達者な野郎
桜の開花速報は例年より早かった。
近所の桜の名所は去年よりも早い時期に開花を始めたような気がする。もちろん、桜がいつ開花したかなんてのは覚えていないので、例年よりも早いといわれても、そんな気がすると漠然とした感想しか浮かばない。
何気ない春休みの平日、桜の名所と言われている散歩道を歩きながら思う。
どのみち、早くとも遅くとも桜が咲けば人は満足するのだ。こうやって、散歩道を軽く歩くだけでわかる。
皆、顔を上げて桜を楽しんでいる。
「あ」
知り合いを見つけて、声を出すとともに足が止まる。
善通寺環だ。彼女もまた僕の姿を認めたのか、顔をしかめる。
きっと僕も似たような顔付きになっていたのだろう。
このまま、通り過ぎればいいのに。
「こんにちは」
僕は声をかけてしまった。
まさか、善通寺は声をかけてくるとは思っていなかったのだろう。目をぱちくりと大きく瞬かせた。
「いやいや、おかしいでしょ。会話する流れだと思った? 今の? 私の顔見たでしょ」
「見たけど。でも、知り合いだし」
「私、あなたがあの女の連れだってこと以外、知らないんだけど」
「あの女って、東山さんのこと?」
「それ以外ないでしょ」
眉間を指で押さえながら、善通寺は呻く。
「えっと、名前、山田君だっけ。あなたがあの女とどうして一緒に行動しているのか時折、わからないわ」
「そうだよね。僕もまぁ、うん」
「それ、やめて」
僕の顔を指さしながら善通寺は言った。それには確固たる意志が感じられた。
「話すときに、まぁ、とか頭につけるの。やめて」
「わかった。善処する」
了承すると、善通寺はまだ納得はできそうにないという顔ではあったが、しかし、飲み込んだようだった。
「まったくもって、あの女とつるんでるにしては、なんというか」
「別につるんでいるわけじゃ」
「そう? 実際、つるんでるじゃない。映画館にショッピングモール、公園とか」
「よく、見てるんだね」
舌打ち。
「何もあの女のことを知らないくせに」
「知らないよ。君も僕のことを知らないだろ」
深呼吸。
「山田克人、十七歳、男子学生、出席番号25。成績は二年次中間試験でクラス30人中18位。期末の試験で、クラス30人中の2位で、学年120人のうちの20位。部活動は所属しておらず、卒業中学は」
「もういい。わかった。わかった」
手をあげて、会話を制する。
どこまで僕のことを調べているのだ。
「いい? 私はあなたを通してあの女を知りたいの。爆発的な成績の上昇は、まぎれもなくあの女が関わっている。だからこそ、取引をしましょう」
「取引?」
「そう。あの女の勉強方法を知りたいの」
「なら、本人に直接聞けばいいじゃないか」
「聞けると思う? あなたに勝つためにその方法を教えて、なんて」
それもそうか。
別に教えてくれそうな気もするが。もしかすると、教えてくれないかもしれない。
それに、聞いてしまえば、ある意味、敗北宣言ともとられてしまう。
善通寺の誇りが傷つく。
己の為に、そうは簡単に敗北宣言を口にすることはできない。
「取引にしては、僕に何のメリットがあるんだ」
「それは、その」
善通寺は口ごもる。
まさか考えていなかったのか。
善通寺が東山に勝てない理由が少しだけわかった。きっと、東山なら間違いなく、全てを取引の交渉材料として差し出すだろう。そして、東山は現に、僕に恩恵を与えている。善通寺の調べた通りの成績向上だ。
これを上回るメリットを僕に与えることができない。
すでに善通寺は打つ手がない。
それを理解していてもなお、彼女は僕に取引を持ち掛けた。
「わかった。取引に応じる。ま、近いうちにご飯でも奢ってくれ」
だからこそ、僕は彼女に応じたほうがいい気がした。