オババ殿も、何故あんな意味不明な遺言したのよ。ずっと続けてるけど。引き続き『何はなくとも、7日に1度は、生存の《証明》として、此処にある《白羽の水晶玉》を撫でるんだよ』なんて。オババ殿が死んだ後は、意味が無いわよ? 論理的に考えて……」


「ふっふっふっ……お蔭さまで懇意にさせて頂いております。では遺言にあります《証明》手続きを」


金融商オッサンは、訳知り顔で、うやうやしく水晶玉を出して来た。


どうやって制作したのか分からないが、茶カップサイズの透明な水晶玉の中に、白孔雀の尾羽の形をした、7つの可愛らしく美しい彫刻が仕込まれている。


白い7枚羽の彫刻が入っている水晶玉だから、《白羽の水晶玉》なのだ。


――彫刻らしいけれど、素材が謎だ。


本物の白孔雀の尾羽のようにも見える……それも、とんでもない魔法を含む高度技術で、圧縮したもののように見える。


アルジーは首を傾げながらも、《白羽の水晶玉》を丁寧に撫で回した。生前のオババ殿に教わったとおりに……いつも思うのだが、謎の水晶占いをやっているような気がする。


白孔雀の尾羽の形をした7つの彫刻が、いずれも銀月の色に揺らめいた。揺らめいた後、また元の純白に戻る。


「毎度、遺言どおりに《証明》いただき、ありがとうございます。オババ殿もお喜びかと」


朗らかな笑みを浮かべ、手品のように、巧みに《白羽の水晶玉》を引っ込める金融商オッサンであった。


次に、タイミングを見計らったかのように、番頭が仕切り扉を開いて入室して来た。


「何かね、番頭さん? さっきの隊商キャラバンさんか、新顔のシュクラ青年さんと揉め事かね? 面倒なタイプでは無い筈だが」


「いえ、そちらは良好でございます、頭取。ですが、さっき視察に来られた宮殿の役人さんと少し揉めまして。隊商キャラバンさんが先客ということで、傭兵さんにも援護を頂き、一旦お引き取り頂きましたが……」


ごま塩頭の番頭は、珍しく焦っている様子。金融商オッサンに、ゴニョゴニョと耳打ち。


金融商オッサンの顔面が、ピキリと固まった。額に青筋が浮かんでいる。


城砦カスバの外への送金を強制停止……反社会的勢力にかかわりの無い正当な送金をも強制没収だと? そんなことしたら東方諸国の経済が止まる。腐敗お盛んなクソタレ総督閣下、ステキな営業妨害してくれるじゃないの」


金融商オッサンは、接客の際にはありえない暴言をブツブツと吐き捨てた。次に思案顔になって、アルジーの方を振り返った。


「代筆屋さんのアレも、ヤバイ案件になる……番頭さん、例の連携を。それから、代筆屋さんにも早めにお帰りいただこう。過剰に仕事熱心な役人さんが再び来店される前にね」


「かしこまりました、頭取。それでは、お客さま、こちらへどうぞ」


承知して、素早く後を付いて行く。


アルジーも役人に睨まれたら困る立場だ。神殿の目を盗んで灰色の御札を書くという、相当にスレスレな裏営業に手を出している。公的に許されているのは、『家内安全』『道中安全』『安産祈願』というような紅白の御札だから。


今までアルジーのターバンの隙間で身を潜めていた相棒《精霊鳥》パルが、ヒョコッと出て来て、ごま塩頭の番頭に向かって「ぴぴぃ」と鳴き始める。


ごま塩頭の番頭が振り返った。目下、換羽の真っ最中でちょっと異相なパルを認め、ぐぐぐ……と口を引き締めた後、また頭をそむける。


――いつも思うけれど、不思議な反応だ。パルと番頭さんとで、かくれんぼの攻防戦とか、やってるみたいだ。


アルジーは、いつものように首を傾げながら、金融商の店を後にした。

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