22.真っ黒な月
燃え盛る火の海の中、月を覆い隠すように目の前に現れた巨大なシロヤネズミに、漁師たちもロマニ達も、誰もが目を見開き硬直した。
「こんなに大きいのが控えてたなんて……どれだけ長い事、サンゴ礁にありつけてたらこんなに大きくなるんだ!」
ロマニは歯を噛みしめる。
ふとその時、傍らで3名ほどの漁師が駆け付けると、目の前のシロヤネズミに向けて銃を構えた。
「親玉が出たなら、むしろやっと来たチャンスなぐらいだ! このまま撃ち落とせ!!」
生育環境が整わないことで、さほど成長しない問題を抱えていたはずのシロヤネズミ。それゆえ、漁船に負けないほどの巨体を持つ程成長した、稀少種とも言えるこの怪物を見た漁師は、恐らくいないだろう。
しかし、漁師たちは怯みはしても誰もが逃げ出そうとはしない。漁師ら3人は漁船に常備されている長銃を、ショウコウは銛を、ベラは口いっぱいに火を貯め込み、構えた。
各々が一斉射撃を狙う。──しかし、その中で意外な事に、特に真っ先に立ち向かう事の多いはずのロマニが、この時動かなかった。
「……シロヤネズミは、毒性がある血を持っていて……」
攻撃の手を止めたのは、昼間のプレトとのやり取りであった。
シロヤネズミにはサンゴ礁を死滅させるだけの毒があり、それを別の液体で希釈する事で人体に使っても問題ないレベルになる。
しかし、ただ毒があると言うだけなら、こうして攻撃する分には、問題ないはずだ。
──強大な魔物で、自らの巨体を浮遊させるだけの魔術、魔力を有していなければ。
「まずい! 相手を攻撃しては駄目だ!!」
「なに?」
「へっ?」
ロマニが叫ぶ。すぐ隣に居たショウコウとベラは、攻撃の手を止めてロマニに振り返った。
その一方で、3人の漁師は騒乱の中、その声の意図を聞き取れず、3人が揃って発砲した。
火花と共に打ち出された鉄の塊は戦火の中をまっすぐと飛び、空中に浮き続ける親玉のトゲの合間へと吸い込まれていった。やがて、まるでしぼむ風船のように、着弾点の表面から、赤とは言い切れない紫色の濁った色をした血が3か所、勢いよく噴き出した。
「やったぞ、通用するぞ!」
歓喜し喜ぶ漁師たち。
だが、次第に目の前のシロヤネズミの様子が豹変していくにつれ、顔を曇らせることとなった。
噴き出した赤紫の血は、地表に落下する事が無い。シロヤネズミの周りで、薄く水を張るように、空中でシロヤネズミを中心に、球体状に広がっていった。
出血が止まっても、吹き出した分の血の広がりは止まらず。だんだんシロヤネズミの全身を覆うにつれ、霧状に変異していく。
それらのプロセスを一通り終えて、シロヤネズミは、全身に自らの毒性の血の霧をまとい終えた。
「自分の血をまとった……」
シロヤネズミが常に発動している浮遊魔術は、自らが負った怪我を世にも恐ろしい生物兵器へと変貌させた。
「なんだよあれ! あれが魔術だって言うのかよ!?」
漁師たちも、目の前の惨状に青い顔をして叫ぶ。
一方で、肝心の一通りの怪奇を繰り広げた毒を体外に纏ったシロヤネズミは、ゆらりとした回転をもって、漁師たちの方に体を向ける。
そして、その巨体をもって、ゆっくりと勢いをつけて、地上に落下してきた。
「! 全員、親玉から離れろぉおお!!」
ショウコウの叫びを皮切りに、その場に居た全員が、シロヤネズミから離れるように走り出した。
「助けてくれぇ!!」
「っ!!」
しかし、逃げる傍らにロマニは、助けを叫ぶ声を後ろに聞いて振り返った。
先ほど発砲をした3人の漁師たちが、走りながらも、月を背にしたシロヤネズミの巨体の真っ黒な影から抜け出せずにいた。
あのトゲの塊に押しつぶされればどうなるか。
その想像がよぎった瞬間、ロマニは自分と彼らの直線状にあるある燃える建物目掛けて、義手のワイヤーを射出して跳んでいた。
「ロマニ、駄目だ!!」
「駄目だああぁぁああ!!」
ロマニの向かう先、ワイヤーの線上すぐ真横に立つ漁師たちが立ち止まり、焦燥しきったその顔と、ロマニは目が合った。
3人。ロマニが手を伸ばせる先には、3人が居た。
咄嗟に飛び出したロマニは、ここで気が付いた。空いている手は一つ、手を差し出せるのは、1人だ。
「──あっ……」
3人の顔が、一斉にロマニを見ていたのを確かに見た。
その中で、ロマニは、一番ワイヤーの近くに立っていた漁師の手を、掴みそのまま通り過ぎた。
「──こんな」
自分が握りしめた手から来る重みは、期待した以上の重さを持たない。人一人分の重さだけだった。
一人だけしっかりと握り、引っ張ったロマニは、その背後を振り返った。
振りかえる瞬間、ロマニの眼前を深紅で真っ赤なものが尾を引き、横切った。
「! ベラ!!」
ロマニは横切った物を目で追い、前を見る。
そこには、ロマニが掴むことができなかった二人の漁師を、その両手に掴み飛ぶ、ベラの姿があった。
「火に飛び込む!!」
ベラが叫んだ次の瞬間。ロマニとベラ、3人の漁師は、建物に燃え広がり満遍なく燃える火の海の中に飛び込み、壁に当たった。
ぶつかり、建物のすぐ傍の地面に倒れた瞬間、ロマニの全身に燃える炎が広がり、全身で痛いほどの高熱を感じる。
その痛みが実感となり叫び声を上げる前に、ベラがすぐに飛び上がり、ロマニ達の居る真下を向いた。
精一杯息を吸い、その口から炎とは違う澄んだ息を暴風のごとく吹く。すると、ロマニ達を包み込み始めようとしていた火は、そのロマニ達の手の届く範囲だけが焼失した。
「た、助かった……ありがとう、ベラ」
「ロマニ、向こう見ず!!」
ベラが叫んだ次の瞬間、背後で大きな地響きが鳴った。
「!」
毒をまとい落下してきたシロヤネズミの親玉が、先ほどまで漁師達の居た地表に着弾したのだ。
辺り一帯が揺れ、いくつかの燃えてボロボロになっていた家屋が崩壊する。
だが、その揺れよりもさらに、息が一瞬止まる光景が目の前に広がっていた。
「毒が!!」
シロヤネズミが身にまとっていた毒霧が、魔術による制御を着弾の瞬間に失ったように、着弾の衝撃のまま辺りに円陣の爆風となって暴風の勢いで広がりだした。
「ロマニを巻き込むな!」
ベラは空中を飛んだまま、再び口から突風を吹き荒れさせる。
広がる突風は、ロマニと漁師たちを守るように吹き荒れ、前方から広がる毒霧を、左右へと受け流した。
「! 親父!!」
ロマニはベラによって展開された突風の中で叫んだ。
辺り一帯、赤紫の霧の壁。その見えない向こう側で広がるのは、毒に巻き込まれた者たちの悲鳴。
現場に残り消火活動をしていた人が、その護衛をしていた人が、みな毒霧の中に飲み込まれていく。
赤紫色に染まる中、人々の苦しむ声に混じり魔物までもが苦しむ声までもが聞こえた。
ロマニは、自分がついさっきまで父と並んで逃げていた場所が、港のまだ内部だったことが脳裏によぎった。
◇ ◇ ◇
すこしの後、赤紫の毒血で出来た霧は、港一帯に広がったところで拡散が終わり、その後色を失って空気中に霧散した。
毒が無くなったことを確かめたベラは、ロマニたちを保護していた突風を解除する。
「ベラ、大丈夫か」
「平気。ちょっと舌がぴりぴりするけど」
ロマニの元へ降りてきたベラは、そう言いながら手のひらを少し動かす。ロマニから見て見た限りでは、ベラの手の震えが、少し大きくなっているように見えた。
息を吐きだしながらも、呼吸の合間にいくらかを吸い込んでしまったらしい。
シロヤネズミの保有する毒は、一種の麻痺をもたらすようだった。
「すまない二人とも、俺ら、お前らが来てくれてなかったら、どうなってたか……」
漁師の一人がゆっくりと立ち上がり礼を言う。
「いや、無事で良かった……っ! そうだ、親父‼」
ロマニは、つい先ほどまで一緒に居たショウコウの事を思い出した。
元来た火の向こう側の地面にワイヤーを射出し、ロマニは引き戻す力を合わせて幅広い跳躍をし、火の壁を潜り抜ける。
「っ! これは……」
元の港広場に戻ったところで、ロマニは絶句した。
先ほどまで人と魔物が荒く争いあっていたその場所は、もはや敵も味方も無い、酷い惨状を成していた。
巨大化した海洋生物のような様々な種の魔物達は、その体を粘土のように伸び切らせて地に伏し、けいれんをしている。
同じく魔物達と交戦していた人々もまた、四肢を投げうって、むせ返りながら苦しそうに倒れていた。
その場の誰もが、この惨状をもたらしたシロヤネズミの、自らの血液を利用した毒霧拡散により、壊滅していた。
残る魔物は親玉の大型シロヤネズミと、同じ毒に耐性のある、普通のシロヤネズミだけであった。それらの魔物達は、邪魔者も居なくなったとばかりに親玉を先頭にし、後続に編隊を組んで、港広場の空中をゆっくりと竜の森に向かって進行していた。
魔物達の進行を、ロマニは唖然として眺めていたが。突然、その列をなすシロヤネズミの内の一体が、進行方向先より飛んできた銛によって貫かれ、遠く海の方へと弧を描いて飛び、着水した。
「今のって!」
ロマニは銛の飛んできた方向に目を向ける。
そこには、片膝をつきがくがくと痙攣させながらも、息苦しそうにしながら銛を構えるショウコウの姿があった。
「何もう終わったって顔して、森へ行こうとしてるんだ、化け物ども。まだ終わってないぞ……」
勇むショウコウに、どこに目があるかも分からないシロヤネズミ達が、顔を向けたような気がした。一度の毒で壊滅してしまうだけの人間達の中で、唯一毒を受けても攻撃の意を崩さない一人の男を、興味深そうに見ていた。
「もう失うのも奪われるのも、俺は断固としてお断りだ! 俺が相手してやる、もう誰にも、手出しは……!」
「駄目だ! そんなに弱ってるのに戦おうとするな! 親父!!」
熱気とは関係なしの嫌な汗が、ロマノの全身からにじみ出した。父を助けようと、ロマニは前方の地面にワイヤーを撃ち、人間では出せない程の距離を跳躍してショウコウの元へと駆けだした。
それと同時に、シロヤネズミ達がショウコウ目掛けて一斉にトゲを撃ちだした。
「避けろぉおお!!」
ロマニは、自らの全身でショウコウを横へ突飛ばそうと飛び込んだ。
しかし、ロマニの父よりまだ小さなその体が、ショウコウの体より触れる前に。目の前で、ショウコウはシロヤネズミ達が打ってきたトゲで、全身を串刺しにされた。
「──あっ……」
左肩に、親玉より撃たれた巨大なトゲが、肩を貫いて地面に刺さり、ショウコウの体を張りつけにする。
そして、それから少し遅れて全身の十数か所に、小さな針がまばらに突き刺さる。
そんな惨状が、ロマニの眼前で繰り広げられた。
「……そんな。嘘だ、親父に限ってこんな。こんな……」
何がいけなかったんだ?
俺が、あの3人を助けようと飛び出したからか? でも、行かなければ彼らは死んでいた。
ベラに親父の傍に居てくれとお願いすればよかったのか? でも、ベラが来てくれなかったら二人死んでいた。そもそも、親父がこんな事になるなんて、俺は、想像さえできなかった。
何が足りなかった。毒の広がりを想像できなかったことか、敵の強さを見誤った事か。
足りなかった。足りなかった。俺が弱かった。
俺のせいで、親父が死んだ。
目の前で、完全に仰向けに倒れる事も出来ず、親玉の巨大なトゲを支えにショウコウが力なく項垂れている。
ロマニとショウコウの頭上では、もはやこちらを眼中にしない様子で魔物達が宙を飛び、森の方へと向かっていく。
そんな中、ロマニはただ、目の前の父の惨状から目を離せないでいた。
「……あ、あぁ。ああぁぁ! うあああぁあああああ!!!」
力なく膝をつき、燃え続ける広場全体に、ロマニの喉が張り裂けんばかりの悲鳴が響き渡った。




