不完全懲悪
一
あるところに、ひとりの若者がおりました。
その若者は正義感がたいそう強く、自他共に認める熱血の人でありました。
ある時若者は己の属する集団の仲間にこう打ち明けるのです。
「わたしはこの世界を救いたいのだ」
仲間は一時、若者が何を言つているのかわからないというふうな顔をしましたが、すぐに我に返つてこう尋ねます。
「何を救う?」
「世界だ」
「何故救う?」
「正義のためだ」
「一体全体、何から?」
「悪だ」
「どのやうな悪か?」
「それがわからぬ」
仲間は呆れかえつて「馬鹿な真似はよしなされ」と言いましたが、若者は聞く耳を持ちません。
そればかりか、若者は他の仲間にも同じことを触れて回るのです。
若者は弁が立つ方ではありませんでした。
仲間には呆れられるばかり。
あるとき、若者のいふところの悪が若者の属する集団の中に踏み込んでまいりました。
皆は驚きましたが、誰もが遠巻きに眺めるばかりで、それを追いだそうとはしません。
そして悪はその輪の中の土を踏みしめて、こう言つたのです。
「~~~~~」
その言葉に若者は激怒しました。
この悪を許してはおけぬのだと。
「して、如何にする」
若者は悪に立ち向かい、攻撃しました。
若者は弁が立つ方ではありませんでした。
しかし悪は能弁の人でありました。
若者は武勇に富める者でありませんでした。
それは悪も同じでしたが、悪には仲間がおりました。
そして、若者はひとりでした。
若者は打ち首になりました。
そのときになつて初めて、
若者の仲間たちは己の正義を語り出したのです。
結果として、若者の救いたかつた世界は守られました。
仲間たちは若者を称え喜びました。
二
またあるところに、ひとりの老人がおりました。
その老人はある齢になつて急にこう言つたのです。
「私はこの世界を救わねばならぬ」
それを聞いた周囲の若者たちは口をそろえて「お前のやうな老い耄れに何が出来るというのだ」とせせら笑います。
その老い耄れは言いました。
「今に見ていろ、私があの悪を除いてみせる」
老人は文芸のひとでありました。
脚の力は無く、命の灯火は消えかけておりましたが、確かな知識と意思がありました。
そして、愛した者がおりました。
老人は変人と罵りを受けました。嘲りを受けました。石を投げられることもありました。
「だが私の除かねばならぬ悪はお前たちではない」
けれども老人は、決して反撃することはありませんでした。
老人を攻撃しない者達も、老人を遠巻きに見つめるようになりました。
老人もまた、ひとりになりました。
いくつかの季節が過ぎ、ついにはその老人の火を、冬の冷気が奪い去りました。
「老い耄れめ。それ見たことか」
若者たちは勝ち誇った顔で老人の墓に泥を塗りました。
そのしばらくの後、老人のいふところの悪が別な者の手によつて除かれました。
その者の手には、老い耄れの残した書がありました。
結果として、老人の救いたかつた世界は守られました。
老い耄れの墓の泥は除かれました。
三
若者と老人はどちらも正義の人でありました。
けれど決して、善の人ではありませんでした。
ふたりは孤独の人でありました。
しかし、情熱の人でもありました。
残った者達の多くはふたりを称えました。
けれど、そこにふたりの姿はありません。
未だふたりを攻撃するものもおりました。
「世界などという言葉は、所詮はそれを口にする者にとっての日常を表す言葉でしかない」
さて、ふたりが救いたかつた世界とは何だつたのでせうか。